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report from revolution text by Yoshio Otani & note103 『大谷能生のフランス革命』 第1回「大谷能生×冨永昌敬」 2005.07.28 アップリンク・ファクトリー 主宰:大谷能生 ゲスト:冨永昌敬 ※ 本文中の下線リンクをクリックすると、note103による註釈ページが別ウィンドウで開きます。また、註釈には今後、大谷氏による返答・註釈が随時追加される予定です。 ※ このレポートは、大谷能生氏の承諾のもと作成、公開しております。 ※ レポートの無断転載はお断り致します。 ■ 01-01 introduction O 「あ、あー。これ・・・あ、あ、あー」(マイク・チェック) T 「あー」 O 「これ、音デカくない? なんか、生声でも通るぐらいな感じですが(音量調整)」 T 「(かかっているBGMを指して)これ、かけっぱなしでもいいんじゃないですか?」 O 「そうですね。これはあれですね、リべレーション・ミュージック・オーケストラ。 まさに革命の曲なんですが。負け戦の雰囲気が濃厚(笑)。 はい、えー、いっぱいのお運びありがとうございます、 大谷能生です。本日の、一回目のゲストは、映画監督の冨永昌敬さんです」 T 「よろしくお願いします」(拍手) ********** 冨永昌敬 /とみなが まさのり 1975年愛媛県生まれ。1999年日本大学芸術学部映画学科卒業。 『ドルメン』(99)が2000年オバーハウゼン国際短編映画祭 にて審査員奨励賞を、『VICUNAS/ビクーニャ』(02)が2002年水戸短編映像祭グランプリを受賞。青山真治、黒沢清、中原昌也、阿部和重らが絶賛する期待の若手監督。 シネマロサにてレイトショー公開もされた連作『亀虫』シリーズ 、 宮沢章夫率いる遊園地再生事業団のオムニバスシネマ『be found dead』にて短編『オリエンテ・リング』を発表。ジャズ・ミュージシャン、菊地成孔の最新アルバム『南米のエリザベステーラー』の特典DVDとして作られた『京マチコの夜』のプロモーションビデオも手掛けた。 現在、『シャーリー・テンプル・ジャポン part2』が池袋シネマ・ロサにてレイトショー公開中(2005/8/27~9/9)の他、初の長編劇映画『パビリオン山椒魚』(来春テアトル新宿にてロードショー公開)を準備中。 www.opaluc.net/ ********** O 「えー、『大谷能生のフランス革命』。ということで始めさせていただく訳なんですが…、」 T 「ところで、なんで『フランス革命』なんですか?」 O 「よく覚えていません。なんだったかなあ・・・。企画の打ち合わせで、適当にダベっているときに、何かのはずみで”フランス革命が大事だよねえ。最近は見落とされがちだけど”って話になったんですよね。そしたらUPLINKのKMさんが、”それだ!”ってピコーンと来たみたいで。(入場料も)その場で”じゃあ1789円にしよう!”とか言ったら、”いいですね”って。本当にそうなった(笑)……。まあ今日は、そのフランス革命がはじまった1789年からですね、1889年までの100年間を中心に、その期間の映像、イメージの変遷の話を中心にやりたいなあということで。えー、ちょうど今年のあたまに、リュミエール。ルイ・リュミエールのDVDボックスセットが出たんですよ。これがね、すごいんです」 T 「すごい。4枚組ですよね。全部で何作品入ってるんですか?」 O 「えーっとね、一枚に90作品入ってて。90作品入ってるのが4枚あるんで、だいたい360タイトルですね」 T 「たぶん、世界で最も作品を撮った」 O 「(笑)」 T 「映画作家じゃないかなって思うんですけど」 O 「ええ。でもこれ、リュミエールが回してるんじゃなくて。リュミエール商会の作品、リュミエール商会の発明品のヴァリエってことで、この会社の社員がカメラマンとしていろんなところに行って回して撮ったっていうものですね」 T 「ちょうど何か、旅行写真家みたいな感じで、このカメラで世界中を記録してっていうことですか」 O 「そうですね。この頃は、まあもう直ぐに競合会社も出てくる訳ですが、まだこうした上映機械もカメラも一般的なものではなくて、リュミエールは機械と一緒に世界中に社員を送って、 現地の珍しい風景とかを収めさせた。たとえば、日本に来て撮ったフィルムとかも、1898年ぐらいかな、このボックスに結構沢山入ってますね」 T 「誰か有名人とか映ってないんですか?」 O 「有名人・・・。その頃の有名人って誰?(笑) 1890年代の日本の有名人って言ったら誰だろう?」 T 「山縣有朋とか(笑)。明治天皇とか。そういう感じの人とか映ってないんですか?」 O 「多分いないなあ。映したこともあるのかもしれないけど、このセットには入ってませんね。芸者とか、路上のの風景とか、獅子舞とか。風俗的な主題が中心みたいですね。はい、えーと、このリュミエール印の諸作を見まして、それが非常に面白かったんで、で、ちょうどフランス革命が起きてから映画が発明されるまでが大体100年くらいなんですよ」 T 「ああ」 O 「で、リュミエールから現在までがちょうど100年くらいで。っていうことで、映画の発明、リュミエールを真ん中において、その前後の100年/100年を考えたいなあ、と思ったんですね。ま、後付けで、さっき思いついたみたいなもんですが(笑)。一応、フランス革命ってなってるんで、それをなんとか映画監督の冨永さんと関係づけようとしてですね……」 T 「うん(笑)。でも今回映画だったから、”100年/100年”ってなってますけど、今後、第2回、第3回って・・・まあ今言ってもしょうがないですけど・・・どうなさるんですか?」 O 「その時はまた考えます。今日ちょっとあの、僕が昔作ってた『エスプレッソ』っていう雑誌を、また最近取り扱ってくれるっていう本屋さんから連絡があったんで、 これの前に営業に行ってきたんですけど、そこの店員さんに、 ”あ、今日『フランス革命』ですねー。頑張って下さい”って、普通に言われて。で、“あ、頑張ります”。みたいな。”革命がんばって下さい!”、”はい、革命がんばります”って、『フランス革命』って定着してんのかよ! って(笑)……今日は時間が短いから雑談してるとヤバイな。えっと、どこから話せばいいのか、と・・・」 ■ 01-02 ここ10年 O 「はい、一応流れとしてはですね、前半部分で、僕は一応、音楽批評、またはミュージシャンとして、音楽の分野で色々やってきた訳ですが、なんでこういう場所で映画とか写真とか絵画とかね、そういった映像の話を映画監督の方としようと思ったのか、なんで1800年代の映像史みたいなものに興味を持ったのか、っていうことをイントロダクションとして少し話して、それからリュミエール、ルイ・リュミエールのフィルムを冨永さんと実際に観ながら、いろいろ話をしていこうと」 T 「はい」 O 「そこまでで前半1時間ぐらい。で、後半は、冨永さんの新作『シャーリー・テンプル・ジャパン』・・・『ジャポン』?」 T 「『ジャポン』。『シャーリー・テンプル・ジャポン・パート2』っていうタイトルです。」 O 「あれはワン・ツーで一本なんですか? そうじゃないの?」 T 「前半が『1』で。その後『2』が入ってるんですけど」 O 「うん」 T 「公開するときのタイトルは、『シャーリー・テンプル・ジャポン・パート2』にしちゃったんですよね。今後もこのシリーズを続けていこうと思ってるんで、一応番号打っておこうと思って」 O 「ああ。『3』があるっていうことですね」 T 「そうです。で、偶数回でしか公開しないんですよ。2つずつセットで。そのつもりでいるだけですけど」 O 「という新作のね、抜粋を作ってきてもらったんですけど」 T 「それが、偶然といえば偶然なんですけど、サイレント映画なんですよ」 O 「パート1はサイレント。パート2がいわゆる普通の、トーキー。それを後半は観て、その話をして。あとは少し、もしあれば質疑応答みたいな形にしたいと思います」 T 「え、後半1時間は僕の映画の話ですか」 O 「せっかく来たんだから、そのぐらいすればいいじゃないかと」 T 「あんまり・・・面白いかな(笑)」 ■ 参考文献&年表 (クリックすると別ウィンドウが開きます) O 「はいー。参考文献として配ったものが、みなさまの手元に行ってると思うんですが。これは何かっていうとですね、僕の家にあった本で、今日の話に関わりがありそうなものをポチポチと抜いてまとめたもので、相互の関係はあまりありませんので、続けてがっしり読むというよりは、固有名詞をチェックするとか、時折摘み読みして色々と考えを広げてみて欲しいな、と。そんな感じのものです。 で、その最後に年表が載ってますね。この年表は何ていうかな、最初はバッハの死去からはじまってますけど、メインは19世紀で、フランス革命期から、映画でいうとグリフィスが『国民の創生』を仕上げる時期までの、近代映像史に関わるものについてピックアップしてみたものです。