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report from chaos 25 『 マイルス・デューイ・ディヴィス III』 第1回「Miles Dewy Davis IIIrd 研究」 2005.4.14 東京大学駒場キャンパス1313教室 講師:菊地成孔・大谷能生 ■ 註 ・このレポートは、講師の菊地、大谷両氏の許諾のもと、作成・公開しております。 ・レポートの無断転載はお断りします。 ■ 25-1 貴族 前年度前期を過ごした古巣・東京大学駒場校舎1313教室。 壇上にはすでに板書を終えた両講師:菊地成孔・大谷能生がスタンバイ。 やがて行列を成したほぼ総ての生徒が着席&SEフェイド・アウト。 そしていよいよ、新年度講義の開講・・・。 菊地(以下K)「はい、おはようございますー」 K「・・・ん?ボリューム?はーい」 K「えーと、よろしくお願いしますー。またあのー」 大谷(以下O)「ア、アー(マイク・チェック)」 K「昨年の4月から前期後期やらせて頂きまして、東京大学の校則により今年は前期、 まあ前期だけということでですね。・・・前期何回やるのかな、これ?」 O「12回ぐらい?」 K「12回ぐらいですかね。昨年のゼミに関しては、ジャズ史全体ですね。対象を非常に広くとって、 ジャズ史。さらに拡大して、20世紀のアメリカ史。さらに拡大して、俗謡としてのまあストリート・ミュージック史 という風な巨大な・・・」 O「ポピュラー・ミュージック史」 K「ポピュラー・ミュージック史全体に話が及んだので、あ。ちなみに去年の講義録に関しては、出版化されまして」 O「されます。5月の・・・20日だね。プロレス本といっしょ」 K「僕のプロレス本といっしょですけど(笑)」 O「5月20日に『東京大学のアルバートアイラー』という」 K「そう(笑)、『東京大学のアルバートアイラー』という。前期の分ですね」 O「それは教科書なんで、よろしくお願いします」 K「それはそのうちすぐに出ますから、一応教科書ということで。まあユルい話ですけどね。 買わなきゃ入れないとかじゃないですけど」 O「でも、毎回このくらい入ったらちょっと・・・入場制限とかね」 K「あ、そっか。まず内訳を聞きましょう」 O「そうだね」 K「まず一番優先される、貴族であられるところの」 (笑) K「えー東京大学・・・」 O「ヒエラルキー・トップの」 (笑) K「ヒエラルキー・トップね」 O「このあたり(手で示す)」 K「肉を喰ってる人」 (笑) O「肉を喰っている(笑)。ワインを飲んでる人」 K「肉を喰い、ワインを飲んでる人たち、ね。東京大学教養学部の、この春入学した、1年生の皆さん」 (挙手) O「おおお、いいねえ!」 K「あーいっぱいいる(笑)。ありがとうございます。・・・貴族の方が数が多いという問題、ね」 (笑) K「一人の貴族に3人のもぐりがついて欲しいですけどね」 O「(笑)」 K「一人は靴を磨き」 O「はい」 K「一人はネクタイをととのえ」 O「ととのえて」 K「一人はディープ・キスして欲しいですけどね」 (笑) K「そんなわけで、じゃあ昨年僕らのゼミを取っていて、今年も取っているという2年生の皆さん」 (挙手) K「ありがとうございます。じゃあそれ以上の人・・・あ。ごめんなさい、じゃもう一回ね。 東大生一律全員手ぇ挙げて下さい」 (挙手) KO「おおおお!!」 (多い) K「OK!素晴らしい!!はい、ありがとうございます。じゃあ、もぐりの乞食の皆さん」 (笑) O「プロレタリアートの皆さん」 (笑) K「プロレタリアート革命の人たち。革命なんか起こりませんよッ絶対!」 (笑) K「なぜなら、日本人がマルクス主義を咀嚼していないからですッ」 (笑) O「そのまま手を挙げておく」 (笑) K「そのまま最後まで挙げておく。下ろしたら、出てけ!!」 (笑) K「なんでそんなサドになるんでしょうか?」 O「フランス革命だからね」 K「市民革命。もぐりの方はやがて、教科書を買わないと入れないという入場制限が来るようにしましょう」 O「そうですね」 K「はい。まあそういうわけで話の途中でしたけども、昨年のゼミではジャズ史及びポピュラー・ミュージック史 全般に広く当ってましたので、今年は打って変わってピンポイント制で、マイルス・デイヴィス」 O「半年しかないですからね」 K「そう。”マイルス・デューイ・デイヴィス・三世”というのが本名だということすら、あまり日本では紹介されて いない事実ですけれども。一般的にはなってないね。まあ、文学部における”プルースト・ゼミ”であるとかね、 哲学における”カント・ゼミ”だとかという形で、一人の研究対象にポイントを絞って、半期のゼミになっていくと 解釈していただければ、まあいいだろうと」 O「はい」 K「ただ、解釈していただければ、と言われたところで」 O「(笑)」 K「マイルス・デイヴィスですからね。この人ですからね(モニターのマイルスを指して)」 O「この人です」 K「この人ですよ。今、こう一瞬トランペットの真ん中から水が吹き出る直前ですね」 O「(笑)」 K「もうちょっとでビュッて、こっちに吹きかけてくるというね。嘘ですよ」 (笑) O「でもこの人ですよ」 K「”ミリオンセラー伝説”。焼酎の宣伝です」 (笑) K「VAN!VAN!」 O「VAN!!」 K「VANです。まあ彼がなぜ日本の焼酎の宣伝に出ていたのかということも、ゆくゆく講義が進むにつれてね、 はっきりしてくる問題ですから」 O「思いっきり80年代ぽいよね、この宣伝」 K「これがいかに80年代の・・・でも今80年代、70年代の話をしようにも、ほとんどが80年代生まれじゃないかと予測されますが。 一応聞いてみようか。80年代に生まれた人」 (挙手) K「80年代以外に生まれた人。70年代」 K「60年代」 K「あ、凄いですね。50年代」 (挙手) K「ありがとうございます(笑)」 O「どうも(会釈)」 K「本当はせっかくもぐりがいるんだから、40年代の人もいて欲しいですけど」 K「まあこれが、この講義の名前だということでね。マイルス・デイヴィスを扱うというのは、ひとつは、マイルスがとても”イイから”って いうことがあるわけですが(笑)、イイだけで扱ってるんではね・・・いろんなイイ人はいっぱいいますからね」 O「(笑)。”イイから”って」 K「”イイから”って言うのもね。まあ一番の根拠としてあるのは、彼の現役活動が非常に長かったということがありますね。 半世紀に及びます。しかもそれが、20世紀の後半・・・」 O「そうだ、でもマイルスなんて名前も聞いたことなきゃ、何やってるのか全く知らないっていう人が来ている可能性だって・・・あるのでは」 K「ありますよね。僕が教養学部1,2年だったら、知らない名前の人のゼミ行きますよ」 O「そうだよね」 K「エマニュエル・カントのゼミだとかさ」 O「(笑)」 K「それは知ってるけどさ。何か行っちゃいますよね。まあ、知らない人がいっぱいいた方が嬉しいですよね。 ちょっとしたマイルス・デイヴィス・ファンがいてくれてもいいけど。マイルス・デイヴィスって知らないっていう人いますか?」 O「いいですよ。遠慮しなくて」 K「いいですよ、これから授業でやりますからね。別に知らないからってこのマイクで思いっきりブン殴るっていうことはないですから」 (笑) K「むしろ称揚しますよ。はい。ジャズメンです、この人は。トランペッターですね」 O「ジャズ・ミュージシャンでジャズ・トランペッター」 K「あのトランペットで、今からあの焼酎をストローみたいにズズーッて吸い込むところですからね」 (笑) K「嘘ですよ!!嘘ですからね!嘘に気をつけましょうね。あのー今、最近の若い人っていうのは最初から嘘だと疑うか、 全部信じちゃう人が多いので、本当も嘘も交じっているという事にね、このゼミでは訴えていきたいですけどね。