治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

トラウマは一発学習(大河漫画一部公開します)

2019-02-22 09:27:28 | 日記
先おととい、久々のギョーカイトラウマを受けて
怒り心頭で雨の中傘も差さずアタマから湯気出しながら帰ってきて
おとといの午前中はなぜかふだん滅多に冷えない足が冷えてました。
アタマに血が上って足に回らなくなったのかもしれません。

午前中はなんとか仕事していたのですが
午後は休んじゃおうかな、と思いました。
思えば何日オフをとっていないのか。
沖縄から帰ってきたのが先月20日。DSM-5の原書が届いたのが21日。21日の午後一気に神経発達障害のところ読んで、翌日から「NEURO」を書き始めたのです。沖縄行く前の忙しさから考えると丸々一ヶ月は休日を取っていないでしょう。

あ、でもNEUROは原則としてDSM虎の巻的な本ではないですよ。
以前からNEUROについて書く構想は持っていました。ギョーカイがあまりにこの五文字を無視することには気づいていたので。
そして今年の1月1日に原書を注文しました。、2019年最初のお買い物でした。

なんで原書を読んだ途端に「これを早く出そう」と触発されかというと、「ここまでギョーカイは情報統制するのか」とそこに気づかされたからです。もっと早く読んでいればよかった~と。これだけ情報隠していることをもっと早く皆さんに伝えておけたのに、と。
それで急いで出そうと思いました。

まあともかく、肉体的には相当疲労しているはずです。
その間他の仕事もやっていたし、筋トレだってやってたんですから。
高タンパク食で乗り切っていたかも。
それとどんなに忙しくても夜は寝られます。それが私の強み。


まあともかく、ギョーカイトラウマの後遺症として身体が冷えたあの日、この際なんか好きなものを食べに行こう、とランチに街に出ました。
今日は高タンパクとかそういうの考えないでいいからとにかく自分の身体が食べたいというもの食べようよ、という感じ。なんだったらデザートも可。アイスクリームでもケーキでも。っていうかお酒も飲みたければいいんじゃない? 午後休んじゃえばいいんだから。とにかくこのギョーカイトラウマ由来の冷えを追い出すのが大事。

そして結果的には、インド料理屋さんができてたのでそこに入って可もなく不可もないバターチキンを食べました。凡インド料理屋ランチにつきものの詰めの甘いサラダもついていた。ビールは頼まなかった。ナンは残した。結果的に高タンパク低糖質スペクトラムでしたね。
そしてバター食べると基本的にデザートなんかいらない、っていうことで午後からも仕事。
っていうかほかほかしますよ。バターチキンの中にはほかほか成分がいっぱい入っているよね。
夕方になったら今日は絶対無理だろうと思っていたトレーニングに出かける気になりました。
そして短縮バージョンだけど、1時間半くらいトレーニングして帰ってきたらもう冷えもギョーカイトラウマもどこかに行ってしまった。

そして思いついてしまったんですよ。
皆さんにお配りする「発達障害がなんで身体アプローチで治るのか一目でわかる絵はがき」。
一日の中で自分に起きた出来事で気づいてしまったことがあって、それをどうしても描き加えてもらいたいと思いついてしまって。それでラフを出し直してもらう、という災難を画伯にはかけてしまいました。おまけにそのラフを見てさらに思いついて(以下同文

今回のギョーカイトラウマでは、神田橋先生のあの言葉を思い出しました。
「トラウマは一発学習」っていうやつです。

蛇に噛まれたことのある人はそれ以降、長いものを見ると怖くなる。長いものを避けるようになる。これがトラウマの正しい作用。

そして私に今回トラウマを与えた人は、私に長いものをみせたつもりで蛇を見せたつもりではないと思います。でも私は「自閉症者の特性に萌えた支援者に自分の感情をないがしろにされ、眼前ではしゃがれて自分の親しい人の前でも露悪趣味を発揮されつらい思いをした」というトラウマを持っている。それが一気に発動したんですな。
あっちはただの長いもののつもりではしゃいで、私と私の親しい人たちに手柄のつもりで見せたのでしょう。でも私には蛇に見えた。これまで親しくしていたつもりの人が蛇を見せて私が大事にしている場所に嫌がらせで置いていったように見えた。
そして私がやったことは、その人との関係を絶つこと。すっぱーん。

でもこういう風に誰かのトラウマを喚起することは、私もやっていると思います。

私が「治そうよ」というとき、ある種の当事者保護者にある種のトラウマを喚起していると思う。
それは私が意図していないトラウマだと思う。
「治そうよ」にトラウマを喚起される人は、自分が自分でいてはいけないような扱いをされてきたことに傷を負い続けている人でしょう。
そういう人は私がなんの悪気もなく言う「治そうよ」に傷つけられる。
私を傷つけた人が私を傷つけるつもりなどなかったように。

だったら言うな?

