talking with Kikuchi Naruyoshi


 2003年2月に行ったインタヴューです。
 当時ぼくCRJ-tokyoって団体に参加してまして。それはぼくの身勝手でその後すぐ退いちゃうんですけど、ちょうど在籍中に渋谷on air nestのアニヴァーサリー・イヴェントにCRJが協力する運びとなり、スパンク・ハッピーに出演を交渉し、成立したついでに当日会場で出演アーティストへのインタヴューを掲載したフリー・ペーパーを配ろうっつって録ったのがこれです。

 何しろ菊地さんはいっぱい喋るんで、フリー・ペーパーに掲載できたのは紙面の都合上・以下のテキストのたぶん1/4程度と思います。かといって、じゃあこれを「完全版」と呼んで良いか? というとそれも違くて、これでも約2時間のインタヴュー中、30分ぶんくらいでしかありません。
 テープはすでにぼくの手許になくって、だからこれ以降の部分をリクエストされても申し訳ありません無理なんですが、これだけでも今読んで足る内容はそれなりに備えているな。と判断し(「swim」や「fontaine/degustation」、或いは他紙の記事などですでに語られているエピソードも多いので、インタヴューとしての希少性は特別ないかもしれませんが)再録することにしました。

 以前まで菊地さんの了解を得て転載させてもらっていた内容を、1年後の今読み返して違和感のないように若干の修正と補足を加えカスタムしてあります(が、内容は同じです。当たり前ですけど)。



Spank Happyという名前には、何かモチーフがあるのですか?

 あのね。スラップ・ハッピーっていうバンド知らない? 有名なバンドなんだ。スラップ・ハッピーっていうバンドがあって。まぁ、みんな(※1)は知らないよね。70年代のバンドで。ドイツ人の・・・なんて説明したらいいんだろう、かなりオルタネイティヴな音楽で。ポップスじゃないんだけど・・・歌を歌う3人組でね。ダグマー・クラウゼとか知らない? 知らないよねぇ。ええと・・・そのバンドから取ったんです。

 (※1) インタヴュアーは、Aさん(女性)。Hくん(男性)。ぼく(ツチヤ)の3人でした。以下、その名前が引かれる箇所が幾つかあるので参考までに。

 スラップっていうのは、頬を張ること。ハッピーっていうのは、アメリカ・・・っていうかね。まぁ大きく英語圏全部のスラングで「中毒」とか「幸福」っていう・・・だからスラップ・ハッピーっていうのは、パシンって女の子とかに張り手をされて、ニッコリする中毒みたいな。幸福みたいな意味なんだけど。そのバンドは有名なバンドで、70年代から・・・えっと確かね、一昨年くらい再結成したんだよ(※2) 。で、日本でツアーやったりしたんだけど。

 (※2)正確には1998年で、このインタヴューの5年前。再結成して20数年ぶりにオリジナル・アルバム「サ・ヴァ」を発表。

 スパンクってのはお尻を叩くこと。スラップってのは顔を張ることで、スパンキングっていうのはお尻をこう・・・叩く。で、そのモジリですね。まぁでも音楽的にはなんの関係もないよ。聴いたらわかるけど・・・すごく暗いバンド。すんごく暗い。

ストーンズみたいな?

 うーんと・・・いや、もうちょっと違う。あのねぇ、クリス・ペプラーとか、ああいうリコメンデッド系の人たちの、もっとアート的なさ、ヨーロッパの退廃と絶望を中心としたアート・フォークみたいな人たち。それがスラップ・ハッピー。今はスパンク・ハッピーも若い人たちが聴くようになったから、誰も・・・皆さんのようにですね・・・って知らないんだけど、ぼくと同世代の奴はみんな知ってる。「あ、スラップ・ハッピーの」って。

 そういうのいっぱいあるんだよね。例えばさ、「笑点」って番組あるじゃない。なんで「笑点」っていうのかわかんないでしょ? あれねぇ、あの番組が始まった60年当時に、「氷点」っていう小説がメロ・ドラマになって流行ったんだよ。それのパロディなの。で、今はもう笑点がずっと続いてるから、氷点のこと誰も忘れてて、誰も笑点について疑問をもたないでしょ? それと同じで。

 スパンク・ハッピーがデビューしたのが95年なんだけど。今とメンバー違う2人で。その頃はみんなに言われた。「スラップ・ハッピーと関係あるの?」って。でも、もう誰も言わなくなったよね。

やっぱりそれは歳の差っていう・・・。

 そうそうそう。どんどん若い人向けになってるからね。95年・・・いや、94年かな。前のメンツでね。もう10年くらい前か・・・知らないでしょ? 知らないよね。岩澤(瞳)になってからしか知らないでしょ。

岩澤さんとはどういうふうに出会われたんですか?

