演劇で読み込む日本と韓国それぞれの文脈――「God Bless Baseball」をめぐって

今年9月、韓国・光州に国際的な文化拠点としてオープンした「アジアン・アーツ・シアター」のオープニングフェスティバルで、岡田利規作・演出の「God Bless Baseball」が上演された。日韓共同制作である本作のモチーフは両国の国民的スポーツである野球。その物語は、日韓の背後に見え隠れするアメリカという存在を浮かび上がらせる。神戸大学教授で朝鮮半島地域研究を専門とする政治学者の木村幹氏はこの作品をどう見たのか。岡田利規氏との対談をお届けする。(構成/長瀬千雅)

 

 

「1982年」からの30数年

 

登場人物

女子A(日本語)

女子B(韓国語)

男(韓国語)

イチロー?(日本語)

〈声〉(英語)

 

A あの、これわたしのお父さんの話なんですけど、あれはわりと忘れもしないって感じではっきり憶えていて二〇〇六年のことだったんですけど、ワールドベースボールクラシックっていう野球のワールドカップ的な世界大会みたいのがあったんですよ。知ってます?

 

男 やってたね。存在は知ってた。全然見なかったけど。

 

A でもそのときは日本が優勝したんですよ。

 

男 だから野球は好きじゃないんだって。

 

A そのときがそのワールドベースボールクラシックの第一回大会だったんですけど、その大会がはじまる前に選手とかの記者会見ってするじゃないですか、そこでイチローが韓国に対してすごい挑発的な発言をしたんですよ、なんて言ったかというと、「韓国は日本にあと三十年は勝てない」って言ったんですよ。

 

イチロー? No, It’s not true.

 

A え、でもお父さんはイチローがそう言ったって言ってすごい頭に血が上ってたんですけど。ていうかなんで英語なんだよ。

(戯曲「God Bless Baseball」より)

 

 

木村 ソウルのテハンノ(大学路)(注)の近くに留学生が入る国際会館があって、いまは在日韓国人の宿舎になっているんですが、1996年から97年にかけて韓国国際交流財団の研究フェローとしてソウルに滞在したときにそこに住んでいたんです。何度かテハンノで演劇も見ました。ご存知の通り、韓国は日本よりも演劇が盛んなので。

 

(注)ソウルの劇場街。大小100以上の劇場がある。ギャラリーやライブハウスも多い。

 

岡田 テハンノは気持ちのいい場所ですよね。小さい劇場がたくさんあって、若者が集まるようなお店もあって、おしゃれな空間をつくっている。

 

木村 僕はおしゃれな界隈ではなく、その南の、なんの変哲もないところに住んでいたんですけどね(笑)。トンデムン(東大門)球場もまだ現役で、よく行きました。1982年に韓国プロ野球が始まったときに、開幕試合が行われた場所です。

 

いま、日韓でいちばん盛り上がるスポーツといえば野球なんですよね。昔はサッカーでしたが、ワールドカップのアジアの出場枠が増えて両方とも出られるようになった。かといって両方とも決勝を争うレベルにはない。世界が視野に入ってくると日韓戦が盛り上がらなくなってしまうんです。でも野球だとすごく盛り上がる。

 

韓国人が大好きなストーリーで、1992年のバルセロナオリンピックの男子マラソンがあるんですが、韓国人のファン・ヨンジョと日本人の森下広一が中盤で抜け出すんです。一騎打ちになって、最後、森下を振り切ってファン・ヨンジョが優勝する。つまり、世界の強豪から韓国と日本が抜け出して、最後日本を倒して韓国が勝つというストーリーが韓国人は大好きなんです。日本でなければアメリカなんですが。

 

プレミア12の日韓戦(注)もそんな展開でしたね。僕はバンコクにいて、あとで見たんですが。

 

(注)2015年11月19日、世界野球WBSCプレミア12準決勝の試合。3点差で追っていた韓国代表が9回表に4得点で逆転。9回裏の日本代表の攻撃を抑えて勝利した。