・・・もうちょっとで 吸い込むと思いますよね」 (笑) K「その刹那を写した、素晴らしい写真ですけどね」 O「レモン・スライスも浮かんでるね」 K「あそこから焼酎吸ったらすごいよな。・・・『VAN』ですからね。『VAN』って言ったらさらに20年ぐらい前には服のメーカーの名前ですよね」 ■ 25-2 スタイル、そしてこの講義で最も重要なこと K 「それはまあいいんですが(笑)。あの、話が大幅にそれましたけど」 K 「えっと20世紀後半に、彼の活動がアサインされている。45年から91年。すべての歴史というのはそうですが、始原というのははっきりしていないですね。一番最初ってのはわかんないものです。皆さんも自分が生まれた瞬間のことは憶えてないでしょう。最後の瞬間っていうのは、はっきりしている。死ぬ瞬間は自分にはわかりませんけど、周りが記憶してくれますから」 O 「はい」 K 「45年から91年までの46年間、約50年に渡って活動したという事は大きいです。しかもそれが、ご覧の通り第二次世界大戦終戦の年から、20世紀最後のディケイドである、90年代が始まろうという時に死んでるわけね。この46年間というのがひとつ」 K 「それからその間に、これはもっと大きなことですけども、スタイルを変化させ続けた。ということが、彼のアイデンティティですね」 O 「”スタイルとは何か?”といえば、いろいろありますね」 K 「”スタイル”といえば、元々はラテン語ですよね。文法という意味になるんだけど、文体っていう意味なのね。フランス語で訳すと分かるけど、”スティロ”って万年筆のことですね。元々は”文章のスタイル”っていう古い言葉もありますが、広範にね、洋服のスタイルであるとか」 O 「まあ様式ですよね」 K 「様式ですね。様式が変化していく。その変化が、前進・革新・近代というイメージを強く持たせるわけね」 O 「はいはい」 K 「気まぐれにたださ、今日は金髪のカツラで、とかね」 O 「(笑)」 K 「明日はモヒカンにしてとか」 (笑) K 「っていう、それには前進も革新もないんだけれど、ってかまあ今のね、最近の若い人にはわかりづらい・・・とも思いますが」 O 「そうですね。この辺り、ちょっとやりながら何ていうか、反応を見たい感じですよね」 K 「ある意味ね、ある意味この講義の裏テーマにもなるんですけど、この人が死んでから、こういう考え方が成立しなくなってるのね。プロトゥールスとかね」 O 「そう。まあ・・・プロトゥールス以前からだけどね」 K 「以前ですけどね。90年代てものが始まって、音楽がどんどんスタイルを変えてプログレスしてってどんどん、革新、それが近代に繋がってるんだけど」 O 「極端に言うと80年代ですね。マイルスが復活して、ええ、それじゃ早いか。マイルスが一旦引退して、復帰して」 K 「一回ね、一回引退すんだよね」 O 「それが80年代なんですけど、その後はこの人、変化してない・・・っていう」 K 「してないんだよね。この人はこういうイメージ(革新)があるんですけど、これじつは非常に大文字というか、まあ通り一般のイメージで、じつはこの人は常に最後まで前進して死んだというイメージを疑ってかかるということね。流通している歴史に対して、疑りをかかって検証していく態度が必要ですね。あの、ここら辺も丁寧にやっていきますけどね。重要なことですからね」 O 「えっとそれは、去年の前期にかなり丁寧に」 K 「やりましたね」 O 「やったので、それは本が出るんで」 K 「本。教科書ね」 O 「それも読んで下さい。そうすると、大体ジャズの今までの歴史みたいなものが大体わかるように作ってあるから」 K 「そうなんですね。この人がジャンルを代表する人になってしまったおかげで、ようするにジャズというもの自体ね、乃至商業音楽というもの自体ね、乃至20世紀という世紀自体が、こういう風にして文化が、サブカルチャーがこういう形で前進しているんだという、一種の前進する運動体であるというイメージを、ほぼこの人が持っちゃったと言ってもいいぐらいね」 O 「ポピュラー音楽の中ではね」 K 「そう。たとえばね、”ニア・イコール、でも絶対違う”という例が出てます。ニア・イコールにパブロ・ピカソがいるんだよね」 O 「いますね」 K 「でこの人は、この人も現役が長い人ですけども、どんどんどんどん作風を変えていった人なのね。ただパブロ・ピカソっていうのは、美術界自体を牽引していったというのではあんまりなくて、一人の天才が気まぐれにいろんな時代を行き来してきたという風に、まあ考えられます。だから、一個人の作風が変転していくという事と」 O 「あとそれに影響を受けて流派を作っていく感じでね」 K 「そうそうそうそうそう。まあ巻き込むんだけどね」 O 「巻き込む。それがだから、コルトレーンとマイルスに似てるっていうのはあるね」 K 「でも一方でね、”止まった時間”というものもあって」 O 「はい」 K 「これは落語なんかがそうですけど、ひとつの芸を完成させたら、ただそれをもう”キープ・オン”することが生きていく証だというような生き方も、ショウビズの中にあります。ここで例に出しているのが、この人だけではないですけど、この人の代表するセクトがあるとしてオスカー・ピーターソンっていう人がいます。この人は、今日は精緻な資料がないんですが」 O 「マイルスと同じぐらいにデビューしてる」 K 「そう、デビュー年がマイルスと大っ体同じくらいで、まだ生きてる?」 O 「そうですね(笑)」 K 「まだ生きてるんですが(笑)、すでに1950年代後半に決まったスタイルを、約50年以上に渡って現在でもキープ・オンし続けている。同じ事をずっとやってるのね」 O 「あの・・・まあいいや(笑)」 K 「(笑)」 O 「いや、くだらないこと思い出しちゃった(笑)。昨日のラジオの影響がまだ抜けてないんですよ」 K 「何ですか?(笑)」 O 「いや、あの、東京FMを聴いて来た人」 (挙手) O 「あ。いるわ」 K 「いるんだ。へえ・・・スルーしましょうね」 O 「(笑)」 K 「はい、こういう人いますね。こういう人はオスカー・ピーターソンだけじゃないですね。こういう風にちょっと命題を軽く立てるだけで鮮やかに、皆さんの持っている教養の中で”ああ、あれはこういうことか、これはこういうことか”っていうことが起こるわけです。いろんなジャンルで、一芸をずっとキープしていく人と、どんどんどんどんスタイルを変えていく人と、どこのジャンルでもあるんだが、では一個人がどんどんスタイルを変えていく、まあ文字通りマイルス・デイヴィスは音楽のスタイルも変えますし、作曲上の、ようするに文字通りの文体も変えていきますし、服装っていう形のスタイルもどんどん変えていった人ですね」 O 「あとは、女性も変えていく」 K 「女性も変えていく。女性のスタイルもね・・・まあ大体おんなじスタイルの女性を選んでるんですけど」 O 「(笑)」 (笑) O 「体型としてはね」 K 「体型としては。職業的には、ダンサーですね」 (笑) O 「ダンサーが好き。足の綺麗な女が好き」 K 「そのダンサー好きというエコーがローザスの『ビッチェズ・ブリュー』まで」 (笑) K 「届いているというね」 O 「このあいだ行ったんでしょ?」 K 「このあいだ僕はローザスの『ビッチェズ・ブリュー』観に行ってですね」 O 「ローザスってダンスの集団ね」 K 「何ですか、コンテンポラリー・ダンスの牽引してる人たちね。今までクセナキスとかリゲティとか使ってた人たちが、今シーズン初めてマイルスの『ビッチェズ・ブリュー』を使ったということで」 O 「それはその、音で?音を使ったの、何なの?」 K 「一応使ってたんだけど、扱いがすごい悪いんだけど(笑)、まあローザスの話をすると今日の時間が終ってしまいますのでね」 O 「酷かったっていう」 K 「うん、酷かった(笑)。