 岩澤はねぇ・・・98年に、前のスパンク・ハッピーのメンバーがみんな辞めるのね。ぼく1人になっちゃって。で、まぁ、ヴォーカル探さないといけないじゃないですか。それで公募をかけたんですよ。当時ぼくサイトをやってて・・・それはずっと去年までやってた(※3)んだけど。今はやってないですけど(※4) 。そのサイト上で公募をかけたんですね。98年の暮れにかけたの。

 (※3) 「Groove ID」~「swim」。2002年12月末を以て終了。
 (※4) その後、新たに「fontaine/degustation」を開設。2003年10月~(継続中)。

 98年っつったらね・・・98年だったら覚えてるでしょ? 何年前? 5年前か。時まさにね、モーニング娘。に後藤真希が入るときだよ。要するにASAYANが全盛期で、公募によってタレントになりたい子がオーディションに来るっていうのが社会現象になってたような時期。ま、今もあるけど。モーニング娘。とかで細々と。その頃はもっと激烈で、あの・・・「デビュー=オーディション」みたいなさ、こう・・・ASAYANがつくってた時期で。だからいっぱい食いつきがあったの。すっごい人がいっぱいきて。何人くらいだったかな・・・軽く100人くらい会ったと思うけどね。

 岩澤は一番最初に来たの。東京ザヴィヌル・バッハの坪口(昌恭)っているでしょ。デートコースペンタゴン(・ロイヤルガーデン)もやってるね。あいつの、当時の彼女の友達だったんだよ岩澤が。だからね、ぼくが坪口に「スパンク・ハッピーで今ヴォーカル探してるんだよ」って言うじゃないですか。そうすると彼女がさ、「私の友達で歌手になりたい人がいる」とか言って。それで岩澤が来たの。だけど、会ったばっかりのときはね・・・なんていうかな、今でこそほら、スパンク・ハッピーはもう瞳ちゃんで、彼女にぴったり合ったような音楽をやってるわけでしょ。だけど前のスパンク・ハッピーは・・・聴いたことないと思うんだけど、全然違うわけ。もう全然違うんだよ。前のファンが、今のスパンク・ハッピー聴いてみんなげぇって吐いたっていう・・・(笑)。「なんだこれ」っていう(笑)。うん、もうみんないなくなった。そのくらい全然音楽違うから。

 最初はね、まさか瞳ちゃんと一緒に音楽やるとは思わなかった。当時彼女まだ19で・・・子どもで、右も左もなんにもわかんなかったのね。まぁ今も、右も左もなんにもわかんないんだけど(笑)。それで・・・まさかこの子とやるとは思わなかった。可愛すぎるし、顔が。で、歌い方がエイベックス・ノリだったんだよ。華原朋美が好きで。「歌ってみ」って言ったら、華原朋美そっくりだったの。それでね・・・これはダメだ、と。「キミ、場所間違ってるから。ぼくんところじゃなくてね、普通のオーディション行きなさいよ」って言って。「帰んな」って言って、一回帰したわけ。

 その後いろいろ、1年くらい探したんですよ・・・で、やっぱり決定打が見つからなくて。そのうちにね、だんだんだんだん気になってきたの。一番最初に来た瞳ちゃんのことが。「やっぱりあの子でいいのかな」って思うようになってきて。それで、1月にオーディションして、決まったのが・・・8月。だから結局、半年以上彼女は断ってて。で、最終的に彼女をまた呼び戻して。それで歌い方を変えさせてね、今の歌い方に。今、全然華原朋美じゃないでしょ(笑)・・・最初のデモ・テープとか聴くとね、笑うよ。あれはもう歌パロだと思うけど、そっくりなの華原朋美に(笑)。声もデカくてさ。今の、あの感じじゃないんだよ。

音楽を岩澤さんに合わせてるっていう話でしたが、それは岩澤さん自身の雰囲気ですか? それとも彼女の内面のイメージですか?

 うーん・・・まぁ、内面と外面はね、一緒だから。一面的には乖離してるけど、本質的には一緒でしょ。ぼくがその・・・なんていうかな・・・フロイディストでさ、精神分析的な人間だから、会ったらまずその人の内面というものを見るわけだよね。それで・・・彼女はすごい特殊な人だからさ(笑)。まぁ見ててわかると思うけど。普通の人じゃないよね(笑)。どう見てもね。

 普通の人じゃない人のほうがわかりやすいわけ。普通の人ってあんまりわかりづらいでしょ・・・普通にスクスク育ってきた人がどんな人かって「普通だな」ってだけで。変わってる人のほうがわかりやすいよね。瞳ちゃんはさ・・・まぁ簡単に言うと変わってるわけだよ。変わってたから、すぐどんな子かわかったわけ。で、俺はこういう子で・・・こういう内面だから外見をこうしてるな・とかさ。そういうこともあるわけじゃないですか。そういうのを全部考慮に入れて、彼女がタレントとして無理なくやって、一番魅力的になるように・・・っていうことをプロデューサーは考えるわけだよね。そういうことを考えるのがプロデューサーでしょ。で、考えたわけ。その結果・・・2人で歌おうってことになって(笑)。

 前のスパンク・ハッピーでぼくは歌ってないからね。作詞作曲して・・・後ろでこう、よくいるじゃないですか。ヴォーカルの女の子が歌って、こっちでこんな(演奏)やってる人。そういう人だったんで。だから昔のスパンク・ハッピーのファンがさ、えーと・・・岩澤になった最初のライヴっていうのは99年の、9月かなんかなんだけど・・・クアトロがいっぱいになったんだよ。前のファンがいっぱい来たの。で、みんなね・・・ビックリした。(ぼくが)前に来て、歌って踊ってるから。すげー驚いて。半分以上は怒ってね(笑)・・・怒った。すごく。嘆いた人もいっぱいいる。吐いちゃった人もいるし(笑)。とにかくもう、すごい拒絶反応があったんだよね。うん、そのくらい変わったから。

菊地さんが歌ったのって、キャリアの中で初めてですか?

