【尖閣衝突事件 私はこう見る】「日本は保有の覚悟示せ」 ジェームス・アワー・ヴァンダービルト大学日米研究協力センター所長 今回の事件はまず東アジアの戦略的な構図から考える必要がある。東アジアでは中国、日本、ロシア、米国という主要諸国の力が安定しないまま、中国が覇権的なパワーを強め、優越な立場にあるような言動をとり始めた。この動きは日本にとって脅威である。そもそも地政学的には、一定地域で一方のパワーがすでに優位にあった側に追いつき、追い越そうとする際に不均衡が高まり、危険が大きくなる。だからこそ米軍がなお日本と韓国に駐留しているのだといえよう。 中国が尖閣諸島の領有権を石油資源の可能性が浮かんできた1970年代まで主張しなかったことは周知の事実であり、当時、中国側には尖閣諸島をはっきりと日本領として描いた地図も存在したと聞いている。しかし米国政府は伝統的に他の諸国の領土紛争には中立を保つ。だから尖閣の主権がどの国にあると公式に断定することはできない。 尖閣諸島の保有に関しては日本自身が覚悟をせねばならないだろう。尖閣の主権をあくまで主張するならば、それを守る決意があることを示さなければならない。そのために戦う覚悟を示してこそ、初めてその領土への主権に正当性が得られるとさえいえるだろう。その点で日本政府が竹島に対してとっている態度は悪い見本となる。 今回の中国漁船の行動は「無謀運転」といえるだろう。ただしそれが故意の無謀運転か、過失の無謀運転か、まだわからない。 尖閣諸島は明らかに日本の統治下にあり、日本の施政の下にある領域は日米安全保障条約での日米共同防衛の対象となる。米国は戦後、尖閣諸島の施政権を保有し、沖縄返還の際にいっしょにその施政権を日本側に返した経緯があるから、なおさら強く意識している。 ただし米国政府も、クリントン政権時代にモンデール駐日米大使が「尖閣諸島が第三国に攻撃を受けても、米軍は防衛には当たらない」という趣旨の発言をして、波紋を広げた。これは発言者が実態をよく知らなかったための失言だった。その後、私も含めて多数の識者たちが米国政府のミスを指摘し、クリントン政権の国防総省高官のカート・キャンベル氏らが後に「尖閣には日米安保条約が適用される」と明言するようになった。 だから現在も、もし尖閣諸島が中国などの軍事攻撃を受ければ日米安保条約の発動となり、米国は同盟国の日本を守る軍事行動をとるだろう。安保条約上の責務なわけだ。日米両国は東アジアの安定を保つためにも、尖閣諸島をめぐる軍事衝突を起こさないためにも、同盟を堅固に維持していくべきだろう。(談) ◇ ■ジェームス・アワー 1941年、米ミネソタ州生まれ。米海軍将校として駆逐艦などを指揮。海上自衛隊幹部学校への留学経験もある。国防総省日本部長などを歴任し日米同盟関係の維持、強化に貢献した。89年から米テネシー州のヴァンダービルト大教授。 ○【尖閣敗北 私はこう見る】 時を稼いで交渉する以外ない パリ政治学院のジャンマリ・ブイソウ教授 今回の事件で、中国が閣僚級の交流停止からレアアース(希土類)禁輸、4人の日本人拘束、謝罪と賠償要求-と常に主導権を握り、日本が後手に回った。ゲームとしては日本にとって最悪の形になったが、これは中国が共産党一党独裁体制であるのに対し、日本が民主主義体制だからだ。 日本は、中国の最終目的が尖閣諸島の主権獲得にあり、環境保護団体・グリーンピースを相手にしているのではないということを肝に銘じるべきだ。 しかも中国は今や日本をしのぐ経済大国だ。米国をはじめ世界は中国と対峙(たいじ)することで世界経済の均衡を揺るがしたくないと考えているので、日本は孤立状態だ。 日本としては中国との“事件”は「即刻、除去する」ことだ。2004年に小泉政権が尖閣諸島に不法上陸した中国人活動家を強制送還したのはうまい措置だった。ただ、この措置は当時の小泉政権が強いから可能だったわけで、基盤の弱い菅政権は何をやっても野党や国民から「弱腰」などと批判されることになろう。 フランスは1989年に天安門事件を非難したことで対中関係がギクシャクし、92年には台湾と戦闘機の売却契約を結んだことで中国から在広州総領事館の閉鎖や地下鉄工事などの参入禁止という経済制裁を受けたが、94年の国交樹立30周年でやっと正常化した。 サルコジ仏大統領がチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世と会談したことでも関係は悪化した。しかしフランスには何世紀も国際舞台でさまざまな交渉をしてきた経験がある。交渉のチャンネルもあれば専門家もいる。 日本の場合、今回のように米国が助けてくれないケースが今後増えよう。独自の外交経験を積み、こうした危機に備える必要がある。 菅直人首相は謝罪する必要も賠償を支払う必要もない。古典的方法だが、日本は時間を稼ぎ、のらりくらりと粘り強く交渉することだ。 尖閣諸島をめぐる日中の対立は外交用語で、「危機の教材」といえるケースだ。つまり異なる体制の国家が対峙したとき、いかなる解決法を見いだし、いかに勝利するかという例題だ。日本には民主主義体制の代表としてがんばってほしい。(談) ◇ パリ政治学院教授 ジャンマリ・ブイソウ氏 |
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