僕は公演も観に行って、ケースマイケルさんっていうローザスの主宰の方と対談してきたんですけど・・・ボロクソ言ってきてしまいました(笑)」 O 「(笑)」 K 「ベルギーの王立芸術学院卒のお嬢さまがですね、瞳孔開いてワナワナしてましたね」 (笑) K 「もう臓腑をえぐるような・・・”ウェスト・サイド・ストーリーですね!”とか言って」 (笑) K 「もう本当に、いい気分ですよね。お嬢さんがワナワナするのを見るのはね」 (笑) K 「それはいいんですけども。それの結果はですね、『流行通信』の来月号に載ってますのでチェックして欲しいですけど。まあこの講義の中で必要とあらば、『流行通信』で書けなかった部分に触れてもいいですけど、時間がないですから。そういう形でダンサーを愛したということもありますが、結婚生活も更新するんだよね」 O 「そうですね(笑)」 K 「何回も結婚するっていう。まあそれはマイルス・デイヴィスに限ったことじゃないですけど」 O 「(笑)」 K 「先ほども言いました通り、スタイルの変化、変節していくということの意味。それからその、文化とどういう関係があるのかということが裏テーマになっていけばいいな、ということはありますね」 K 「これはひとつには、”批評への挑発”という現象も生みますね。全く新しいものを出していくことで何が起こるかというと、それまで好きだった人のことをブッちぎって、いいかどうかわからないものまで提出していく。そうすると賛否両論が起こるわけですけども、そういうダイナミズムによって、一種の批評ひ・・・言いづらいですね。”批評史”」 O 「批評史。クリティック」 K 「そう、批評される、批評史と紹介史というものが、”発生”します。ここが大事なんだけどね、”発生”していきます。こういう事をやらなければ、批評史というものは発生せずに、批評の方も円熟された芸として循環していくんですけども、こういうことが起こると、簡単に言うと現在マイルス・デイヴィスの名作とされている大半がリリース時には”愚作”とかね」 O 「うん」 K 「”病気によって手を抜いた”、”混沌とした習作”というような、酷評ね」 O 「これあとで実際に、『スイング・ジャーナル』の昔のやつを見ながらやると、すーごいボロクソに言われてたり」 K 「すーごいボロクソ。ここまで不当に言われるのかという」 O 「うん」 K 「これは僕はあの、ロック・ミュージシャンとかに関してはプロパーではないので良くわかりませんけど、ロックでもあり得るのかっていうぐらいの・・・」 O 「この音、何ですかね?」 (教室にバラバラバラ・・・ッと小さなノイズが響いている) O 「すごい気になる」 K 「何でしょうね。さっきから周期的に音してますね。たぶん、映画を撮影してる」 (笑) O 「手持ちカメラ?」 K 「ライカ!」 O 「スーパー8!(笑)」 K 「懐かしいですけどね(笑)」 (音。バラバラバラ・・・) K 「これは何か巻き戻してる」 (笑) K 「まあ気にせずに行きましょう。ええ、そういうことがあります。ここらへんが、通常一般のマイルス・デイヴィスに関する、おそらく世界中の音楽に関するエクリチュール、書き文字で、マイルス・デイヴィスを語られたことが非常に多いわけですよね。ジャズの中でも一番多いでしょう。そういった沢山あるマイルス・ディヴィスを語ることが、ニア・イコール・ジャズ史を語ることになる。マイルスのディスコグラフィーを出すことイコール、モダンジャズ史を書いてしまうという行為になってしまう強制力というものがあって、その力。前進・革新・近代という形を、本人がどれだけ意識していたか、結果フェノミナンとしてどうなっていたかという事もやっていきたいですよね」 K 「あとは、今から板書するために敢えて書かなかったんですが、今回とくに訴えたいこと」 O 「とくに訴えたいことですね」 K 「はい。この講義で最も重要なことは、ジャズ界。いやジャズ史上」 (菊地氏、板書を始める) K 「ジャズ史上、」 (板書) K 「最も」 (板書) K 「上半身を」 (笑) K 「ヌードに」 (板書) K 「した男。・・・まあおそらくこれは100%間違いないと思うんですけれども」 (笑) K 「世界のジャズ史上でですね、もっとも上半身裸の写真が多い人であります、この人ね。マイルス・デイヴィス。このマイルス・デイヴィスがなぜここまで裸にしたか。ということに関しても、あらゆる資料をあたってですね」 O 「(笑)」 K 「徹ッ底的に考察していこうと思っていますのでね」 (笑) K 「その結果どんな・・・」 O 「かーなりイイ資料集まったよ」 K 「かなりイイ資料集まった。っていうか、単にマイルスのセミ・ヌード写真集が出来上がっただけだと思いますけどね」 (爆笑) ■ 25-3 服飾 (モニターに資料写真が映る) O 「これもいいでしょ、これも」 K 「これもいい。目ぇが凄いですよね」 (笑) O 「自分の家の前でゴキゲンなマイルス」 K 「自分の家の前ですよ。・・・ほらまた!」 (上半身裸にテンガロン・ハット) (笑) K 「何でしょうか、ピザーラでしょうか!?」 (笑) O 「ニューヨークは寒いんじゃないでしょうか」 K 「(笑)」 (笑) K 「これは凄いですよ。裸にテンガロン・ハットですからね」 (資料を変える) K 「また裸!しかも裸は、合わせ鏡で」 (笑) K 「無限に増殖させている」 (爆笑) O 「バスルーム(笑)」 K 「バスルームですよこれ、自宅の!自宅のお風呂で裸になっては、無限に自分の裸体を増殖させている男」 (笑) O 「”俺を撮れ!”」 K 「俺を撮れ。おそらく検閲さえなかったら、下も脱いでるんじゃないかという」 (笑) K 「微妙な問題なんですよ。微妙な問題なんです。この人のやる気から見たらね、けっこう検閲は越えてね、当時のアメリカのメンズ番組も含めたあの、チンコ出していいんじゃないですかね。ね、なぜ出さなかったのか?自信がなかったんじゃないか」 (笑) K 「この勢いはですね、ある時を境に留まる事がなくなるという」 (資料を変える) K 「復帰後!」 (モニター) K 「泳ぐマイルス!!」 (爆笑) K 「泳いでます!まあ、マリブの豪邸ですからね」 O 「自分の家のプールで泳いでます」 K 「あのーなんでしょうか、えーと(笑)・・・・帽子着用なんでしょうか」 (爆笑) K 「私邸なんで、着用しなくてもいいと思うんですけどね」 (爆笑) K 「スポーツジムだったら別ですけども、自宅なのに敢えて着用したと。これはですね、さっきのズボンの問題と同じなんですね。脱いだ時点で、自信がなかったんじゃないか。そういうことがマイルスの自伝を読むと・・・あ、脱いでます!」 (笑) O 「脱いでます」 K 「プールから上がったマイルス」 O 「ちょっと油断してますね」 K 「ちょっと油断してますね。とはいえ、問題は露呈していますね」 O 「(笑)」 K 「当時マイルスは、はっきり自伝で言ってますけども、カツラにするか、坊主にするか迷ってました」 (笑) O 「迷ってましたね」 K 「迷った末に、カツラにするんですけど」 (爆笑) K 「ホントに(笑)。本当に。ギャグじゃなくてね。FMなんかやってるおかげで全部嘘だと思う人もいるかもしれないけど、東大で話してることは本当だから。半分はね」 (笑) K 「本当に自伝に書いてあります。『マイルス・デイヴィス自伝』・・・でいいのかな、書名は」 O 「そうそうそう。『自叙伝』かな」 K 「『自叙伝』かな。持ってる人います?いるね、結構ね。あれは教科書としましょうかね、あれは」 O 「あれは・・・”絶対”と言いたいぐらいだね」 K 「絶対と言いたいよね。数多ある音楽家の自叙伝、いっぱいありますよね。