これ、本当に僕の興味の範囲だけで作ってきたので、そんなに間違いはないにしろトピックは抜けだらけで。参考っていうよりも、話の糸口を作るための大雑把なマップとして見てもらえると嬉しいです。」 T 「でも、大谷さんの興味ってこれ、“フランス、犯罪者への焼きゴテによる身体への刻印廃止”って、すごくないですか(笑)」 O 「これ大事じゃないですか!」 T 「焼きゴテって」 O 「焼きゴテでジュッてやられてたんですよ、それまでは。盗人ってもう”V”の字をギュッギュッてこう、肩にやられてて…興味ないですか?(笑) そういった直接的な刻印に代わって、この時期から罪人は写真を撮られて管理されるようになったんですよ」 T 「ああ」 O 「ようするに身体に直接、”お前は盗人だ”っていう風に付けてたのが、そうじゃなくてその後は、カメラで撮って、それをインデックスにして配布・管理するようになっていくっていう・・・一応写真の話と繋がっているっていう」 T 「(笑)」 O 「まー、じゃあ年表をちょこちょこ見ながら話をしますが、えーと、結局、絵画、写真、映画っていうものが、ちょうどこの18世紀~19世紀、写真が大体1850年代ぐらいに一般化されて、 19世紀の最後にシネマトグラフという形で現在に繋がる映画の上映スタイル、あるあたらしい映像のジャンルというものが出来るわけですが、これは絵画も含めてバラバラに出来たものではなくて、ヨーロッパにおいて強力に映像の担う役割を奪い合いながら、強力にリンクしながら生まれてきたものだ、っていうことを感じるために、その手掛かりとするための年表な訳ですが……。こういったことをですね、まあ5,6年前くらいから考えたり調べたりしてるんですけど、そういうことを考え始めたのは何故かっていうところから話をしようと思います」 T 「うん」 O 「僕は元々音楽をやってて、今もやっているんですけど、18歳ぐらい…ちょうど1990年ぐらいから本格的に音楽に取り組み始めたんですが、最初に何をやろうかと思ってたかというと、狭義のジャズ。モダン・ジャズの演奏っていうものができるようになりたかった。 で、大学に入って勉強を始めたんですね。コードの処理からアドリブを行なうっていうのが、まあ、モダン・ジャズのベーシックで、だけどその頃にはもうフリー・ジャズを通り越してポスト・フリー、フリー・インプロヴィゼーション、ノイズ・ミュージック、そういった、即興演奏といってももっと大きな幅のある音楽が生まれてて、で、勿論そういったものも聴いていたので、それらを横目でみながら、とりあえずは楽器の練習していた訳です。サックスですが。で、一方、普通のリスナーでもあったんで、当時流行のグランジとかさ、インダストリアル系のロックとかも聴いていて。えーと、まあ、そういう雰囲気の折衷されたところで、23歳ぐらいまでね、5年くらい楽しくやってた訳です。バンドを組んで、何かしら曲を作ったり」 T 「この頃だったら、どんな人がいた頃ですか?ジョン・ゾーンさんとか?」 O 「ジョン・ゾーンは、もう日本にはいなかったですけど、ちょくちょく来てたし、彼の音楽のチェックはずっとしてましたね」 T 「はい」 O 「ペイン・キラーの真似事とか……色々やったなあ。ま、それはともかく、基本的にはドレミファで音楽を作ってアドリブをするっていう作業を中心にやってて、で、スタンダードとかを普通に練習することはするんだけど、バンドでは何か、その時に面白いと思ったことをステージ毎に実験的に、出来るかどうかは別にしていろいろやってみたりする。歌ものじゃないんで、ある種のフォルムを作っていくというか、ギター、サックス、ピアノっていう編成で、覚えているのはマイルスの「サークル」って曲をモチーフにして、そこに色々なアイディアを足していったりとか……。ってやってたんですけど、演奏がなかなか上手くならないというのもあるんですが、段々煮詰まって、袋小路にどんどん入っていく感じになっていったんです。実際、その、モダン・ジャズに関する疑問というか、そういう即興演奏を今やっても面白いのか? っていう疑問もたくさん生まれてきまして、段々何がやりたいのかわかんなくなってきた。それが95年ぐらいで、まあ5,6年やってた勘定ですが」 T 「95年ってことは20・・・」 O 「23とか、4とかですね」 T 「随分若い頃に」 O 「んーいや、若い・・・かなあ?そのぐらいじゃないですか?」 T 「いやいや、随分若い頃に苦悩したんですねっていう」 O 「いやー、若くはないでしょ。悩むのとかって10代でしょう」 T 「(笑)」 O 「結構大変でしたけど。うん」 T 「それから10年」 O 「それから10年。あ、そっか。10年だよね」 O 「で、その頃ですね。よく憶えているのは、テクノ。テクノ・ミュージックっていうものが日本でも、えーと、クラブ・シーンを中心に盛り上がってきてまして。僕も遅まきながらぼちぼちと聴き始めた訳です。それまでは僕は、ポップスは大好きだったんですが、ダンス・ミュージックっていうのは、まあ聴くは聴くけどそれほど好きでもないし、自分がやる音楽とは全く違うものだなあ、などとぼんやり考えていました。ダンス・ミュージック=ユーロビートみたいな認識で(笑)。だったんですが、その頃、94~95年ぐらいの時に、それまでテクノと言われてきた音楽が、いきなり全然、新しい音楽として、新しい文脈の中で凄い新鮮なものとして聴こえてきたんですよ。自分の耳の中に。多分大きかったのは、シーケンサーとMIDIによる反復音楽のなかに、サンプリングってかたちでもっと暴力的というか、生々しいループが入って来て、でそのいびつな感じにまず引かれた、というところがあります。アブストラクト・ヒップホップってその頃言われていたようなものですね。あと、ドラムンベース。ニンジャチューンとかモ・ワックスとか、そういったところから入って、で、そこから様々な、生演奏じゃない音楽、打ち込みで素材を配置してゆくような音楽を聴くようになって……、で、色々あったんですが、なんというかな、そういった音楽の中でももっとモノ性というか、物質性が高くて、完全に人間とは切り離されたような形で、それまであったような音楽的な起承転結もないし、相当……まあ何て言うんだろ、物質性が高いとしかその頃は思わなかったんだけど、すごく冷たいクールな打ち込みの音楽。打ち込みじゃなくても、演奏者の表現というよりは、ただ単に機械とかある環境のドキュメントを録音しただけの作品が魅力的に思えてきたんです。エレクトロニカといわれる以前の一連の作品で、剥き出しの物質感、機械の作動感みたいなものがある作品っていうもの」 T 「たとえばそれは、そういう風にお考えになっていた時に聴いていたものって、何ですか?」 O 「えっと、オウテカとかですね」 T 「オウテカ」 O 「オウテカとかエイフェックス(・ツイン)とか、これは結構音楽的だと思うけど、その頃出てきたMEGOのピタとか、フィンランドのサーコとか、ニンジャチューンの色々だとか、ルーク・ヴァイヴァートとか……。日本だとトランソニックの諸作やSOUPレーベルとか。あと、池田亮司さんとか」 T 「ああ」 O 「それから、一緒に考えていた訳でじゃないんだけど大友良英さん。大友さんがグラウンド・ゼロをやめる時期と大体こういう音楽を聴き始めた時期が被ってて、で、これはそのもうちょっと後の話になるけど、インタビューに行ったりしましたね。そういう話が聞きたくて。でもねー、このあたり何を聴いてたってことになると、だいたい忘れちゃってますね。固有名詞的には(笑)このあいだね、久しぶりに聴こうと思って探したら全部ありませんでした。売っちゃってた(笑)生活費のために。あのー、10年前の音楽って一番思い出したくない感じなんですよ、実際は」 T 「そうですか。」 O 「ところがね、今、無理苦理思い出してんの。必要な感じがするから。20年前だったら楽しいだけなんだけど、10年前に自分が何聴いてたかっていうのが 一番厳しそうな気がするじゃないですか。なんで、その頃夢中だったものを「何聴いてたのかな?」って改めて聴いてみようと思ったらさ、全部なかったから、友達に借りに行ったんだけど(笑)」 T 「”そんな、恥ずかしいこと言うなよ”みたいな、友達も(笑)」 O 「そう。友達もさ、”えええ?”みたいなこと言って。でも持ってんだよね、売ってないから。それで棚からひと掴み、こんな感じだったけなあとか言って持ってきて。で、そういうのを聴いてて。それまでは即興演奏って言われているようなものを聴いてたんですけども、急激にテクノっていうか、ここら辺の録音された音楽、打ち込み、プログラムされた音楽というものにどんどん取り込まれていったんですよね。で、そうやって聴いて行くうちに…………何だろうなあ、 聴き方としてきちんと、それまでは歴史を追いながら歴史的名盤っていうのを聴いていたんだけれども、たとえばロックだったらロックの歴史があって、歴史を変えた名盤が、とかいうものがありますよね。 95年当時の話で、今はどうかわかんないですけど、レゲエだったらこれをこう聴いていくべきだとか。