 前のスパンクスでコーラスとかはしてたけど、あんなにヴォーカルで一緒にこう・・・ダブルで歌うっていうのは初めて。子どもの頃から歌は好きだったよ。カラオケとか、歌は好きだったけど・・・ぼくはサックス奏者だしさ、アレンジ家だから、自分がステージで歌ってお金を取るとは思ってなかったよね。趣味だと思ってて。でも歌うことにしたわけ。あらゆるシュミレーションをしてみて、今の形がいいと。

 最初はみんなね、全然。1人もイエスはいなかったよ。全員ノーだった。「菊地が狂った」って言われて・・・まぁ、狂ってるんだけど(笑)。狂ったって言われて。全員ノーだったけど、ぼくには自信があってね。っていうかプロデューサーってのはそうじゃないとダメなんだけど。そのとき全員がノーって言っても3年後、全員がオッケーになってればいいわけだからさ。そう思ってたから、揺るぎなくて。最初から今の形だった。みんな・・・側近だとかね、いろんな人とかが言うわけ。「これは冗談だよねぇ?」って。「もう変えるよね? 変えるよね?」って言うから、「いや、変えないよ」って。「そのまま・・・そうすればそのうち若い子とかが喜ぶに決まってるもん」って。「嘘、絶対ありえないよ。やめたほうがいいよ」って言われてた。「さすがに間違ってるよそれは」って言われて。

 99年だよ。椎名林檎とかさ、日本のヒット・チャートが一番デスだった頃ね。デスでアッパーだった頃。或いは癒しね。だからスパンク・ハッピーみたいなものはなかった。トミー・フェブラリーがブレイクして、「ほーら、いいじゃんこれで」って言って、みんなに。そんときに文句言ってた奴らが渋々「そうか」って言ってきて。その後1年くらい経つとみんな「やっぱりスパンク・ハッピー最高」とか言い出したりしてさ(笑)・・・「バカだなみんな」って思ってた(笑)。

曲は全て菊地さんが作詞されていて、女性の立場から歌ってる歌詞が多いと思うんですけど。そういう歌詞って「自分が女性の立場になって」ですか? それとも「男性として」ですか?

 それは微妙だねぇ(笑)。ぼくはその・・・まず第一にゲイではないし。ゲイの人だったらね・・・或いはハーフ・ゲイね。性的にゲイじゃなくても精神的にかなりゲイに近い人だったらさ・・・女の子の立場で(笑)書けると思うんだよ多分。移入して。でもぼくはねぇ・・・あんまりないと思うんだよね。難しいんだけど。ゲイってこう、物質的に出てこないでしょ。精神的なものだから。自分がどのくらいゲイかとかさ、難しいと思う。だけど、相当女の子が好きだし(笑)ゲイではないと思う・・・思うんだけど、でもさ。女の子の歌詞は女の子しか書けないっていう世の中でもないでしょ。少女漫画家の男だっているわけだし。スタイリストの男だっているわけで。小説家とか、女のキャラクターを書くわけだよね。だからそんな・・・そういう感じです。

曲を聴いて、恋とかそういう内容じゃないですか、歌詞が。恋愛とか。そういう歌詞なのにいやらしさが全然なくて、すごい綺麗だったのが不思議なんですけど。

 いやぁ、でも・・・やらしい音楽ってあります、だって(笑)? 猥褻な感じがして汚らしい感じの音楽ってそんなにないでしょう?・・・椎名林檎とかのこと? あれは猥褻だよね・・・あれは、エロい・・・よね(笑)。ザーメンとか歌ってるし。かなりエゲツナイわけでしょ。で、そこがいいわけじゃないですか。なんていったらいいんでしょう・・・そんなにね。でもね。椎名林檎を極点に・・・ほんとにいやらしくて汚い音楽って少ないと思うよ。ほとんどがそんなにいやらしくはないわけで。

 ぼくらはフェティッシュなセックスのこととかも歌ってるわけだけども、うーん・・・なんていうかな・・・要するにね、エレガントということが、90年代の末期にはすごく足りなかったんだよね。みんなまだ若いから知らないかもしれないけど、ぼくは40で、大学生の頃・・・みんなくらいのときに80年代だったわけ。63年生まれだから、20歳になったときに83年だよ。高校の一番楽しいときが、70年代の最後だったわけ。で、いよいよ80年代来るぞっていうときに高校だったから、もう全然違うんだよ、時代が。

 ぼくが一貫してスパンク・ハッピーで、最初からね、結成したときから一貫して訴えてることがあって。それはね・・・今・青春の子たちとね、ぼくらが青春だった時代と、あまりのこの・・・この国の格差。最大の格差は経済。まぁ知ってるよね。経済が全然違ったんだよ、とにかく。もうね・・・どのくらい違うって、笑っちゃうくらい違っちゃったわけ。特にバブルが崩壊したと言われた96~7年から後は、笑いが止まんなかったよ。漫画みたいで。「こんなにひどくなるのか」っていう。

 ぼくらが青春だった頃はね、逆の意味で毎日笑いが止まらなかった。「こんなに金が余ってるのか」っていう。84年くらいに、今でもあると思うんだけど、ホット・ドッグ・プレスとかポパイって雑誌あるでしょ。クリスマスになるとデート・マニュアルが出るでしょ、今でも。あれ当時から出ててね、85年のときのデート・マニュアルの平均の予算ってのがあるんだよ。慶応大生は幾ら・とか。それが・・・24万だったんだよ。24万って、今の感覚だと信じられないでしょ?

