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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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ヌード写真つき薄い本『ジャイナ教とは何か』、六師外道全員、特にジャイナ教とアージーヴィカ教に詳しい薄くない本『ジャイナ教入門』 

60ページ以内なら薄い本であり
全裸の人=空衣派の出家者の写真が載っているので嘘は一切ない、いいね?
270ページくらいの薄くない本も紹介するよ。
こちらは六師外道全員、特にジャイナ教とアージーヴィカ教に詳しい。



印象的な画像紹介。



丸に十字(笑) ※ジャイナ教はグノーシスの源流であるバラモン教を否定しているから偶然。


























読むきっかけは専門家が作成した入門書一覧。
ウィキのジャイナ教系の項目が日本語なのにやたら詳しいなと思って
参考文献を見ると以下の本が含まれているものがあった。




上田真啓『ジャイナ教とは何か 菜食・托鉢・断食の生命観』風響社

冒頭で言った通り、かなり薄いので入門にオススメ。

上田真啓『ジャイナ教とは何か』

マハーヴィーラの実在は間違いないとされる。
正確な生没年の統一的見解がない。
ブッダが活躍したのと同時期の紀元前6~5世紀であることはほぼ確実。

厳密にはジャイナ教団の創始者ではない。
両親はパールシュヴァという、マハーヴィーラからさらに遡ること250年ほど前に活躍した人物が率いた集団、ニガンタ宗の信奉者であり
彼はこの改革者だっただろうと考えられている。
伝統的な説ではパールシュヴァの前にさらに22人のティールタンカラ(救済者)が存在していたとされている。
つまりパールシュヴァは23番目のティールタンカラであって
マハーヴィーラは24番目にして最後のティールタンカラであるとされている。
ティールタンカラ
=渡し場を作るもの
という意味の尊称で23と24番目以外は非常に長い寿命だったり
人間的ではない身長だったりするので歴史上の人物とは考えにくい。

ティールタンカラの名前とシンボルの表が掲載されている。
初代ティールタンカラの名前がリシャバ(アーディナータ)でシンボルが雄牛。
23代目のシンボルはコブラ
24代目のシンボルはライオン。
この表は白衣派のもの。
空衣派と若干の差異がある。

・p.14から
マハーヴィーラは
偉大なる勇者の意味で尊称の一つ。
生まれた時の名はヴァルダマーナ。
ジナ=勝者も尊称の一つ。
インド東部の現在のビハール州パトナ近郊のクシャトリヤの家に生まれたとされる。
母の名はトリシャラー、
父の名はシッダールタであったという。
一説によると、彼の両親が生きている間は世俗の生活を続けるという誓いのもと、
彼はヤショーダーという名の女性を妻として娶り、
プリヤダルシャナーという名の娘をもうけたといわれている。
両親の没後、30歳のときに世俗的な生活を離れ、
衣服や装飾品を含む持ち物の一切を放棄して、
神々に祝福されつつ出家を果たした。
言葉少なく、長期間断食し、
悪天候に身を曝しつつ徒歩で遊行。
12年半の苦行生活の末、42歳の時に一切智を獲得した。
特別な集会で説法を始め、それからインド東部地方を遍歴しつつ伝道生活を送ることになった。
その間に、バラモンから改宗したインドラブーティ・ガウタマを始めとする
11人を弟子の筆頭とし、教団を運営する統率者としている。
マハーヴィーラは一切智の獲得から30年後の72歳のときに
現在のビハール州のパーヴァープリーにてその生涯を終え、
解脱者となったと言われている。
ジャイナ教の伝統的な記述に従うならば、
マハーヴィーラの入滅時には教団は
1万4000人の男性出家修行者、
3万6000人の女性出家修行者、
15万9000人の男性在家信者、
31万8000人の女性在家信者にまで成長していたことになる。

一説によると、マハーヴィーラははじめ、クシャトリヤの母胎ではなく
バラモンの女性の母胎に受胎したが、
神々の王インドラが改めてマハーヴィーラの霊魂を
同じ頃妊娠していたクシャトリヤの女性のトリシャラーの母胎中の霊魂と交換させ
マハーヴィーラがクシャトリヤの母から誕生するように仕向けたというのである。

これを認めない者たちも存在するが、反バラモン的思想が反映されていると考えられている。
これに始まる五つの出来事、つまり
受胎・誕生・出家・一切智の獲得・解脱を
「五つのめでたい出来事」として数え上げるが、
これらはマハーヴィーラだけでなく全てのティールタンカラに共通する。

現在伝えられている聖典の中からマハーヴィーラの生の声をありのままに取り出すことは、
伝承も一様でないため困難をともなう作業。
マハーヴィーラが以下の五つの項目を
もっとも基本的な実践倫理として重視したことは一般的に認められている。

 1 生き物を傷つけない
 2 嘘をつかない
 3 与えられていないものを取らない
 4 性的禁欲を守る
 5 所有しない

これらは現在もジャイナ教の根幹。
これらは
意と口と身体によって、しない、させない、するのを認めない。
生き物を傷つけないとは
意と口と身体によって、生き物を傷つけず
他人をして生き物を傷つけさせず、
他が生き物を傷つけるのを容認しない
という意味で他の項目も同様。

これらすべてがマハーヴィーラの独創ではなく
マハーヴィーラの時代にはすでにパールシュヴァの教えとして以下の四つが
伝えられていたとされる。

 1 殺生をやめる
 2 嘘をつくことをやめる
 3 与えられないものを取ることをやめる
 4 外部に与えることをやめる

4が正確に理解されなくなったので
マハーヴィーラは性的禁欲を守ると所有しないの二項目に分割した。
つまり彼は改革者。
研究者の谷川によると、これらに懺悔という儀礼を付け加えたところにも
マハーヴィーラの独自性が見られるとしている。

(外部に与えるが性的禁欲と非所有になるのか。
外部に与えるは
外部を体外と解するなら
男性なら精液の放出、女性なら出産で、

外部を自分以外に解するなら
他人に与えないの実行のためにそもそも与えるものを持たない
という意味だったのでは。
これなら説明不要なように
性行為禁止と所有禁止にしたほうがいい)