 

岡田 あの日、僕らは東京公演の初日だったんですよ。打ち上げの中華料理屋さんでテレビ中継を見てました。ちょうど逆転されるところを。

 

木村 あれが韓国人が大好きなパターンなんです。できれば9回裏であってほしかったと思っているでしょう。今回の劇でも2006年のWBCのことが描かれていましたけど、あのルールは韓国にとってアンフェアだとか言うじゃないですか。「そうなんだよ、韓国人はそう言うんだよ」と思って見てました。

 

韓国プロ野球発足が1982年なので、韓国人はプロ野球ができた瞬間を知っているんですよね。で、そこから(日本のプロ野球を)追いかけていくストーリーなんですよ。初年度はペク・インチョン(白仁天)という在日韓国人の選手兼任監督がいて、4割、圧倒的に打ちまくったんです。翌年は福士敬章(本名チャン・ミョンブ(張明夫))という投手が30勝した。つまり、日本で野球をやっていた選手との差がそれほどあった。それが、2006年のWBCは「ついに追いつくか!?」と思ったのに追いつかなかったということなので、やはり熱くなる。

 

変化が、韓国の方がはるかに激しいので、韓国人にとっての1982年からの30年と日本人のそれとは違うんですね。韓国は高度成長に入っているわけですから。

 

 

――時代の感覚と位置づけが違うんですね。

 

木村 そう、全然違うんです。だから、そうですね、パク・チャンホ(朴贊浩)(注)はもしかしたら王・長島のようなイメージかもしれない。日本人にとっての60年代のスーパースター。

 

(注)元プロ野球選手(投手)。韓国人初のメージャーリーガー。1973年生まれ。94年にロサンゼルス・ドジャースに入団。97年14勝をあげて野茂英雄とともに最多勝。98年は15勝をあげる。レンジャーズ、フィリーズなどを経て、2012年ハンファ・イーグルスで韓国プロ野球に復帰。同年11月に現役引退。

 

 

岡田 たぶんそうなんだろうなと僕も思っていました。その時代は僕は経験していないですが、愛着が似ているんだろうなということは考えていました。

 

 

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「God Bless Baseball」の一場面 (c)宇壽山貴久子

 

 

光州とヘテ・タイガース

 

男 あのさ、お父さんはヘテ応援してたんでしょ? ヘテ・タイガース。

 

A あ、はい、

 

男 それはさ、お父さんの出身の土地のチームだからとかそういう理由?

 

A あ、そうですねわたしのお父さんチョルラドの人なんで。スンチョンの出身なんですよ。それで大学からはソウルで、そのままソウルで仕事見つけて、そこでお母さんと出会ってそのままソウルで結婚したんで、わたしは生まれてからずっとソウルなんですけど。お父さんみたいなチョルラド出身の人からするとヘテはチョルラドの誇りというか、そういう存在なんですよ。ヘテよりももっとお金のある大企業の持ってるチームもあるじゃないですか、サムソンとかLGとかロッテとか。それでもヘテがいちばん強かったんですよ。

(戯曲「God Bless Baseball」より)

 

 

木村 劇の中に、ヘテ・タイガース(注)がうまいこと入っていましたよね。

 

(注)ヘテ製菓が所有していた球団。光州市を本拠地とする。1982年韓国プロ野球発足に参加。16年間で韓国シリーズ9回制覇、黄金時代を築いた。2001年起亜自動車に売却され起亜タイガースに。

 

岡田 この作品は初演が光州だったんです。作品の中でも言いましたが、光州人の気質は特殊で、自分たちは韓国の中でも疎外されている、虐げられているという意識があるんです。でも、野球がすごく強かったから、野球だけがチョルラド(全羅道)の誇りだったという話を、タイガースファンの人に10人くらい、会って話を聞かせてもらったんです。

 

木村 なるほど、光州でインタビューされたんですね。

 

