report from revolution
text by Yoshio Otani & note103


『大谷能生のフランス革命』

第1回「大谷能生×冨永昌敬」  ; second set, open.



 01-10  『シャーリー・テンプル・ジャポン・パート1』ができるまで


(大谷氏、冨永氏、再び着席)

O 「はい。えー後半を、始めさせて頂きます。よろしいでしょうか。あらためて、冨永監督の、えーと、観る前に少し解説をお願い出来ますか?」
T 「はい」
O 「『シャーリー・テンプル・ジャポン』」
T 「はい。フライヤーが手元に行ってるかもしれないですけど。秘密結社のビラみたいなデザインの。えーと、来月、8月27日から池袋のシネマ・ロサという映画館で2週間レイト・ショーで上映されますのでヨロシクお願いします。で、この作品はですね、最初にも少し言いましたけど、パート1、パート2とありまして。パート1というのはサイレント映画。サイレント映画って言っても単にセリフが、俳優の口から出るんではなく、字幕で出るということで……」
O 「純粋なサイレントではない。SEが入ってますよね」
T 「そうですね。環境音っていうか、その風景の中の音は聞こえるっていう形になってまして。ちょっと、限定的なサイレント映画として作られています。どうしてこういう風になったかっていうと、そもそもこの映画はですね、あるミュージシャン・・・曽我部恵一さんのライブをですね、チラシにも書いてあるんだけど、水戸短篇映像祭というイベントで、どうも会場の都合で、音楽だけのイベントはやっちゃいけないっていう、そういう規則があったらしくて。で、ライブやってる後ろに何でもいいから映像を映しとけばOKだ、と。それでそのための映像が必要だっていうんで、水戸短篇映像祭のプロデューサーの方から、何でもいいから40分ぐらいの映画を撮ってくれっていう依頼があったんですよ。曽我部さんのライブが40分くらいだから40分の映画を作れって(笑)。それで、映画祭当日までに確かその依頼が来た時にあと10日ぐらいしかなかったと思うんですよ」
O 「無茶苦茶ですね(笑)」
T 「40分。40分で、しかもライブのバックだから音も使っちゃいけないってことで。しかも締め切りすぐだし。ってことで悩みまして。」
O 「悩んでる暇もないよね」
T 「そうなんですよ。結局、数えてみたら2日間しか撮影できないって事に気付いて。で、2日間でまともに40分のものを撮るのはちょっとヘヴィーなんで、 1日目はリハーサル、2日目本番 ということで、40分ワンカットのものを作ろうと。カメラ固定でワンシーン・ワンカットの40分の映画。これならなんとかなるって、で、実際なんでこれなら可能なのかっていうと、サイレントっていう縛りがあったんで、音が入んないから、カメラを実際に回している間も僕は声を出して、で、フレームの外から指示を出すことが出来たんですよね。”誰それ君、出番だから出てきてー”とか、本番中に言えるわけですよ」
O 「なるほど」
T 「で、出過ぎな人には”そろそろ引っ込んで”なんてことも(笑)、言えるわけですよ。もうちょっと言うと、誰それがこっち行ったらカメラ振って、なんてことも言える。何でもその場で言えるんで、そういう臨機応変、臨機応変すぎるぐらい、いくらでも指示を出せる状況になってたんで」
O 「同録じゃない上に、最初から物語としてもサイレントを作るってことで、ワンカットだからカメラの位置も変わらないし」
T 「カメラは振るだけで済ませて」
O 「振るだけで、カメラの位置は変わらなくて。人がフレームに出入りするだけってことですね」
T 「そうです」
O 「それが『シャーリー・テンプル・ジャポン・1』」
T 「『シャーリー・テンプル・ジャポン』という名前でした、その時は。それは演奏のバック用だから完全なサイレント映画で。まったく音がないもので。撮影は、初日は一応リハーサルってことでカメラを回して演技してもらって、その日の夜にみんなでそれ見ながら反省して。”出過ぎだよ”とか、”もうちょっと頑張ろうね”とか(笑)。そういう話をして、それで次の日も撮って。2テイク回して、それで終わり(笑)。あ、こんなに簡単に撮れるんだって」
O 「(笑)」
T 「で、サイレントって簡単なんじゃないかって一時は思ったんですよ。ところが、ですよ」
O 「はいはい」
T 「サイレント映画は難しいってことに後々、気づくことになるんですけど、それはまた後で」
O 「また後で(笑)。その映像が曽我部さんの後ろに流れることになったんですね。」
T 「はい。とりあえず『シャーリー・テンプル・ジャポン』って名前ではその一回きりの上映で、それで終わりなんですけど、で、そのイベントが終わった後にこれはもう自分の作品にしてしまおうって風に考えたわけですよね。それで、これを普通に上映する場合、何にも音がないっていうんではちょっと寂しいし、そうかといって総てのセリフをアフレコするのは、面倒くさい。……面倒くさいと思っちゃいけないんですけど(笑)。面倒くさいっていうのが本音なんですよ。じゃあそういう手間を省いて音をつけるにはどうすればいいかって考えた時に、音楽つけちゃっても良かったんですけど、まあそれもちょっと、 40分音楽鳴らすのもちょっとあれかな、と思って。 40分間、蝉の音とか川の音とかを被せて……奥多摩の沢の音らしいんですよね。あれ。スタッフがあとからわざわざ採ってきてくれたんですが」
O 「えーと、ロケ地は?」
T 「ロケ地は、静岡県ですよ」
O 「(笑)。まあ、大して変わんないよね」
T 「まあ、大して変わんないっていうことなんですけど」
O 「だって、言われなきゃわかんないじゃんね」
T 「もう2度と言いませんけど」
O 「ここだけの話ってことで(笑)。まあ、静岡で撮ったと」