マハーヴィーラまで24のティールタンカラと、
インドラブーティ、スダルマン、ジャンブーの合計27人は完全知を獲得したとされる。


ジャイナ教の聖典は一つの著作ではなくいくつもの文献で構成される。
マハーヴィーラの弟子であるスダルマンが
後継者のジャンブーに
「尊者(マハーヴィーラ)はこのようにお説きになりました」と言って伝える、
伝聞の体裁が多い。
変わらぬ形で2500年も伝えられてきたわけでもない。
少なくとも現在の聖典の形をとるまでには、少なくとも三度の編纂(結集)を経験したといわれている。

(また教祖が聖典を書かない問題だ!
後に聖典内容を巡って争うことが確実なのになぜ防がなかったのか。
仏説ならぬ勇説)

最初の結集はジャンブーからさらに四代を経過した
バドラバーフ(紀元前3世紀頃)の時に行われたとされている。
当時の活動拠点であったマガダ地方に大規模な飢饉が発生した。
バドラバーフは難を逃れるために教団の一部を率い南へ移住したが
そのときマガダ地方に残った者たちの間で、
聖典の知識を再確認する編纂作業が行われた。
二度目は紀元後3世紀頃のことで、これにも大規模な飢饉が関係しているといわれている。
このときにマトゥラーとヴァラビーという異なる二つの土地で、
ほぼ同時に結集が実施され、
結果的に伝承に二つの流れが生じたと言われている。
三度目の結集はこの二つの伝承の流れを解消するために
紀元後5世紀の中頃、ヴァラビーで行われたとされている。
この最後の結集をもって聖典内容がほぼ確定し現在まで伝えられているとされる。
1500年にもおよぶ長い歴史の中で
後代のテキストが聖典として新しく追加されたり
タイトルのみが残り中身がごっそり入れ替わってしまったり、
古いとされるテキストにも挿入や改変、脱落がしばしば生じてきたであろうことが
示唆されている。

教義は時代を下っていくにつれて徐々に理解されにくいものとなっていったため、
時代の要請に応じて解説(註釈)が付された。
聖典と合わせて膨大な量。
筆者は以前、ジャイナ教在家信者の案内で
「アーガマ・マンディル」
(アーガマ=ジャイナ教聖典。
マンディル=寺院)
と呼び慣らわされているマハーラーシュトラ州のプネ市郊外の寺院を訪れたことがある。
本殿を囲む回廊の壁一面には文字が彫り込まれた金属板がびっしりと貼りこめられていた。
高さ約3メートル、回廊の一辺は100メートルほどはあっただろうか。
それがぐるっと四辺あるので壮観としか言いようのない光景であった。

(金属板に彫るのは保存強度を考えると実に素晴らしい)


大きく分けて空衣(くうえ)派=空を衣とする=何も身にまとわない
(別名が裸形派)

と白衣(びゃくえ)派=白い衣を身につける
の二つの宗派がある。
空衣(くうえ)派はマハーヴィーラが出家したと同時に裸形を実践したとして
裸形は解脱に必須の条件であるとしているが
一方白衣派はマハーヴィーラは出家時には衣を身につけていたとして
裸形は必ずしも解脱に必要な条件ではないとしている。

空衣(くうえ)派は
マハーヴィーラ誕生前に起こったとされる母胎の霊魂の交換や
マハーヴィーラの結婚と娘の誕生といった出来事を認めていない。
またマハーヴィーラ以前のティールタンカラに関しても、
白衣派は19番目のティールタンカラであるマッリナータは女性であるとするが
空衣派はこれを認めず男性であるとしている。
これは空衣派が女性の解脱を認めていないことと関連している。

ジャイナ教の聖典群は白衣派において伝承されてきたものであり
空衣派はもともとの聖典は早い段階で全て失ってしまったとして
白衣派の伝承する聖典の正統性を認めていない。

二宗派の中でも尊像崇拝肯定派と否定派に分かれる。

白衣(びゃくえ)派で尊像を崇拝する一派は
ムールティ・プージャカ
(ムールティ=尊像
プージャカ=崇拝する者)
と呼ばれ白衣(びゃくえ)派で最も大きな集団を形成している。
彼らは尊像を安置する寺院の存在も認めるため、
マンディル・マールギー
(マールギー=道を意味する語の派生形)
とも言われている。
対して尊像崇拝しない者たちは
サードゥ・マールギー
(サードゥ=出家修行者)
と言われ、寺院を持たない。
空衣派にも尊像崇拝派と
尊像ではなく聖典を崇拝する派が存在している。

出家者用の大誓戒と在家者用の小誓戒の違いは
五つの誓戒を守る程度の違い。

出家修行者は性的交渉はもとより
異姓との物理的接触自体を徹底して避けないといけない。
在家信者では配偶者同士でかつ子孫を残すことを目的とする場合に限り
性的交渉が認められている。
異性間での気安いスキンシップがはばかられることは想像に難くない。

ジャイナ教のある一派の人口5万人のうち
男性出家修行者がわずか150人ほど、
女性出家修行者が550人ほどであるという。
他の派でも比率はそう大きく変わるものではないと予想されるが
出家修行者数がで女性が男性の3~4倍なのが大きな特徴であり
マハーヴィーラの伝記においてもすでにそのような傾向がみられた点は興味深い。

出家修行者は原則的にはよほどの理由がない限り在家信者へと還俗することはない。
マハーヴィーラと同様出家は人生において一度きりの行為。

※白衣(びゃくえ)派も空衣派も部分的な誓戒を守ることを特別に許可された
半僧半俗のような身分が存在している。
例えば白衣派の一派は出家修行者の誓戒を授かりながらも、
移動制限をもうけず、海外などで学問に専念したり伝導につとめたりすることを許された身分が存在。
しかも中には還俗可能なものも存在することが報告されている。


出家修行者は特定の指導者によって統率された集団に属しているが
日常的には数人から十数人程度の単位で活動している。
日本の仏教の僧侶のように寺院に定住することはなく
家族を離れ、生涯を通じて遍歴遊行の生活を送る。
生涯独身を貫く。
以上は白衣(びゃくえ)派も空衣派も変わることはないが
以下では主に白衣の伝統に沿った特徴について述べていくことにする。