ジャズなんか勿論そうで、歴史的名盤の山をまず越えなきゃならない。と。そういったハードルに関しては結構ね、その頃はすごく真面目に捉えていたし、捉えていたっていうか、それしか手がかりがなかったしね。聴き方に関して。しかも、それでまだレコードを追えたんでそういう感じで聴いていたんですが、90年代の半ばでもう大体ね、……何て言うか、情報量がオーバーフロウして、そうやって追ってっても全然言われていることに納得も出来なければ、それぞれの繋がりもわかんなくなるような状況になってたんですよ。雑多に聴いていると」 T 「たくさん聴きすぎるからじゃないですか?」 O 「思っているほど多くはないんだけど、とりあえずジャンルっていう括りは役に立たなくて、どんどん色々なものが繋がっていることが分かって、また、新しいCDが、旧作の再発なんてのも新しいCDとしてどんどん襲い掛かってくる。いまになってみれば、普通の話だなーって思うんですが、90年代中盤のヤングとしてはさ、好き嫌いを抜きにしてしまえば、目の前にあるものをどうマッピングしていけばいいのか、っていうことに関する作業が、もう無理、というか、このまま同じような視点で続けていくのほとんど意味がない作業だなあ、と強く思わされるような状況になった訳です。10年前にね」 T 「うん」 O 「で、それから、同時に――情報量の増大と、物質性の高いテクノの発見と同時期に、自分的に凄い重要だったのは、ローファイって言われてるムーブメントの存在ですね。これね、すごいジャンクな、作品でも何でもないゴミみたいな、メタクソな音が単にレコードに入ってて、すぐ終わったり、頭も尻もないような、ものすごいダラダラした演奏がヒドい音質で入ってたりとか。宅録が簡単になって、そういったこれまではオープンな市場に出回らなかったものも、比較的アクセスしやすくなった時期があったんですね。ここらへん全部リンクしてる話で、ひとつの動きの3側面だと思うんですけど、ともかくそういう、シャーって録って転がってあるようなやつも、作品として聴く、楽しめるようになっていったんですね」 T 「なんか、作品っていうより物件っていうような」 O 「そうそう。物件というかさ、こういうところでテープを回して音を録っておくじゃないですか」 T 「ええ」 O 「で、途中で切ったり。途中から自分のバンドのリハーサル演奏を入れたりとか(笑)。そうやって作ったテープがさ、リリースされてる訳です。で、それに値段が付いてるから、たまたま買ったりすると、それを作品として聴きますよね、知らないから」 T 「はい(笑)」 O 「で、いいなあ、とか良くねえなあ、とか思うのも馬鹿らしくなってくるようなものにガンガンタッチするようになって……。まあいま憶えているものではですね、パンソニックっていうグループがありまして。これはゴミな方じゃなくて、かなり丁寧な仕事をしている良い音楽なんですけども(笑)。アナログ・シンセのパルスだけなのかな? かなりシンプルなパルス・ノイズだけでアルバムを一枚作っているものがあったと思うんですよ。でさ、”パンソニックの新譜だ”ってレコ屋で見つけて買って、家で「よし聴くぞ」ってプレイして聴くとさ、スピーカーから時折、「ブ・・・ブブブッ」とか聴こえるだけで、で、たまに「ピー」とかいって、”おお”とか思ったりして(笑)。そうやって聴いてるわけですよ(笑)。八戸にいた頃には、モダン・ジャズの生演奏に飢えてて、横浜に来て5年ぐらい経ったらそういうのが面白く聞こえてきた。 ”わーーい、パンソニックの新譜だぁー! 池田亮司の新譜だあー!”って。まあ池田亮司は戦慄するほど美しくて、パンソニックもまともな方でさ、もっとなんかワケワカランものが一杯出てたんです。で、わーー誰それさんの新譜だー、とか、何かこれ面白そうだなあって買うじゃん。2000円出して」 T 「うん」 O 「で、家帰って来て真面目にこうやってプレイして、スピーカーの前に座ってると、”ピー”とかいってるだけ(笑)。それをずっと聴くわけですよね。しかもそういうのが作品としてちゃんと売られてて」 T 「うん」 O 「そうやって色々な作品、録音されたものを聴くことによって、こういうものも我々は聴けるんだという事に、だんだん心と気持と体がね、なってきて。で、 そこで随分と 楽しくなったというか、楽になったというか……。その段階で、ようするに音楽の歴史性というよりも、まず目の前にあって鳴るものっていうことしか、考えないで音楽を聴くようにしようっていうことを、非常に実体験的に考え始めたんですよ。えーと、そうですねえ・・・何だろうな、全部オールクリアにDJの人が、自分の感覚で繋いでいくっていうのも、そんなに遠くない感じだと思うんですが」 T 「そうですね」 O 「そういったその、相当エクスペリメンタルだと言われていたかもしれないアルバムでも、それが音楽かどうかってこととか、それが面白いかどうかってことは置いといても、ただ「ピッ」とかいっているものでも、レコードとして同じ土俵で流通するし、僕たちはそういう生活のアレンジメントの中で生きていて、自分のリスニング・システムを設計している。なんで、こういったものを音楽として、自分の領域に獲得できなければリスナーとしてもミュージシャンとしても駄目だろう。と思ったわけですよ。”こういうのも聴こう”っていうよりも、 ”こういうのが基本だろう”ぐらいの感じで。で、今ある音楽、音楽ってこうやって今ここでフッて歌うとか、そういうかたちでも生まれて、それはそれでベーシックなものだと思うし、大好きですが、録音というファクターを通した時にはじめて音楽という舞台に上がってきてしまうものについて、……「上がってきてしまう」のか「下がってきてしまう」のかわからないんだけど、どんなデタラメなものでも、抽象化されたにものでも、歌や音楽と同じ土俵に乗って、で、われわれはそれを同じ視点で聴くことが出来る、という、そういったことの残酷さとか、恐ろしさっていうものを、そこですごくよく感じたんですね」 T 「それって、映画もそうですよね。撮っちゃうと、なんでも映像の素材に出来る」 O 「そうなんですよ。で、そのことを考えるために『エスプレッソ』という雑誌を始めて、そのときに、最初の宣言文で何を言ったかというと、録音物、録音機器、つまりレコードの針とかピックアップっていうのは、どんな音かっていうような判断を抜きにして、自分に触れたものをそのまま定着させてしまう。とりあえずそこには人間的な意味はない。我々は一回そういう場所まで降りて、それから音を聴くやり方を再構築すべきだ、っていうような、マニュフェストを書いたんですね」 T 「うん」 O 「ようするに一回、目の前にあるこの物質。レコードやピックアップやターンテーブルっていう物質に即したところまで自分のリスニング・システムなり、判断力何なりを戻す努力が必要ってことで。なぜならば、そういう状態に、ぼくたちの周りを取り囲んでいる音楽の生産と流通は深く侵されているからだ、というようなことを、高らかにね。宣言してみたんですが」 T 「それは何で、今日(この参考資料の中に)ないんですか?」 O 「このことについて喋ろうって思ったのが昨日だったんですよ。で、手元になかった(笑)。後でなんとかしますが……」 T 「10年近く前だから恥かしくなったとか」 O 「いや、そういうんじゃないですね。むしろ本当に見せたかったんだけど……。いま持ってきてる本のなかからさっき似たようなことを書いている部分を急遽探してきたんですが、これは『エスプレッソ』の9号で、この中に論文っていうかエッセイぐらいのものを載せていて、結局これまでに・・・これが2000年ぐらいだから、4年ぐらい経ってるんですけど」 T 「けっこう最近ですね」 O 「そう。96年に『エスプレッソ』始めて、その4年後なんですが、ここに『実験音楽の定義に向けて』っていうのを載せていて、その中に似たようなことが書いてあるんで、ちょっと読みます」 ……そのように、一度音を人間化させる作業を経なければ、これまで僕達は音を扱うことが出来なかった。ところが、録音という回路を経ることによって、その時に存在した個別の、これまでは記号化されることによってでしか再現される可能性がなかった音響は、その個別の音響の一回性を保ったまま、何度でも現実の中に立ち現れる。僕達がそこで聴くのは録音されたその現場にあった個別の音のエコーであって、その音はいまだ物質の中で響き続けている。これは比喩的な表現ではなく、僕達は録音物に耳をあてることによって、まだ鳴りが収まっていないその現場の音響に実際に立ち会っているのだ…… O 「云々、みたいなことで」 T 「うん」 O 「録音されることによって、一回性の、その場にあった音が、記譜されたり記号化されたり、人間的な解釈を抜きにして定着されてしまう、反復の空間に連れ出されてしまう。っていうことは、一体どういうことで、どういう可能性を持っているのかっていうことを、わりと、多分10年ぐらい考えていたんですよね。 10年っていうか・・・6年とか7年とかですが、まだそれは決着ついていません」 T 「似たような事がやっぱり、映画でも言えますね」 O 「そうなんですよ。