県民投票条例の制定を請求した「『辺野古』県民投票の会」のイベントのあいさつは、20代の代表やメンバーが「はいさい」「はいたい」で始めるのが恒例だ。メンバーのやりとりでも、一部しまくとぅばを取り入れている。また、県の県民投票PR動画でも、しまくとぅばが取り入れられている。県内の大学職員で、県民投票の会でボランティアをする大城章乃さん(27)と、PR動画を企画制作したアドスタッフ博報堂に、しまくとぅばを取り入れる理由と思いを聞いた。 (政経部・屋宜菜々子)

「何が正しいとかはない。ただ、投票行為につなげてほしい」という思いで動画を作ったと語る武加竹智一さん(左)と平田充さん(右)=15日、アドスタッフ博報堂

「祖父母との会話を全てしまくとぅばでしたい」と話す大城章乃さん=14日、沖縄タイムス社

しまくとぅばで始まる県の県民投票PRのCM(提供アドスタッフ博報堂)

「何が正しいとかはない。ただ、投票行為につなげてほしい」という思いで動画を作ったと語る武加竹智一さん(左)と平田充さん(右)=15日、アドスタッフ博報堂

「祖父母との会話を全てしまくとぅばでしたい」と話す大城章乃さん=14日、沖縄タイムス社

「祖父母との会話を全てしまくとぅばでしたい」と話す大城章乃さん=14日、沖縄タイムス社 しまくとぅばで始まる県の県民投票PRのCM(提供アドスタッフ博報堂) 「何が正しいとかはない。ただ、投票行為につなげてほしい」という思いで動画を作ったと語る武加竹智一さん(左)と平田充さん(右)=15日、アドスタッフ博報堂

 大城さんがしまくとぅばをコミュニケーションツールとして意識し始めたのは、大学生のころ。20世紀初頭から戦後にかけて、県内の学校で共通語励行のためにしまくとぅばを使った子どもの首に「方言札」を掛けていた歴史を知ったことがきっかけだ。

 80代前半の祖父母は、元々はしまくとぅばを使っており、「言語を二つ持っているんだ」と気が付いた。祖父母に教えてくれるよう話すと、「あんたはやらんでいい。英語を勉強しなさい」と相手にされず「うちなーぐちに劣等感があるんだ」と複雑な思いに至った。

 その後、ハワイ大学大学院へ進学。現地では雇用政策を学びながら、ハワイ語の復興運動が盛んに繰り広げられているのを目の当たりにした。学生が意欲的に学び、誇らしげに話している姿が魅力的に映った。

 海外での生活を通し、大城さんは、英語で話すときと、日本語で話すときは、自分の性格が異なるような気がした。言語が異なると、同じものを見ても感覚が異なる。しまくとぅばがなくなると「おじー、おばーと世界を共有できなくなるかもと怖かった」といい、修士課程を卒業し帰国した後、少しずつしまくとぅばを使うようになった。

 最近、同会では名字を琉球語読みするようになった。ハワイでは、ハワイ語読みの名字をよく見掛けた。ハワイ大学に留学中の同会メンバーの一人がSNSに、琉球語読みの名字を登録したことをきっかけに、大城さんや他のメンバーも続いた。居酒屋の予約も琉球語読み。電話で「うふぐすく(大城)ですと言うと、居酒屋の店員は戸惑う」と笑う。

 大城さんは、自分の名字が廃藩置県後に共通語読みになったことを知り「自分の名字の読み方は、自分で選択したいと思った」という。大城さんの中では「自分たちで選んで、言語を使う」という点で、しまくとぅばと県民投票は通じている。

 「私たちの歴史を理解し、誇りに思い、選択する」という思いを込めて、県民投票の活動でしまくとぅばを使う。