(裸形像が登場
ジャイナ教の聖地 シュラヴァナベラゴラのチャンドラギリの丘に登る
https://www.youtube.com/watch?v=YGvts--D6Ik)

マハーヴィーラの生き方がジャイナ教でもっとも理想的な生き方であり
彼のような修行生活を送ることによって輪廻からの解脱を果たすのが出家の最終目的。

ジャイナ教では
業=非常に微細な物質。
日常的な活動を行うと
業が我々のジーヴァ(霊魂)の中に入り込み付着。
ジーヴァは一種の生命原理のようなもので
業の一切付着していない本来の状態では上昇する性質を持っている。
しかしこれに業が入り込むことでその性質が制限され、
上昇することなく輪廻の世界をさまようことになるという。


ジャイナ教の世界観ではこの世はいくつもの階層からなる巨大なビルのような代物で
人間が生活しているのはそれらの中のちょうど真ん中あたりの一階層にすぎない。
それよりも下が地獄であり
上方がいわゆる天界である。
我々は業の付着度合いによって生まれ変わるごとにこれらの階層を上下しつつ輪廻を重ねている。
この世の最も高い場所には特別な場所があり
ジーヴァが本来のまっさらな状態になることができれば
そこへ到達し二度とそこから下方へ落ちることはなく
それ以後は何者にも生まれ変わることはない。
これが輪廻からの解脱。
自らのジーヴァを業の一切付着してない状態へ戻すことがジャイナ教の究極目的。
そのためにはまず業がジーヴァに入り込むのを阻止し
ジーヴァの流入を遮断してから
ジーヴァの内に残存している業を滅し尽くさなければならない。


出家の儀式
出家の前日には出家者はマハーヴィーラなどのティールタンカラ(救済者)のエピソードに倣って
参列者の行列の中ですべての財を放棄するパフォーマンスを行う。
出家予定者は本物の馬車に乗りつつ
男性用ワイシャツなどの衣類や日用品、
そしてドラム缶サイズの容器一杯の米を手づかみで参列者に向かって放り投げる。

密室での非公開の儀式で出家者は頭髪を剃り(一部は手で引き抜く)
与えられた衣類を身につけ、新しい名を授かって出家修行者の装いへと変化する。

※毛を手で引き抜く行為は
ケーシャ・ルンチャナ
(ケーシャ=髪の毛
ルンチャナ=引き抜くこと)
と呼ばれ
マハーヴィーラが出家時に
「五つかみの髪を引き抜いた」というエピソードに基づく。
出家後も定期的に髪を手で引き抜く。
髭も手で引き抜く。
基本的に自らの手で行うが他の出家修行者の手を借りることもある。


白衣派の出家修行者の持ち物
体を覆う白い布

托鉢用のいくつかの容器
(容器一式の画像で
壺っぽいの二つ
しゃもじ?っぽいの一つ
皿っぽいの一つ
ある程度深さのある入れ物(大きさいろいろ)十六つ)

払子(ほっす。白い一種の箒)

口を覆うための布
(マスクのように常に覆う者もいれば
ハンカチのように携えて必要な時にのみ口にあてる者もいる)

細長い杖
など

白衣派の出家修行者は寺院などの特定の施設に定住することなく
出家後は雨季の四か月を除いて常に遍歴遊行の生活を送るべきであるとされる。
雨季の四か月は歩行に困難であるし
道には生命が溢れていて不用意に傷つけてしまう可能性が圧倒的に高いので
移動に適さない。
遍歴遊行
=ヴィハーラ
=歩き回ること、放浪すること。
遊行は乗り物に乗らず基本的に徒歩(たいていは裸足)で移動。

小学校の教室を寝床にしたりするなど
夜間使用されずスペースが確保できる施設を一晩だけ借用することもあれば
ジャイナ教寺院付属の滞在場所で宿泊したりする。

異姓に物を渡すときには一度地面に置いて取ってもらうか
投げて受け取ってもらうなどといった手段が取られる。
不必要に異性に接近したり談話したりしないよう戒められている。


ジャイナ教の生物観――菜食主義の背景
世界のあらゆる物は生命体(ジーヴァ)と
物質(アジーヴァ)とに大きく二分。
生命体は
可動の物(トラサ)と
不動の物(スターヴァラ)という下位区分によって構成されている。
生命体は有する感覚器官の数でも分類される。
触覚という単一の感覚器官のみを有する生命体と
不動の生命体は範囲がぴったり符合する。
触覚のみを有する不動の生命体というカテゴリーの中に植物が含まれる。
ジャイナ教の教義で植物は生命体として明確に定義されている。
よって植物は生き物ではない=菜食主義は不殺生主義という構図は成立しない。
ジャイナ教では植物を食べることも生き物を害することに他ならない。


※生命体ジーヴァと非生命体(アジーヴァ)の二原理に、
業の流入から解脱に至る五つのプロセス、
つまり
業の流入→業による束縛→業の遮断
→業の生滅→解脱という五つをあわせた七つのことがらが
七つの真実として説かれる。

二つの感覚器官とは触覚と味覚であり
これらを有する生物としては巻貝や足のない虫など。

三つの感覚器官とは触覚と味覚と嗅覚であり蟻など。

四つはさらに視覚を加えたもので虻、蚊、蠅など。

五つは聴覚も備えていて天界の住者、人間、地獄の住者、四足動物など。

殺生の大小の問題は、害される生物の数が殺生の大小を決定するのではなく
それが属するランクによるところが大きいとされる。
理由として高次の生物を害することは
低次の生物を害するさいよりもより大きな激情を必要とするからである。


(植物も明確に生物とされている。
ただし最低ランクの不動の生物であるから殺生ポイントが最低。
ブレサリアンはどう評価されているのだろうか。
ブレサリアンの実例
【衝撃】70年間“不食”で生きる聖者を15日間監視した結果がヤバすぎる!!
https://www.youtube.com/watch?v=a0GawGWx36A

動物愛護カルトと菜食主義カルトは2500年以上続いているジャイナ教に改宗しよう!

