70年安保が終わり、浅間山荘の壁に大穴が開き、奥村チヨが「終着駅」を歌った頃、ぼくの遅れてきた青春が始まった──山上たつひこによる自伝的ストーリー。毎月第2金曜日と第4金曜日に公開!
山上たつひこ「2丁目1番地恐怖団」(「週刊少年チャンピオン」1972年4月17日号、秋田書店)より
ぼくの仕事が本格化するにつれ、階下の大家の目がいっそう陰険になってきた。
漫画を描くのは徹夜の作業になる。そして、案外に騒がしい。
二人のアシスタントが交互に下絵の確認を求めにぼくの所へやって来る。つまり、夜中に部屋をうろつく。黙々と絵を描くというより、何かしら喋りながらペンを走らせる。尖(とが)り声、笑い声、奇声、呻吟(しんぎん)。ラジオやレコードはかけっ放し。廊下の共同トイレへ行く。午前四時頃には夜食のインスタントラーメン作りが始まる。冷蔵庫を開ける、俎板(まないた)を出す、食器が触れ合う、鍋を洗う。
木造モルタルアパートの二階の生活音が階下にどの程度響いていたのかはわからない。騒音というほどのものではないにせよ、一度耳につくと神経を苛(さいな)まれる場合もなくはなかったであろう。トラブルの芽はぼくの側にあった。でも、隣人との摩擦の大方(おおかた)は、両者の友好度の問題なのだ。ぼくは漫画を描く作業が他人の生活を脅かしているとは夢にも思っていなかった。平和的態度で苦情を持ち込んでくれていれば解決の方法はいくらでもあっただろう。
相手には温容(おんよう)さがなかった。我々に悪意しか持たぬ彼等にとって頭上の物音は攻撃の口火を切るための理由でしかなかったのだ。
「あんた達、夜中に何をやってるの?」
大家の女房は外で待ち受けるようにしてぼくに突っかかってきた。ぼくが漫画家であることを知っているはずなのに、この女は漫画を描くという作業の内容を理解できないらしかった。女はアシスタントが出入りすることについても不満をあらわにした。
「ああいう連中が来るっていう話は聞いていない」
大家の女房にとってぼくと薫は得体の知れない店子(たなこ)であった。その店子の部屋に胡散臭(うさんくさ)い若い男達が毎夜出入りして怪しい作業を続けている。女房にとっては二重に耐えがたい光景だったのであろう。
大家夫婦の亭主のほうはまだ人の好(よ)さ気(げ)な風があったが、女房の性根の悪さに引きずられ、ぼく達を排除するための助手的立場を務めていた。女房がぼくに言いがかりをつけるとき亭主は後ろに控え、女房がひとこと言う度に首を振って相槌(あいづち)をうつのであった。
田夫(でんぷ)夫婦の監視はエスカレートした。
「大家の婆さんに言われちゃった。『あんた達はあんまり風呂に行かないねえ。一体どうしてんの?』だって」
薫が買い物から戻って来るなり憤然として言った。敵はぼく達の風呂屋に通う回数にまで言及してきたのである。銭湯は遠かった。畦道を通って三十分近くも歩かねばならなかった。雨の日には道がぬかるんで踝(くるぶし)まで泥にまみれた。温まった体がアパートに帰り着く頃には凍りついていた。
「春まで風呂屋には行かない」
ぼくは宣言した。浴槽はなくとも洗面器はある。ぼくと薫は洗面器の湯に尻を浸し、背中を洗いっこした。かぐや姫の「神田川」がヒットしたのは翌年の一九七三年だけれど、ぼくはこの歌を聴いてVSだと思った。「赤い手ぬぐいマフラーにして」「小さな石鹸カタカタ鳴った」。違うだろ。「尻を洗った」「小さな洗面器ピシャピシャ鳴った」じゃないか。
風呂嫌いの夫婦と思われようと、四畳半フォークの情景に程遠かろうと、板の間の行水でも冬のぬかるみを銭湯からアパートまで往復するよりはましだった。
「神代の国から」の後編を描き上げたのは二月の半ば過ぎだったか。それから程なく、連合赤軍のメンバー五人が軽井沢の「浅間山荘」に管理人の妻を人質にして立て籠もるという事件が起きた。
山荘を千五百人の武装警官が取り囲み、攻撃が始まった。クレーン車で吊り下げられた巨大な鉄球が山荘の壁を破壊するのをぼくはテレビで観ていた。二トンもあるビル解体用の大鉄球の動きはのろのろと間延びして見えた。銃声だか爆竹だかわからない破裂音が中継アナウンサーの声の向こうに響いていた。ブラウン管の映像は非現実的でリアルではなかった。ぼくが観ていたテレビは薫の実家の物置に眠っていたのをもらってきたものだった。白黒テレビだから浅間山荘の屋根や鉄球には色彩がなかった。鉄球の色は鉛色か鉄錆色で、カラーテレビで観ても似たようなものであったろうけれど。
浅間山荘の映像も雪景色、ぼくの部屋の外も雪景色。雪の色だけがぼくをどこかの世界に結びつけていた。
ぼくはこのアパートで、もう二本の作品を描いている。
「2丁目1番地恐怖団」(週刊少年チャンピオン 四月十七日号 秋田書店)
「国境ブルース《前編》」(ヤングコミック 五月十日号 少年画報社)
この時期のぼくの絵は、雑誌「ごん」(一九六八年創刊 日の丸文庫)の初期作品にあった描線の確信が消えて、自分自身への猜疑(さいぎ)に満ちていた。たぶんぼくは(この絵、どこの誰が描いてるんだ?)と自問しながらペンを握っていたのではないか。
ぼくは髪をのばし始めた。細身のジャケットにパンタロンをはいた。遅延(ちえん)反応の気味があるぼくの数年遅れのヒッピーファッションではない。「ぼくの髪が肩までのびて……」、吉田拓郎が「結婚しようよ」で歌っていた。
ぼくは一九七二年の正しい若者だったのだ。
山上たつひこ(やまがみたつひこ)
1947年徳島県生まれ。主な代表作に、『がきデカ』『喜劇新思想大系』『光る風』など多数。1990年にマンガの筆をおき、本名の〈山上龍彦〉として、『兄弟!尻が重い』『蝉花』『春に縮む』などを発表。 2003年より、再び〈山上たつひこ〉として、小説『追憶の夜』(現在『火床より出でて』と改題)を発表し、漫画「中春こまわり君」を描く。原作を担当した『羊の木』(いがらしみきお画)で、2015年文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞。最新刊は自伝エッセイ『大阪弁の犬』(フリースタイル)。
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