T 「そうです。で、それで40分の、一応音が付いた映画っていうのが出来たわけですよ。その映画祭から2ヵ月後のことなんですけど。で、何でそういうものを作ったのかというと、”上映させてください”っていう、大変やさしい学生さんがいらっしゃって、 ”ああそうですか、これはありがたい”ってことで、これもそういった依頼があっての話で」
O 「どこの誰さんですか」
T 「早稲田の学生さん。ありがたい。それで40分の作品が出来まして、で、そうしたら今度はしばらくしてから、”劇場でやりませんか、あと、DVDにしませんか?”って、また大変ありがたいことを言って下さる方がいて」
O 「おおー、そうですか」
T 「でも40分じゃ短いですよね」
O 「まあ、そうですね」
T 「単発劇場でやるには。だから少なくとも60分はいるだろう、という判断から、じゃあ20分撮り足そうって思ったんですよ。ただ撮り足すにしても、一回終わってる話なので、そこから20分ぶん台本書くのもちょっと、その当時の僕には大変だったんですよ」
O 「ワンシーン、ワンカットだしね」
T 「もう一回それをやるのも図々しいし、まあ要は、続きの台本書くのが大変だったんですよ。なんで、だったら、おんなじ台本でそのサイレント作品をリメイクして……同じシナリオでもう一本作っちゃった方が、楽だ……。と(笑)。あとですね、リメイクっていうのは何なのかっていうことを勉強するいい機会だと思ったんですよ」
O 「あ、前向きだ(笑)」
T 「しかも20分あればいいんだから。前回の40分の半分」
O 「うん」
T 「制作費も半分ですむんじゃないかと」
O 「でも、別にさ、40分やっても良かったんじゃない?」
T 「ですけど、60分ぐらいが妥当であるっていう気が」
O 「ピピッと働いて」
T 「そうです。で、20分ぐらいのものをリメイクにして撮ろうって決めて、”じゃあ今度はトーキーでやってみようか”って……今どき”トーキーで”って(笑)そんなこと言う人いないですけど。”サイレントで”ってならうっかり言えますけど。”今度はトーキーだよ”って」
O 「”え、トーキーですか!?すごい!”って(笑)」
T 「”とうとう、『ジャズ・シンガー』の”」
O 「”お楽しみはこれからだぜ”みたいな」
T 「そうそう(笑)、”お楽しみはこれからだ”って」
O 「登場人物に言わせたいなー、みたいな」
T 「そしたら偶然”お楽しみだよ”っていうセリフがあって、俳優が勝手に言ってるんですけど。……まあそれはいいんですけど。ロケ地を変えて、まったく同じ台本で、とりあえず全く同じ台本を持っていって、それで状況に即して、っていうか臨機応変に変えてこうっていうことで、とりあえず台本は同じまんま、俳優も同じでやったんですよ。それが20分、後半20分の"パート2”です」
O 「 40分ワンカットのものが20分になったっていうことですよね。お話の内容的には。20分で出来たと」
T 「まあ厳密に言うと、パート・ワンの方も40分ワンカットで撮りましたけど、部分的にはカット変えてはいます」
O 「そうですね。2回?変わってますよね」
T 「2箇所。大雑把に言って2箇所」
O 「階段上っていくところと……」
T 「うん。で、パート2の方はさすがに、その、40分ワンカットっていうのは図々しいな、誠意がないな、という反省するに足りる十分な時間がありましたので(笑)、ちゃんと撮ろう、あれをちゃんとトーキーで撮ったらどうなるのかっていうことを。まあ、前向きに考えるとこういう事ですけどね」
O 「はい」
T 「うん」
O 「俳優も一緒ですよね」
T 「はい。監督も俳優もおんなじで」
O 「俳優が違ったら面白いですけどね」
T 「んん、そのうち変わるかもしんない・・・あ、これシリーズ化するんですよ」
O 「あ。パート3もやるってことですか」
T 「パート19までやろうと思ってます」
O 「全部おんなじ話なの?」
T 「ええ、おんなじ話で」
O 「ずっと同じ(笑)、19作目まで同じ話(笑)」
T 「そうです。どんどんリメイクし続ける」
O 「ある作品は3分で終わってたりしてね」
T 「そういう場合もあると思いますよ。だって僕、アニメでやってもいいかな、と思ってて。あと、これちょっと関係あるんですけど、映画より古い映像ジャンルとして、もっともっと昔にはカメラ・オブスキュラとかありますよね。18世紀とかには、ファンタスマゴリアっていうジャンルもあるし、影絵とかを使ってですね、それでシャーリー・テンプル・ジャポンをリメイクしたりとか、そういうことをしようと。でも、もう映画じゃないですよね、そうなると(笑)」
O 「そういうのもあっても面白いんじゃないですか。しかも4時間とかあったりして」
T 「そう(笑)。そういう風におんなじテキストを、形を変えて作り直していくっていうのを、 やってみようっていう風に思ってまして 。まあ、そういう仕組みですから、パート1とパート2に全く同じシーンがあります。ただ、撮影場所も違うし、パート1はサイレント、パート2はトーキーになってますので、そういう風に、同じ場面なんだけれども、条件が違うとどうなるか。まあどうなるかプラス、面倒くさいとか言いながらやってるとどうなるかっていうことを、ちょっと比較する、ということをね、とりあえずこれからやるってことで」
O 「ちなみにその、パート2の方は何日かかったんですか」
T 「2日です」
O 「2日ですか(笑)。同じですね。えーと、今日持ってきてもらった映像は、作品丸ごとじゃなくて、見比べてみて面白いんじゃないかってところを抜粋して……」
T 「2つずつ、用意してます。で、その後にもう一個、まあ違う作品なんですけど、持ってきてますので」
O 「それは終わってからにしましょうか」
T 「じゃあ」
O 「一個ずつ見ます?」
T 「そうすね。とりあえず再生して頂いて、”止めてください”っていうところで止めて頂ければ」
O 「はい」