ジャイナ教の小鳥の病院がある。
70--1---中村元 博士---  Ngo未来大学院=NFS=NGO FUTURE SCHOOL
https://www.youtube.com/watch?v=MJA-X2gUpIY)


出家修行者は
火を用いての調理や
野菜や果実の収穫が禁止なので
飲食物を得るために施しを受けなければならない。
托鉢で得られるべき食は
生命としての価値ができる限り排除された物に限られる。
在家には植物の類を調理することが認められている。

空衣派も白衣派も托鉢は必須。
特に白衣(派は以後省略)の出家修行者が托鉢に出て
食を受けることをゴーチャリーという。
文字通りの意味は
牛のように歩き回ること。
これは食べ物を集めるときに予想や計画なしにランダムに歩きまわり
それぞれの場所で器にほんの少量ずつ集めるように求められることに由来。

在家と食の場を共にすることはない。

托鉢の注意点
生き物が多く存在する道は避けられるべき。
踏みつぶさないように前方をよく確認して歩くべき。
豪雨・強風のときや空中に虫が多数飛んでいるような時は避ける。

間接的に殺生に関わるのも禁止。
施しを行う直前に殺生に関わる行為を行った者から食を受けるべきではないということで
殺生に関与した穢れた手によって施しがなされるのを嫌うものである。
また、何度か器に移し替えられた食べ物も受けるべきではないとされる。
移し替えのさいに不用意に生き物やその他食べるべきではない物が混入するかもしれないから。
水に濡れた手や柄杓、あるいはほこりなどが付着した状態のそれらによって
施しを受けるべきではないのもおそらく同様の理由だろう。
水もまた在家の手で完全に煮沸され
生命が全く含まれていないものを飲むべき。

托鉢の偶発性を重視。
提供される飲食物はあくまでも余り物であることが求められていた。
たまたま余った食べ物が、
またまた通りがかった修行者に托鉢として供されるのが理想。
よって、在家が托鉢の出家のためにわざわざ調理して提供しようとしても
出家者は受け取ることができない。
つまり招待食は禁止。

特定の在家との依存関係が確立してしまったり
一つの家庭に負担が集中することを避ける側面もあると考えられる。

出家者が在家に命じて離れた場所にあるものを取って来るように命じたり
わざわざ買いに行かせたりすることは禁止。
偶発性を重視するために
間違いなく施しを受けることができるような場所、
例えば親族の家々や食事を振る舞っている宴会場などに行って、
施しを受けることは勧められない。
施しを受けられるかどうかは偶発的なので結果に一喜一憂すべきではないとされる。
ランダムに訪れるためにジグザグに家々を回ったり渦を巻くように回ったりするルートまでもが
細かく規定されている。
適した時も定められており
家庭の食事がちょうど終わるような時刻に家々を回るべきであり、
在家(たいていは女性)が家族のために料理を準備している時などには
訪れるべきではないとされている。

※空衣では托鉢で得た食を持って帰ることはせず
手のひらで食を受け取り
その場で衆人環視のもと
それに小さな生物が混入していないか指で子細に確認しつつ立ったまま食べる。

(立ったままなのって手がふさがっているから座る前にやわらかい箒で地面を掃けないから?)

・施主との関係
出家は在家と親密に接するべきではなく
一定の距離を保つべきであるとされていることから
寝床を提供してくれた在家から飲食物の施しを受けることも禁止。
多くのものを一人の施主に依存することは在家との距離を縮めてしまうと考えたのであろう。
一人の施主に負担が集中するのを避けるためとも考えられる。
出家者は政治的な権力者とも一定距離を保つべきであるとされているため
王などの住居にみだりに立ち入って施しを受けることは禁止。

生命維持のための最低限必要な分だけを食することが求められる。
美味しいものを味わって食べてはならず
味に溺れて執着することがないように心がけられているという。
執着してはならない。
したがって、托鉢によって得た食べ物を長時間にわたって保管するような行為も禁止。
もっともこれは衛生面に対する考慮、
つまり腐った食べ物を食さないようにするためで
多くを貯えない不所有の誓いの観点からも勧められるものではないであろう。

断食は頻繁に行われる。
祝祭日に行ったり
指導者などの命日や
重大な過失を犯してしまった際の罪滅ぼしのために行うこともある。
断食はジーヴァに付着した業を滅するのに有効。
やりかたはさまざま。

サッレーカナー=死に至る断食。
過剰な断食で意図しない死を迎えるのではない。
自殺はジャイナ教で固く禁じられている。
サッレーカナーは長期間にわたって徐々に飲食物を制限することで
計画的に死と向き合いながら、
心の平静を保ったまま自発的に死に至る行為。
非常に神聖な儀式であり理想的な死。
在家の中にも実践する者がいる。

※自殺とは異なる。
サッレーカナーは
①将来的に実践することの決意表明として、
早い段階で略式の誓戒を受けるのが通例
また実践開始にあたって師の許可が必要で
この時点においても本人の意思が確認される

②認められる条件は
災難、
飢饉、
老齢、
不治の病などで
何らかの形で死期が迫っている

③宗教的な理由により自らの意思で死をコントロールする行為であり
死に至るまでの時間は、
聖典の学習・瞑想・マントラの低唱などといった宗教的実践にあてられる

④欲望・憎悪・迷妄などによって自らを滅ぼそうとしているのではない。
また、いわゆる自殺のように毒や武器を用いることもない。



グナ・ヴラタ(徳戒)三つと
シクシャー・ヴラタ(学習戒)四つという
七つの補助的な誓いがある。
グナ・ヴラタ(徳戒)は
方位に関する誓戒
無用な毀損に関する誓戒
消耗品と耐久品に関する誓戒。
方位とは移動範囲の制限。
無用な毀損とは
他人を傷つけることを画策したり
賭け事をしたり
むやみに木を切ったり土を掘ったりすることを戒める。
毒物や武器などの有害な物品を拡散させたり、
他人同士を争いに導いたりすることも禁止。
空衣では煽情的な物語や残忍な物語を耳にするのも禁止。

消耗品~とは特定の物品使用制限で
特定の食物の制限、夜食禁止、特定の職業に就くことの制限など。

学習戒とは
場所に関する誓戒
反省的瞑想に関する誓戒
布薩に関する誓戒
布施に関する誓戒。
場所~は先述の方位~よりも厳しい制限で
一定期間家から出ずに外部との接触を断ったり
近くの寺院よりも遠くに行かないといった制限。
反省~はサーマーイカという日課の瞑想を欠かさないこと。
布薩~は特定の日に普段より厳格に生活し
不殺生を徹底し断食。
時に出家者と同じ空間で一定期間生活することもある
布施~は施しを行うことであるが
対象は出家者だけでなく教団維持のための支援でもある。

