きのうは、既報通り、警察署2件と、市役所、そして、N響ガイドとオケピさんにそれぞれ行ってきました。いろいろそれぞれの対応の仕方に、ふかく考えさせられることあり。最後の調布警察署では、非常にかなしい結果を知ることになり、正直非常に傷ついています。しかし、他方で、人々の温かい善意にふれることができ、私は一晩考えました。
やっぱりこのブログはやめないし、(いままではつらいことがあると、過去のブログを削除して対応してきましたが)今後もがんばって続けようと思いますし、さまざまな圧力には決して屈しないし、いまいろいろなネット被害に遭っている方、ストーキングされている方の味方になるべく、がんばろうと心に決めました。また、このブログで元気になる方、励まされるという方がいる限り、がんばって書いていこうと決意しました。
その理由は最後に後述します。
きょうはまず最初はN響ガイドさんに行きました。「フィデリオ」の前売り初日ということで伺ったのですが、おかげさまでなんとかチケットを買えたので、ほっとしました。実は定期会員のチケットを、同居するにあたってすべて売るように、と前の夫に言われて、泣く泣くオケピさんに託していたのです。が、いまは結局前の夫に暴力を振るわれ、同居を解消したので、定期会員券を再び買おうと決意して、ガイドさんにうかがいました。
ところが、定期会員券をダブって買っていることに気づいた、N響ガイドの方が親切に事情を聴いてくださったので、わたしはなやんでいましたが、ありのままにお答えしました。すると、N響ガイドさんは、「では、おけぴさんに、そのチケットが戻せるかどうか、お聴きになってみてはいかがでしょうか」と親切に申し出てくださいました。ありがたかった!
オケピさんに、直接オフィスにうかがって、事情をお話したところ、すぐに「それはお困りでしょうね。さっそく対応します」とおっしゃってくださり、託しますサービスで預けておいた、定期会員券(4月~6月まで)をすべてわたしに返却してくださったのでした。
N響ガイドさんは、「では特例ですが、今回に限り、ご購入いただいた券のキャンセルをみとめます。チケットが戻ってきてよかったですね!コンサートたのしんでくださいね!」とおっしゃっていただき、大変ありがたく、嬉し涙にくれながら、丸の内警察署に赴きました。
丸の内警察署で、一応ストーカー被害のことをお話しました。口述の調布警察署でも同様の対応でしたが、ツイッターなどによるストーカー被害は、犯罪性がないかぎりは、ツイッターのアカウント開示はできない、ということを言われました。明らかに、つきまとって付け狙う、あるいは「殺してやる」などの暴言をネット上で吐かない限りは、事件性はないものとしているのだそうです。でも、「非常にお困りだと思いますから、調布警察署にあらためて被害をお話なさってみて、情報共有するのがいいでしょう」と言われて、夕方調布警察署に赴きました。
その前に調布市役所にも行きました。こちらはまったくの別件で、親切に対応していただき、感謝。ストーカー被害に関してもずいぶんご心配いただき、福祉課の方々とのコミュニケーションもだんだん上手にとれてきて、ほっとしました。はじめはすごく肩ひじはっていましたが、ストーカー被害にあって、悲しんで傷ついているのは私自身なので、その悲しみを一緒に共有していただけるだけでもありがたかったです。
で、最後に調布警察署に行きました。こちらも生活安全課の方が親切に対応してくださったので、落ち着いてお話していました。ツイッター被害に関しての見解は丸の内警察署と同じでしたが、「5ちゃんねるがどういう書き込みをしているのか、気になります。開示していただけますか」ときかれました。私はとても怖くて読めないので、最初はことわりましたが、「証拠としてみますので」という事だったので、生活安全課の方と一緒に見ることにしました。