日本でも阪神ファンが一方的に巨人に対して持っている対抗意識があるじゃないですか。韓国の場合は、ソウルに対してではなくて、チョルラドと慶尚道(けいしょうどう、キョンサンド)というかたちで、地域対立があるんです。慶尚道が要するに与党なんですね。それに比べて自分たちは迫害されていると思っているから、ものすごく対抗意識を燃やすんですよ。自分たちは虐げられている、でも、ヘテは強いんだと。

 

ソン・ドンヨル(宣銅烈)(注)というスーパースターがいて、僕が学生としてソウルにいたころ、まかない付きの下宿に住んでいたんですが、リビングにひとつしかないテレビはヘテの試合が始まると光州出身の学生に占領されてました。数人が熱狂的にヘテの応援をして、その他は「はいはいまた始まった」みたいな感じで見てる(笑)。正確に言うと、ヘテ・タイガースと、金大中(キム・デジュン)がスーパースターで、アイデンティティーだったんです。

 

(注)光州出身の元プロ野球選手。1963年生まれ。85年からヘテ・タイガース。95年オフに中日ドラゴンズに入団。韓国プロ野球から日本球団への移籍第1号となった。99年引退。引退後は指導者として活躍している。

 

劇の中で、ヘテに対して、大企業であるサムソンとLGとロッテが出てきたでしょう。全部創業者が慶尚道出身なんですよ。あ、きれいに入れたなと思いました。インチョン(仁川)やテジョン(大田)にもチームはあるんですが、そこを入れると全羅道vs慶尚道にならなくて、ストーリー的に美しくない。僕が選んでも絶対この3つになるなと思って、びっくりしながら見てました。

 

岡田 そうですか。野球を見にも行ったんです。チャムシル野球場というソウルの球場に、ドゥサン(斗山)・ベアーズというソウルのチームと起亜・タイガースの試合を。球場ではとりあえずチキンを食うものだって言われて。

 

木村 そう、チキンを食ってビールを飲んで。

 

岡田 ケンタッキーがたくさんあって、日本では食べてなかったから久しぶりに食べたんですけど、ケンタッキーってこんなにうまかったかなと思って。応援も面白くて。

 

木村 そうそう。

 

岡田 応援席が、日本の球場は外野にありますけど、韓国では内野なんですよ。

 

木村 チアが前で踊ってたでしょ。

 

岡田 そうなんです。チアリーダーのお立ち台があって。イニングの間にいろんなイベントがあるんですよ。ビールの早飲み競争とか。あと、突然チアリーダーのお立ち台に若い男女が上がってきたかと思うと、男性が女性にプロポーズを始めて、女の子がうれしくて泣き始めちゃって。

 

木村 ははははは。

 

岡田 おめでとう、みたいな。そんなのもありました。

 

木村 相変わらず無駄に盛り上がってるな(笑)。でもやっぱりいちばん盛り上がるのは、光州vsソウルではなく、サムソン・ライオンズといって、テグ(大邱)のチームですね。やはり慶尚道です。今はずっとサムソンが強いですね。ちなみに、サムソン・ライオンズは昔の西武ライオンズのユニホームとまったく同じユニホームを着てたりします。昔はロボット野球と言われていて、日本人留学生は「それ広岡じゃん」なんて言ってました。面白かったですよ。

 

岡田 そんなに何もかもが一緒だったんですか?

 

木村 今はだいぶ変わりましたけどね。昔はたとえば、一塁手はみんな背番号10だったりするんですが、張本(勲)なんですよね。在日韓国人の大スターなので。それから、あれはヘテだったんじゃないかな、イ・ガンチョル(李強喆)というアンダースローの投手がいて、背番号が19番だったんですが、それだけでなくキャッチャーが22番をつけていました。それって阪神タイガースの小林(繁)と田淵(幸一)の番号なんですよね。日本の野球に対してリスペクトはすごくあります。

 

岡田 去年の夏に韓国でオーディションをしたんですが、ちょうどオールスターゲームをやっていて、それがパク・チャンホの引退ゲームだったんです。

 

木村 なるほどなるほど。

 

 

――それはすごいイベントなんですか?