(ジャイナ教の理想が実現された社会ってディストピアだろうな。
ジャイナ教の武術家っているのかな?
練習準備だけでも大変そう)

出家者に施すのは宗教的行為であり
物乞いに物を与えることとは明確に区別される。
布施でもジーヴァの状態をよりよい方向へ導けると考えられている。

多くのジャイナ教徒にとってもっとも重要な聖地である
ラジャスターン州のアーブー山や、
グジャラート州のパリタナになるシャトルンジャヤ山にある寺院は
11世紀以降に在家の当時の王国の宰相たちの支援による。


プージャー(礼拝)には
心的、内的なプージャー(礼拝)と
物理的、外的なプージャー(礼拝)がある。


一部の生物を害することは回避できない。
不可避なのが不動の生命体。
植物を食すのも殺生だがより高次の生命体を害するよりマシ。
ジャイナ教の菜食主義の観点は
そこに生命が存在する可能性
そこから生命体が発生する可能性である。
在家の根本的美徳という食の規定では
自然死した動物を含めて肉類
蜂蜜
イチジク類の果物、
酒類、
濾過されていない水などを摂るのが禁止。
なぜなら殺生によって得られるだけでなく
そこに無数の微生物がいるから。
葉の物、
湿った食べ物、
発酵食品、
腐敗した食べ物などが
無数の微生物がいるので規制。
無数の身体(アナンタ・カーヤ)と呼ばれるカテゴリーに属する植物も規制対象で
玉ねぎなどの球根や
大根などの根菜類、イモ類などの地下茎などの植物も含まれている。
共通する特徴も新たな生命が生じるからだろう。
同様の観点から
多くの種を持つもの(バフ・ビージャ)も禁止で
ザクロ、ナス、トマトなどが該当。

根のものを避ける理由の一つで
収穫する際に地中の生物を害してしまうからというものもよく聞かれる。


(マニ教がジャイナ教からかなり影響を受けてそう。
マニ教は植物の根っこを引き抜くことが禁止。
ジャイナ教は
グノーシスの元ネタの梵我一如を説くバラモン教を否定しているから
グノーシス思想ではない。

インド国内で必要な栄養素(のほとんど)が菜食で賄えるのか気になる。

ジャガイモやタマネギは禁止。
根菜禁止はきつい。

シュラヴァナベラゴラのジャイナ教食堂でミールスを食べた
https://www.youtube.com/watch?v=KiuVyjYVOV0

Why Jainism Is The World's Most Peaceful Religion
https://www.youtube.com/watch?v=KAc33hNc7ak)

在家も日没後の食事は勧められない。
家庭での作り置きも推奨されない。
著者が目撃したのが
ターリー(プレート)で食べた後に
コップの水をそこに注いで細かい食べ残しをきれいに洗い
その水を飲み干す作法。
残りかすがついたまま放置されると小さな生物が集まるから。

食べられるべきではないものリストがあり
雪、氷、
(それらに微細な生物が潜んでいる可能性)
毒(腹の中の生命体を害する)、
土、
(微細な生命体を含み、
蛙のような五つの感覚器官を有する高次の生物を産み出す源
だと考えられていた。
口にした者の腸に深刻なダメージを与える病の原因とも考えられていた)

味がなく中身のない空洞上の植物、
(空腹を満たせないので不必要に生命体を害してしまう)

正体不明の植物などが禁止。

(何が食べられるか列挙した方がわかりやすそうなほど厳しい)




270ページくらいの薄くない本も紹介。
六師外道全員の解説があるのが素晴らしい。
特にジャイナ教とアージーヴィカ教に詳しい。

『ジャイナ教入門』渡辺研二

類似する思想がないので読むのに時間がかかった。
中核となる単語の定義がバラモン・ヒンドゥー教や仏教と違うからね。

・ジャイナ教はすべてのものに霊魂の存在を認め、
その各々の霊魂が本質的に我々人間と同質のものだと認識している。

歴史上ジャイナ教は人類に悪をした記録のないほとんど類例のない宗教。
現在も闘争を続けているキリスト、ユダヤ、イスラム教と比べれば一目瞭然。

(教義で大規模移動が制限されるから大規模侵攻できないのだろう。
金貸しや金持ちが多く、経済界やインテリ層での要職を占めることが多い
=権力を持てるので攻撃されても防衛できるのだろう。
教義で武器商人になれない。
武器を使いたいなら異教徒に使わせないといけない。
となると権力が必要。
教義では他者が生命を害するのも止めないといけないけど)


ジャイナ教はインド国内に限定されてとどまり古い姿をいまに伝えている。
特にインド西部(マハーラーシュトラ、グジャラート、ラージャスタン)で勢力があり
経済界やインテリ層での要職を占めることが多い。
南部(カルナタカ)でも同様。

(2500年以上続いているからすごいわ)


聖典の語は古プラークリット語の一種であるアルダ・マーガディー語であって
アールーシャ(仙人=リシの言葉)と呼ばれることもある。

バラモンの秘教主義と反対に伝統的に万人に開かれたものであろうとする。

写経生や挿絵作者を庇護することは
伝統的に俗人が功徳を獲得する手段の一つであり
今でも多くの寄付でジャイナ教典籍の出版事業が行われている。
そのため人口に比べてジャイナ教関連の出版数は極めて多い。

ジャイナ教の祖師(開祖は正確でなく、改革者)マハーヴィーラは
偉大な英雄、大勇者という意味。
本名はヴァルダマーナ(繁栄するもの)。

仏教では六師外道の一人のニガンタ・ナータプッタ。

ニガンタ=束縛から離れたもの
で古い宗教の一派の名前とされる。
ナータ=ナータ族。
プッタ=子、息子という意味だが
ここは「~の出身」。
つまりナータ族の出身であるニガンタ派の人。