・・・・で、5ちゃんねるにかかれていた、私への膨大かつ深刻かつ陰惨極まりない、誹謗中傷の書き込みの投稿を大量に読みました。生活安全課の方は絶句しました。私はショックで泣き叫びました。あまりにも、陰湿かつ陰惨かつ凄惨極まりないデマだらけの書き込みばかりだったからです。
このブログやTwitter、Instagramを信じられないほど、ストーカー的に見ている人間がいて、人の善意も悲しみも痛みも、まったく理解しないで、人の傷口に塩を塗り込むのを平気な人たちがいるのかと思うと、悲しくて情けなくてやりきれなかったですね。
就職活動がなぜうまくいかないのか、むりもありませんでした。デマ、誹謗中傷だけでなく、私のありとあらゆる個人情報、(ブログで開示しているだけでなく)東宝時代の人事に関するトップシークレットに関することが、悪意をもって書かれていました。つまり、東宝社内のかなりの上層部にいる人間が、5ちゃんねるに私の事をずっと書きこんでいる(しかも午後の2時ごろですから、いわゆる就業時間中ですよね)という、なんともあさましい結果を知りました。
ブログに書いたたのしい音楽の感想に対する批判も、いかがわしい妄想と捻じ曲げられた悪意と憎悪に満ちたものとなっていました。パーヴォやN響へのおぞましい非難も画面いっぱいに現れていて、どこからどうしていいかわかりませんでした。パーヴォとN響のみなさまに、なんとお詫びしたらいいのだろう、と悲しみながら読みました。
でも、もっとかなしかったのは、調布警察署のその方の対応でした。とたんにわたしに対する態度がかわったのです。「もう僕たちも忙しくて、あなたの話は聴いていられないのです。もうお帰りください。警察では、これらはなんとも対応しようがないので、弁護士に相談して、削除要請をすることをおすすめします」・・・私は茫然と、彼らの背中を見送るほかありませんでした。
削除要請をもちろんしたいのです。でも幾度やっても5ちゃんねるはつっぱねる、ひどい掲示板だと思い知りました。知り合いの弁護士に対応をお願いしていますが、この5ちゃんねるで書かれた、誹謗中傷を彼も真に受けているのか、なかなか、連絡をくれませんでした。かなしくて、帰る道すがら、ずっと泣いていました。
父がどうしたかと尋ねてきたので、事情をかいつまんで話しました。父はあとで、パソコンを見せるようにといったので、私は食事の後に父と母に、5ちゃんねるの掲示板を見せました。父はフムフムといいながら声に出して読み始めました。わたしは耳をふさぎました。ひどい言葉の数々でした。信じられない悪意の持ち主ばかりが集っているようでした。でも父はニヤニヤ笑いながらこういいました。
「お前、豚って呼ばれてるんだな。よくお前のこと、こいつら観察してるじゃないか。あはははは」
私は顔色がすーっと青ざめるのを自分でも感じました。「パパ、何言ってるの?」
父はこううそぶきました。「お前の詰めが甘いんだよ!大体、感謝するなんて安易に書くんじゃない!パパは誰にだって感謝なんかしないで生きてきた。感謝するに値する人間なんて、この世にいないからだ。お前がそうやってお気楽に、ブログでバカなことばかり書いているから、こいつらが面白がってお前をからかってるだけなんだよ。お前の考えが甘いだけだ。感謝する、なんて書くから、つけあがる連中だっているってことだ。」
父は「いいざまだ、お前も」そういって、「やれやれ。お前のおかげで俺たちの生活はがたがただよ」と言い始めました。「就職はしない。パーヴォだばーぼだと騒ぎ立てる。いい年して親がかりだ。お前はな、とんだ恥さらしなんだよ」父の顔が醜くゆがんだ笑顔になりました。
「おまえの、『春の祭典』の感想を俺も読んだがな、はっきりいって、お前は頭がおかしい。ほんとに病気だよ」
私の中で、なにかがプチン、と切れました。次の瞬間、私は「もうパパのことは親とは思わないわ!よくも【病気】といったわね!あのすさまじい音楽を聴いた時、そして感想を書いたとき、どれだけ必死だったと思うの!パーヴォも!私も!N響のみんなも!」