まあジャズメンだけでも相当あります。ロックも入れ、ポップも入れ、フォークも入れたりしたら大変なことになるでしょう。おそらく、まあ僕は全部読んだわけではないので自信を持って比較は出来ないんですけども、まあ類推するにですね、ミュージシャンの自伝としても、それからアメリカの黒人による、ある種の文化史的な・・・なんて言うかですね、批評ですね」 O 「あとは資料としてもね」 K 「そう、ショウビズ界の資料。しかもジャズ界っていう比較的ヒドゥンされた、半分アンダーグラウンドのショウビズ界の資料としても、あと単純にね、文学としても面白いですね」 O 「そうだよね」 K 「非常に優れた資料ですから、今は手軽にあれが出てますからね」 O 「文庫で出てますね。レコード屋さんとかに行けば」 K 「はい。間違えようないですからね。水木しげるみたいにいろんな自伝があるとかね」 (笑) K 「いっぱいある。”水木しげるの自伝下さい”って言ったら5種類ぐらい出てくるとか(笑)、いうようなことはないですからね。マイルス・デイヴィスの自伝はたった一種類しかないので」 O 「伝記じゃなくて、自叙伝ね」 K 「評伝だよね」 O 「いや、評伝じゃなくてね、あれね」 K 「語り下ろしか」 O 「クインシー・トループの」 K 「クインシー・トループ!あの人、詩人なんだよね」 O 「”オート・バイオグラフィー”」 K 「オート・バイオグラフィー。インタビューして書き下ろした人が、非常に優秀な詩人であって、その文体が非常に生きてますね。さっき言った資料的な側面と、詩的な文章が交じって、尚且つマイルス・デイヴィスの口調が生き生きと生きて」 O 「いきなりあれだもんね、”俺の人生で最高の時は、セックス以外の時だ”とか何とか」 (笑) K 「カマシが効いてる」 O 「カマシが効いてる(笑)」 K 「カマシが効いてますからね」 O 「なんだっけ、あれ?”ベッド以外では・・・”とか、”服を着ている時では・・・”とか、そんな感じだよね」 K 「あのね、”トランペットを吹いてるのは、服を着ている中では最高の瞬間だ”」 (笑) O 「そうそうそう(笑)」 K 「しかもそれが、20とか40のヤリざかりが言ってることじゃないですからね。死ぬ寸前に言ってますからね」 (爆笑) O 「これ(モニター)60歳とかですよ」 K 「これ60前後。ちなみに、この時マイルスの頭の中の射程にあったのは、プリンス、マイケル・ジャクソンですよ」 O 「本当に」 K 「本当に。”プリンスの服はどこで売ってるんだ!”っていう」 (笑) O 「こんなんですけどね」 (モニター) (笑) K 「こんなんですよ(笑)。この人はね、ジャズメンの纏う衣装史、服飾史としても非常に面白い。最終的にアーストンボラージュで死ぬんだけどね」 O 「(笑)」 K 「一番最初は普通のモーニング・スタイルのスーツで始まって」 O 「ブルックス・ブラザーズに行くんだよね」 K 「いち早くブルックス・ブラザーズに行くわけ。それでイタリアン・ブランドとか、ブルックス・ブラザーズのスーツに変えた洒落モノだったんだけど、いろんなことを変遷して、70年代はピーコック革命の格好をして」 (笑) K 「死ぬ直前はアーストンボラージュでした。そこらへんの服飾史との関係というのも非常に重要ですからね」 O 「しっかりね、しっかりやりたいですね」 K 「服飾も変えるんだけど、皆さんこれは絶対に忘れないで下さい。ジャズ史上、もっとも上半身をヌードにした男であったということを。で、これいつ頃から脱ぎ始めたのかってことを」 O 「(笑)」 K 「暴いていきますからね。どうして脱ぎ始めたんだろう、ボクシングを始めたからかな?っていうね。ある種三島由紀夫的な部分が」 (笑) K 「ありますけどね(笑)、ボディ・ビルを始めたら脱ぎ始めてしまう」 O 「しかもこれ、同じくらいの時代なんだよね」 (笑) K 「そう(笑)、怖いんだよね!」 O 「シンクロニシティ」 K 「シンクロニシティですね。歴史を越えたね、文化を越えたシンクロニシティが」 K 「で、とりあえず今日と次回を合わせて・・・」 O 「全然聴いたことないという人が多いだろうと。一回全部聴いてみようと」 K 「比較的、たとえばFMの番組かなんかでは、大晦日だ何だと言っては2時間スペシャルみたいなものを持って、マイルス・デイヴィスを駆け足で全部聴いてみましょう、みたいな番組もなくもない。なくもないんですが、僕らは駆け足でそういったスタイルの変遷というものを、とりあえず今回は音だけで、聴いて行こうと」 O 「しかもね、本当はさ」 K 「はい」 O 「91年まで、今日やろうと思ったんだけど。ようするに”死ぬまで”をやりたかったんですが」 K 「一気にね。1時間半で」 O 「黒板に書き切れなかった」 K 「そう。板書が出来なかったから止めるというね」 (笑) O 「ここら辺で気が付けっていう(黒板中部を指して)」 (笑) O 「間に合わねえ!ッて」 (笑) K 「間に合わない!って言ったときには、人が入って来始めてましたからね。なので、今回・次回で、2回合わせてマイルス・デイヴィスの音源ですね、駆け足で一生を、46年間の軌跡をまずは聴いてみる。こんなに違うのかっていうことね。あるいは、こんなに違うのかと思いつつ、同じところがいっぱいあるということを、表徴上の、記号的なね」 O 「ようするに、ここが同じでここが違うっていうのを聴き分ける耳を、この人聴くだけで大分ついてきますからね」 K 「ですね。じゃあ古い順に行きますね」 O 「あのね、その前にパーカーの、チャーリー・パーカーの話をちょっとしてもらえますか」 K 「えっとね、この人、マイルス・デイヴィスは1942年にジュリアード音楽院、これはまあ芸大っていうか、クラシックの学校に行きますね。この人の場合は、もちろん上半身ヌードにしたという事は忘れてはいけない事ですけど、基本的な事としてあるのが、お金持ちの家の息子さんであるということで、お坊ちゃんです。非常にお坊ちゃんで、ようするにあんまり苦労していない。簡単に言うと。ここらへんはさっき言った自伝を読むとよーくわかります」 K 「さらにもうちょっとだけ突っ込めば、母子関係があんまり良くなくて、父子関係が非常に良いのね。まあ”良い”っていうのも難しいんだけど、お父さんのことを生涯尊敬し続けて、”親父を乗り越えてやる”というような葛藤がない人だったんですけど」 O 「地元の名士だよね。歯医者さん」 K 「歯医者さん」 O 「死んだ時には、セントルイスの出身なんですけど、セントルイス中の黒人が集まったというぐらいの」 K 「そう。と、いうぐらいの名士。非常に強く父親を尊敬していた人で。で、ニューヨークに出てくるわけです。で、クラシックの学校に行ったと。それから、黒人だけれど非常に有産階級、お金があるということ。それから・・・まあ、チビだということ」 O 「(笑)」 K 「が、非常に重要なことです。背が小さいうことに関しても、ある系譜があります。フランク・シナトラから、マイルス・デイヴィスから、藤井フミヤから」 (笑) K 「ね、プリンス。マイケル・ジャクソン。それから・・・」 O 「まあ、ハイド」 (笑) K 「ハイド。ラルク・アン・シエルのハイド君。まで系譜が引かれる、チビのイイ男。というものの粋がり方」 O 「20世紀の伝統だね」 K 「20世紀の伝統ですね」 ■ 25-4 パーカー、演奏難易度 K 「で。45年、終戦の年ですね。ニューヨークに来て、まずマイルス・デイヴィスのしたことは、チャーリー・パーカーの居場所を突き止めること。まずそのことですね。あらゆる手段を使って探すわけです。で、見つけるわけです。見つけた上でどうしたかというと、彼のバンドに参加する」 O 「彼がね、バンマスをやっていて雇うんだよね」 K 「雇うんだよね。