そういう時に、それまで音楽でこういう批評っていうのがそれほどなかったので。で、映画と写真っていうのが、そういうことに関してもの凄く、やっぱり早かった。批評が」 T 「ああ、そうなんですか」 O 「と、思うんですよ。音楽においてこうしたことを考える際に参考にした人っていっぱいいるんですけれども、ようするにその、写真と映画についての批評ですよね。撮った時に、記憶されずにそのまま物質として残ってしまうっていうことは、一体、映像、つまりそれまであったメインの映像である絵画っていうものとどのくらい差異があって、で、映像史の中にどのような亀裂が生まれているのかっていう。音を音楽として直接取り扱えるようになったのは1950年ぐらいで、電子音楽からなんですけど。電子音楽とミュージック・コンクレートによって初めて大体そういう、録音した音を使って新しいものが出来るとか、音楽としてはそういう違ったものが出来たんですけど、写真はその100年前から、メディアとしては似たような問いかけを絵画に対して与えている。写真とか絵画批評の方が、そういうことに関しての物の考え方っていうのがはっきりしていて。で、音楽を考える為にも、そういったメディアの断層がある映像の、写真とか絵画とか、活動写真ということでの映画の魅力とか」 T 「うん」 O 「そういうのを、もう一回確認してみよう、またはそれによって、ちょうどこの100年のあいだに、それまであった絵画に代表されるイメージ制作の価値が、写真が生まれることによってどういう変化を被って……」 T 「どういうとばっちりを・・・」 O 「とばっちりを受けて(笑)大変なことになったのか。ってことをね、ボチボチずっと5年ぐらいかけて見ていた訳です」 ■ 01-03 ダヴィッド 画家の仕事 T 「不思議なのは、写真によってはっきりとばっちりを受けたジャンルが滅びたりせずにまだ残っているということで」 O 「そうですね」 T 「たとえば写真が誕生することによって、ある種の絵画は相当なダメージを食らったはずなんですけど、でも画家がいなくなることはないし、絵画はそれからも発展してますから。それと同じ事は映画にも言えますが 」 O 「そういう新しいものが出来たときに、前のメディアの・・・これはちょっと近代的な考え方過ぎるんですが」 T 「はい」 O 「 本質的な部分が剥き出しになるんですよね」 T 「そうですね」 O 「で、そこに向かって、どんどん次に来る画家が殺到するというか、その本質的な部分を鍛え上げていって、もの凄くパワーのあるものを作っていくっていう歴史が、とくにこの19世紀を見ているとはっきりと認められて。それはやっぱり、写真によって引き受けられるもの、絵画がこれまで取り組んでいて、で、写真でもOKなものっていうのは、それはつまり対象の光学的なイメージってものですが、それは切り捨てられちゃいますよね。えっと、ひとつここで、歴史画っていうジャンルがありまして、資料に ジャック=ルイ・ダヴィッドの『ラヴォワジェ夫妻像』っていう引用文献があると思うんですが、それについて見てみましょう。このジャック=ルイ・ダヴィッドという人は革命期の主席画家、革命家、政治家でもあり、新古典派っていうものの代表とされる作家です。この時期。革命が起きるまでは、歴史画、歴史を描いた画面。大体ですねえ、この・・・(後ろの壁を振り返る)この壁と同じくらい、これ(スクリーン)より大きいキャンバスにですね、歴史上の重要な場面を見事にコンポジションして、皆が見られるものにする。そういった仕事をしていたわけです。芸術家として」 T 「そういうのって、別にあれですよね、紙とかそういうものに描くんじゃなくて、教会とか・・・」 O 「基本的には壁を飾るものだから、代々続くお城だったらそのまま描いちゃうし、教会だったらそのキリストの上とかを埋めるために描くっていうのもありますけど」 T 「ためしに自分家の壁に描き始めて面白くなって完成しちゃったら、どうしたんですかね」 O 「面白いんじゃないですか?(笑)でも、こんなにデカい壁ないと思うんですよ。お城とかだから描けるし飾れると思うんだけど。そのぐらいデカいところにその家の持ち主の肖像画を描いたりとか。ルイ14世の戴冠式とかね。そういう」 T 「歴史物、ですね」 O 「歴史物で、我々、民衆や貴族や、その文化に属している人が基本的に持っているべきイメージの認識を、そうした巨大な大きさで、多くの人が眺められる大きさでもって、理性に従っていろいろ描くわけですよ。コンポジションがすごくきっちり決まっていて、ここの左側には誰がいなければならない、何が描かれなければならないっていうのが、いちいち」 T 「約束事で」 O 「約束事、参照先があって、それを綺麗に守りながらきちんと描かないと、駄目。っていう時代です。それはもう中世から続く決まりごとで。それはフランス革命まで続くし、フランス革命後も実際は続きますね。で、さっき言った、とばっちりはくったけど、画家はまだ無くなってませんね。ってことですが、こうした、国民に必要な共通のイメージを描く。そういった仕事が画家としてのプライオリティであって、画家はそこに向かって上っていくっていう、ジャンルというか、ある種のシステムは今は完全になくなりましたよね」 T 「そうですね」 O 「なくなってますよね・・・ なくなってませんか?」 T 「今は画家って、貧乏そうなイメージありますよね」 O 「そうですよね(笑)。この当時、国のイメージを支配するのは画家か詩人かっていうさ、そのぐらいの高みに、イメージを支配できる芸術家は存在していて。絵を描く。実際にデッサンして、で、歴史や聖書の出来事をきちんと描いてコンポジションして、そういう技術と労働がないとイメージが生まれない時代だったから、すごく重要な役目だったんですよ。誰かが何かを描かないとイメージって生まれない時代だから。この時代、複製も簡単じゃなくて、絵を描くのってすごく時間もかかるし、それによる影響力も強くて、いまのTV並ですね。この時代さ、フランス革命時代ね。このダヴィッドって人は、革命が起きたときに革命派の方について『テニスコートの誓い』っていうすごい歴史的に重要だとされる歴史的出来事があるんですけど、それを描こうとしたんですよ」 T 「うん」 O 「この事件は、これからのフランスの歴史の中ですっげえ大事だと思って。しかも依頼も来るし。で、描こうと思ったんだけど、歴史の流れの方が速くて革命が潰れちゃったから、途中で描けなくなっちゃったりとかして」 T 「何年もかかっちゃうぐらいの」 O 「うん。でもね、一年ぐらい経ってる間に、描いてる内の半分ぐらいが死んでるっていうさ」 T 「(笑)」 O 「でも描かなきゃまずいからって、エスキスは残っていたりするんですけど、全員ギロチン送りになったり、実はこの人反革命だった!とかいうさ、後で吊るし上げにあって、 ”じゃあ省かなきゃ”っていうことをやってるうちに結局仕上げられなかった」 T 「それ、あれですよね。そういう情報を的確にもらってないと、画面の真ん中にギロチン送りになった人をいれたままうっかり描き上げちゃたら」 O 「まずい(笑)」 T 「史実と違ったことを描いたっていう風になるんじゃないですか」 O 「えーとですね、それはでもね、いいんですよ」 T 「それはOKなんですか」 O 「OKなんですよ。それが史実になるから(笑)」 T 「あ、なるほど」 O 「それで史実と違うって言われても、ようするにイメージの伝達力なんで、そうやって使われたものはすぐ版画になって出回ったりするし。実際にダヴィッドがその場面を見たわけでもないし。結局、自分たちの物語を語るために、強力なイメージが必要だってことで、そういうみんなの共通認識を支えるための絵画なんです。同じように、ナポレオンの肖像画っていうのを結構ダヴィッドはその後、ナポレオン・・・ナポレオンはわかりますよね。どこから説明したらいいのか段々わからなくなってくるなー(笑)」 T 「ちょっと、さっきのところなんですけど」 O 「はいはい」 T 「仮に、ダヴィッドの時代に写真があったとしたら」 O 「はいはいはいはい」 T 「どうなってます?」 O 「そう、そうなんですよ。そういうことをね」 T 「うん」 O 「みんなで考えると面白いんじゃないかなーって思って、始めたイベントなんですけど(笑)いや、ホントにホントに」 T 「絵を描くために必要な時間である、たとえば一年半って時間が、100分の1秒で済んじゃったりすることもあるわけですよね」 O 「そうそう。それによって歴史画の権威が無くなったというのは確実にあって。イメージからどんどんどんどんそれを作るために必要な労働力、マチエールに対する労働力が減って行った結果、イメージ自体は氾濫するようになったけども、そのイメージのどこに価値を置けるかっていうと、インフレ起こしちゃって、むしろその価値はどんどん下がるわけですね。一般化に従って」 T 「うん」 O 「写真によるイメージっていうのは、カメラを向けてシャッターを切れば、特にコンポジションを考えなくても制作できてしまう。