父は「なにクラシック音楽に熱上げてんだ、おまえは!いい加減にしろ!この馬鹿!」と父はさげすんだように私を見下げました。冷たい眼差しでした。「俺たちはな、いま最低な生活をしてるんだ!そんな悠長にクラシックなんて聴いてる余裕はないんだよ!もっと現実をみろ、現実を!お前は世の中でなんにも役になんかたってないんだよ!この出来損ない!クズ!人でなし!」
父はわめき始め、私をさんざんに罵倒しました。「おまえは大体昔から空想好きなんだ。俺が反対するのに、東宝なんて与太会社に入りやがって!それで今頃東宝のことでガタガタいうなんてそういうところが頭がおかしいんだよ!」
「お前なんか、うまれて来なきゃよかったよ!とんだ恥さらしだ!こんな連中にいいようにからかわれて!さっさとブログなんかやめろ!ま、こいつらは大喜びだろうがな」
そういってけらけらと笑いだしました。「世間はな、お前がおもってるほど、善意の人間ばかりじゃないんだよ!こういう悪意だらけで、お前のブログやSNSばかりをおっかけてる、つまらないヒマをもてあましている、ごくつぶしもいるんだ!だからそんなことでいちいちくよくよして、やれストーカーだ、警察だとさわぐなら、そもそもブログなんか書くんじゃないっていうんだよ!ブログ書くなら、覚悟してやれ!お前も!評論できちんと書いてみろ!ざまぁみろ!」
父はいいたいだけいって、母の介護を始めました。「私がやるよ、お父さん」と私がいうと、父は「余計なことするんじゃないっていうんだよ、この馬鹿!」と怒鳴りつけました。
わたしの中でまたプチンと、糸が切れました。わたしは「パパの面倒なんか、就職したら、絶対にみてやらないし、さっさとこんな家なんかでていくわ!」
父はフン、とうそぶきました。「就職なんか、そもそもお前できるのかよ!この恥さらしが!」
母は泣きだし、「もうやめて二人とも」といいました。たいてい、いつも母が泣き出して、この場が収束するのでした。
5ちゃんねるの人たちのとんでもない悪意にみちた投稿も、私の心を傷つけましたが、父の罵詈雑言は、もうどうしていいかわからないほど、手におえないものでした。
「お前はな、きれいごとばっかりいってんだよ!すぐに【感謝、感謝】という。すぐに【尊敬します】という。そんなに尊敬に値する人間なんて、俺はおめにかかったことがないよ!感謝するに値する人間なんて、そもそもいないんだよ!パーヴォのことを尊敬します、感謝しますっていうけど、そのパーヴォはお前になにしてくれたんだ!いってみろ!お前に音楽療法をしてくれた?馬鹿かお前は!だからお前はビョーキだといわれてしまうんだよ!」
「ママの介護する人間だって、いい加減な仕事ばっかりする奴らばかりだ!だから俺は奴らに一切礼はいわない。近所にだって俺は一切挨拶はしない。お前みたいに、近所の連中にだれかれ構わず挨拶すればいいってものじゃない!みんなが優しくしてくれるとお前はいうがな、本音はみんないざとなれば、みんな敵になる連中ばっかりだと、気を引き締めていかなきゃ行けないんだ!」
「そんなことも50歳にもなって気づかないのか、お前は!どこまでお人よしなんだよ、お前は!この世の中はな、この連中みたいに、お前のことを面白おかしく書いて、裏では舌を出す連中ばかりなんだよ!」
・・・信じられます?・・これが、「わたし」の父親のいうことです。
近所は敵ばかりだから挨拶しない?介護スタッフの人にお礼もいわない?え?おかしくないですか?クラシック音楽なんて気取った音楽は聴くな?
え?ふつう、逆のことを親は普通子供にいいませんか?「かならず挨拶をしなさいよ」「人になにかしてもらったら、ちゃんとお礼をいうのよ」「クラシック音楽は勉強になるし、教養になるから、ちゃんとききなさい」・・・普通、そうじゃないんですか?
わたし、こんなねじ曲がった人生観の持ち主が、自分の父親だったなんて・・
それとも、最近の日本って、こういう父みたいな考え方で83歳まで生きている価値観のオトナが多いってこと?それは世も末でしょう!