T 「お願いします。じゃ、暗くしてください」
O 「結構短いんだよねえ。もっと見たかったな・・・」

(暗転)




 01-11  冨永映像鑑賞-1 サイレント映画を考える


■[冨永映像1-1]

(画面にタイトル)

T 「『サイレント映画』って書いてますね」

(山中の家の庭。画面には登場人物と、動き出す車、そしてセリフの書かれた字幕が映っている)

T 「車に乗り遅れるかどうかっていうところです、これは。一人は、”行け、行け!”って、言ってます」

□[/冨永映像1-1]


■ [冨永映像1-2]

T 「これ、今のとまったく同じところで、で、トーキー。パート2の方です」

(同じ内容だが、撮り方はまるで異なる映像)

□[/冨永映像1-2]


T 「はい。じゃあここで止めて頂けますか。同じ場面だってことはおわかりになります・・・よね?」
O 「わかると思いますよ」
T 「車で出掛けようとしている人達がいる。で、乗っけて欲しいと思ってる人がいる。で、早く行けとせかす男がいる。それをサイレントで、しかも、さっき言いましたようにパート1っていうのはワンカットで、それをロング・ショットで。ご覧頂いてわかると思うんですけど。ワンカットでその内容を撮らなきゃならないから、ああなってまして。で、パート2の方、トーキーと言ってるあれは、 ”早く行かないと”っていうセリフですね。あれは、画面外っていうか、そのセリフ、それを発してる俳優が画面の外にいるわけですね。家の中にいて、車もバックして出て行くんですけど」
O 「専門用語でなんて言うんですか、その画面外から出てくる声って」
T 「そういうの”オフの声”って言うんですよ。だから、映ってないんだけども、同じ時間の違う場所の会話が聞こえてきても、トーキーでは不自然じゃない。でも、サイレントでそれをやると、映っていない人の声を字幕で出すってことをすると、誰が喋ってるのかわからない。 というか、映っている人が喋ってるようにしか見えなくなってしまう。オフの声っていう技術は、だからそういう風に、トーキーだからこそこういう事が出来るっていうことで、サイレントだったら、喋っている人、音を出している物自体が画面に映っていないと、その字幕に音として言葉として示されるものがどういう発端で、どういう意味を持って出てくるのかがわからないんですね」
O 「うん」
T 「でもトーキーの方だったら、まあわかるでしょ?っていう、感じで、こういう画面に出来る。まあ、サイレントの時代に生まれた方はさすがにいらっしゃらないと思いますので、そういう風に一応、このぐらいやっときゃ(トーキーだと)わかるっていうのがあるんですよね」
O 「今見ていて、本当に一瞬だけ不安になってきたんですが」
T 「うん」
O 「まったくわからないっていう人がもしかしたらいるのかなって。こん中に。この二つの映画が同じ場面を語ってるものだってことが……」
T 「え」
O 「ほら、リュミエールとか見てたじゃない。映画の見方のコードってものが、いつの間にか何となく混乱してさ(笑)。映ってるものをひとつひとつ説明されて・・・なんで喋ってるものと映ってるものが対応してるのかがわかるのかな?って」
T 「え、僕の説明はわかりますか?(と、客席に問いかける)」
O 「段々に、何が何だかわからなくなってきてね。見た映像をさ、言葉で説明されるとさ、 本当にそうだったのかしらって思わない?
T 「そうですか」
O 「うん」
T 「やめようか?(笑)」
O 「説明するのを?」
T 「いや、映像を出すの」
O 「いや、出すのは出すんだけど」
T 「出して黙ってればいいんですか」
O 「違う違う。えーと、この画面は何を撮ったものですっていうのを、やめようって(笑)。解説ナシに見て見ましょうか」
T 「どう思いますか?って(笑)」
O 「とりあえず見てみましょうって」


■[冨永映像2-1]

T 「今、シャーシャーっていってるのは、奥多摩の沢の音です。これは(場面)、静岡県の富士川町ていうところです」

(登場人物は男三人と女一人。何かに憤慨した女が、男の内の一人に出て行くように告げる。走って出て行く男)

□[/冨永映像2-1]


■ [冨永映像2-2]

(同じ内容のトーキー編。けたたましく怒る女と、走って行く男に向かって、騒がしく声をかける残りの男二人)

□[/冨永映像2-2]


T 「これは結構明らかに、違いますよね。・・・・・・ど、どんな感じですか」
O 「えーと、話は同じですよね(笑)」
T 「おんなじですね」
O 「話がわからないと、もしかすると、微妙にわからないんじゃないかって」
T 「話がわからないと?」
O 「筋が……まあ、どういう話かというのは劇場で」
T 「話はもう、すぐに覚えてもらえる。単純なんで・・・えーと、何がちがうのか、どう変わったのかってことを、僕がじゃあ、ごり押しみたいな感じで言いますけど(笑)。サイレントがトーキーになってどう変わったかというと、ある男が出て行けと言われて、出て行くまでのあいだに、残りの二人が彼を応援することができたんですよね。っていうのは、サイレントだと、あんなに応援していたら字ばっかりになっちゃうんですよ、画面が。でもトーキーだと、同時にいろんな音を出してても、べつに目障りではないんですね。耳障りなだけで。耳障りなだけでって言ってもまあ、あんまりやりすぎるとそれは、耳障りなのは駄目ですけど。でもとりあえず、頑張っていろいろ彼を応援しているんだっていう、そういう力は、出るような気はしました。だから言葉を、サイレントだと、サイレント映画の中での言葉っていうのは、字幕として表示するほかなかった」
O 「うん」
T 「あるいは、その映像の中に看板で出すとか、新聞とか、そういう風に言葉が表記されたものを写し取るほかに、言葉そのものをサイレント映画っていう方法で見せる事はできないんだけど、でもトーキーだと、湯水のごとく、言葉は言っちゃえば、いくらでも画面のなかに突っ込める。まあ、そういうことで、ここが一番違いがわかりやすいかなーと思って、編集してきました」
O 「わかりやすいですよ」
T 「わかりやすいすか?」
O 「この話自体は」
T 「この話自体はわかりやすいけど、あれが本当にそう見えるかどうかっていうのは、別?」
O 「いや、見えます(笑)」
T 「見えますか?言わしてないすか、俺?」
O 「言ってない、言ってない。本気で思ってます」
T 「そうですか」
O 「うん。で、」
T 「はい」
O 「サイレントで撮ってみて、出来るなあ、と思ったんだが実はやっぱり難しかったと」
T 「ええ」
O 「という話は具体的にはどこら辺が、たとえば今の2場面を見たときに、演出してるあいだに思ったんですか?それとも上映してから思ったんですか?」
T 「いや、それはねえ、『シャ-リー』の方じゃないんですよ。まあそれはちょっと置いといて」
O 「はいはいはいはい」
T 「で、強引にリュミエールさんに繋げます」
O 「はい」
T 「リュミエールさんのさっきの映像を観てると、非常に面白い字幕が出てましたけど」
O 「そうですね(笑)」
T 「あの字幕は後年勝手に入れられたもので、あれが、もの凄い面白いですよね」
O 「効いてますよね」
T 「なぜ、リュミエールは字幕を入れなかったんだろうか。言葉を、映画のフィルムの中に出すっていうのを、あんまりやってないですよね」
O 「出来たはずなんですよね」
T 「そうですよね。で、タイトルだけ付いてるっていう。『猫のボクシング』とか」
O 「『猫のボクシング』」
T 「あれはもう、『猫のボクシング』以外の何物でもないですよ」
O 「あれで『友情』とか」
T 「あれで『労働』とか。『強制労働』とか」
O 「(笑)。あれはもう、はっきりしてますもんね」
T 「そうですね。だから、音を使っていいのか、いけないのか。使うとどうなるのか、使わなかったらどうすべきなのか。元々、僕はトーキー映画から出発していますんで、当たり前ですけど。で、音を使っちゃいけないっていうのは、もの凄く困るわけですよ。何にせよ。音っていうのは要するに、セリフっていうことですよね。セリフを使ってはいけない。セリフを音として用いてはならないっていう。これはもの凄く悩むところで。それを禁じられて、どう面白い映像を作ることが出来るのかっていうことを、この『シャーリー』でもある程度考え・・・まあ、あんまし考えなかったかな」
O 「(笑)」
T 「どうせ、ライブの後ろで流れるだけだからって」
O 「そうだよね・・・あの映像が曽我部恵一さんが演奏してる後ろで流れたわけでしょ」
T 「曽我部さんも、本番前も本番中も観ていないすから。だって、お客さんの方向いてるから。後ろに、何だかわかんない映像が流れていて。ラブソング歌ってる後ろで選挙違反の物語が(笑)。でも楽屋で、”ありがとう”って言ってくれたんで。ああ、良い方だなーって、それだけが本当にいい思い出だなーって、作って良かったなーって。で、『シャーリー・テンプル・ジャポン』に関しては、サイレントであるとかトーキーであるとか、これがきっかけで考えるようになったと」
O 「うん」