いいえ。私にはちゃんと言う権利があるんです。
私は治すのがいいことだと思っているし、そのための方法を知って伝えようと様々な努力をしてきた。そしてそれによって助かっている人もいるんですから。
そもそもの原点を「NEURO」の大河漫画にしておきました。
今回特別に一部公開します。



私が最初に思ったのは「この四つの不具合をどうにかしてあげたい」です。
私はニキさん藤家さんが大好きだった。
大好きだったからこそ、こんなにいい子たちが社会に出る障害となっているこの不具合をどうにかできないかと大真面目に考えたのです。
凡医たちはどうにもならないといった。
だから私は凡医の群れの外で探したのです。どうにかする方法を。

そしてそれは2019年現在、どうにかなるものになった。
全部解決したんです。




そしてここがどうにかなると、知的面・学習面・情緒面でも障害がなくなっていった人が多い。
身体アプローチをやった人はそのことに喜んでいるんです。

なぜこの四つの不具合が治ると知的面・学習面・情緒面も治ったのか?
それは発達障害=神経発達障害だからです。
神経発達障害だからこそ、全部一挙に治るんです。
それで喜んでいる人たちがいるんですから、私の発言がいかにある種の人たちのトラウマを喚起しようと、私は発言をやめません。



それでもこういう背景は一向に知ろうとせず、「治そう」と言い続ける私がある種のトラウマを喚起するとアンチな当事者保護者諸氏が思うのなら

私を切り捨てればいいんです。
私が先おととい、それまで親しかった人を切り捨てたように。
いつまでもじくじく見てないで。
私は自分を傷つけた人との関係を絶った。
それと同じように
「治そうよ」という私の主張で自分が傷つくのならもう見なければいいだけです。

私と縁を持つ必要はあなたたちには一切ありません。私がなんらかのトラウマを喚起するのなら、それはほぼ生理的なレベルの出来事ですから、いくら言葉でごまかそうとしてもダメ。自分のトラウマを喚起するものはすっぱり視界から外せばいいんです。
そして堂々と、自分は治る必要はない、と胸を張って生きればいいのです。
治りたい人だけが治ればいいのです。

でも最後にひとつだけ考えてみればいいと思います。
本当に治りたくないですか?
誰かに「治らなくていいと思うことこそ正しいんだ」とすり込まれたせいではないですか?
私は新刊の中で「障害受容何それ食べれるの?」と書いています。
障害を受容するもしないも自由。でも断じて支援者に強制されるものではないと思います。

治りたいか治りたくないか。
あくまで自分で決める。
そのとき友だちの意見はきかなくていいです。
支援者の意見なんかくそくらえです。彼らは所詮他人です。業者です。
自分の本心をみつめて決めればいいです。
だって自分のうちのことだから。
花風社クラスタはそうやって一人一人自分の本心を見つめ、そして「治りたい」と決めた人たちなんです。

私は悪気がなくても私を傷つけた人との縁を切りました。
なぜならトラウマは一発学習で、生理的なレベル。
それはどれだけ謝罪されても言葉では治らないし、私は私を傷つける人と付き合う気はない。
これが自己肯定感です。
自分を傷つける人からは遠ざかる。もう近寄ってこないようにする。
そして全世界に人がたくさんいる以上、誰と付き合うかは主体的に決めてよいからです。

私は一度こじれた人とは、決して仲直りをしないことを信条にしています。
それが私のソーシャルスキルです。
その代わり新しく出てきた縁は大事にします。
ただし、去る者は追いません。
時々去る者を土俵下に突き落とすことはありますが。
それはよほど相手を憎んだときです。
なぜ土俵下に突き落とすか。
二度と近寄ってきてほしくないからです。

だから、「なんとか自閉っ子にラクになってもらいたい」と思った最初の私の赤心を疑ってかかっているアンチな人たちに対しても同じです。
その人たちに私の善意をわかってもらいたいという気持ちは1ミリもないのです。
誤解を解く気もないのです。
私の原点は、自閉っ子にラクになってもらいたいということ。
多くの人たちがそれをわかってくれています。
そして花風社の本を読み続けてくれています。
でもアンチがそれをわかる必要はないです。
ずーっと、一生誤解していればいいと思います。

そして治らない、という意志を貫き
「発達障害は治らない」とその一生を通じて身体を張って証明すればいいと思います。

私は治りたい人のために情報を提供していきます。
そしてそれは多くの人に喜ばれています。
たった今私の命が終わっても
私は満足して死ねると思います。
それくらい自分の仕事に誇りを持ってやっています。
でもそれをはなから誤解している人たちにわかってもらいたいとは全く思っていません。
その人たちとは縁がなかった。
それだけの話。
でも世の中には治りたい人がいます。
私は思ったことを言い続け、そちらの人たちが気づいてくれたらそれでいいのです。
だから「治そうよ」と言い続けます。
治りたくない人の気持ちを変えるためではなく
治りたいけどその気持ちに自分で気づいていない人に本心に気づいてもらうために。
そしてその人たちに、治りたいのなら方法はありますよ、と気づいてもらうために。

銅メダルとっていました。
直販もとても多いのに、ありがたいことです。



「NEURO 神経発達障害という突破口」

花風社HPはこちら。



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