いちばんショックだったのはそのことでした。
私のブログを楽しみにして読んでいる、と母は父の事をいいますが、父は私のいったこと、書いたことをすべて捻じ曲げて解釈し、パーヴォのことをあしざまに言い(パーヴォ、ほんとうにごめんなさい😢)、N響のことをまるで詐欺師の集団のようにあしざまにいい、・・・・すべてをひねくれて解釈し、世をすね、世をあざけり、生きてきたのが、いまの父というわけでした。
わたしはしずかに言いました。「パパ、とりあえず、弁護士さんに相談して、削除要請をだすよ。でないと、このサイトにかかれていることを、就職活動先の企業が見て、結局採用を見送ってる可能性も高いからね。まずは徐々に誤解をといていくほかないわ。」
「それから、就職したら、やっぱりこの家をでていくわ。やっぱり、パパの人生観と私の育ってきた価値観は全然違うし、いまさら軌道修正は無理だからね」
父は「ああ、結構。まぁせいぜい好きにやってみろ。ただしブログは休止だぞ」ぎろりとにらんできました。
私は負けませんでした。「ブログは続けます。絶対にやめません」
父は「なにを?!」と気色ばんだので、私が静かにいいました。
「このブログは、もう4000人近い人が毎日きてるの。5ちゃんねるで見てるひとは、30人くらい。ほんのごく一部にすぎないわ。つまり一日大変な影響力のあるブログになったということなの。」
「それに、このブログを実際読んでくれた人たちや、私と実際に会ってくれたひとたちは、みんな『ブログに励まされました。かつらぎさんって、実際はこういう明るい方でやさしい方だったんですね』と言ってくれる。『5ちゃんねるなどの書き込みだけを見ると、みんなかつらぎさんを誤解するけど、実際に会うと、全然違う。ブログだって明るく楽しい内容が多いし、いつも楽しみ。元気をもらえる』といってくれる。もちろんアンチの人も、私のことが嫌いな人もいるかもしれない。でもそれはごく一部。よっぽどのひねくれもの。今のパパみたいにね。」
「パパは、自分たちの生活を最低の生活だといったけれど、工夫の余地はたくさんある。でも、パパがそれをしようとしないし、私にもさせようとしないだけ。たとえば、お部屋の整理をするだけで、家の印象はずいぶんかわるとおもうけれど、パパは絶対お部屋の整理をしないので、どんどん要らないものがたまるし、部屋が汚くなる。だから家にいても、いつもフラストレーションをためることになると思うわ」
「それに、ネット被害に私のようにあっている人も、他にもたくさんいると思う。そういう人たちのために、絶対にそういう嫌がらせや圧力に屈しない、ということを姿勢として見せるべきだと私はおもうようになったし、自分の表現の場として大切にこのブログは育てたいわ。パーヴォやN響の人たちも実際に見てくれて、N響のひとたちはとても励みになっている、と言ってくださるし、すくなくともN響の人たちやパーヴォは私に対して、冷たい対応はしないよ。」
「パーヴォがなぜ私のツイッターをブロックしているのか、わからないわ。パーヴォご本人はわたしを嫌がらないし、いつも演奏のときにやさしくフォローしてくださるし、ありがたいことだとおもってる。」
「でも、パーヴォのスタッフの人もTwitterを読んでるから、彼らの段階で私のことを不愉快におもっていて、ブロックする可能性はあると思ってるわ。東宝時代も経験あるけど、いわゆるマネージャーで、自分のタレントを守りたいがために、ファンに対して非常に失礼な態度をとるひとも、私は経験上しってるからね。でも、その誤解も徐々にこのブログやわたしの演奏会での態度を見て、解けていくと思ってる。時間が解決していくと思うの」
「あと、5ちゃんねるに書いているひとは、実際の私をみていない人が多いわね。たとえば、席を強制移動させられた、と書いている人もいるけれど、実際にそんなことはないです。ひどいデマ。むしろ、今までの席をちゃんと確保できるように、N響さんはすごく配慮してくれているし、逆に私のほうから申し出て、すっかり彼らが恐縮している状態です」
「2ちゃんねるや5ちゃんねるで巣くってる人たちは、ずっとネット上で遊んでばかりで、現実の人間関係をきちんと構築できない人が多いといわれているの。だから、私を勝手にネット上でもてあそんでいるということなのね」