ジャイナ教では救済とは各人が責任をとるべき個人的な営み。
何か神の恩寵のようなものの助けで辿り着くのではなく
過去の先師のジナたちを手本にするか
進むべき道を指示してくれる同時代の師たちに助けられて救済に辿り着くのである。

非世界に囲まれた宇宙は
三つの基本的部分に分割されている。
地獄に堕ちた者たちの下位の世界
さまざまに分類される神々の居住地の上位の世界
中央の世界。
中央の世界では時間が支配し、
業の法則が作用し
ゆえに至福をひとにもたらす解脱(モークシャ)へと到達しうる地上が存在する。
ジャイナ教の時間は周期的。
時間の車輪は下降する半分と
上昇する半分に分かれ、
絶え間なく回転している。
終末の観念を認めない。
進歩は永遠なものだと信じている。


カルマも物質である。
解脱以前の霊魂は、
肉体的、言葉によるもの、精神的なもの(身口意)であれ
いったん活動を起こすと
その働き(ヨーガ)のためにそれに応じる物質(業物質)が生じ
霊魂に侵入し付着して霊魂が重くなり下降し輪廻を繰り返す。


在家と出家の区別は極めて厳格。

バラモンはヴェーダ聖典の権威をみとめない者を
ナースティカ(虚無論者)と呼んで非難した。


自由思想家の特徴

1 ヴェーダの権威と祭祀の有効性の否定

2 ヴァルナ差別の否定

3 広範囲の人々を対象に平易な言葉で教えを説いた

4 個人としての自己主張をし、
信者が出身に関係なく個人として帰依するなど
生まれではなく個人の能力、意志、行為が評価された。
個が血縁の中に埋没していた前代の社会には見られなかった現象


自由思想家たちすべてが精神的肉体的に極めて厳しい修行を積んでいる。
唯物論者や快楽主義者ですら苦行を行い、生涯簡素な生活を送っていた。


釈迦が乗り越えた六人の自由思想家。

1 プーラナ・カッサパ 道徳否定論
祭祀を行なっても
施しなどの善行をなしても
自己にうち克ち感官の制御をし
真実を語ることによっても
善の生ずることもないし、
また善の報いも存在しないという。
反対に
生きものおよび人間の体を切断し苦しめ悲しませ戦わせ
生命を奪っても
さらに与えられざるものを奪い
家宅侵入、掠奪、強盗、
追いはぎ、姦通、虚言などをしても
少しも悪をなしたのではない。
悪業に対する報いも存在しないという。
因果応報を否定し
善悪の別は人間が定めたことであり
真の意味では存在しないと主張し
世間的な常識、社会通念を否定。

(プーラナ・カッサパの行為の善悪否定論
http://user.numazu-ct.ac.jp/%7Enozawa/b/purana.htm
”プーラナ・カッサパは、行為に善悪はなく、行為が善悪の果報をもたらすこともないと主張した。
傷害・脅迫・殺人・強盗・不倫・虚言などを行ったとしても、悪にはならない。
悪の報いはない。施し・祭式・節制・真実を語ることを行ったとしても、善にはならない。善の報いもないと説いた。

 この教えは「道徳否定論」として紹介されることが多いが、決してそのような思想ではない。
すぐあとで扱うパクダ・カッチャーヤナの思想と同じく、あらゆるものごとを「平等」にみることによって、行為に附随する罪福へのこだわりとその結果生まれる苦しみから心を解き放とうとする教えであろう。
このような教えは、特に生きものを殺すことを職業とするため、業・輪廻説にしたがうかぎり、苦を果報として受けることが避けられないとされる人々に対して説かれたのではないかと考えられる。
これは、その本質において、
『バガヴァッド・ギーター』2.38の「苦楽、得失、勝敗を平等のものと見て、戦いに専心せよ。
そうすれば罪悪を得ることはない。」という「平等」の教えと同じであろう。1)

パーリ仏典『沙門果経』の第17節 (PTS, DN, I, p.52) において、プーラナの思想は次のように紹介されている。

「行為する者、させる者が、(人を)切ったり、切らせたり、
苦しめたり、苦しめさせたり、悲しませたり、疲れさせたり、
恐怖を与えたり、与えさせたり、生きものを殺したり、
与えられないものをとったり、家を壊して侵入したり、
掠奪したり、盗みを働いたり、路上で追いはぎをしたり、
不倫したり、嘘ついたりしたとしても、悪いことをするわけではない。
また、まわりが剃刀のような円盤で、(あらゆる)地上の生きものを、
一山の肉、一塊の肉にしてしまっても、それによって悪があるわけではなく、悪の報いはない。
ガンジス河の南岸に行き、人を殺したり、殺させたり、
切ったり、切らせたり、
責めたり、責めさせたりしても、それによって悪があるわけではなく、悪の報いはない。
ガンジス河の北岸へ行き、施しをしたり、施しをさせたり、
祭式を行ったり、祭式を行わせたりしても、それによって善があるわけではなく、善の報いはない。
布施、克己、節制、真実を語ることによって善があるわけではなく、善の報いはない。」”)


2 パクダ・カッチャーヤナ(七要素集合説、唯物論)
人間の各個体は七つの集合要素、
すなわち地・水・火・風の四元素と
苦・楽と霊魂から構成されている。
これらは作られたものでも、
他のものを産み出すこともない。
山頂のように不変で石柱のように不動。
これらは互いに他を害うこともない。
それゆえ世の中には殺す者も殺される者もなく
教えを聞く者も聞かせる者もなく
知る者も知らしめる者も存在しない。
たとえ鋭利な刃物で他の頭を切り落としても
これによって何人も誰かの生命を奪うことはない。
ただ剣の刃が七要素の間隔を通過するにすぎないという。

宇宙あるいは人間がいくつかの要素の集合から構成されているという主張は
インドでは積聚説(アーランバ・ヴァーダ)と呼ばれる。
仏教にもジャイナ教にも見られるし、
後代のインド六派哲学のヴァイシェーシカ哲学の原子論にも継承されていく。
このパクダの教説はまだ要素の集合を説くのみで
ここの要素の細分化の可能性つまり原子論的な展開は見られない。
パクダの教説はインドにおける唯物論の先駆といわれている。