ありえないですね(笑)。

 ありえないよね。うん、文字通りありえないってやつ。でも当時はね・・・当時の感覚を思い出して言うとね。「まぁこんなもんかな」って思ってたの。「全然こんなもんでしょう」って。それが、その時代の空気だったんだよね。それは・・・狂うよね、人が(笑)。で、81年に、アメリカで初めてエイズ患者が見つかんの。だからみんなね、お金があって、セックスやりまくり。それで、エイズ怖いまくり。あと核兵器も怖くて・・・湾岸戦争ね。だけどお金はうだるほどあったんだよ。このぼくですら20代でね、年間1000万近く収入あった。友達もみんなバイトやったりなんかして、金にピーピーしてる人はほとんどいなかったな。まぁ、いたけどね。早稲田の学生とかさ。苦学生とかいたよ、それは勿論。いたけど・・・もうそこらへんは全然・・・違うよね。なんていうか(笑)。

 今は明らかに、ぼくが見る限り不景気な時代なんだよ。で、70年代なんだよ、簡単に言うと。70年代はインフレの時代で、石油ショック・・・知ってるでしょ? 近現代史やったよね。その頃ぼくらは中学生だったの。小中学生で。「この国はお金が無いんだ」って思ってた。みんなすごい貧乏でさ、すごいイライラしてた。すごくデスで、先行きが不安定だったの。ヴェトナム戦争は終ったけど、国はすごい不景気でさ。ロッキード事件とかっつって、なんか日本の国がすごく・・・金に汚くてダメな感じになってた。で、みんなイライライライラしてた。で、フォークが流行ってて・・・90年代に流行ったものの原型がみんな出てきた。

 ぼく40(歳)だと、6、7、8って見てるわけ。6はぼく63年生まれだから、小学校1~2年まで60年代だった。それが夢の世界だったの。で、70年代が来て、すごくデスになって貧乏になって。で、80年代が来て、キチガイみたいにお金が入って。で、90年代が来たらね・・・これは70年代にそっくりだってわかったの。着てる服もそっくりになってきて、みんなそっくりになってきて、ぼくが小中学校の頃の。いつの記憶が良かったかっていえばさ、おんなじように思ってたんだよ。不景気な時代もお金がいっぱいあった時代も、そこそこ楽しかったし、そこそこ苦しかったの。ただ、もう不景気な70年代のリヴァイヴァルはイヤだって思ったわけ。98年くらいに。だから「これからきっとまた80年代みたいになるな」って思って。

 70年代っていうのがさ、エレガントから最も遠かったの。みんながヒッピーになってさ。こう・・・なんていうかな、チープ・シックになってきて。ドレス・ダウンしてきて。ユニクロみたいなのがいっぱいあってね。それじゃダメだ、と。みんなもっとさ、香水つけたり宝石つけたりして・・・みんな精分みたいな感じになってたらいいんじゃない、って思ったの。思ったっていうか、どうせそれは繰り返されるって思ってて。

 40年も生きてるとね、「あ、これ前見たな」でいっぱいになっちゃうわけ。初めて見るもの、聴くもの・・・珍しいほうが人生楽しいよね。楽しいんだけど、40になるともう白けてくるんだよ。「あ、これ前見た」っつってさ。「俺が小学生んときのあれだ」とかってなってくるわけ、全部が。それで・・・あと考えることは、「次はこれが来るかな」くらいになってくるわけね(笑)。だからそろそろ次はこの国の経済が・・・たぶん当分ダメだと思うんだけど、でも形だけでもね。香水振ったりさ、ちゃんとこう毛皮も着たりするふうになってって・・・ユース・カルチャーの若い子たちがそんなふうになってけばいいなと思ったわけ。もう、その、クラブでさ、ドレス・ダウンして、ユニクロでかっ飛んでさ、ぼくは一方でデートコースペンタゴンでそれをやってたから、それは知ってた。これはもう終りだ、と。で、エレガントにしよう。優雅にして・・・ちょっと嘘ごとみたいに優雅にして、最初はリアリティがないってみんなにバカにされてもいいから、それをやり続ければ、やがてそうなるんじゃないかって。

 だから・・・エロいこととかね。エロいってのはそのフェティッシュなこととか背徳的なことを歌って、エレガントっていう・・・それがスパンク・ハッピーの最初からの目的だったのね。ディーヴァみたいなさ、人生とか、本当の愛とか・・・カッコイイけどさ。そういうことは悪いことじゃないけど、まぁ、もう飽きたから。それがたぶん綺麗な印象になってるんじゃないのかな。