チャーリー・パーカーという人がどういう人かというのは、まあ去年とった人にはイヤというほど、反吐が出るほど説明しましたが、プレ・モダンだったジャズがモダン・ジャズに変わっていく。そのモダン・ジャズに変わっていく革命運動としてのビーバップ。ビーバップっていうのは、今はもうあらゆるひとつの・・・何て言ったらいいかね。定着した俗語としてあらゆるところで出てきますよね。『ビーバップ・ハイスクール』とかね」 O 「(笑)」 K 「『カウボーイ・ビバップ』とかね。いろんな形で使われてますけど、その一番最初だったビーバップ革命。・・・ビーバップ革命とピーコック革命を一緒にしないで下さいね」 (笑) K 「数十年違いますからね。アメリカのスイング・ジャズがビーバップっていうモダン・ジャズに変わっていく、その推進者の一人。というか実質上の唯一の推進者と言っていいぐらいの」 O 「そうですね」 K 「天才。と言っても、ほぼ過言ではないですよね」 O 「ここで、この第二次世界大戦中に、ジャズに大きな切断が入るんですよね。ここからマイルスが始まってて、ここからモダン・ジャズの歴史が始まるという感じで、我々は捉えている」 K 「そうですね」 O 「それの一発目の波に、マイルスは19歳ぐらいでギリギリ」 K 「乗るわけね」 O 「入ってきてる。しかも大・オリジネイターのですね」 K 「そうですね」 O 「その完全なるオリジネイターの横で」 (モニターを指して) K 「これ見ると分かりますけど、文字通り横で吹くのね。隣に立つ」 O 「こっちはチャーリー・パーカー、アルトサックス奏者。こっちはマイルス」 K 「『バード』という伝記映画があったり、それこそこの人は山のような伝説を残している人なので、まあ基礎教養として抑えておくのもいいでしょう。この人は、マイルス・デイヴィスと違って、非常に・・・」 O 「お父さんがね、離婚した上に殺されたりね」 K 「そう。もうね、履歴がグジャグジャ」 O 「グジャグジャ。じつは、いつ生まれたかもよくわからない」 K 「よくある、ドラッグによって非常に早死にしていくというね。ようするに後のロックン・ローラーのイメージに繋がっていく、破綻する人生、破滅する人生です」 O 「35歳で死にます」 K 「死んだ。解剖医が、脳の状態を見て”60過ぎてる”って」 (笑) K 「そのぐらいドラッグでやられていた人ですけど、そのまあ天才ですよね、一種のね。完全な天才の一人でしょう。その隣に若きマイルス・デイヴィスが立つことで」 O 「田舎で、パーカーの演奏を聴いて、”これだ!”と」 K 「これだと。これしかないと」 O 「それでセントルイスからニューヨークに出てくる。ジュリアードに入るっていうのを言い訳にして」 K 「言い訳だよね。”入る”って言って」 O 「ニューヨークに来て」 K 「学校には行かない」 (笑) O 「で、すぐ中退して」 K 「すぐ中退。で、とにかく”バードはどこだ!”と電話して」 O 「(笑)」 K 「で、まんま行くんだよね」 O 「そうです」 K 「これチャーリー・パーカーが、どうして採用したかということが微妙なところですよね」 O 「この話は面白いんですよねえ。まさにゼミのようになってしまうから・・・まあ後で出来たらやるぐらいの感じで」 K 「出来たらやるぐらいでね。まあ金づるに出来たっていうのが」 O 「まずそれ!(笑)」 K 「まずそれ(笑)」 O 「いきなりマイルスのアパートに転がり込むからね」 (笑) O 「この人、住所不定・無職みたいなもんだからね」 (笑) K 「本っ当なの」 O 「本当なの。ひっどい生活なんだから(笑)」 K 「歴史を変えた人ですけど、まあ、社会的な人格としては糞以下ですからね」 (笑) K 「自分を頼ってやってきた19歳の青年に金たかっていくわけですからね」 (笑) O 「これ半年くらい一緒にいてさ、金出してやってたんでしょ」 K 「そうそうそう(笑)」 O 「親父からいっぱい金もらってさ、全部・・・」 K 「パーカーに回して」 (笑) O 「パーカーはそれでドラッグ喰らっていたと」 (笑) K 「パーカーはヘロインやってましたね」 O 「(笑)」 K 「当時、ビバッパーがどうしてヘロインにはまっていったか、なんて話も昨年やりましたから、それはまあとりあえず置いといて」 K 「まあ大天才がいると。破滅的な大天才がいて、マイルス・デイヴィス19歳。キャリアのスタート時には、その当時の・・・トップですね」 O 「トップ」 K 「トップ。トップって言ってもこれ、商業的なトップじゃないですよ。これはちゃんとイメージしてください。たとえばね、ヒットチャートの一位を獲ったっていうトップとかじゃなくて、この時期のジャズ界のトップね。しかもビーバップっていうのはまだアンダーグラウンドで評価が定まっていなかった」 O 「そうそうそう」 K 「音楽家の中では”この音楽が凄い”ってことになっていたというものですね。”アート”ですよね、簡単に言うと」 O 「そうですね」 K 「アート界のトップと言っていい」 O 「アンダーグラウンドで、しかしそれがその後50年ぐらいかけて、完全にアメリカの文化になっていくっていうのは、ここにやっぱり凄い力があったということですよね」 K 「そう。つまり当時はまだアンダーグラウンドであったけれども」 O 「マイルスが来るものやっぱりこの時だし、パーカー的なやり方が非常にパワーがあるっていうことで、50年代が進んでいく」 K 「進んでいく。ここにまあ、総てのビッグ・バンがあると言っていいでしょうね」 K 「ビーバップっていう音楽がそれ以前、これはモダン・ジャズ、現代ジャズという風に言われるわけだが、現代ジャズの前項段階として存在する前近代ジャズ、つまり”プレ・モダン・ジャズ”ね。それとビバップの違いは、教科書としての去年の講義録を読んで頂ければ嫌というほど書いてありますけれども」 O 「大事なのは、マイルスのキャリアのスタートが、そういったモダンのスタートと同時にしていると」 K 「そうですね。ビーバッパーたちはプレ・モダンから入って行って、それでビーバップ革命というのを起こすのね。で、マイルスは田舎の素人の若者から、起こってからの革命運動に参入するところから始まっていく、というストーリーがありますね」 O 「じゃあ”Scrapple from the apple”聴いてみましょうか」 K 「はい」 ♪ Scrapple from the apple / Charlie Parker K 「はい。非常に、一番重要なことは、これはまあ音楽、ジャズ以外のことを含めて総ての、楽器を演奏するという音楽の形態の中で、楽器が上手いかどうかっていうことがあるね。それはひとつは、客観的に見て上手いと言われるかどうかという問題と、主観的に自分は下手くそだと思っているかイケてると思っているかという二つの問題があるんだけど、マイルスがこの当時自分のプレイをどう思っていたかということが、非常に微妙なんですよね。で、いろんな立場があります。一番多い立場は、マイルスが下手くそだったという立場なのね」 O 「この時期ですね」 K 「これ批評的にですよ。批評的に、マイルスは下手だったという。もっと極論すると、ビーバップというのは非常に技巧的な音楽なわけです。まあ音楽の細かい技巧の話まですると、ここが音楽学校になってしまうので出来ないんだけど、ジャズがこの後モダン・ジャズとなってかなり永らく命を何十年か保つんですけど、器楽として演奏する演奏難易度という意味において言えば、ビバップというのは未だにね、おそらく最高の位置にある、という言い方ができる。演奏難易度という設定自体も難しいんですけど、かなり俗な言い方でも、ビバップの演奏難易度というのはかなり高い。で、マイルス・デイヴィスはビバップに挫折した、という説が多いんだよね」 O 「そうですね」 K 「挫折したおかげで、ビバップ以外の音楽を作っていかなければいけないというね。