 

木村 それはそうですよ。劇中にもあったように、パク・チャンホは野茂(英雄)とイチローを合わせたようなスーパースターなので。

 

岡田 どこかでごはんを食べていたときにそこのテレビでオールスターがやっていて。胴上げされたりしてて、「これがパク・チャンホです」って教えられて。あ、そうなんだ、ちょうどすごいの見れたなと思って。

 

 

――そのときにはもう劇中にパク・チャンホが出てくることは決めていたんですか?

 

岡田 出さないわけにはいかないということは、その間のリサーチでわかっていました。

 

木村 なるほど。

 

岡田 ただスーパースターというよりも、韓国の社会情勢と結びついてスーパースターなんですよ。

 

木村 僕は(パク・チャンホがメジャーリーグで活躍した)97年、98年は日本にいたので、意外と実感がなくて、劇を見て「韓国でそういうふうに思ってたんだ」と思いました。それは逆に僕にとって発見でしたね。

 

僕の生活実感としては韓国人にとってのスーパースターはソン・ドンヨルなんですが、彼はメジャーに行きませんでしたから。そうか、パク・チャンホなんだなと。あとは女子ゴルフだと思うんですよね。パク・セリ(注)がもう出ていたのかな、その二人ぐらいしか世界的なプロの舞台で活躍するスターがいなかった。

 

(注)女子プロゴルファー。1977年生まれ。1998年プロ入り。同年全米女子オープンで史上最年少優勝を果たす。

 

岡田 僕は知らなかったんですね。だけどいろいろ話を聞いたら、本当にパク・チャンホの名前が頻出するんです。これは相当なものだぞと思いました。

 

 

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写真左から木村幹氏、岡田利規氏

 

日韓で異なる「傘」の意識

 

おもむろにBが、傘の外に出る。

 

イチロー? 危ないよ。

 

Bは動じない。

 

イチロー? 出てきたら危ないよ。……戻って。

 

Bは一向に動じない。

 

イチロー? ねえ、危ないよ。わからないのかな? わからないんだとしたら、想像しよう。いいかい。(投げたボールがBに当たる)ほら、危ないって言っただろ。だから想像しよう。想像して、戻ろう。危ないから。(投げたボールがBに当たる)ほら、危ないんだよ。危なくないように、戻ろう。想像して。そして戻るんだ。そうしないとほら(投げたボールがBに当たる)危ないんだから。

 

ボールバケツの中のボールがなくなる。イチロー?はいったん退場。すぐに戻ってくる。ホースを手にしている。ホースからは水が勢いよく噴出している。

 

イチロー? 危ないよ。戻って。想像して。想像したらわかるはずだよね。戻らないとどうなるか。(ホースから出る激しい水流をBに浴びせる。)

 

Bは動じない。傘の下にいた男とAがBのそばにいきBの上に傘をかざすと、Bはその傘を奪い取ってわざと差さず、水を受けて濡れる。

 

イチロー? なあ、危ないってことがわかってるか? 想像していないんだ。

 

B 私は想像してる。

 

イチロー? 何を想像してる? 僕が想像しろと言ってるのと違うことだろ。

 

B Who’s the leader of the club that’s made for you and me?(ぼくらのクラブのリーダーは?)