(パクダ・カッチャーヤナの七要素説
http://user.numazu-ct.ac.jp/%7Enozawa/b/pakuda.htm
”パクダ・カッチャーヤナは七要素説を説いた。
人間は七つの要素、すなわち地水火風
楽苦と生命(あるいは霊魂)からなるもので、
これらは作られたものではなく、何かを作るものでもない。
不動、不変で互いに他を害することがない。殺すものも殺されるものもなく、学ぶものも教えるものもいない。
たとえ、鋭利な剣で頭を断っても、誰も誰かの命を奪うわけではない。剣による裂け目は、ただ七つの要素の間隙にできるだけである。行為に善悪の価値はないとする。

 さきのプーラナ・カッサパの教えと同じく、これも道徳破壊の思想とされるが、そうではない。
人間の本質は霊魂にあると見て、霊魂は不動、不変なものなので、殺すことも害することもできないというのである。
『バガヴァッド・ギーター』2.24の
「彼は断たれず、焼かれず、濡らされず、乾かされない。
彼は常住であり、遍在し、堅固であり、不動であり、永遠である。」という思想と同じものである。”)


3 マッカリ・ゴーサーラ(運命決定論、無因無縁論)

※ゴーサーラは別の章で詳述されるほど重要。

ゴーサーラによると
一切の生きとし生けるものが輪廻の生存を続けているが
それは無因無縁である。
生きものたちが清らかになり解脱するのも無因無縁。
かれらには支配力もなく、意志の力もなく、
ただ運命と状況と本性に支配されて、
いずれかの状態において苦楽を享受するのである。
意志にもとづく行為は成立しない。
840万の大劫の間に、
愚者も賢者もただ流転し輪廻しつづけ、苦の終わりに至る。
その期間のなかで修行で中途に解脱することは不可能。
ちょうど毛糸の球を投げると、
ほぐれながら糸球は糸の終わるまで転がっていく
(糸がなくなると転がるのをやめる)ように、
人は愚者であれ賢者であれ
定められた期間は流転しつづける、と主張。
ゴーサーラの教説は
生き物によってすべてのことは無因無縁であって、
運命的に定まっているという運命決定論であるとされている。

(マッカリ・ゴーサーラの宿命論
http://user.numazu-ct.ac.jp/%7Enozawa/b/gosala.htm
”マッカリ・ゴーサーラは、アージーヴィカ教の代表者である。
彼は、ジャイナ伝説によれば、シュラーヴァスティーにおいて、ジャイナ教のマハーヴィーラと激しい論戦の後、没したという。その年、マガダのアジャータシャトル王が、ヴァッジ族に戦争をしかけたが、この戦争は、ブッダの最後を物語る『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』に準備中として出てくる。1)
これによれば、ゴーサーラとブッダは、わずか数年の違いで没したことになる。2) ちなみに仏滅年代には二説あり、前486年、あるいは前383年とされる。

 彼の思想の特徴は厳格な宿命論にある。
その説によれば、一切万物は細部にいたるまで宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められている。輪廻するもののあり方は宿命的に定まっており、6種類の生涯を順にたどって浄められ、解脱にいたる。転がされた糸玉がすっかり解け終るまで転がっていくように、霊魂は転生する。それまで8,400,000劫(カルパ)もの長い間3) 、賢者も愚者もともに輪廻しつづけるという。

 行為には、運命を変える力がない。行為に善悪はなく、その報いもないと考える。当時、支配的な思想であった「業」の思想を否定する。

運命がすべてを決定しているという主張を構成する論理は、およそ次のようなものである。

 人が同じことをしても結果が異なることがある。行為以外の何かが結果を決定している。
神はそれではない。神では結果の多様さ、特に不幸が説明できない。
それは、(ローカーヤタ派が説く)自然の本性(スヴァバーヴァ)ではない。(仏教などが説く)行為の結果(カルマ)ではない。それは、宿命(ニヤティ)である。宿命と一致するとき、人は成功する。宿命のみが人の幸福と不幸を説明する。4)

 「アージーヴィカ」とは、「命ある (jῑvika)限り(ā)( 誓いを守る)」という意味で、5)出家者には苦行と放浪が義務とされ、多くが宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。

 宿命を説く一方で、苦行を義務づけるのは、一見したところ矛盾のようであるが、
アージーヴィカにとって、解脱は「転がされた糸玉がすっかり解け終る」ことに喩えられるように、こころとことばとからだによるすべての行為が消滅することであり、それは、6ヶ月にわたって飲食を減らしていき最後は何も飲食せず死(最終解脱)に至るスッダーパーナヤ(清浄なものを飲む)と呼ばれる苦行において実現されると考えていたからである。6)

 アージーヴィカ教はマウリヤ朝のアショーカ王とその後継者ダシャラタ王の時代に保護され、大きな勢力を誇った。
アショーカ王の碑文(第7 Delhi-Topra碑文)に仏教(サンガ)、バラモン教、ジャイナ教(ニルグランタ)と並んで この派の名アージーヴィカが出る。7) 当時、栄えていたことを推定させる。その後、衰えながらも、南インドのマイソールなどには存続し、14世紀までは続いたといわれる。




1)DN No.16 PTS vol.2, p.72.中村元訳「偉大な死」『仏典I』世界古典文学全集、筑摩書房、1966年、p.43

2)Basham, A.L., History and Doctrines of THE ĀJĪVIKAS, p.74.

3)カルパ(劫)という時間の長さについては、定方晟『須弥山と極楽』講談社現代文庫、1973年、p.100.参照。1辺1ヨージャナの大きな岩を百年に一度、天女の衣でなでて、岩が擦り切れてなくなるまでの時間などとされる。

 1ヨージャナは、古代インドの距離の単位で、牛車を引く牛が次の牛と交代するまでに進む距離とされる。1ヨージャナの換算については、2.5マイル、4ないし5マイル、9マイルなどさまざまな説がある。Monier williams, Sanskrit-English Dictionary, yojanaの項参照。
          
4)Basham, History and Doctrines of THE ĀJĪVIKAS, pp.230f. ちなみに、仏教のアビダルマでは、カルマが世界の多様性を生み出すとされる。Abhidharmakośa, ed. by P. Pradhan, Patna 1967, IV.1a, p.192: karmajaṃ loka-vaicitryam.”)