すごく簡単な話ね。いま流行っていることが出来ないんで、自分は自分だけの新しいものを作って出し抜いてやろうっていうような」 O 「挫折したと言うよりも、”パーカーみたいには出来ない”っていうことだよね」 K 「ビーバップの初期の人たちっていうのは、周りに挫折者を生んでいくんだよね」 O 「そうだねえ」 K 「もの凄いかたちで。エピゴーネンと挫折者を量産していくような形になるんだけど。それは天才の所業の殆ど・・・まあ当人達はどんどんヘロインやってどんどん死んでいくんだけど。周りはだから、天才集団ですよね」 O 「そうですね」 K 「そこに放り込まれた。それで毎日カルチャー・ショックを受けるような、毎日アドレナリンが出て瞳孔開いてるような暮らしをマイルスは経験するんだが」 O 「自叙伝でも、この時の話が一番多い」 K 「自叙伝の厚さがこのぐらいだとして(指で示す)、この人46年間あるわけだから均等割りするとさ、ビバップの時期ってこんぐらいでしょ?いかにこの時代が彼にとって烙印の多い時代だったかということが、自叙伝読むとわかりますよね。何年代に関する言説が多いかということね。一番少ないのが意外と60年代だよね」 O 「そうだね」 K 「ビバップの時期の事はすごい精緻に話してて、60年代ポンポン飛んで70年代ポンポン飛んで、復活する話とかね(笑)」 O 「じゃあもう一曲だけ」 K 「そうだね」 ♪ Charlie Parker + Miles Davis ■ 25-5 パリ K 「今の、たどたどしいトランペットのソロがマイルスね。この、たどたどしさがね(笑)、 伝わるかどうか微妙なところですけど、もっとどんどん比較すれば判ると思いますが。まあこれは、一 つはグリーン・ボーイだったということがあるんですけど、でもグリーン・ボーイの時はグリーン・ボーイのままで怖いもの 知らずというかね、わけわかんないまま吹きまくる人だっているわけで、でもここでのマイルスは無力感というか 、そんな気持でいっぱい。非常に青春を感じさせる(笑)、青春の無力さを感じさせる演奏ですよね。これは何年ですか?」 O 「47年・・・かな」 K 「戦後しばらくして、という感じですね。これは、まあビーバップという音楽で、その前のスイング・ジャズに比べて一つの大きな革命でもあるビバップ革命。その発端であり推進者でもあるチャーリー・パ-カーのバンドで、なかなかたどたどしいソロを取りつつも(笑)、リーダー作の第1作を作りますね」 O 「リーダー作であり、実質のリーダーバンドですね。今後マイルスは常に自分で周りを仕切っていて、ようするにマイルスはずっと・・・」 K 「スター指向ですね」 O 「そうですね。俺のバンドだ、っていう。コルトレーンだって、最初はマイルスのねえ?」 K 「そう」 O 「このマイルス・バンドのメンバーでしたからね」 K 「ようするに、トップじゃなきゃ気がすまなかったんですね。強い自尊心。まあその自我はやがて音楽の面からじゃなくて(笑)、権力による暴力、警官に殴られるという」 (笑) K 「事態を経て、ボクシングを始めることによって、上半身裸という」 (笑) K 「天才ですらそういった事を味わっていくわけね。それがまあこの裏テーマというか」 O 「黒人史としてもね」 K 「そう、2重3重に、そういったことを味わっていく。天下獲ってもね。逆に言えば、天下獲ったろう!って上がろうとするからこそ、 そういう妨害に遭うとも言えるんだけどね。何せ黒人であるし、チビであるし」 (笑) O 「声は潰れちゃうしね」 K 「声は潰れるしね」 O 「そうやってこの『クールの誕生』が登場するわけですが、これはもう出たとこ勝負みたいな」 K 「そうそう」 O 「9重奏です」 K 「9人編成」 O 「アレンジの中でやっていこうと」 K 「簡単に言うと、アドリブじゃなくてサウンド・デザインね。即興というよりも、ファイン・デザインで作り込んで、つまり出し抜こうとしてるわけね」 O 「アンサンブルの方で行こうと。俺は、と」 K 「まあ現在でね、たとえば”ドラムに転向したら大成功”とかね。”ギターでソロ上手く取れないんで歌唄ったら大成功”とか、事後的に考えればマイルスだけがやってることではないんだけど」 O 「マイルスの場合はしかも、諦めてるわけじゃなくてね、パーカーの隣でバップ吹きながらもこういったことを同時に進めていくんですね。この後でも、オーケストラ作品を一枚出すのと同時に、革新的なアルバムを一枚必ず出したりね。そういう歴史がコロムビア時代にも」 K 「まあ、双子座のミュージシャンですよね。双子座のB型っていう」 O 「そうですね(と、菊地氏を指す)」 (笑) K 「俺もそうなんだけどね。なんか落ち着かないというような(笑)。まあこれには、父子関係、母子関係っていうこともあると思うんだけどね」 O 「んん、それはもうアメリカ行かないとわかんないよねえ」 K 「そうだねえ。でも、お父さんに誉められたい感じはあるよね」 O 「じゃあ聴いてみましょうか」 K 「音楽はファイン・デザインして、自分はクールであるというね」 ♪ 『クールの誕生』より K 「まあこんな感じですね。今パッと聴いてわかるけど、ベースが4ビートでランニングしてるのと別に、チューバ。ようするにベースと同じ音域のチューバが対位法的に同時に動いてるのね」 O 「こっち聴いてみましょうか。クロード・ソーンヒルの」 K 「あーいいですね」 O 「ギル・エヴァンスという人と作った、この絡みながらのアンサンブルを聴いてみて下さい」 ♪ K 「今聴くと、普通に人がいっぱいいるなーっていう感じかもしれないけど」 (笑) K 「当時のビーバップみたいにバトリングしていたところにこれがぶつかると、相当クールなわけ」 O 「しかも、バップのエネルギーを失わないまま」 K 「マイルスは、生涯を通じて、まあ一瞬熱くなるんだけどね」 O 「そうだね」 K 「一瞬だけガッてロックみたいになるんだけど、それを除くと一貫してクール。ガッて熱くなるのはさ、チビがそれやるとみっともないよね」 (笑) K 「大男がしたら凄いけどね、小男がやるとダダこねてるみたいですからね」 O 「ダイナマイト・キッドがいるじゃないですか」 K 「あの人はドSですからね(笑)。チビがドSになることもありますからね。でもあれは暴れ回るわけじゃないからね。ある意味クールでしょ。極端なだけで・・・って、何でダイナマイト・キッドの話題に自然に流れてるんだ!」 (笑) O 「で、この後この人は、パリに行きます」 K 「そう、パリが非常に重要なキーワードというか」 O 「そこで手厚い歓待を受けて、帰ってきたらアメリカの現実に直面して、ドラッグ地獄へと行ってしまうんですが」 K 「このパリとアメリカの文化的な関係っていうね、それはもう20世紀の初頭からあるわけなんですけど、これが戦後のサブカルチャーにまで及んでいて、ちょっとここだけ話ずれますけど、僕『UOMO』っていう雑誌に書いた文章でウッディ・アレンの新作について書いたんだけど、『さよならさよならハリウッド』っていうね」 O 「ああ」 K 「あれは、結局パリが芸術を評価しちゃうと。これネタバレなりますけど、あるきっかけで目が見えないまま撮っちゃった映画をアメリカでは酷評されるんだけど、パリの新聞が偉い評価して(笑)、フランスへ逃げ延びるっていう映画なんですけどね」 O 「へえ」 K 「アメリカで凄いワイルドな映画を撮っても、それをパリの人が見ると”とても良い”ということになる。同じように当時も黒人がね、セックスと暴力、エレガントでズートスーツ着ているような黒人ジャズメンが、パリで一番イケてる人ってことになる」 O 「しかも差別がないので」 K 「天国の日々っていうね。その辺は、マイルスの自伝にも克明に書いてありますね。