「東宝時代のことも、それから、アルバイトをやったことがないのでは、と書いた人もいたけれど、あまりにも噴飯ものすぎて笑ってしまうわ。東宝入社前の人事の資料に、あるところでずっとアルバイトをしたことを私ははっきり書いてるの。でも、それを知らないで平気で5ちゃんねるのひとは憶測だけで私のことを書きたててる。週刊誌のでたらめな記事といっしょだね。」
「私が最初につけられた病気に対しても、すさまじい偏見を持ってる人たちには違いないわね。どんなことをわたしが言っても、書いても、すべて『病気だからやめさせてしまえ』と言って、弾劾する人たちなの。どんなにこの人たちにいっても、だめ。偏見のかたまりだから。一生、その偏見の中で、彼らは自己満足して生きていくのでしょう。かわいそうな人たちだと私は思うけれど。」
「だから、パパもこの5ちゃんねるの記事を読んで、真に受けちゃだめ。自分の娘をもっと信頼してほしいの」
それは、私が世間全般にいいたいことですけれど・・・。父は「そうか」とうなずき、くるりと背を向けました。もう父にいうことはありませんでした。これで父が理解しないのなら、もうそれは父から卒業すべき時なのでしょうね。
まずは、弁護士に相談して、削除要請をだします。それからストーカーに対しては断固として対応します。泣き寝入りはしません。
ここからが長くなりましたが、本題です。
つまり、ネット被害がこれだけ拡大すると、なんでも「表現の自由」の名のもとに行われてきた蛮行なので、やはりもっと具体的な法規制、罰則規定を、ツイッターや2ちゃんねる、5ちゃんねるなどの存在にたいして、積極的にもうけるべきだと私は思っています。
ほんとうはそういう法規制の介入をさせないように、2ちゃんねるや5ちゃんねる、ツイッターなどが自主規制すべきだと私は思うのです。が、もうここまで個人に対する執拗な攻撃があるとすると、わたしも自然と「法規制をすべきである」「憲法解釈も、表現の自由に関しては、もっと考え方を改めなくてはならない。個人の生活が脅かされるようでは、表現の自由の規制もある程度やむなし」と思わざるを得ません。
また、ネット被害によって、社会全体が非常に停滞し、人々の行動は制約を受け、経済の健全な発展も含めて阻害され、「ネットによる、超監視社会」が成立し、さまざまな弊害が起きるのではないいか、あるいは、いままさにそういう時代を迎えてしまっているのではないかという危惧を、私は抱いています。
私がふしぎでならないのは、ネット被害に対して、削除要請をしてもなかなかできないだけでなく、警察が、私がどの警察をまわっても、「ネット被害には対処できない」と言い張ることです。しかし、これだけ被害の実態が積みあがっているのであれば、警察も連携して対処できないのだろうかと、その点は理解に苦しむところです。現に、私はネット被害で実害をこうむっているのに、です。
この「悪意の連鎖」が増長され、公的機関によっての罰則規定もなく、日本中で横行することになると、日本社会全体の停滞や不安感も助長させることになるのではないかという懸念を、私は抱いています。
たとえば、私が発表する、音楽批評や演劇批評などに対して、さまざまな意見の交換があり、対立点もうまれたり、賛同する意見もあるのは、それはごく当然だと思います。昔から、批評にまつわる論争は、ありましたし、それが芸術の発展にもある程度寄与してきたことは確かでしょう。
しかし、私個人の日々の生活における、インターネット掲示板やTwitterの執拗な攻撃、嫌がらせは、個人の生活が健全にたちゆかないところまで人々を追い込みます。私が生活破綻者、あるいは、私が死ぬまで、このひどい嫌がらせと攻撃は続くのでしょう。でも、そうした悪質なネットユーザーを生み出した、社会の構造全体が、大きくゆがんでいることを、もっと政府も、自治体も、私達個人ひとりひとりも、つよく自覚し、早急に解決策を講じていく必要があると、私は考えます。
きっかけは、ストーカー問題であり、ネット被害でありましたが、ほんとうに、わたしたちが安心して心穏やかに、思いやりを持って生活していくのは、どういう努力と考え方が社会全体で必要か、真剣に考えなおす時期がきたと私は考えます。
ということで、今後もこのブログは継続してがんばりますので、よろしくご愛顧のほどお願い申し上げます。長文になりましたが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。