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2019-02-23

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・よく、男は冒険的であると言われる。
 現実の足元のことを考えないで、いや、忘れて、
 未知の荒野に向かって飛び込んでいくと言われている。
 それは、遺伝子のせいだとまことしやかに説明されたり、
 そういう男のロマンがないと人類は進化できなかったと、
 やや肯定的に解説されたりもしてきた。
 そんな物語的に男は語られたがるし、語られてきた。

 一方で、女は冒険を嫌うと語られることが多い。
 男の冒険と名付けた無謀に対して、水をかける。
 散らかし放題のロマンの残滓を片付けて、
 今日を生きる食事の用意をする。
 こどもを育てるために、女はそんなふうに発達した、
 というふうに語られることが多かった。

 その対比は、もう常識のようになっている。
 しかし、ぼくは、実感として
 「そうなのかな?」という疑いを持ち続けている。
 男が「冒険的でありたい」と思っていたり、
 「冒険的に見られたい」と欲しているがゆえに、
 結果的に冒険的な道を行ってしまうことは多々あるが、
 実際に、根本的な精神が冒険的であるということは、
 少ないのではないかと思っている。
 男の「冒険」は、どうにも人工的なのである。

 そして実際には、女は冒険を押し止める側にいるようで、
 男よりずっと冒険的なのだとは言えないだろうか。
 男たちのおそるおそるの「冒険」とは
 まったく別の次元の「天然の冒険」をしていると思える。
 だいたい、へなちょこ冒険家の男と平気で結ばれて、
 人生をいっしょに歩もうなんてことが、もう冒険だろう。
 そして、いわば命がけの冒険でもある出産に挑み、
 生まれたばかりの「いのち」を守り通して育てあげる。
 リスクとか根拠とかを調べたり計算するのではなく、
 「できるからできる」と女たちがやっていることは、
 まさに「生きるに賭けた」冒険家の姿ではないだろうか。
 ぼくは、「人工の冒険」に格闘している男たちは、
 女の度胸をこそ、もっとまねるべきだという気がする。
 それこそが「まるごとの知性」なのではないかと思える。
 逆にいえば、男は愛嬌を取り柄としようということかな。
  
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