 

B、観客を見る。

 

B ここまでは現実のアレゴリー。ここから先は、まだ対応する現実がない想像。

(戯曲「God Bless Baseball」より)

 

 

――劇の終盤、ひとりだけ、傘の下から出ていく女の子がいますよね。彼女だけは韓国人とも日本人とも明示されません。聞くのも野暮かもしれませんが、やはり、あの女の子は誰なんだろう、どうなるんだろうということは、想像させられます。

 

岡田 それは、どちらでもいい。どちらかではなく、どちらでもいい、ということがやりたかったんです。

 

木村 そうでしょうね。そこで韓国だけが傘から出て行ったら全然違う話になってしまいますからね。今のこの政治状況で。韓国とも日本とも設定されていなかったから、僕は納得して見ることができた。どちらかにしたらつまらなかったと思う。だからなおさら、日本の人が見てどう思うかというのは気になりました。

 

韓国の人と日本の人とで、見方がずいぶん違うだろうと思うのは、韓国の人にとってのアメリカとの体験は、かなりつらい体験なんです。もちろん朝鮮戦争で助けてもらったということはあるんですが、同時に、光州の人だったら絶対に、光州事件(注)を念頭に置きながらあの劇を見るんだと思うんです。

 

(注)朴正煕大統領暗殺(1979年)後、軍内の実権を握った全斗煥らは、全国に広がる民主化を求める市民の動きを許さず、1980年5月17日全土に戒厳令を布告。金大中らを逮捕。全羅南道の光州で金大中の即時釈放を求めて市民が蜂起。翌日から10日間にわたり部隊による徹底した鎮圧が行われた。死者・行方不明者は600人超とされている。(『韓国現代史』から該当箇所を抜粋、要約)

 

あのときは、真相はともかく(部隊による鎮圧に)アメリカがゴーサインを出したとも言われていて、結果、何百人も人が死にました。光州の人にとってはそれは絶対に頭から離れない事件なんです。「アメリカは、日本はある程度大事にしても、韓国に対してはやっぱりこんな扱いだよね」と思っているから、そこから逃れたい、自立したいという意識は強くある。一方で日本人はそういう意識は弱い。

 

歴史的にも、韓国はアメリカがこの地域にやってくる前から中国という大国が隣にあって、昔からその傘の中に入ったり出たりしているから、「傘の感覚」があるんです。「今この傘を選んでいる」という自覚がある。だけど日本人にとっては、アメリカがはじめて入った傘なんですよね。

 

だから、劇の設定は措いて、「傘から出たのは日本人だと思うか、韓国人だと思うか」と問われたら、僕なら「韓国人でしょうね」と答えるよね。なぜなら、日本人はなかなか傘から出られない。出るのが怖いから。そしてそれはつまり、自分で傘を選んだことがないから。傘に入った人は傘から出られるけど、傘に入ったことがない人はどうやって出ればいいのかわからない。僕は政治学者だからそういうふうに見るのかもしれませんが、そういう意味ではすごく現代的だと思います。

 

 

木村幹氏

木村幹氏

 

 

岡田 韓国の人たちと話をしていてそれは感じました。日本と韓国の関係を、アメリカを勘定に入れて考える。たとえば、「今安倍がこういうことを言っているのはアメリカに言わされてるんでしょ」というような見方をする。日本国内の出来事に対してですよ。そういう視点を持っています。

 

木村 常にありますよね。

 

岡田 日本の人たちはあまりそういうふうには見ていないと思うんですよ。それは「傘の感覚」があるかどうかと関係するんだろうなと思います。

 

木村 韓国の人たちは常に意識して生きていますよね。まさに巨大な父親だと思うんですよ。劇中で語られていたように、お父さんが野球が好きだったから、自分は嫌いだけど野球をやったというのは、韓国的な文脈ではものすごくよくわかるんですね。それが一種の悲劇で終わるんだけど、同時に解放だという状態は、韓国人にはわかるだろうなと思って僕は見ていました。

 

岡田 そうですか。あれは本当に僕のストーリーなんです。子どものときに感じたことを書きたかった。

 

木村 そんなパーソナルなものが入っていたんですね。でももっとたちの悪い、というか上手な父親は、子供が野球が好きになるように仕向けていくわけじゃないですか。それこそイチローのお父さんみたいに。日本的にはそっちだよね。

 