その制作があまりにも速く出来て、しかもそれは一枚きりじゃなく、同じ物を写すにしても正確な構図というものは存在しなくて、つまり価値のあるイメージってものの構造というか、文脈自体が絵画と写真とでは大きく異なってしまう。ダヴィッドやドラクロワっていう19世紀前半の大画家はさ、きちんとした主題があって、きちんとしたコンポジションがあって、こうじゃなきゃ駄目だっていうものを練り込みながら描いていくから、それを見て、観客は、描かれているものは正しいって判断するわけですよ。ある絵画で、何を描くかってことで、ある場面を描く時に、そこできちんと位置付けられているかどうかっていうのは、その人にとっては死活問題というかさ。えー、画面に描かれたら、歴史的に認められている人だっていう」 T 「あ、なるほどね」 O 「ことになるわけですよ。写真とは違って。撮ったら撮れちゃうじゃないですか、写真の場合は」 T 「うん」 O 「そういうものとは全く違って、写真がない時代っていうのは画面に描かれたかどうか、それがこれまでのイメージ体系の中にきちんと位置付けられたかどうかってことで、人物なり出来事なりの価値が決まる。っていうのがあって、そういった形でダヴィッドっていう人は、きちんとフランス革命時の出来事をコンポジションして、大画面に描いていきたいって考えてて。そのまま実際、ナポレオンの戴冠式なんかも描くんですけど」 T 「じゃあ、被写体っていうよりは、登場人物」 O 「そうですね。歴史の登場人物。画面の上にいるのは、単なる、そこら辺にいる人たちじゃなくて」 T 「重要じゃない人は」 O 「ぜんぶ省かれちゃう(笑)。または、重要じゃない位置に小さく描かれたりとか」 T 「群衆として」 O 「そうそう。価値の遠近法みたいな感じで、真ん中には偉い人。みたいに、価値がおかれている対象は画面のどこに置くか、とかは完全に決まっていて、で、一発でそれが伝わるような描き方をしないと駄目。写真までは、とにかくイメージっていうのは知的作業で、で、大画面でもって確実に全員が見れてわかるようにする。それを見て国民が、それを見てみんなが自分達のこれまでの生活をイメージ的に納得するっていうね。そういうダイレクトな物語装置だったわけです」 T 「そうですね」 O 「まあそれは今でも実は一緒で、映画とかテレビとか、同じ映像を観てそれについて話すことで、我々は自分の物語を考えたりイメージしたりするわけじゃないですか」 T 「うん」 O 「写真や映画やTVまでは、絵画がその役目を果していた。っていう流れがある。という訳です」 T 「誰にでも見れたんですか、その絵画は」 O 「版画になって出回ったり、弟子がちょっと小さなサイズで複製つくったりとか」 T 「ああ、出版物として」 O 「オリジナルは一枚だけですからね。そこに行かなければ見れないんで、そこにも具体的なヒエラルキーが働いているんですが。そのコピーとしての出版物を見ながら ”おお”ってね。これ、実はTVで映像見ている我々も、イメージとの触れ方ではあんまり変わってないような気もします。」 ■ 01-04 クールベ 『オルナンの埋葬』 O 「話がそのまま続きますが、価値を作り出す装置としての歴史画。うん、そういう状況にある絵画の話で、えっと本当にトピックだけ飛び石のように見ていきますけど、1851年、クールベという画家が、 『オルナンの埋葬』という絵を発表します。これはサロン、官展という一番偉いところに出して、落とされたんですが・・・落とされたんだっけ? とにかくその、『オルナンの埋葬』という絵を描くんですよ。『クールベの試み、レアリスムのについて』という、一応参考文献になってますけど、読んでみてください。 <クールベが一八五〇~五一年の官展に出品した大作《オルナンの埋葬》(ルーヴル美術館蔵)があれほどの物議をかもしたのは、危険な共和主義思想・社会主義思想がなまで盛られていたからではなかった。そうではなくて、彼ら自身も「醜く」衣服も「醜い」田舎のブルジョワたちが堂々と「歴史画」の主人公たり得るという前代未聞の美的平等性の主張だからであった。「出来事」の階層性から言っても、無名の田舎ブルジョワの葬式というそれ自体とるに足らぬ出来事が、神話とか歴史とか文学とかの形成する教養=価値体系へ関係づけ(レフェランス)を欠くのはむろんのこと、十八世紀ならグルーズ、同時代ならミレーの絵に見られるような道徳的あるいは感情的な何らかの観念の伝達意図によって正当化されることもなしにただ再現されているということ、そこには、人間の営みすべての徹底的平等性が示唆されていたと言ってよい。> と。はい。で、その絵画が、ものすごいデカい、本当にさっきも言った歴史画の『ナポレオンの戴冠式』と同じような大きさで、田舎のブルジョワがごしゃっといて、それをテーマとしてきちんと描いて、歴史画として官展に出してしまった。それを見た人は、これはとんでもないと思ったわけです」 T 「うん」 O 「こんなに真面目にこんなの描いてどうすんだ!って(笑)。っていうかお前これは確実に反体制だろう!っていうのが」 T 「うん」 O 「絵の主題によっても、その大きさによっても、描き方によっても、はっきりわかるような形で、1850年くらいに描かれたわけです」 T 「さっきの、ダヴィッドの約束事の反対で?」 O 「考え方というか、絵画に担わせる役目というのは同じ把握で、歴史画と描き方も一緒で、でも主題が正反対な訳です。主題というか描かれる人、歴史的な主体として、出てくるのはこいつらだ!って、王様やキリストとかじゃなくて、いま生きている普通の民衆を描いたわけ。それはこの、1850年代っていうのは微妙に・・・この時期は 第二帝政ですかね。クーデターの前か? とにかくこのあたりって、政治体制が大揺れの時代で。政権があっち行ったりこっち行ったりって、貴族って存在もまだ残っていて、革命っていうのを忘れたい人もたくさんいて、逆に共和政権をもっと進めたいって人もたくさんいて、みたいな」 T 「万博の第1回が51年ですよね」 O 「ロンドン万博が1951年、パリが55年ですか。えー、そういう形で、”ブルジョワだろ、これからの歴史は”っていうことをクールベが考えたかどうかはわからないんですが。そうしたことをでっかい絵に描いて提出すると、みんな大騒ぎっていう……」 T 「騒ぐって言うのは、嬉しかったんですかね? みんな」 O 「サロンを仕切ってるのは貴族側の人の方が多くて、そういうところに上がれない人への、絵画っていうもの事態の価値の転換の呼び水になったんで、当時はかなりのショックだったみたいですね。レアリスム。レアリスム絵画ってことですが、この思想ってなにかっていうと、”いまここにあるものが大事なんだ。いまここにあるものをきちんと描くことによっても作品は作れるよ”っていう主張ですね。これは最初はアカデミー側からは総スカンを食らうんですけども、でもフォローっていうか理解者もいっぱいいて、この資料にも ”リアリスムという名称が定着”って書いてますが、 1855年ぐらいには、レアリスムっていう表現が定着されて、これが一派を成すんですよね、きちんと。で、ダヴィッドから流れてくる、きちんとコンポーズして、ギリシャ時代の絵を描いたりする人の飾ってあるところのすぐ近くのところを借りて、 自分で勝手に個展をやったんですよ、クールベは。『オルナンの埋葬』とか」 T 「万博とは関係なく?」 O 「そう、本当に挑戦的なやり方だったんですけど。そうした形で、しかしそれはむしろ支持されていたからやった、ぐらいの形だった。そうした形で絵画の中でも、目の前にあるものが歴史だと。どっか昔に価値があるんじゃなくて」 T 「うん」 O 「歴史は我々が今作っているし、 我々が主人公ですよっていうことを主張するような動きっていうのが、ここから現れてきます。この芸術上の現われの一つがレアリスムです。そこから、このまま直接的とも言えないんですが、ようするにこの考え方っていうのは、 ”主題っていうのは何でもいい”っていうことになりますよね。つきつめて考えると、描かれるべきものは、いま現在生きて動いているものならばなんでもいい」 T 「そうですよねえ」 O 「で、今度はそこから、主題ではなく描き方、イメージの構築方法が問題なんだっていう方向に、絵画の発想が進展して行く」 T 「うんうん」 O 「つまり、現実のあたらしい見方っていうものを提示する役割を絵画が担うように、そういった方向に絵画は可能性を見出して行く。現実の見方、描き方、それを定着されるやり方。ようするに、描かれるものは何でもよくて、それをどういう風に再現、または現実化するかっていう。ここで一回絵画の役割のブレイクスルー、考え方の変わり目があって。印象派っていうのはまさにそういう運動ですけれども、そこから現在までに繋がる近代の抽象絵画の歴史がはじまる。現実をアブストラクションする方法っていうものにドーっと画面が、画面がっていうか、人間が手で描くイメージの役割が変わってくる。と。で、それからは、絵画を見るときは、それを自分たちの歴史を描いたもの、ということではなくて、現実の一表象として見る。