そのコンセプトはジャケット写真にも反映されていますね。最初のシングル2枚(『インターナショナル・クライン・ブルー』『Angelic』)のゴージャスな感覚とか。

 そうだね。まぁアート・ディレクションはみんなでするからね。だから、やりたい落とし込みはすぐわかったよ、みんな。言えば。「あ、80年代がやりたいんでしょ」って。スタッフ・サイドは40代が多いから、話の通りはいいわけ。岩澤だけが浦島太郎で「この人たち何言ってんだろう」っていう感じだよね。彼女は生まれたのが80年だから、まさにその・・・80年代の記憶っていうのはさ、生まれてから10歳までの記憶でしょ。なんとなく薄ぼんやりとはわかるけど、あんまりリアルじゃないよね。ただスタッフ・サイドの問題は「やりたいことはわかるけど、果たしてやってどのくらい食いつきがあるか」ってことだったんだよ。やってコケたら止めようと思ってたの。で、まぁ、辛うじて続いてるわけだよね。

80年代リヴァイヴァルが来てるっていう話ですけど、感覚としてはスパンク・ハッピーが前から80年代を意識してやっていて、今・時代が菊地さんに追いついたというか・・・。

 まぁそう言っちゃすごい偉そうだけどね。だけど、そんな偉そうなことじゃなくて。要するに物が起こるときっていうのはね、デジタルで終って来ないからさ。必ずアナログで、津波みたいにくるわけ。そうするとさ・・・(注:サイン波をイメージしてください)ここ(上端)がピークだとするじゃない。成功する奴っていうのはさ・・・別に俺が成功してるとかしてないとかの話じゃなくて、成功者っていうのはさ、ピークに乗る奴なんだよね。失敗者っていうのは、早すぎるか遅すぎる奴なんだよ。もう津波が行っちゃった後にこうやって追っかけててもダメでしょ。あと、早すぎる人もダメなの。で、その波のさ、それしかないところ・・・全てはウェーヴだから。波動で来るからさ、ピークに乗れる奴が一番儲けるわけ。

 つんくが儲けたよね。ピンク・レディーとかおにゃん子をやるっていうことで綺麗に真ん中に乗ったんだよね。小室も乗ったんだよ。レイヴが日本で流行るとかなんとか言ってさ。ぼくはその・・・ピークに乗ってね、時代の寵児になるとかいう力はないよ。あったらもっと・・・今40だから、もっと若いうちに成功してるはずなんだよね。ぼくはどっちかというとタイプとしてすごい早い。早すぎて、追いついたときにはもう飽きてるわけ。で、もう先にいるから、常にここ(サイン波の下のほう)にい続けて、そんなに儲かんないうちに終っちゃうんだよ。でも、そんな自分が好きなわけ。好きっていうか・・・変えようがないから。それはその、精神分析的にいうといろんな根拠があるんだよ。ここになぜいるか、っていう法則みたいのが(笑)。で、ここにいるわけ。

 だからみんな「8」「8」って言いだして、スパンク・ハッピー的には追い風になるのかもしれないから、ありがたいけれども・・・最初の数年間はみんなに「バカじゃないの」って言われてたからね。そう言われる時間が長いんだよ、いつでも。デートコースも言われてたよ(笑)。数年間ね。

スパンク・ハッピーの次のアルバムの制作については・・・。

 うん、今から入りますね。今、セカンド・アルバムの準備中っていうところです。

曲作りの最中?

 っていうか・・・まだスケジューリングの最中。何月に録って何月に出してっていうスケジュール決めて、それから作曲ですね。

どんな感じにしたいとか、ある程度の方向性はもう見えているんですか?

 方向性はそんなに変わらないよ。驚くような転換はない(※5)。相変わらずでしょう、もう1枚くらいは。

 (※5) ありました。

ゆったりとした・・・。

 うん、ゆったりとしてるよね。ダルい感じでしょ。アンニュイな感じだよね。それはまぁ、岩澤がまず第一に早いBPMで動けないっていうのと・・・(笑)。口が回んないんだよね、あの・・・そういう制約は多いよ。そういう制約だけと言ってもいい。だから・・・それでみんなゆったりしてるんだよ(笑)。

 80年代がゆったりしてたのは、一方で狂騒的にみんなお金があって、気が狂ったように遊び疲れてたからなんだけど(笑)。要は、お金がないのに80年代っていうのは変わった形でしょ。90年代の一番最初の頃に、これから70年代が来るって言ってた人たちはいたのね。で、その人たちはバカって言われてたよ、やっぱり。早すぎて。来るわけないじゃん、って。ヒッピー・ムーヴメントだってないんだし、ヴェトナム戦争もないしね、景気だって良いし・・・90年くらいはまだ良かったからさ。景気だって良いのに、どうやって70年代が来るんだよってみんな言われてたんだよね。だけど、あれよあれよという間に来たでしょう。風俗のほうが早かった例だよね。ぼくが40年生きてて知る限り。