T 「まあ、そういうきっかけになってるんですけども、パート1を撮ったのが去年の8月末で、パート2を撮ったのが、実は先月上旬なんですよ」
O 「あ、そうなんですか?(笑)え、先月上旬?あ、そうか」
T 「6月のあたまですね」
O 「出来立てホヤホヤだ」
T 「だから、8ヶ月、9ヶ月ぐらいその間のブランクがあったんですけど、まあそのブランクの間に、パート1に音をつけたりなど微妙な更新はあったんですけど。で、まあ映画ではないんですけど、今年の初めに、菊地成孔さんのアルバム、『南米のエリザベス・テーラー』というアルバムの プロモーション・ビデオを作らせてもらうことになって 。『京マチ子の夜』っていう曲だったんですけども、そのPVを撮らしてもらったんですよ。で、アルバム付録のDVDって形でリリースされたんですが、DVDには2ヴァージョン入ってるんですよ。セリフが付いてるヴァージョンと、普通にPVとして、聞こえてくる音は音楽のみっていうヴァージョン。この2ヴァージョンを作って……で、それを撮らせて頂く前に、僕もの凄く不安で。自分が音を使わずに、面白い映像が撮れるのかどうかっていう自信が、まるでなかった」
O 「はいはい。音っていうのは、セリフってことですよね?」
T 「セリフです。しかも僕は、トーキー映画から出発してますから(笑)。映像…… VJとかじゃなくて、映画だったんで、どうしても物語を作らなきゃいけないと思っちゃうっていうか」
O 「筋がないと画面がもたないんじゃないかっていう?」
T 「そうなんですよ、面白くする自信がないっていうか」
O 「何となく、雰囲気でどうにか、っていうのは」
T 「それが出来ないんですよ、雰囲気で……だから、台本を書いて」
O 「セリフ喋らせて」
T 「俳優に演技をしてもらってっていう過程を踏んで、『京マチ子の夜』も作りました。一応セリフの録音もして……2ヴァージョン。曲のみが聞こえるヴァージョンと、セリフが入っているヴァージョンと。セリフが入っていても、僕はPVと呼んで欲しかったんですけれども」
O 「うん」
T 「あの、”イメージ短編映画”っていう・・・」
O 「あ、イメージ映画みたいに言われてましたね」
T 「そうなんですよ。まあそれがちょっと、辛かったんですけど」
O 「納得行きませんか?」
T 「いや、っていうかそれは、PVと呼んでもらえなかったのはこちらの、あれなんですけども」
O 「いや、見ればPVだと思いますけどね」
T 「やさしいなあ(笑)」
O 「MTVでしょ?って、最初に見た後に言ったと思うんだけど、そうしたら、” いや、PVって言ってください”って言われて、あ、そうなんだって思って」
T 「いや、だから僕は、リュミエールの時代の人間だったら・・・ 9分間なんですけども、9分間の楽しい映像をワンカットで撮れたかもしれないと思って、すごく、こう見てて・・・嫉妬しますね」
O 「あー」
T 「いや、今のは大袈裟ですけど」
(笑)
T 「ちょっと何か、羨ましいなあって。『猫のボクシング』とか、僕撮れないですよね」
O 「・・・・・・」
T 「”撮らなくてもいい”って言って下さいよ」
(笑)
O 「いや、9分撮ってるの見たいですけどね」

T 「じゃあちょっと、出してもらっていいですか。続きなんで。やっぱり、おんなじ場面の2ヴァージョンなんですが」
O 「『猫のボクシング』じゃないよ。『京マチ子の夜』です」
T 「そうです」



 01-12  冨永映像鑑賞-2 PVとサイレント映画


■[冨永映像3-1]

「これは、サイレント、セリフのない方です」

□[/冨永映像3-1]


■[冨永映像3-2]

T 「これは音(セリフ)が付いてる方です」

(映像は前者とまったく同じ。登場人物のセリフと、継ぎ目なく繰り出されるモノローグ風のナレーションが入っている)

□[/冨永映像3-2]