この劇で、日本人には違和感がないけど韓国人から見て若干違和感があるかもしれないと思うのは、「日本もそうなの?」と思うんじゃないかということです。つまり、日本人は、「日本も韓国も両方ともアメリカの下にあって、同じだよね」とすっと入れると思うんですね。だけど韓国人には、「自分たちは痛めつけられてきてけっこうつらかったけど、日本はそうじゃなかったんじゃない?」という気持ちが入る。つまり、距離が違うじゃない、と。

 

岡田 そうですそうです。アメリカとの関係が対称じゃない。

 

木村 同じお父さんかもしれないけど片方はすごく大事にされている長男で、片方は無視されている次男坊だ、みたいな。自分たちの方が植民地にされて苦労したはずなのに下に扱われている、日本は戦争に負けたくせにアメリカに大事にされている、理不尽だ、みたいな思いはありますからね。水がブシャーっとかけられるわけですが、俺にしかかかってないよねと韓国人はたぶん思っている。だから、傘から出て行く人は、韓国人にはやはり韓国に見えるかなという感じはちょっとしました。もちろん制作者の意図もあるし、観客によって違って当然なんですが。

 

 

――私は、あの女の子は韓国語を話しているのでなんとなく韓国に見えていました。あの子が日本語を話す俳優さんだったらどう見えてたかなとは思います。

 

木村 僕もそう思った。金融危機について語られるときにバットをめちゃくちゃに振り回していたし。あの文脈は、日本のお客さんはどの程度までわかるんだろう。

 

岡田 韓国の人にとっての「IMF」(注)は、ものすごく生々しいんですよね。たとえばバブル崩壊とは比べものにならない。もう、本当に、体に直接傷がついてるんです。

 

(注)1997年、経済危機に直面した韓国は国際通貨基金(IMF)に緊急支援を要請。IMFが韓国経済に介入しさまざまな改革を要求、韓国経済は混乱した。

 

木村 そうです。日本ではバブル崩壊で、たとえば山一証券のように倒産した企業に勤めていた人は別ですが、多くは職まで失ったわけではない。だけど1997年の韓国通貨危機では、サムソンや現代に並ぶような巨大な企業グループがいくつかふっとんだし、給料が半分とか3分の1になることも普通にありました。

 

もうひとつは、あのあと世界が変わったという意識がものすごくあるんですよ。転げ落ちるように格差社会に入って行き、今では有力大学でも卒業時の就職率が3分の2とか、とんでもない世界になっている。ヘテ・タイガースの歴史が体現していたようなある時期までの古き良きパラダイスのような時代があって、それがアメリカによって壊された。そういうストーリーだよねと思って見ていました。だから、バットを振り回している人は僕にとっては韓国の人にしか見えないです。

 

岡田 それはそうですね。IMFというのは、韓国の人にとっては、単にオーガナイゼーションの名称ではなくて、その苦しい体験そのものを指し示す言葉なんですよ。

 

木村 「IMFのときは」という言い方をするよね。

 

 

――日本のバブル崩壊とは違うんですね。

 

木村 加えて、IMFは国際機関じゃないですか。要するに、我が国は経済植民地になったんだという言い方が、当時よく使われていました。

 

 

――「GHQ」みたいな感じですか。

 

木村 そうそう。無条件降伏なんです。IMFがやってきて改革をする。主権も全部明け渡して、すごく嫌な思いをした。日本で言うと敗戦に近い経験ですね。しかも一方的に責められた挙句の敗戦。そんな感じでしょう。だから韓国人の方がディープにこの劇は見れると思う。韓国だし、光州だし。

 

岡田 奇しくも光州だったんです、初演の地が。盧武鉉大統領が光州にアートセンターを作るという公約を残していて、途中中断はありつつも、今年オープンしたんです。でも、光州の人たちの多くが求めていたのは企業が誘致されて、みたいなことだったようで「え? アート? 何それ?」みたいな反応もけっこうあるみたいで。【次ページにつづく】

 

 

 

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