歴史と切り離された、現在の、過去に参照先を持たない、物質のようなものとして見る。ということになってきた訳です。で、自分たちの物語とか、暮らしのイメージとかは、写真その他がどんどん担うようになっていった」 T 「そのおかげで、ラクになった画家もいれば、食いっぱぐれた画家も……」 O 「食いっぱぐれたり、悲しくて悲しくてしょうがない人もいたでしょうね。で、そのあたりのギャップ・・・ギャップじゃないな、角逐みたいなものがこの、1850年代前後の画家の仕事にはすごくたくさん現れてて、写真によるイメージを前にして、じゃあ画家は何をするべきかっていうことをここら辺ですごく悩んでいたり、……絵っていうものは、じゃあどういうものを表現するものなのか、我々はどうすればいいのかっていうことをかなり、ここで画家の人は考えていて、その結果、印象派のような方向に絵画は進んで行く。モネ、マネ、様々な人たちがいますね。で、クールベと同じように1874年に、サロンに落ちた人が集まって『官展落選展覧会』っていうのをやるんだよね。それが第一回印象派展っていうことになるんですけど」 T 「はい」 O 「そういった形で、”我々はこういう絵を描きますよ”っていう方向にどんどん進んでいく。手元にある題材を使って、その印象を描いていく。これはその、70年前のダヴィッドから見ればまったく考えられないような状況で」 T 「そうですね」 O 「絵画においては、こういったような流れがあるんです」 ■ 01-05 写真と物質性 人がいなくても音はある T 「70年前にダヴィッドが担っていた役割っていうのを、新しく誕生した写真が、奪い取ちゃった」 O 「たぶん奪い取るっていうか、引き受けるというか、分業したっていうかさ」 T 「はい」 O 「人間がイメージを何のために必要としているのかということが、まずそもそもの問題なんですが……。 まず絵画というものがこういうものを担っていた。それが、写真というメディアっていうか、違う質を持ったメディア が現われた時に、お互いに牽制しあいながら、また改めて本質的な線分に従って分岐して、純化されてゆく。 写真の発見で、イメージの世界って確実に分岐が起こったと思うんだけれど、写真がじゃあそれまで絵画が担っていた 役割の中から、何を担っていったのかっていうと、絵画が作り出す現実性ですか、我々が生きて暮らすときに、 自分たちのイメージを持たなくてはならない。 で、そういう一般的なイメージ制作を写真はどんどん引き受けるようになってきた。 で、それはともかく、しかし一方では、その写真による映像っていうのはすごく物質性が高くて、撮ると、 どんなデタラメな撮り方でもなんらかのイメージが出来てしまうし、 そこには意図しないものまできちんと定着してしまう。 ……まあさっきも言いましたが、このあたりの話は全部音楽の話と平行させて聞いて欲しいんですよ、 このあたりっていうのは。録音というのと写真というのはほぼ一緒だと思っていいと思うんですが、 様々な、ようするに写真には絵画には存在しないノイズが乗っちゃうわけですよね。 絵だと描くときに人間的な作業が加わるんで、記号化を経なければ成立しない。 しかし、写真っていうのは、物質がある物質を変換しただけで、で、それでイメージが人間の目に見えるような かたちで顕在化しただけであって、それは 人間の世界の外側にあるものです。 で、ここから、世界には人間の認識の外側にある、もっとモノ的というか、 ある種の前提とされる物質的な不能の領域がある。それが我々の生の基盤だ。 っていう考えが生まれてくるんです。この時代の哲学にはそういった、人間的経験の前提になる、 非人間的領域の存在というか、そういったものが入ってきていて、例えばフロイトとベルクソンは、 どっちも物や記憶っていうのは消えないでずっと残るっていう発想で。どこにあるかは特定できないが、 思い出さないようになっているだけで、実は全部過去は残っているんだよっていうのがフロイトの考え方ですね」 T 「なるほど」 O 「それは写真が、撮っていなくても、あらかじめ全部撮られている状態で世界はあるっていうこととほぼ一緒の考え方で。これは写真以前には考えられなかった。それまではイメージは、人間が人間に向けて描かなきゃ作られなかったし、残んなかったからね」 T 「撮ったけど現像してないんだっていう感じですよね。世界のイメージが」 O 「そうそうそう。実際、イメージっていうのは作られる以前に世界に存在していて、で、我々がするのはそれを現像して使用できる状態にしているだけだっていうね。世界は人間を抜きにしても、撮ったけど現像していない状態でずっと存在していて、それは現像されて初めて人間には見えて、定着して使えるようになるわけだけど、それは人間化されただけであって、世界っていうのは現像されていないフィルムだっていう……。こういう発想が生まれたところで、写真の中から映画が生まれてくるわけですが」 T 「ちょっと、飛びましたね」 O 「ごめんなさい(笑)、そう、ちょっと巻いちゃった。時間がないなあ。・・・ああ、駄目だ、ヤバイ。リュミエール見ようよ!っていうことで(笑)。これ見たら、いま言ってた話がどうでも良くなるくらい、映画のパワーはもの凄くて面白いってことですが(笑)」 T 「あれ、あれ。あの話を挟んだ方がわかりやすいんじゃないですか」 O 「何だっけ?」 T 「マイブリッジ」 O 「ああ、そうだ。・・・いや、でも飛ばしましょう」 T 「いんですか」 O 「(次のセッティングをしながら)えー、マイブリッジっていう人がいるんですよ。連続撮影でですね、いや、駄目だ。このまま行こう。 リュミエールを見ます(笑)」 ■ 01-06 リュミエール鑑賞-1 字幕の才能 O 「リュミエールの、『工場の出口』ですね。リュミエールが最初の上映会でかけたというものを幾つか見ます。『工場の出口』っていうフィルムを」 T 「リュミエールっていうのは、映画発明した兄弟です」 O 「そうです」 ■ [映像1]『工場の出口』 (とある工場の出口。多くの人や馬車がさまざまに行き交う様子と、それを説明する字幕) O 「これ、字幕は後で入れたものですけど」 O 「あの犬いいよね」 T 「あ、また入ってきた」 O 「入ってきたね」 (笑) O 「馬が出てきてびっくりしてる」 (笑) T 「あ、自転車も」 O 「そうそう」 □[/映像1] O 「はい。えーと(笑)、全編こんな感じで」 T 「こういうのが、360作品・・・」 (笑) O 「いや、本当に面白いんだけど、大体ね、17メートルのフィルムで一分ぐらいですね」 T 「そのぐらいしか、当時は撮れなかった」 O 「当時は撮れなかったし、現像も出来なかったんでしょうね」 T 「現像の方がおそらく難しかったでしょうね。あと、その頃は撮ったカメラで現像してましたから」 O 「撮ったその人がそのままやってたんだよね」 T 「そうですね。一台で全部やってた時代ですから」 O 「もうちょっとね・・・これ見よう」 T 「たぶん、どれ見ても面白いと思いますよ」 O 「どれ見ても面白いですよ」 ■ [映像2]『壁の解体』 (道端に立つ大きな壁を、男たちが解体する様子) O 「”人気投票上位”って」 (笑) T 「あの人、余計ですよね」 (笑) T 「いなくても倒れると思う」 □[/映像2] T 「まだまだあと、358ありますけどね」 ■[映像3]『フライパン』 O 「どれ見ても面白いんですけどね。全部見てるとね」 (笑) (運動会のような場面。頭の位置にぶら下げられたフライパンに貼り付けられたコインを、手を使わずに口で取る競技の様子と、それをクールに説明する字幕) (笑) T 「この字幕が面白いですよね、これ」 O 「すごい才能だよね」 T 「すごい字幕ですよ」 O 「”唯一の記録”って」 □[/映像3] O 「はい。こういうのを”おおおおお!”って、皆さんで見てたわけですよね」 O 「これは見たいよね。ちょっと面白すぎるので、卑怯な気がして気が引けるんですけど。サービス・ショットということで」 ■[映像4]『猫のボクシング』 (小さなリングの上で、グラブをはめた猫が向かい合っている) T 「だんだん仕込みが入って来る」 (笑) O 「かわいいー」 (首から下が映って顔の見えないレフリーにより、闘わされる猫たち) T 「泣かせますねえ」 (笑) (笑) □[/映像4] O 「まあ、こんなのがね、360。毎日見てもいいぐらいです」 T 「でもすごいのは、あんなに面白いのに一分で終わらせちゃって、続きを撮ろうとしないっていう」 O 「そうなんですよね」 T 「一回やったことは、もうやんない人なんですかね」 O 「んーと」 T 「いや、いい事なのかもしれないですけど」 O 「我々がそれを見て不思議に思うのはなぜかと言うと、やっぱり長いフィルムに慣れてるし、こうやってたとえば『猫のボクシング』とか撮りますよね。最後まで見たいじゃないですか」 T 「見たいです」 O 「または、始まる前の猫のウォーミング・アップとか」 (笑) O 「見たいですよね」 T 「リハーサルやってるのかどうかとか」 O 「そそそそう、それも見たいし、ある程度長めに撮りたいなあ、という気持は起きなかったのかという。