 先にみんながね、70年代のカッコをしだしたの。だけど、時代・・・経済とか政治っていうのはまだ7に追いついてなくて、8を引っ張ってる9だったんだ。つまり、8の黄昏としての9だったの。だけど、あれよあれよという間に景気も悪くなって、あれよあれよという間に戦争が起こってさ。もう名実ともに押しも押されぬ7になっちゃったんだよね。すごいな、と思ったね。だから逆に言うと「今景気が悪いのに8とかってありえない」って言ってたって、何かのきっかけで、数年であっという間に世界経済が景気良くなる可能性もあるわけね。資本主義っていうのはさ、大学生なら知ってると思うけど、まったく先の見えないシステムだからね、あれは。計画化できないから。だから場合によっては一転して、いきなりなんか特需みたいにして、景気が良くなる可能性もあるでしょ。そしたらさ、2001~2年でスパンク・ハッピーは80年代とか言ってバカとかパロディとか言われてたけど、2008年の段階では「完全に8でしたよね」っていうことだってありうるわけで。

 そしたらみんなきっとね、今みたいな感じじゃなくて、こう、なんか・・・なるよ。ブランドとかさ。リッチな感じに。なりますよ、きっと。ジャラジャラついちゃうんじゃないかなと思いますけどね(笑)・・・ま、そんなに単純に回ってないと思うけどね。この話は面白半分だけど。

スパンク・ハッピーのライヴ・イヴェントで一番印象に残っているのは?

 そんなにね、あんまり・・・ライヴはみんな楽しいから、さほどどれがってことはないね。もっと印象深い、強烈な印象を残してることはライヴじゃない時間にあるわけ。そっちのほうがずっと残ってるよね。岩澤が初めて来たときのこととかさ。

 相当変わった人だから・・・まぁ見ててわかると思うけど(笑)。君たちよりお姉さんなわけじゃない、言ってみれば。奴ももう24・・・か。ってことはツチヤ君(注:当時23)より上なわけだよね、でもとてもそうは思えない。ある種のとても偏った精神状態ですよね・・・ぼくよりずっと芸術家かも、彼女のほうが。芸術家っていうか、狂人に近い。彼女が現場に来て、いよいよこうバンドとして何かをやってくとか・・・そうすると、ことごとく変なことが起こるわけ。もう、ことごとくね(笑)。ほんとに。笑うくらい面白いことが毎回毎回起こって。「コイツとバンドやんのか」って思ってさ。でもそういう強烈なことがあったほうがね、曲とか出来てくんだよね。いろんなアイディアとかさ(笑)。だからライヴはもう最後の結果っていうか。そこに至るまでの、ああいうキャラクターと知り合って、こう・・・何かをやってくってことのほうが強烈かな。

スパンク・ハッピーとしては、岩澤さんはミューズみたいな感じですか?

 うん、いつでもミューズ。それ言ったら、音楽やるときはミューズを設定しないとできないからね。その・・・要するに音楽家には、ナイーヴでロマンチックな人と、すごいビジネスライクな人がいるわけね。どっちもそれは素晴らしいことなんだよ。どっちが良いってことはないわけ。例えば、テレビの劇バンをやって素晴らしい人とかいるわけじゃない。映画音楽をやってすごい人とかさ。あんなの詩人じゃできないよ、絶対。すごく産業なんだから。ミリ単位で予算が決まってて、いろんなたくさんの人間のコネクティヴかなんかからつくっていくわけでしょ。ああいうことばっかやって素晴らしいものを残す人もいっぱいいるわけで、一方では、すごくナイーヴでロマンティックな人がいるわけじゃないですか。

 ぼくはどっちかっていうと・・・まぁ全員がその2つのバランスの計良なんだけど、ぼくはかなりロマンティックなほうだと思いますよ。スタジオ・ミュージシャンの側面もあるけどね、社会人としての。特に女の子が歌を歌うっていう時間に対しては、あんまりビジネスライクになれない。だから岩澤に限らず、誰か女の人・・・例えば今、カヒミ・カリィさん(※6)とか、小島麻由美ちゃん(※7)とかと仕事するわけでしょ。そのときはもう、その仕事が始まってから終るまでの間は彼女たちをミューズだと思わないとできないんだよね。クールな人もいるんだよ、「今度の小島の仕事さぁ」とかっつって(笑)ビシビシにクールに行く人たちもいてカッコイイなと思うんだけど、ぼくはダメで。「一歩間違えたらもうヤッちゃうな」くらいの気分で、仕事が始まってから終るまでの時間を過ごすのね。傍から見れば迷惑なんだけど(笑)。でも、それじゃないとダメなんだよね。

 (※6) カヒミ・カリィ 『トラペジスト』(2003)
 (※7) 小島真由美 『愛のポルターガイスト』(2003)

 どうせほら、一緒に住んでるわけじゃないから。現場が終ったら会わないわけでしょ。だから、いる間くらいはギンギンになるわけ。岩澤に対しても、一緒にいて仕事してる間はギンギンになってるの。そのギンギンの内容ってのがね、とても複雑で(笑)。「サークルの中の好きな女の子にコクる」とか、そういう簡単なことじゃないわけだよ。年齢も違うしさ。あの・・・こっちから見ると向こうは患者みたいなもんだし、とても複雑な心理ね。でも、とはいえミューズでしょ。自分が本気で人間になれば、それは聴いてる人に伝わるよね。「なぁに考えてんだこの2人は」って思うわけだよ。「この2人の関係はなんでしょう?」って思うわけでしょ。「なんか・・・音楽は妙に美しいわけだが(笑)いったいどうなってんだ」って。

ライヴの演出は全部菊地さんがやっているんですか?

