その昔、支倉橋という橋が水害のたび事に流されてしまうので、新しく澱橋が架設された。(元禄七年 1694 )そして、その橋から支倉丁に向かう道路が川沿いの崖を巻くように付けられたのだそうだ。 その道も、弁慶岩と呼ばれた急な岩の崖を切り開きつつ、城下の中心部へダイレクトに結ぶ必要もあって、現在のような急坂にならざるを得なかったらしい。この坂の途中に涌いていた清水が魅力だったという説もあるが、どんなものだろう。その後、当然のことながら、何度となく拡幅改修されているので、当時のルートがどうだったのかは明確ではないらしいが、この傾斜で未舗装の道であれば、登るも下るもけっこう難儀なことだっただろう。 知事公館の、かって仙台城の城門のひとつだった戎門(たしかそうだった)の前に立つと、急な下り坂で、しかも急な右カーブになっていることから、道が途絶えているかのような錯覚すら覚える。 この道の起点になっている現役の澱橋の下流側には、先代の橋の橋脚が残されている。それを見ると現役の橋桁よりもかなり低く、対岸のそれと結んでみると橋桁自体がかなり傾斜していたような気がする。 この坂の在り処はこちらです。地図の中心が新坂になります。 よろしかったら仙台のあちこちを地図で散歩なさって下さい。 |