T 「はい。何かちょっと、不安になってきました。どっちにしろわけわかんないだけじゃないかっていう(笑)。ご覧になって頂ければわかるように、初めの方は、『京マチ子』っていう曲のみが聞こえている。映像そのものは音を持っていないヴァージョンですね。で、二つ目は、セリフ、ナレーションがあって、物語を説明してる・・・つもりなんですけど、そこが自信なくなってきたんですよ、今」
O 「一回だけ見てもわからないかもしれないですね」
T 「しかも途中ですからね」
O 「全部は聞き取れないかもしれないですね。まあ、それはいいとして。お話になってましたよね」
T 「そう。お話を持っているはずで。そのつもりで」
O 「でもそれは、セリフがないとやはりわからないですね。(登場人物が)持ってる物とかわからないものね」
T 「ええ(笑)。セリフを使わずに、字幕も出さずに、 9分間物語を語ることっていうのはちょっと、想像を絶するほど困難なことで。だから実際に俳優にセリフを喋ってもらって」
O 「あと、音楽だけのヴァージョンでも、セリフは喋ってますよね。口動いてますからね。音を切ってるだけですよね」
T 「そうですね。そのうえ僕、ナレーションもつけたんですよ。だから、さっきのPVに限らず、僕が作ってる作品は大体ナレーションがバンバン入ってて、それはなぜかと言うと、観ている人に退屈されるのが怖いからいろんな情報をどんどん入れてるっていう。ちょっとこれは、強迫的なものなんですけど。自分でも、やらなくていいんじゃって思うぐらいのものなんですけども。でもそれを何も、PVでやることないだろうって」
O 「(笑)」
T 「いう風に思ったんですよ。でも面白いものを作んないと、せっかくこんな素晴らしい機会なのに、という風なそういう2重のギャップがあって。だから・・・プロモーション・ビデオとして最も美しい姿っていうのは、音楽が聞こえる。で、映像は素晴らしい。で、物語を持っている。それが素晴らしい物語を持っていれば尚良しっていう。で、そんなもんが俺に撮れんのかなっていう(笑)」
O 「そうね。 a-haの『テイク・オン・ミー』とかすごいよね」
T 「え」
O 「(笑)」
T 「2つ目に見ていただいた方は、音が入っている、セリフを喋ってる方、ナレーションが入ってる方っていうので、あれはちょっと音が、セリフとか音が、まあ音っていうか、言葉が多すぎると混乱してしまうかもしれないんですけど、あれは、物語を語らせてるんですね」
O 「えーと、視聴者が混乱するってことは・・・全然意図してないわけですよね?」
T 「ええ」
O 「あれは、あのペースで喋るのが冨永さんにとってはちょうどいい。ということですね」
T 「ええ、 聞こえなかったら聞こえなかったで、でも大丈夫 っていう」
O 「なるほど」
T 「だからそういう、サイレント映画・・・まあ、だから、プロモーション・ビデオを撮るっていうことは、トーキー映画から出発した僕にとっては、サイレント映画を撮れっていう事と同じ事なんですよね。だから、 ”ええッ・・・。シャーリーは撮ったけどさー”って。あれもう一回やったらぶん殴られるなあって思って」
O 「(笑)」
T 「ちゃんと撮ろうって思って。で、台本も書いて、それで撮ってみたんですけど。サイレント映画にはサイレント映画の文法っていうものが当然ありますし。文法っていうものが誕生する以前の、さっき観たリュミエールのあれなんかを見ても、もの凄いものがあるじゃないですか」
O 「ええ」
T 「もしかしたら、文法ってないのかもしれないんですけど」
O 「そうですね」
T 「写真が動いてるだけだったのかもしれないですよね。ただそれでもあれだけのインパクトがあって、今見てそう思うぐらいなんだったら、 100年前の人はどんなに驚いたでしょうっていう。……どうですか、この1915年で終わっている年表から、今の話で説明できましたかね?」
O 「出来てると思いますよ。うん、映画の現在という感じで、まあ」
T 「映画の、痛い現在っていうのか」
O 「もっと見たかったんですよね。テンプル・ジャポン。ヴィデオで見せてもらったじゃないですか。今日も20分ぐらいは見たかったなーっていう」
T 「ああ。なんか、劇場に来て見て頂けると、すごく嬉しいんですけど」
O 「(笑)あっち向いて言って(客席を指して)、あっち向いて」
T 「チラシが行ってると思いますんで」
O 「そうですね。チェックお願いします」



 01-13  『京マチ子の夜』における音楽と物語の繋がり


O 「音楽に関しては、たとえば音楽の起承転結ってのがありますよね」
T 「大谷さんの音楽には、起承転結は?」
O 「僕の音楽にはあんまり起承転結ないんですけど」
T 「”ありますよね”って言ったのに」
(笑)
O 「いやいや、たとえば『京マチ子の夜』に関して言えば」
T 「ああ」
O 「音楽だけ聴いて、映像的な……イメージをいろいろ思ったりとか。音によって喚起されるイメージみたいな」
T 「はい。いや、あの・・・あんまり言い訳にならないですけど」
O 「はいはい」
T 「僕がプロモーション・ビデオを撮った頃は、『京マチ子の夜』っていう題名じゃなかったんですよ」
O 「あれは・・・あれは元々は違うよね。『ブエノスアイレス』だっけ?」
T 「そう。だから、”ええッ、じゃあ、行かなきゃいけないのかな”とか(笑)。まあそれは無理だから、いいや荻窪でって思って。あれ荻窪なんですけど(笑)。で、撮り終わって菊地さんに見てもらったら ”いや、あれ題名変わるんだよ”って言って、しばらくしてメールが来て『京マチ子の夜』になりましたって(笑) タイトルにびっくりしちゃって。京マチ子!って」
O 「京マチ子、PVに出てないし!って」
T 「"京マチ子"がまず出てないし、でも”夜”は撮っといて良かったなって」
(笑)
O 「あ、夜は撮っといてオッケー!みたいな(笑)。んーと、たとえばその、菊地さんから最初に渡されたサウンドの、そこから受けたイメージというものと、冨永さんが書いたストーリーっていうのはどれだけ絡んでいると考えていいんですか?」
T 「えっと、話自体は僕が勝手に作りました」
O 「うん、その勝手に作るときの、きっかけみたいなものは・・・」
T 「なぜ勝手に作ったのかというと、菊地さんと相談する暇がなかったんですよ」
O 「でもそれ、音聴いてから考えたんでしょ?」
T 「えーと・・・・・・候補曲がじつは2曲ぐらいあって、どっちかわかんない状態で考えたんです。その頃、菊地さんがパリに行っちゃって」
O 「はいはい」
T 「細かくご相談をする時間もなく、それで結果的にはどんどん先に撮っちゃって。」
O 「そうね。発注する側は、何でもいいだろと、何でもまあ音には合うだろと。”おはなし”がなくても。普通プロモーション・ビデオって筋は重要じゃない」
T 「でもね、菊地さんの方からリクエストがなかったわけじゃなかったんですよ。レーベルの方から、R-18になるものにしてくれって」
O 「エロくしてくれって?」
T 「子供が買えないものを作ってくれって風に言われて」
O 「ああ」
T 「ええ!?っていう。いや、撮れるなら撮りたいけど・・・って。これね、女優さんに裸になってもらうこと自体が初めてだったので」
O 「そうなんだ」
T 「それで、まず緊張しまして……スタイリストが、前バリ用意してたんですよ。”監督、これぐらいでいいですか?ちょっと小っちゃいかなー?”とか言ってんですよね(笑)。あー、それいらないから!って。その小っちゃい前バリを見たときに、パンツ脱がしちゃいけないって思って。ダメダメダメダメって。そんな状態になったら、誰より俺が緊張するとか思って。 撮れない、撮れなくなる!って思って。だから、そういう前バリとか必要ないですっ。なんで実際にはR-18ではないと思うんですけど」