で、あとはさっきも言ってたんですが、冨永さんと。ようするに、何回か違うカットとか回したりとかこの後でも次のフィルムを回せば、またはそれを編集してカットで繋げば、もうちょっと様々なことが見れる」 T 「だからあれですよね、劇的効果っていうものを考えたら、違うアングルから撮ったりとか、モンタージュって言われる作業があった方が、面白い可能性もあった。でも、そういうことはやんない」 O 「そうですね」 T 「あのでも、さっきの『猫のボクシング』はもう、あの撮り方しかないと思う」 (笑) O 「監督としても、ベスト(笑)」 T 「あれは面白いです。泣かせますよね」 O 「でも、3ラウンドくらい見たくない?客席に振ったりとかさ、そういうのを入れるわけじゃないですか。でもそういうのは全くない」 T 「いろんな可能性を見せといて、すぐやめちゃう。一分しか撮れないから、そこで終わらせて、そのまんまなんですよね」 O 「一分しか撮れないからっていうか、そういう発想だったとしか多分、思えないんですよ」 T 「もう一回違うアングルから撮って、繋ぐっていうのは、この当時はまだ反則っていう」 O 「反則だし、発想できなかったし、そういう意味がわかんなかったっていうか、物の考え方がそういう風になってなかった」 T 「うん。もしかしたら、そういう編集を加えることで、史実を歪めることになるという考え方が、生まれていたのかもしれないですね」 O 「その、今の映画の場合だと、同じシーンを 3回撮ったりするじゃないですか。物語映画の場合は。ドキュメンタリー映画だと、3台回したりとかして、それのいいところをいい感じで繋げていって、実は 5時間回したけど 5分の映像にしたりとかっていうのが、どうやらここでは、全く見られない」 T 「カット尻とかカット頭とかが、全く見られない」 O 「っていうのは、これが真実の映像だというのが、第一にあるんでしょうね、この人たちにとって」 T 「それは、そういうものを発明したんだよっていう」 O 「真実を映すものを発明したんだよっていう」 T 「そういう自負もあったと思いますし、あとは映るっていうことだけで、映ったものが動くっていうだけでもう驚きだったっていうのもあるんじゃないですかね」 O 「しかもさっきの流れで言うと、レアリズム芸術というものの、やっぱりほぼ、勿論トリック映画とかいろいろあるんですが、リュミエール的な考え方で言うと、我々の現実を映す映画だ、映像だっていう」 T 「うん」 O 「意識がすごく強くあったんじゃないかって思います。我々の現実で、しかも世界の現実っていうことで、いろんなところにエキゾチックに、たとえば日本にカメラを送ったりとか、様々なやり方でいろんな映像を撮る。その映像の撮り方が、物語っぽく撮るんじゃなくて、現実を切り取ってくるっていうドキュメントのやり方で、ずっと、映画が生まれてから 5年はリュミエールはやりますね」 T 「それと、さっきの絵画の話と反対になりますけど」 O 「はい」 T 「明らかに、大衆しか登場しないですよね」 O 「そうそうそうそう(笑)。たしかにね、見ていくとね、劇映画があるんですよ、キリストの受難とか」 T 「劇映画って言っても、ドラマっていうより”やらせ”」 O 「”やらせ”だし、あと舞台を撮るっていう感覚ですね」 T 「舞台を記録するっていう感覚ですね」 O 「舞台を記録する。でも観客は舞台を見ていたと思うんですよ。 キリストだと思って見ているんじゃなくて。まあそれが大ヒットするという状況もあるんですが、それはまだ記録であって、なにかしらフィクション、物語、お話っていうものを共有するために映像を組み立てていく、映像に文法を持たせていく。っていうやり方はここにはほとんどないですよね」 T 「全然ないですね」 O 「まだ全然ない。可能性は探せばあるけど、っていう感じですよね。もう2,3本見てみましょうか」 ■ 01-07 リュミエール鑑賞-2 サービス ■ [映像5]『 巨人と小人』 (文字通りの巨人と小人が、画面中央でダンスともレスリングともつかない闘いを繰り広げている) T 「泣かせますよ」 T 「・・・なんか、総合格闘技を先取りしてるような」 (笑) T 「でもちょっとルールがわかんないですね、これね」 (笑) O 「足を取ろうとしてんのかね」 □[/映像5] O 「はいー」 (笑) T 「でも今のは、二人がフレームアウトした瞬間に終わってますよね」 O 「終わってるからさあ」 T 「計算して?」 O 「やったんじゃないのかなあ」 T 「切ったのかなあ」 O 「いや、一分でやって下さいって言われたんじゃない?」 T 「じゃあ時計見ながら、後何分だから早く終われって、言った人がいるかもしれない」 O 「かもしれないね。これも舞台を撮ったものなんですけど、ようするにそれを本当っぽく見せるっていう、基本的には写真と同じような形で」 T 「そうですね」 O 「撮っていくということに、なっていますね。もうちょっと見てみましょうか。ちょっと待って下さい」 T 「なんか大谷さん、毎日見てるみたいですよ、これ」 O 「これはいいよ。2万円するんですけどね。はい、これも最初に上映したものですね。『赤ん坊の食事』」 ■[映像6]『赤ん坊の食事』 (屋外のテーブルで食事をする男女と、それに挟まれた赤ん坊。男はよだれかけをした赤ん坊に何かを食べさせている) O 「これ見て、みんな何が、いろいろ思ったのかっていうと、後ろの木が風でざわめいているのが、みんなすごい印象に残ったらしいんですよね」 T 「ああ、そうか」 T 「そうですね。動画じゃなきゃわかんないすもんね」 O 「そうなんですよ。これこそその、人間が描いたら絶対にそういうとこ描かないじゃないですか。これビューッて来て、よだれかけがビヨーンとなった、みたいな。で、”あ、戻った”みたいな」 T 「これだけでいろんな想像力が働かせられますね」 O 「そうなんですよ」 □[/映像6] O 「もう一個だけサービスを行きましょうか」 T 「これ、サービスになってるんですかね」 O 「えッ」 (笑) O 「なってない!?」 T 「いや、大谷さんはメチャクチャ楽しいと思うんですけど」 O 「僕は無茶苦茶楽しいんですけど。いや、これはでもみんな楽しいと思うよ。これはね、見て良かったなーっていう。これまたね、何かっつーと」 ■[映像7]『猫と少女』 O 「また猫なんですけど」 (笑) O 「これはもう、すごいよ」 (画面中央に少女と猫。少女が、猫からは微妙に届かない位置に食べ物を差し出している。食べるに食べられない猫。諦めて逃げ出す) O 「でも、外で”捕まって来い”ってやられるんだよね」 T 「ああ、フレームの外で」 O 「外で。ポイッて」 T 「猫を戻す係りの人がいて」 (再び、少女の差し出す食べ物を狙う猫。でもとれない) T 「何あげてるんですかね」 O 「これ、わかんないんだよね。謎の。あんだけ食いつくんだから、大そうおいしいものなんでしょう」 □[/映像7] O 「すごい満足しました」 T 「どれ見ても、すごい続きが気になりますよね」 O 「ねえ。あれでフッて行ってさ、次行っちゃうんだよね、普通の上映会のときも。でもそれは客席もさ、”次見せろよー!”とは、思わなかったんだろうねえ」 T 「たぶん思ってないですよ。あの後どうなったんだろうっていう」 O 「大体全部見るとわかるんですけど、 本当にそういうものとしてしか作っていない」 T 「まだ多分、映画っていうものに対して、オチっていうものを求めてないんじゃないですかね 」 O 「はいはい、そうですね。あとは大画面をみんなで見るっていう、歴史画として、人物画として、現実を描いたものとして見るっていう見方が定着していたんだと思う」 T 「そうですね」 O 「で、こういう形で映画が始まったのに」 T 「うん」 O 「たかが10年ぐらいで、基本的にドラマを映してみんなで見るものに変わっていくわけですよね」 T 「そうなんですよ」 O 「で、スターがいて、我々の周りを撮るんではなく、名優がいて名作がある。ドラマではなく、映画として撮る。映画として、と言うんですかね。僕は映画研究家ではないので、微妙なんですけれども」 T 「まず真っ先に、一分以上撮れるカメラっていうのが出来たと思いますよ」 O 「ああ、はいはいはい、そうですね」 T 「それで、なんか出来るんじゃないかなっていう、そういう風な順序が」 O 「あると思いますね」 T 「まず技術が出来ないと」 O 「それは写真でも、映画でもそうでしょうね」 O 「こうした形で、まずその映画の始まりの時には、あるものをきちんと撮る。撮ってそれが残ってて、それで赤ん坊の後ろで木が揺れてて、”なんだあ、すげえー”みたいな」 T 「うん」 O 「あれは一体何なんだろう、今まで見た事がないっていう、赤ん坊を見に行ったらすごい木が印象的だみたいな・・・」 T 「そんなに凄かったですか(笑)」 O 「いや、っていうね、文献を読むと”すげえすげえ”って書いてあるの。