パリがいかに、ある意味甘やかしてっていうか(笑)、いい思いさせたかっていう。あと恋愛しちゃったりね」 (笑) O 「ジュリエット・グレコっていうのが凄いよね(笑)」 K 「味濃いよねえ(笑)。ジュリエット・グレコっていう女優さんと付き合ってたんですけど、しかもこれ、自叙伝読むとわかりますけど、あんまり言葉通じてなかったっていう」 (笑) K 「それ、ある意味六本木のブラ下がりじゃないかっていう気もしますけどね」 (笑) K 「まあこれだけいい思いすると、ジャズメンの中にはそのまま永住しちゃうっていう人もね」 O 「ケニー・クラークとか」 K 「いますよね、もう帰らないッ!ていう人。インド行って帰って来なくなっちゃう奴とかさ」 (笑) K 「イビサ行って帰りたくないとか(笑)」 O 「でも、アメリカに戻るとまた元の現実が待っていて、それでマイルスはドラッグ中毒なっていく」 K 「あらゆるドラッグをやって」 O 「しかもこの頃、バップから始まった当時のモダンジャズが、徐々に認知されるんですね。で、どうやらその波にマイルスは乗れてなかったんじゃないか、ドラッグやってる間に出て来れなかったんじゃないかっていうのがありますね」 K 「最初アンダーグラウンドだったのがね」 O 「そう。そこで持て囃されたのが、白人ジャズで、西海岸のチェット・ベイカーなんかで。マイルスとすれば、あいつら俺がやってたことやってるだけじゃないか!と思いながらも、自分は出て行けないっていう」 K 「いま僕らが聴くスムース・ジャズっていう、アーバンなね、日本で言うとケイコ・リーとかさ、あとあの、ト、トク?とかさ」 (笑) K 「トクって。”おじいさんじゃないか”っていう気も」 (笑) K 「するんですけどね。アルファベットだと気付かないけど、トクですからね。ハナ、とかさ。いいんですけど」 K 「で、マイルスとしても、それは俺のエピゴーネンじゃないか!!ってカマせればいいんだけど、カマせない。体が本当にボロボロですから」 O 「ようするに、マイルスなんかのそれを白人がソフトにしたもので市場を得て、ジャズはマイルスやチャーリー・パーカーを抜かして大きくなっていくんですよねえ」 K 「レコード業界的にね」 O 「そう、世間的に。やっぱり当時は、黒人の文化は認められない、と言うのが基本的な部分にあって。アメリカでは」 K 「パリなんかだとね、バーバルな、なんて言ったらいいかな」 O 「ボリス・ヴィアンとか、ある種の原始性に対してロマンチックな見方があって」 K 「まあパリから見たアフリカの距離感とかね。いろんな極端な・・・」 O 「エキゾチズム」 K 「エキゾチズムとかね。あんなバーバルだけど凄いクールで知的だよ、みたいな。哲学的な中にあってデカチン振り回して大暴れ」 (笑) K 「こんなカッコいい奴らはいない!って言って、非常に称揚されるわけ。それは未だに、ボリス・ヴィアンから続く批評軸に残されていて、彼がいかに黒人ビバップの為に闘っていたか、とかもあるんだけど」 O 「まあそういうことも経て、マイルスは50年代後半から60年代を前にして、大手のコロムビアという会社と契約します」 K 「当時はもう、”大コロムビア”ね」 O 「そこで劇的な復活があって、そのあたりからマイルスの、モダンジャズの中での位置が確固たるものになっていきますね。・・・ちょっとじゃあ、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』を聴いてみましょう」 ♪ ラウンド・アバウト・ミッドナイト O 「1956年。56年のことを思いながら聴いてください」 ■ 25-6 完成 K 「これが、マイルス・デイヴィス起死回生の一打っていうか、白人に搾取されたりいろんなことを経ていく内に辿り着いた、ひとつの到達点ね」 O 「自己発見」 K 「自己発見。もうこれが、モダン・ジャズ、あるいはマイルス・デイヴィスといった時のイメージ原型になっているのね」 O 「これがね」 (モニターに『ラウンド・~』のジャケット) K 「はい。ジャズ史上、もっとも多く上半身裸になったのと同時にですね」 O 「(笑)」 K 「もっとも、耳に手をあてて、外界の雑音を聞くまいとするポーズをよくとるのね。これも一種のイコニズムとして研究して欲しいところなんですけど」 O 「(笑)」 K 「実存主義的なね。ミュージシャンなのに(笑)、耳に手をあてているという」 (聴きながら) K 「まあ要するに、スイング・ジャズの遺伝子がまだ残っているんだけど、一方ではゲーム的な音楽を完全に脱却しているのね」 O 「ある種のエモーションを獲得しつつも、しかもビバップのエネルギーも消えていないし、その上アンサンブルもを成立させて」 K 「体調も絶好調だよね」 O 「そうですね」 K 「この人はドラッグ中毒になっては生還し、かと思ったら交通事故に遭ってとか(笑)、ボロボロになって元気になってっていうね。”今回元気いいな”とか、”今回死にそうだぞ!”とかなっていくんですけど。でもこのあたりで自己イメージの確立。自分の行くイメージが定まったという」 O 「定まった。と同時に、この頃から後に出てくるスター候補生を自分の脇に配置して」 K 「用心棒のようにですね(笑)、自分がボスでっていう状況を作っていきます」 O 「しかも用心棒って言っても、若いね」 K 「そう、ポッと出の新人を脇に置いてビビらせてっていう。これはもう・・・”撹乱者”ですよね。”なんなんだあの人は!”っていう。まあ晩節を汚すっていうか(笑)、後にスカウトの目がだんだん衰えてきて、自分の甥っ子を入れては失敗した!と思ってクビにするとかね」 (笑) K 「ありますけど、当時はスカウトの目が冴え渡っていて。新人でも才能があれば平気でチョイスするっていう」 O 「それで自分は堂々とボスとして振舞うという、そのスタイルが出来たのもここからですね。そして、50年代後半から60年というここから、モダン・ジャズというものが大隆盛時代を迎えます」 K 「商業的にも音楽的にもね」 O 「凄くいい作品がどんどん出てくるんですが、今日はなるべく最後まで行きたいので(笑)、そういったものを急いでかけていきます」 K 「『カインド・オブ・ブルー』に行きましょうか」 O 「行きましょう。今日はね、ウチで見つからなかったのでTSUTAYAで借りてきましたよ」 K 「(笑)」 O 「ぜったい、菊地さん家にあるんだよね」 (笑) K 「ウチは『カインド・オブ・ブルー』、4枚あります(笑)。一枚、大谷君のだよね」 O 「いや、二枚俺のだよ」 (笑) K 「そうですか(笑)、すいません。一枚ケース割れてますけどね」 K 「これはジャズのオールタイムベスト10、という企画をやれば必ずそこに入るであろう名盤です。これはね、スタイルの変遷という意味で言っても、ようするにビバップの頃の曲なんていうのは、踊れそうな気さえするじゃない?バトリングとかユーモアとか言って。でもこの頃になるとバトリングの要素が消えていって、個人主義的な内的美学が完成されていく」 K 「黒人っていうのは二つあって、怒れば怒るほどジャイヴトーキング、ダーティ・ダズンといった吐き出す方向に行く人と、溜めて溜めて沈黙で表現していく人とがいるんだけど、マイルスは後者としてその凄みといったものに結晶していくんだけど」 O 「チャールズ・ミンガスは前者ですね」 K 「前者はね(笑)、怒るとライフル撃ちますからね」 O 「斧持ってきちゃう」 K 「ジャイヴ・トーキングでさえありません」 O 「(笑)」 K 「武器を持ちます。じゃあ、『ソー・ワット』行きましょうか」 ♪ So What (イントロを聴きながら) K 「ダーク且つクール。