 01-14  ライフワーク


O 「じゃあここらへんで、質問のコーナーに行きましょうか。質疑応答というか」
T 「大谷さんに質問のある方は・・・」
(笑)
O 「いや(笑)、話が、『フランス革命』とか言って、話が最初からまとまらないという事は勿論わかってたんですけども(笑)。前編と後編の繋がりというものは、まあ殆ど無いんで申し訳ないんですが、何か全体を通しての質問を……まあ、全体をリュミエールの話で繋げてもいいんですけれど」
T 「いや、これはでも、この回はこうしたフランス革命からリュミエールまでの歴史を、大谷さんのフィルターを通して出してゆく、って話だった訳ですよね。まとまるとかまとまらないとかではなくて」
O 「そうですね、うん。それと、これまで観た映像や冨永さんの映像と、なるべく関係があっても、なくてもいいので質問があれば……」
T 「僕が言いたいのは、サイレント映画を撮るのは大変だっていうことが言いたいだけで」
O 「あ、それだけは言いたい、と(笑)」
T 「本当に大変です。トーキーよりずっと大変だと思うんですよ」
O 「リュミエールの場合、あれは本当にバシッと、300何本あっても全部映画になってるっていう。不思議ですよね」
T 「そうですね。だってCMぐらいの長さで、”あれえ?”っていうぐらいもの凄く豊かで、驚かされますね。CMなんて、ワンカット1秒とかで、15秒でねえ、いろんな情報を混ぜこぜにしているのに」
O 「えーっと、とりあえずあの、まとめの結論はありません。今日の手持ちの材料はこのぐらいです。これからも続けていきたいと思ってますが・・・。しばらく継続して、で、いつかは、何というかみんなでこういう事について話し合える状況っていうのが生まれればいいなって思っている。っていうことですよ。」
T 「フランス革命にかけるんだったら、1789回やるべきじゃないですか」
O 「じゃあ、ライフワークにするわ。さだまさしが3000回コンサートやるみたいな。えーと(笑)。本編はこれで、本当に大体こんな感じで、うん。参考資料その他、まだまだこんな感じで続けてやりたいと思いますので、皆さんがそれぞれ考えることがあるように、なるべく作ったり喋ったりしたつもりですが、ここで、ちょうど冨永さんもいますので、少し確認したり聞きたいなあという、面倒くさい話でもまとまらない話でもいいので、ありましたら、こちらとしてもレスポンスがあると嬉しいんですけど」

(挙手)

O 「あ、はい。どうぞ。・・・(舞台奥に向かって)これって、マイク動きますか?」



 01-15  質疑応答 1


Q 「 さっきの、冨永さんの映像を観ているときに思ったことで
T 「はい」
Q 「ちょっと質問なんですけど。『シャーリー・テンプル』の方で、サイレントの方はちょっとコマを落としてるっていうか、速く動いてますよね。カチャカチャって」
T 「あ、そうです」
Q 「で、トーキーの方はすごい普通に、そのまんま動いてますよね」
T 「そうですね」
Q 「それっていうのは、まあ単なるサイレント風の風合いを出すっていう効果もあると思うんですが、何か意図っていうか、 ”ああ、ここはコマを落としてカチャカチャ動かそう”っていうのは」
T 「ああ、それね、理由があるんですよ。ありがとうございます。えっとですね、通常の映画は、現在の通常の映画は一秒間に24コマじゃないですか。でも当時のサイレント映画、20年代の映画っていうのは、一秒間に16コマだったんですよ。だから、今 1.5倍になってるんですよ。で、40分の映像を作ってくれって風に頼まれたんですけど、 DVのテープは60分なんですよね。で、60分、丸のまま撮ったんです。それを 1.5倍速にした。そうすると、ちょうど24コマで撮られたものが、 16コマであるかのようになる。見えるんですよね」
O 「ようするに、60分で撮ったものを40分で再生すると、ああいう動きになると」
T 「そうです。1.5倍速で。それは、撮影したメディアがDVですから、簡単に速度も変えられますし」
O 「たまたま・・・とくに早回しには意味はないっていうことですか?」
T 「たまたま、だったんですけど(笑)。いや、そこも、サイレントっていうことでリンクしておかなきゃって、こうして聞いて下さる人がいたら言おうと。・・・・・・いいですか、それで(笑)」
Q 「はい(笑)。ピタッと合ったっていうのは、面白いですね」
T 「そうですね。40分って聞いたときに、何で40分なんだろう?って思ったですけど、 60分テープがあるから40分だったんだろうか!?っていう」
Q 「図らずも」
T 「図らずもです」
Q 「ありがとうございます」
T 「ありがとうございます」

O 「えーと(笑)、はい。他に」

(挙手)