で、どんなにすごいのかと見るとそんなにすごくないっていう」 T 「ああ、当時の人がすごいって言ってるんだ」 O 「よくあるパターンで」 T 「いや、さっきから興奮しっぱなしだから」 (笑) O 「僕は単に、猫に興奮してるだけですけどね」 O 「で、こうした形で、一度動きを得た映画が、 20世紀にどういう風に発展していくか、またはどういう風な方向付けを持ってて、我々の物の考え方とかイメージを作っていくのかっていうので」 T 「うん」 O 「100年。今まで来ましたけども、 100年来て今あるわけじゃないですか。で、そういうものを引き受けて」 T 「110年ちょうどですね」 O 「110年ですね。それで冨永さん、そういう辺りで映画を作っているわけですが」 T 「細々と」 O 「細々とね。そろそろ時間だからそっち側に話を振ろうかなーと(笑)。そろそろ、9時16分」 T 「何時までですっけ」 O 「ちょうど10分押しなんで10時10分くらい」 T 「じゃあ、まだまだこの話してもいいですよ」 O 「そう?(笑)」 T 「僕の話すぐ終わりますよ」 (笑) ■ 01-08 アメリカ O 「本当はこの後に、劇映画の一番最初と言われているものを何作か見たいなと思ったんですが、なかなかDVDが手に入らないうえに間に合わなくって」 T 「ないですよ」 O 「ないんですよね」 T 「普通に探しても、普通にビデオ屋とか行っても、1910年ぐらい以降になっちゃいますよね」 O 「ちょこちょこ見たいと思っていたんですけど、まあ一番有名なのは、 『大列車強盗』。1903年ですね。これは一応カットも割ってあるっていうか、基本的にはワンシーン・ワンカットなんですけど、それを続けて見ることによって物語を語る。しかもロケ。ある種の、現実の物語を語るってことを、やり始めるんです」 T 「大学の時に、大学って映画の学校だったんですけど、やっぱり最初の授業で」 O 「日大でしょ」 T 「そうです。その最初の授業で、見るんですよね。これ」 O 「で、つまんないと思ったでしょ」 T 「つまんない!」 O 「(笑)」 T 「約10年前なんですけど、それ。でも今無性に見たくなって」 O 「ああ」 T 「だって、10年前にこのリュミエール見せても、たぶん面白くなかったですよ」 O 「10年前ね。・・・10年前は、どうでしたか」 T 「それはさっきの話とおんなじで(笑)」 O 「切なくなったり」 T 「10年前って、大島渚の映画とかばかり観てましたからね。 何で観てたんだろって」 (笑) O 「俺、パンソニックとか聴いてたから。今も聴くけどね。ってパンソニック、家にないし」 (笑) O 「で、その グリフィスっていう人が一番、諸悪の根源って言っていいぐらい、すごい人ですね。 1915年の段階で『国民の創生』、165分。今まで1分だったのが165分になるわけで。この15年後には」 T 「15年で」 O 「いやー、すごいですよね」 T 「グリフィスの何ですか?」 O 「『国民の創生』ですね」 T 「『国民の創生』」 O 「あの、南北戦争の」 T 「ああ」 O 「『イントレランス』がその一年後で」 T 「いやー長いですね、いずれにしても」 O 「やっぱりこれは前代未聞だったらしくて。2回に分けて上映して、 2回分金払えって言ったら怒られたっていう(笑)」 T 「たぶん観客は、疲れたと思いますよ」 O 「ところが大ヒットしたらしいんですよ」 T 「あれ」 O 「疲れたけど」 T 「疲れたけど(笑)」 (笑) O 「25万ドル稼げないだろうと言われてたら、ところが100万とか。で、その金で『イントレランス』作りましたからね」 T 「そうなんですか。やっぱり、『プライベート・ライアン』作るような国の人は、疲れても大ヒットする・・・」 O 「タフだよね。座り根性が違うよね」 T 「(笑)」 O 「で、ここで、グリフィスっていう人は、 2時間も3時間も、南北戦争は自分達の歴史ですよね。歴史画みたいなものですけど」 T 「そうですね。数少ないアメリカ人の歴史の」 O 「ウェイ・トゥ・アメリカン抜かすと、数少ない歴史みたいなものですけど」 T 「そうですね」 O 「っていうのを作る為に、絵画ではなくやっぱり映画を選択して、そしてそこに映画でしか出来ない方法を全投入。で、発見しまくりみたいな感じできっちり物語を作っていくという、すごい才能だと思いますけど、こういうのを作り始めた結果、こっちの方にどんどん映画が向かっていくという」 T 「はい」 O 「事実があると思うんですけども。これが アメリカで行われているっていうのが面白いですよね」 T 「そうですよね。先にイタリアの方で始まったものも」 O 「イタリアのシネチッタみたいなところで、カリビアとかで。でも歴史物じゃないですか、あれも。ローマものとかでしょ」 T 「そうですね」 O 「そうじゃなくて、自分達の、ついこないだの50年前の歴史をしかも大作にしてしまって、これでイメージを変えようっていうことをやる」 T 「まあそれは、その後何十年も経つと『ベン・ハー』とか、自分の国じゃないもののことを」 O 「そう。でもそれは、それに自分の国を重ねて見たりするんですよね、基本的には」 T 「そうですね」 O 「それはダヴィッドの時代からも一緒で、ギリシャ時代の兄弟の喧嘩とかを見て、まあ今の若貴の喧嘩とかを思い出すみたいなね(笑)」 T 「(笑)」 O 「画面として撮ると、”ここには愛国心が盛られている”なんてのも含めて、映像っていうのはそういうパワーをずっと持ってるわけですが、フランスのこの時期って、勿論植民地意識が強いから、外国に行って撮ってそれを持って帰って上映するだけで商品になってた」 T 「あの仏印とか、呼ばれてるとこですよね」 O 「そうそう(笑)。インドへ行ったりとか、マレーシアへ行ったりとかして、胡椒をとってくるみたいな形で戻ってくると、こっち側にいる人はそれを消費できるという状態があったけど、アメリカではそれが出来なかったんでしょうね。アメリカはこの頃貧乏だったし」 T 「アメリカは・・・アラスカぐらいしか」 O 「アラスカとかよくあるよね。でもアラスカは開拓地っていうか、最後に残された西部みたいなものだからね」 T 「アラスカをロシアから買ったのって、そのくらいですっけ?」 O 「もうちょい前かな」 T 「アラスカは行ってますよね、記録映画が」 O 「記録映画行ってるはずですね。その頃はスペインと戦争してんだよね、アメリカは。でもあんまり上手く植民地に出来なかったみたいだけど、スペインも」 T 「まあアメリカは、自国の国土自体が当時植民地っていうか」 O 「そうそうそう(笑)。広げるだけで精一杯だったからね。(資料を見て) ”米西戦争と、トリック撮影によるニュース映画”。まあニュース映画をどんどん撮ったりするんですけど」 ■ 01-09 第一部まとめ O 「と、いう形で、駆け足でも何でもなく、一体何だかわからないまま20世紀まで来てしまいましたが」 T 「(レジュメの年表を見ながら)1915年で終わりですか」 O 「終わりですね」 T 「そっからいきなり2005年」 O 「2005年ですよ。大体このあたりはみんな知ってるでしょっていうことで。20世紀の話はもういいでしょっていう」 T 「そうなると、私の比重が・・・」 (笑) O 「あなたに20世紀を背負ってもらって、今から上映して頂くわけですが(笑)。いや、マジでね、マジで」 T 「い、ええ」 O 「では本当に、そうですね、時間がなくて・・・レジュメっぽいっていうか、これからこの企画続けて行きたいんで、いろいろ映画だけではなくて、演劇の話をしたりとか、演劇の人を呼んだり、まあ、あとは何ですかね。詩人の人を呼んだりとか。という形で、様々な角度から、まあ僕は音楽が専門なので音楽から考えたことをいろいろ喋ろうと思っているんですけど、こういう 20世紀、19世紀というところまで戻っていろいろ考えたいと。ほんと映像に関しては、抜けも何もないというか、これからきちんと論文にまとめるラインっていうのが生まれてくる為の、本当に手がかりのようなものしか」 T 「うん」 O 「今日のところは喋れないんですが、こういう射程距離で、ものを考えて行きたいと思っている、ということが私はここ10年だったので、こういう話を人前で出来て嬉しいです。っていうことで(笑)」 (笑) O 「えっとここで、もっと喋りたいことはあるんですけど、一回ひと休み、10分間休憩して、休憩後に冨永監督の新作を抜粋上映して、それについていろいろ喋るという」 T 「さっきのお話に繋がる可能性のある箇所のみ、抜粋してきたので」 O 「最初から持ってくれば良かったのに(笑)」 T 「いえいえ(笑)。まあちょっと、5分程度の映像なんで、後でご覧頂ければと思います」 O 「ということで、ちょっと休憩します。ありがとうございます」 (休憩) ■ from note103 いかがでしたでしょうか。以上でようやく前半終了です。そうです、まだまだ続くのです。お楽しみに!
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