 っていうかね、岩澤はなんにもしないんだよ(笑)。あのね、一切何もしない。出てきて、声出すだけだからね、彼女は。何もしないでね・・・ある意味その、ビジネスライクに物をやる人よりなんにもしない。だから、突き抜けてアーティスティックとも言えるかもしれない。完全な姫であると同時に、完全な奴隷だよね。だって言われた通りにするんだから。言われた通りに何もしないんだもん。それは同じことでしょ。「あたしも曲をつくってみます」とかさ、「菊地さん、ここはこういう演出でどうでしょうか」とか、4年一緒にいて一言も言ったことないよ(笑)。言わないもん、絶対。

 来たら「おはようございます」って言って、で、これ着てっつって、「はい」とかって着てさ、で、みんなで周りに寄ってたかってこんなつくって・・・素の姿は見せらんないよ。すごくどうでも・・・ほんとにねぇ、服とかひどいんだから(笑)。ひどいっつったら失礼・・・可哀そうだけど、全然スパンク・ハッピーの瞳ちゃんとは違う。素の姿は見せらんないね、OLさんの時間ね。瞳ちゃんも少し何かを反映してると思ってた?

はい、少しは。

 例えばどこが瞳ちゃんがやってると思う?

駒場祭(2002年11月23日。東京大学駒場祭「コマロック」にスパンク・ハッピーで出演)のときに、薔薇の花を配ってたじゃないですか。ああいうのは瞳さんかと思ってました。

 あぁ・・・一切考えてないね。だってその場で、「(ひそひそ声で)薔薇配れ」って言ったんだから(笑)。「あ、あぁー」とか言って。配るだけだよ、ほんとに。まったく主体性がない・・・まったく主体性がないことによって、完全に場を支配する。だからそれは・・・前近代的な価値観だよね。今はみんな平等でしょ。CRJも、Aさんは女の子だから特別扱いとかってないわけでしょ。みんな一緒でしょ。それが現代だよね。ところが、ほんの数百年前は違ったんだよ。全然違ったの。女の子はモノだったりした時代もあってさ。モノであるゆえに、それは宝石みたいな価値を持って、一番偉かったりさ・・・一番下のものが一番上っていうね、そういう前近代の不平等ってのがあったんだよ。

 もう今は・・・さんざんいろんなインタビューで言ったけど、90年代の音楽っていうのは、今ちょうどぼくから見たみんなみたいな感じ。スーパーカーとかさ、くるりとか、全部。みんな全てがさ、各バンドにツチヤくんがいてAさんがいて、みんないてね。大学のサークルの友達でさ・・・まぁ違うんだろうけど、見え方として。大学のサークルの友達ってみんな平等で、おんなじ音楽が好きで、おんなじ店に行ってさ、仲良しで・・・っていうふうに見える。それが良かった時代でしょ。サニーデイ(・サービス)とかもそうで。みんなそうで。

 で、もうそれはダメだと。そうじゃないんだ、と。女の子をお金で買ってきて(笑)、みんなで育ててね。なんにもわかんない可愛い子がいて、すごいズル賢い、悪い大人がいて。で、育ててさ、それで商売するんだというような、90年代にはありえなかったようなものをやろうってことですよね。で、半ばそれは現実なんです。そういう意味ではかなり変わった子だよね。

 ※ ここで大谷能谷さんが登場(インタヴュー終了後、打ち合わせが予定されていた)。
 大谷さんの登場により話題がしばらく「日本の病理と犯罪者の温床」みたいな話に逸れるのですが、冒頭に書いた事情に拠りもはやテキスト化できません。スパンクス関連の話以外をカットしないと、とても文字起こしが間に合わなくて・・・という言い訳とともに、中略。

岩澤さんは、菊地さんの中の理想的なイメージですか?

 ううん、そうでもない。誰かをイメージングして商品にするってことには必ず、それは問題があるわけでしょ。だから、そりゃもう激しい軋轢があるさ。だけどそれは・・・オフ・ステージのことだったら、なんていうかさ・・・ガール・フレンドとかつくってさ、思い通りにならなかったとするじゃないですか。それで思い通りにならなくてモメるでしょ。わかんない、今のコはモメる前にやめちゃうのかもしれないけど(笑)。ぼくらの世代は激しくモメるわけ。だから、それは日常だよね。

 だけど・・・例えばこういうことだよ。本人が本人のこと100%わかってるかっていうと、可能性はかなり低いよね。だから、こっちから見て・・・例えばさ、なんだっていいんだよ。Aさんがヴォーカルだっていいわけ。決まっちゃえばね。で、決まったっつって、契約ですっつって、じゃあもうAさんで行こうってなったら、全力を挙げてAさんのことを知って、Aさんだったらこうしたほうがいいって思うわけでしょ。で、プランニングして、早速それを行動に移すわけ。だけど、ぼくが思ったAさん・・・「こうやって振る舞ってください、こういう服を着てください」っていうことが、本人はNGかもしれないでしょ。それがピッタリ合うのはすごい幸福なことなんだけど・・・あんまりありえないでしょ。特にその、思い込みが激しい女の子だったら。