O 「はい!」



 01-16  質疑応答 2


Q 「冨永さんは、サイレント映画を作るときに、情報量が少なすぎて作品として成立するか不安だったとさっき仰っていましたけど、大谷さんは逆に、10年位前はピーとかポーとかいうようなものを作品としてすごく聴かれてたって話が、対比させてちょっと面白いなって感じたんですけど、お二人の、これが、ここからが私にとって作品ではない、ここからは作品だと言える境界は、どのようなもの・・・ちょっと抽象的になってしまって申し訳ないんですが、どのように自分が、これは作品だとか作品ではない、と考えたりするんでしょうか」
T 「ええっと、情報量っていうそういう見方からすると、僕はもう、退屈されるのが一番怖いんですよね。これはもう本当に、普段の生活でもそうで、人と話してても退屈されるのが怖いんですよ。で、もうそれはそのまま映画になってて。『シャーリー・テンプル・ジャポン・パート1』っていうのは、じゃあちょっと怖いけど退屈してもらおうって思って、60分ワンカットで撮ったんですよね。でも、僕はセリフを入れてしまったんですよ、そこに。で、パート2っていうのはその反省として、じゃあ普段通り、あんまり退屈させないように・・・ ”構う”っていうと大袈裟ですけど」
O 「自分の作品の場合は置いておいて、リスナーとしてはどうなんですか? 観る、聴くっていうときに、これはちょっとなーっていう、退屈だなーって思うラインっていうのは冨永さんはどの辺りなんですか」
T 「いや、僕はあんまり退屈しないんですよ。僕はアントニオーニの映画とか大好きだし、あんなに退屈な映画でも観ちゃうんですよね」
O 「相当大丈夫なわけですよね」
T 「うん」
O 「でも自分で作る場合は駄目なんですね」
T 「自分ではやっぱ、ちょっとしんどいっていうか・・・これあのね、突っ込んだ言い方すると、10年くらい前の話ですけど、自主映画っていうのがまだあの、今でもいっぱいありますけども、いろんな大学で上映会とかやってたんですね。 8ミリがまだありましたから。で、その時にしきりにみんな言ってたのは」
O 「はい」
T 「”間延びしてるのがよくないよねえ”みたいな、そういう大雑把な言説みたいなのがあるんですよ。で、そういう言い方を僕自身がされたことが一度あって」
O 「はあ」
T 「それに対する回答として、ちょっとでも油断すると何が起こってるのかわからないような映画っていうのを一回作った事があるんですよ。もの凄く速いものを。これだと退屈しないだろっていう。で、それ一作で終わらせときゃよかったのに、その方法がいまでもずーっと残ってて。だから、自分の映画を上映しているときに、何か 寝てる人がいると・・・こう」
O 「”すいません、もしもし、すいません”みたいな」
T 「いや、でもなんか”楽しくて寝ちゃったー!”っていうんだと、ありがたいと思うんですけど。 ・・・そういうことはないすか(笑) 大谷さんはどうなんですか?」
O 「僕は、自分の作品の場合は一応置いといて」
T 「”置いといて”って」
O 「いや、作り手っていうより、聴き手としての話の方がもしかしたら聞きたいんだろうなあって思いまして。で、音楽の場合はですね、形式がわかるものは全部作品として聴きます。形式っていうか、フォルムですね。例えば、ある音がテープに録られてるとするじゃないですか。テープに録られてる音ってのは、2回聴けますよね。一回プレイして、で、撒き戻してもう一回聴ける。そうするとそのテープに何に音が入ってなくても、同じことを2回やるから、同じ体験なわけで、同じ体験っていうか、同じ構造を持った経験がそこで生まれるんで、そういった作業を構造化して認識できるんですよ」
T 「はい」
O 「それでもうフォルムが生まれてるんで、それは他と区別できるから認識出来る。で、それを極端に言うと、人間が何かやった場合に、その人はまた何かやるだろうから、その枠組みさえわかれば相当不定形なものでも作品として見れるんですよね。だから夕陽が沈んでるのを見る。とかさ、太陽自体は延々のぼったり沈んだりしてる訳だけど、だれかがそこにフレームを与えて、他の行為から区別した瞬間に、まあ極端ですけど、あるものが作品化される瞬間ってあって、そういった形で、あるフレームっていうものが、僕がわかるというか、あ、こういうものなんだってことが思えれば、それは全部作品として十分にステージに登ってますね。必要十分ですけど」
T 「広いですね」
O 「でも、そんななっちゃうんですよ。こうやって、こうさあ・・・。音楽に限っていいますけど、録音物って相当情報量自体は低いわけで、ポップスってのはそこに無理矢理いろんなものを入れて、聞き手のイメージを高めてさ、退屈させないようにするわけだけど」
T 「うん」
O 「それとは逆に、本当にもう、物質の基盤みたいなとこまで降りて、簡単に言うともう、ターン・テーブルと同じような状況で音楽を聴くわけですよ。極端に言うと、針が触れているものは全部同じレヴェルで知覚するっていうかたちで。イメージ化はその後で。」
T 「あー、映画の方はもっと簡単なんですよ。っていうのは、映画はやっぱりエンターテイメントですから、飽きられるといけないっていう、そういう宿命を持たされてるんですよ」
O 「んーーー、そこら辺はどうなんでしょうかねえ」
T 「ええ。いや、僕はでも、そう思うことにしています」
O 「なるほど。僕は、自分で作るのは、そういうのは聴くときはそのぐらいのところまで降りて聴きますけど、なるべく自分が、音楽を再生してるプレーヤー、映画だったら映写機とスクリーン自体になるぐらいの気持で。 60分回っているならそのまま聴いて、で、そのまま憶えるっていう。どこが重要とかは考えないんで、物を考え始めるのはその後だっていうことで」
T 「それ、すごいタフですね」
O 「んーー、出来るでしょ、やれば。自分が作るときは、もうちょっといろいろ考えて日和ってやってますけどね(笑)」
T 「どうでしょうか」
O 「こんな感じですけど。あと、 言葉。言葉で出来ているものに関しては、またちょっと違いますよ 。それはまた別の話になってしまうので。あれは物質性がない、差異の体系だけで出来ているものなので、本質的には。言葉っていうのは。それはまた全然別の話になってしまうし、それは違う回を設けてまたやりたいという気が、しないでもない。というかやりたい、という感じです」

O 「てなところでよろしいでしょうか」
Q 「ありがとうございます」
O 「そうですね。もうあと、ひとつふたつあれば、頂けると、こちらとしても励みになるのですが。何でもいいですけど、よろしいですか?・・・・・・ひとりずつこう、見たりして(と、客席をじっくり眺める)」

T 「ないっすよ!」
(笑)
O 「ないっすか」

T 「本当にないですね」
O 「本当にないのかな」

(挙手していた方を発見)