なるべく運動を減らしていくね」 K 「もうちょっと音量上げようか」 O 「はい」 (テーマ始まる) O 「ビバップと比べて、どれだけ違うかっていう」 K 「どれだけ違うかってね」 O 「同じ人がやってますからね」 K 「コード進行も取っちゃうのね」 O 「普通の歌謡曲とかの歌モノにはあるんだけど」 K 「これはブルーズにも関係してくるんだけど、この後ファンクやフリー・ジャズに枝分かれしていく萌芽がここにあります。と同時に、バッハなんかに代表される、”和声が美しいなー”っていうコード進行を使った作曲というものを、こっからやめちゃうのね」 O 「この話、あとでまた丁寧にやります」 K 「聴きましょう」 O 「音で聴くっていうね」 K 「これはそういう、モードの実験が成された名盤ですね」 O 「じゃあ次は・・・」 K 「もう『ネフェルティティ』ぐらい行きましょうか」 O 「その前にこのあたりを」 K 「『フォア&モア』ね。『フォア&モア』だと何聴く?あ、”セブン・ステップス・トゥ・ヘヴン”?」 O 「そうですねえ」 K 「これも耳塞いでる」 O 「これも塞いでる」 K 「これ、ムンクの叫びだと思うんだけどね」 O 「あ、俺もそう思う」 K 「結構ね、そういうのがありますからね」 ♪ セブン・ステップス・トゥ・ヘヴン (『フォア&モア』) K 「まあ、こんな感じです。この時は全員新人です。新人っていうか、若い。この時トニー・ウィリアムスが17歳(笑)」 O 「見た目が若すぎるから髭生やさせたっていう」 K 「そうそう!(笑)」 O 「まあゲイですけどね」 (笑) K 「この時はそういう、びっくりするような新人、若者で固めて自分はいい感じで吹きまくるっていう、マイルスがある意味一番輝いていた時期です。この曲は『天国へつづく七つの階段』っていう元々ある曲をやっているんだけど、アレンジは全く別物。ここでね、具体的な楽理の話ができないのが申し訳ないのですが、この後の4枚ぐらいのオリジナル・アルバムになるとそういうアレンジの妙っていうのがもっと凄いことになる」 O 「次に『ネフェルティティ』という、まあ『ネフェルティティ』の前に何枚かあるんですが・・・」 ♪ ネフェルティティ K 「時あたかもベトナム戦争勃発のね、もう右を向いても左を向いてもアメリカが真っ赤」 K 「この、まあ先に言うとぶっちゃけここから、裸ね」 (笑) (モニターに『ネフェルティティ』ジャケット) K 「今売ってる、それこそ月刊『PEN』でそれ言ってますからね。これが何に見えるかというと、黒人奴隷」 (笑) K 「クンタキンテ。首に、鳥なのか何なのか象ったものをブラ下げてますよね。これで何らかのネイティビティを示しているという・・・ しかも非常にマイルス、なんか不機嫌です」 (笑) K 「まあそんな話の面白さで音が・・・」 (笑) K 「音が聴けなくなりますけど、この曲は一切アドリブがないですね。もう少し長い演奏なんですが・・・あと2分50何秒ありますのでまだ聴けるか。この音が延々続くだけで、ただドラムだけ凄いことになっていくっていうね」 O 「バッキングがね」 K 「バッキングがね。明らかにファンク前夜の、バリバリ周回していく構造ですが、ここに怒りが込められているわけです。一番アメリカの世相がヤバいこの時期にこうしたものを作ったという、非常に才能のある人ですね。あとは、『フォール』とかない?」 O 「『フォール』あるよ。『フォール』は・・・」 ♪ Fall K 「これね。もうちょっと音大きくしましょう」 O 「これもまあ、グルグル回す感じの」 K 「グルグル回していく」 (しばらく聴く) O 「まさにアコースティック・ジャズの」 K 「完成形ね。”フォール”っていうのは、葉が落ちるといったイメージも勿論ありますが、同時に追悼的な意味もありますね。と、言ったときにじゃあ誰を追悼しているのか、といった問題もあるわけですが」 O 「まあ、コルトレーンだよね」 K 「コルトレーンだね。かつて一緒にバンドを組んだコルトレーンが死んで、その追悼をしているという説が有力なんですが」 K 「これはもう、ある種のアコースティック美学の結晶ですよね。ベースがランニングして、その上をただ旋律が流れているだけ。作曲志向というか。ただあんまり言われないこととしては、こんなにゆっくりな曲なんだけど、じつは非常に緻密なポリリズムが畳み込まれていて、この後に来るエレクトリック・マイルス期なんかに比べても、じつはその緻密さ複雑さというものが遥かに高いのね」 K 「こうやって、もうね、この時はあの何つったらいいのかな、すぐ後にロックっていうものがやって来て、ジャズを根こそぎブッ殺して天下を獲ろうっていう時代で、マイルスは必死に抵抗したの。それで出来たのが『ESP』『ソーサラー』『マイルス・スマイルズ』っていう、これは完全アコースティック時代の最後です。ここから、エレキベース、エレピといったものが入ってきて、電化マイルス。まあいわゆる、エレクトリック・マイルスの時代ですね」 K 「エレクトリック・マイルス聴こうか」 O 「どっちから行こうか、『ビッチェズ・ブリュー』と『1969』」 K 「『1969』聴こうか」 K 「あと何分?やっぱりね、一回じゃ無理だったね。もうこの辺までっていうのは、何せ楽器が変わらないから、どうしても話がアカデミックになるのね。それでわかりにくい部分もあるんだけど」 O 「でも丁寧にやれば絶対わかる」 K 「わかるわかる、でもダイジェストじゃ無理だよね。それがこっからはね、明らかに見た目から変わるから(笑)、バカでもわかる」 (笑) ♪ 1969 (激しい) K 「もうこれ明らかにね、ロックを意識してるよね。ロックが出てきたのを見て、”俺だって出来る!”っていう」 O 「”俺の方が凄い”っていう(笑)」 K 「そう(笑)、”俺だって”っていうより”俺の方が”だよね。もうちょっと聴いてみましょう。このアルバムもまあ・・・」 ♪(もうちょっと聴く) K 「この2年前にジミ・ヘンドリックスが出てきて、あらゆるラウドなものが出揃うわけね。・・・さっきのドラムとか聴くとね、初期のエクスペリエンスの感じと似てるよね」 (他の曲も聴く。結構、アコースティック風のものも含まれている) O 「でもまだ、エレクトリック移行期って感じだね」 K 「この時期はまだ、キメラなんだよね。半分エレキで半分アコースティックっていうね。これから総てエレキになって、最後にはDJと一緒にブレイク・ビーツで死んでいくっていうね」 (笑) (モニターに当時の服装などが映る) K 「半分ヒッピーです」 (笑) K 「頭はジャズだけど、服装だけヒッピー(笑)。この後アフロヘアになりますからね」 ♪ K 「結構面白い時期なんですよね、そういう意味では」 (モニターにマイルス。上半身裸) O 「また脱いでる」 (笑) K 「こういう感じね。まだ中途半端なマイルス。ウェイン・ショーターは早い時期に変わりますけどね」 (モニターの写真を指して) K 「あと、ここにプーさんがね、寂しそうに立っていますが」 (笑) K 「『サークル/ライン』の作曲者である菊地プーさんなんですが・・・・・・なんで寂しそうなんだろう?」 (写真の中には、マイルスの後ろで松葉杖で立ってこちらを見つめる菊地雅章氏) K 「まあ今日はこんな感じでね。早めに終わりにしましょう。次回は完全にエレクトリックになっていくマイルスを聴きます」 O 「とりあえず、どんどん音を聴いてね」 KO「はい、おつかれさまでしたー」 ■ 25-7 註と余談 さて、以上をもってようやく、今年度菊地ゼミ・4月14日初回講義分講義録の初稿が総てアップされました。 90分の授業とはとても思えない濃密な内容をお楽しみ頂けましたら幸いです。尚、後半が少し駆け足となってしまい、不正確な部分が散見されるのですが、修正補完は随時行って参りますのでご了承下さいませ。
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