 だから岩澤本人は、もっと全然違う自己像をイメージしてるんだよ。あいつの好きなのマイケル・ジャクソンとかさ、音楽的にもすごい・・・絶叫するようなのが好きなんだよ(笑)。「勝手に歌って、好きな感じで」って言ったらもう聴けたもんじゃないんだよ。完全に間違ってるの(笑)。だからダメっつって。これはヤバイ、って。「ある意味すごいけど、天下は取れない」っていう(笑)。かなり危険だと。だから、瞳ちゃんもっとこうしてこうしてって言うわけ。

 彼女は勘が良いから、すぐできたけど・・・違和感はあると思うよ。こんなの自分じゃないって気持ちは常にあるんじゃないかな。でもそれは現代人に共通のことだよね。どんなプランニングも違和感はあるんだよ。で、じゃあ自分で考えて自分で行動すれば違和感ないかっつったら、やっぱりあるんだよ。自己像がすごく不安定になってるの。「これが俺」とかさ、あんまり、完全に納得する時間は来ないよね。岩澤だってすごく来ないと思うよ。お芝居でもやってる気分じゃないの?

スパンク・ハッピーでリミックス集を出す考えはありますか?

 うん、ありますね。あるけど・・・そんな売れないでしょ。キング・レコードっていうメーカーがね、そんなにリミックスだっていう雰囲気じゃないから、やらないっていう感じですよね。

リミックスをやってもらうとしたら、誰にやってもらいたいですか?

 でも、もう既にさ。アルバム(※8)に入ってるのがリミックスだよ。「パードン木村版」とか「キャプテン・ファンク版」とか。作業的にはヴォーカル・トラックだけ渡すわけだから、リミックスつくらせてるのとまったく同じだよね。

 (※8) スパンク・ハッピー 『Computer House Of Mode』(2002)

 ただね、ぶっちゃけクラブ・カルチャーはもう終りだと思うよ。だからリミックスじたいがもう終りだと、ぼくは思ってて。「リミックスとアレンジってどう違うの?」っていうことも含めて「Computer House Of Mode」をやってるところがある。

最後に、イヴェントに向けての意気込みをお願いします。

 意気込みですか。それはええと・・・7周年なわけでしょ、nestが。意気込み・・・ええと、意気込みはそんなにないです、スパンク・ハッピーはいつも(笑)。たらっとしてるから。ただその・・・「○○おめでとう」とかね、そういうアニヴァーサリーな席ね。おめでたい席にぴったりの、って感じで。祝辞を述べるようなバンドでありたいですね(笑)。天皇・皇后的な(笑)。式典に来て、祝辞を述べるようなバンドでありたいと思ってるから・・・、

(以下、灰色の文字は大谷さんの発言)
 それで動きがノロいっていう(笑)。

 そうそう(笑)、それで動きがノロいんだよ。

 なんだかよくわからないけどめでたい感じが出るっていうね。

 そう、すごい明るいんだけど退廃してる感じね。

 「nestの天皇・皇后です!」っつって、場が「ウォー!」って(笑)。

 そうそうそう、ロイヤル・カップルみたいなさ(笑)。

 「失礼しました」って、1分くらいで・・・。

 これ以上はもうヤバイ、みたいな。

 ヤバイって。で、みんなウォーってなって(笑)。

 だからそういう、何周年ライヴとかいうのは、意気込みありますね(笑)。今からなんて言っておめでとうを言おうか、ってことで頭がいっぱいです。歌のことより(笑)。

当日、おにぎりのチームが出るんですよ。

 ニギリズム(※9)でしょ。食っちゃうよぼく、おにぎり。

 (※9) おにぎりのケータリング・チームさん。nestのイヴェント当日にスパンク・ハッピーと共演(笑)しました。 → 公式サイトこちら:nigirhythm

ご用意しておきます。春らしい感じのおにぎりを頼もうかと。

 それは何、菜の花が入ってるとか(笑)?

わかんないですけど(笑)。

 おにぎりね・・・もう、岩澤といえばおにぎりだからね。

そうなんですか(笑)?

 おにぎりだよ。おにぎりと焼肉の女だからね(笑)・・・米と肉(笑)。顔もこう、おにぎりみたいだしね。バンバン食ってきますよ。それが意気込みかな。「おにぎり食ってきます」っていう(笑)。

 後略。この後「ナンバーガールすごいよね」とか「渋さ知らズは日本の誇りだよ」とか、当時のCRJ週間チャートでphatが2位にランク・インしてるのを聞いて「なんだそのチャートは!?」と爆笑する菊地&大谷さん。とか、あとなぜか(というかぼくの卒論の関係ですが)言語学とか「チョムスキーは・・・」みたいな雑談が1時間半ほど続きました。

 おかげで当初予定していた打ち合わせの時間を全て食いつぶす結果に。なんの打ち合わせかといえば勿論「バークリー・メソッドによる20世紀商業音楽史」に関するもの・・・そして1年後の未だに出版されていない現実が(笑)。



Thanx


 → ピロスエ @エスロピⅡ
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