O 「あ、ごめんなさい。ありがとうございます」



 01-17  質疑応答 3-1


Q 「せっかくなので、お伺いしていいですか」
O 「はいはい」
Q 「今夜、フランス革命って、何だったでしょうか・・・(笑)」
O 「(笑)」
Q 「あの、話の流れをきちんとフォローできてるかどうか自信ないんですけれども、フランス革命によって、その市民社会の誕生によって、何かが水平化されていったっていうのがひとつあって、もうひとつ、その新しいテクノロジーの誕生によって、またその水平化がより進んでいった」
O 「うん」
Q 「で、より即物的なものを・・・何て言うんですかね」
O 「まあ現在的なものとか」
Q 「ええ」
O 「ようするに、何かしら・・・そうですね、リアリズム的なものの作品っていうものが、 19世紀にすごく流行ったと。イメージのあっち側にあるものではなく」
Q 「はい」
O 「が、あるんですね。そういう話の流れではあります。それが『フランス革命』と、何が関係があったのかと言えば、特には無かった・・・ような(笑)。たまたまですね、リュミエールを真ん中に置いて100年で切ったらフランス革命があった。ってなもんで、僕は社会学者ではないので、フランス革命によって実際どういう風に社会が変わったのかっていう事に関しては、実はそんなに興味ないんですよ」
T 「多分、フランス革命っていう一個の力みたいなものを、今どういう風に模索できるのかっていう」
O 「そうですね。わりとね、『フランス革命』と言うと歴史上の話だと思いますよね、基本的には」
Q 「あ、いや、今夜は、『フランス革命』は何かの比喩なんだと思うんですけども」
O 「んん、比喩っていうか、『フランス革命』って実際に口に出して言うと面白いなーと思って。口にした瞬間にやっぱり違和感があるというか、馬鹿みたいというか、すごく面白いと思うんですよ。『フランス革命』って真面目に口にすると”・・・『フランス革命』!?”っていう(笑)感じも含めて、で、何かこう、言葉で立ち止ってもらえるものがあると、やっぱり面白いというか」
Q 「そこで、その、今、強調されたいくつかの事ってあったと思うんですけど、今夜」
O 「はいはい、僕が映像について喋ったことですね」
Q 「それが、何か革命的な、おんなじようなインパクトがあってっていうことだと思うんですよね」
O 「ああ、はいはいはいはい。うん。それぐらいに、ひとつひとつのメディアの違いっていうか、ジャンルなんかの差っていうのをリアルに感じれれば、今もいろんなところに実はそういう切断面があるのが、わかるんじゃないかなあってことを」
Q 「はい」
O 「そこまで引っ張ってこれればいいなあという感じだったんですよ」
Q 「それは何かその、水平化されて、じゃあその物質性の底辺まで降りたときに」
O 「うん」
Q 「発見される何かを生んだような線が、この 200年のどこかに引けるんじゃないかっていうことなんでしょうか」
O 「そうですね、僕がたとえば1990年ぐらいに、そういった様々な音を聴くときに、その音の物質的側面まで降りていってから聴こうって思ったときがありまして、それがなぜかっていうのを探していくと、大体1780年ぐらいまでは戻れるっていうことで。それでフランス革命っていうところまで行ったんですけれども、それはどこに線があるのかっていうことじゃなくて、僕が実感を持って、これはこうだなあ、という風に考えていくと、 200年ぐらいまでなら戻って考えられるっていうことです。だから、どこかに線があるかどうかはわからないんだが、ひとつひとつ点を辿って行くと、ひとつひとつの動きだとか、こういうメディアがあったからこの人はこう考えたんじゃないかとか、ここでこうなった、これとこれは質の違いがあるんじゃない?っていうようなことを辿って行くと、今のところとりあえず、1800年ぐらいまでは、ひとつひとつの起きている事柄が、わりと手に、手に取るというと大袈裟ですけれども、 自分の友達のような形で考えられるんですよ。それ以前になるとね、結構微妙。けど、いけそうな気もする。 1700年ぐらいまでは行けんじゃないかと思ってる。忠臣蔵ぐらいまではいけるかも、実感をもって。そんな気がします(笑)1703年ですけどね、忠臣蔵は」
T 「僕は、あれですね。フランス革命までは行けないんですよ」
O 「ああ、ああ」
T 「写真誕生ぐらいまで」
O 「までは行けるでしょ」
T 「までは行けるんですけど」
O 「っていうような感じで、起点というわけではなく、そこらへんまでは何となくリアリティをもって考えられるということを」
Q 「はい」
O 「本当に大雑把なラインなんですけど。たとえば僕がさっき、物質性なところまで降りて聴くって言ったときに、そういうことを皆さん試みてる、その時代ごとにね。物質的に降りるっていうんじゃなくて、その時代でやるべきことがもし、物の見方の変換だったり、聴き方の変わり目があるとするならば、ひとつひとつそういうことを、いろいろやってるなあと思いながら辿っていくわけですね」

Q 「じゃあ、その点、もうひとつ聞いていいでしょうか」
O 「はいはい」



 01-18  質疑応答 3-2


Q 「現在、じゃあ何か大きな水平化がどこかで、起こった。いろんな理由で何かがあって、そういう風になった。で、自分が何かを楽しむ時は、即物的に非常に楽しむ事ができる。っていう時に、さっき音楽を作るときと言葉、文章を書くときでは全く違うっていうお話をされてましたけど」
O 「はいはい」
Q 「そこで水平化されたものを、今度は逆に垂直に、位置づけていこうっていう」
O 「うん」
Q 「物そのものになったものを、もう一度、意味の繋がりの中に回収していこうっていうこと・・・で」
O 「うん、言われてることはすごいよくわかります」
Q 「それはこう、どういう二つの・・・」
O 「そうですね。それを考えたいわけですよ。簡単に言うと。それをまずやるためには、一回そういう話まで、つまり水平化が起きているって話をまず丁寧にやらなければならないですよね。話として。で、 それをみんなで実感してもらった上で、次に進む。と、これは、だから次の、また次の講釈みたいな感じになります」
T 「うん。今日ね、今日、一番まとめてくれたのは・・・」
O「彼ですね(笑)。ありがたいですね。僕は、今言われてたことの雰囲気っていうか、 ”こういうことじゃないですか?”っていう話も本当にその通りだと思います。個々の話で言うと、いろいろ違う風に考えていることもあります。だけどそれは、今言うと本当に次の話になっちゃうんで。ただ、問題意識というか、ほぼ言われてることはわかりますし、非常に大切なところですよね。で、僕もその・・・何だろ、物に戻って聴くのが大事だよっていうことをべつに言いたいわけじゃないんですよ、最終的には。 ”物に戻って聴く”っていうのもどういう聴き方だよっていう話もありますけれども(笑)。んーと、そうですね。それはおいおいと言うか、何だろう、毎回来てくれと言ってるわけじゃないですが(笑)、ひとつひとつやって行きたいところです。うん。あの、非常に展望のある意見でありがたいですね」
Q 「じゃあ次回を、楽しみにしています(笑)」
O 「ありがとうございます(笑)」
T 「じゃあ、次回来て下さるって言うからには、頑張らないと」
(笑)
O 「頑張る、頑張る」
T 「僕は次回来ませんけどね」
O 「次回来ないの?」
T 「いや、見には来ます」
O 「ありがとうございます」
T 「ここにはいないですけど(笑)」

O 「っていう感じで、まあ何にせよ続けていきますので、もしこういう話にご興味がありましたら。あと、こういう喋りながらでもそうですが、文章としてもまとめていくつもりですので、これからもよろしくお願い致します。ってことで、ありがとうございました。本当に、来て頂いて嬉しいです。終わります」

(拍手)

O 「冨永さんでした」


(拍手。と同時に、オープニングでもかかっていたリベレーション・ミュージック・オーケストラのナンバーがゆるやかに流れてくる)


T 「これ、ずっとかかってた方がよかったかもしれないですね」
O 「(笑)」





 Special Thanks to...

 ということで、大変お待たせ致しましたが、期待に違わない、或いはそれを超えての濃密な空間が再構築されたのではないでしょうか。 とにもかくにも主宰の大谷さんとゲストの冨永監督には、 豊かで愉快で興味深い2時間半と、その掲載に関する諸々のご協力(という以上の大きなお力添え)を頂きまして、深く感謝しております。ありがとうございました!

 またこちらをご覧の皆様につきましては、現在作成中の第2回レポートも、ぜひご期待頂きたく思います。
 それでは、今後ともよろしくお願い致します。


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