4 アジタ・ケーサカムバリン(唯物論、快楽主義)
アジタ・ケーサカムバリンによると
存在を構成するのは地水火風の四元素で四元素以外にはない。
人は死ねば構成していた四元素はそれぞれの本来の元素の場に戻っていくのであり
人間そのものは死と共に無に帰す。
屍が焼かれると後には鳩色の骨が残り
供物は灰となるのみ。
死後の霊魂は存在せず、したがって来世も前世も存在しない。
善業による善果も存在せず、
悪業による悪果も存在しない。
布施も祭祀も供犠も無意味、と説いた。
哲学的には唯物論。
道徳を否定し、現世の享楽を説くので快楽主義に分類される。
アジタ・ケーサカムバリンの主張はインドでは一般に
ローカーヤタ(順世派)と呼ばれ、
チャールヴァーカ派に同様の説が見られるが、
アジタ・ケーサカムバリンのは一番最初の先駆的なものだといえる。

(当然アートマンも否定。

アジタ・ケーサカンバリンの唯物論
http://user.numazu-ct.ac.jp/%7Enozawa/b/ajita.htm
”アジタ・ケーサカンバリンの「ケーサカンバリン」は「髪の毛で作った衣を着る者」の意味である。
アジタは、教団を開いたが、それは、古代ギリシアにおけるエピクロス派の教団のような、
素朴な人生の喜びをともに分かち合う共同体のようなものであったと推測される。この教団は後にチャールヴァーカとかローカーヤタと呼ばれるようになる。

 彼は唯物論を説き、業・輪廻の思想を否定した。
善悪の行為の報いはなく、死後の生れ変りもない。
人間は地水火風の四要素からなるもので、
死ねば、四要素に帰り消滅する。死後存続することはない。
布施に功徳があるとは愚者の考えたことであるとする。

 「人は(地水火風の)四要素からなる。
  人が死ぬと、地は地、水は水、火は火、風は風に戻り
  感覚は虚空の中に消える。
  四人の男が棺を担いで死体を運び
  死者の噂話をして火葬場にいたり
  そこで焼かれて、骨は鳩の羽根の色になり
  灰となって葬式は終わる。
  乞食(こつじき)の行を説くものは愚か者。
  (物質以外の)存在を信ずる人は空しい無意味なことをいう。
  からだは、死ねば、愚者も賢者もおなじように消滅する。
  死後、生きのびることはない。」(『沙門果経』§22-24.『バラモン教典・原始仏典』世界の名著1、p.512.)

 だから、宗教的な行為は無意味で、
この世での生を最大限利用して楽しみ、そこから幸福を得るべきだという。

  「生きているかぎり、人は幸せに生き、ギー(溶けたバター)を飲むべきだ。
   たとえ借金をしてでも。
   というのは、からだが灰になるとき、何がこの世に戻れよう。(何もないからだ)」1)

 しかし、楽しみには悲しみがつきまとう。
それを恐れて喜びから退いてはいけない。時には訪れる悲しみも喜んで受け入れよと説く。

    「人は、悲しみがともなうことを恐れて、喜びから退いてはいけない。
   この世での喜びのためには、たまに訪れる悲しみも喜んで受け入れよ。
   魚をもらうとき、骨がついてくるように。
   米をもらうとき、籾殻がついてくるように。」2)

 この思想は宗教や道徳の根本を破壊するものと恐れられ、他のインド思想諸派から激しく攻撃された。
それにもかかわらず、この派が栄えた時代もあったことは否定できない。
マウリヤ朝のチャンドラグプタの大臣カウティリヤの作と伝説される『実利論』第1巻第2章は
「哲学は、サーンキヤとヨーガと順世派(ローカーヤタ)とである」とする。3)

この書の成立年代は明確でなく、紀元前3世紀から紀元後4世紀までの間とされるが、
1世紀の後半から2世紀の前半に明確な形をとったと考えられるヴァイシェーシカ学派の名があげられていないことから推定すれば、ヴァイシェーシカ学派に先立つ紀元後1世紀までに、ローカーヤタ派が栄えていた時代があったのであろう。

 この派の文献で、現在まで伝わるものは極めて少ないが、8世紀ころの成立とされるジャヤラーシの『タットヴァ・ウパプラバ・シンハ』(「真理」を破壊するライオン)は現存する。

 『タットヴァ・ウパプラバ・シンハ』は、
自然の運行に「自然」(スヴァバーヴァ)そのもの以外の原因を認めず、
知覚(感覚)だけを唯一の知の源泉として、推論に基づく<確実な知>の存在を徹底的に疑う懐疑主義の立場をとって、
当時の主要な哲学・宗教諸派が立てる形而上学的な原理に対し、鋭い批判をあびせるものである。”)


5 サンジャヤ・ベーラッティプッタ(懐疑論、不可知論)
サンジャヤ・ベーラッティプッタは
「来世が存在するか?」と問われたとき次のように答える。
「もしもわたしが
『来世は存在する』と考えたのであるならば
『来世は存在する』とあなたに答えるであろう。
しかしわたしはそうだとは考えない。
そうらしいとも考えない。
それと異なるとも考えない。
そうではないとも考えない。
そうではないのではないとも考えない。」と。

同様にサンジャヤ・ベーラッティプッタは善悪の業の果報について
天や地獄の存在者の有無について
修行完成者の死後の有無について
質問されるとことさら意味の把握されない、
困難であいまいな返答しか与えなかったという。
サンジャヤ・ベーラッティプッタの立場は
「鰻のようにぬらぬらして捕らえどころのない議論」と呼ばれた。
確定的な知識を与えない点で
一種の不可知論(アジュニャーナ・ヴァーダ)とも呼ばれた。
詭弁論とも懐疑論とも呼ばれている。
懐疑論は単なる疑いに終始すると懐疑論に潜む本質的な矛盾から脱することは困難であるが
サンジャヤの場合
形而上学的な難問に踏み込むことの意義に疑問を投げかける判断中止(エポケー)の態度を
インド思想史上、最初に表明していると評価されている。
とくに、形而上学的な難問に踏み込むことの意義に疑問を投げかけるという点で
ゴータマ・ブッダはサンジャヤと同様に無記の態度を表明。
ブッダの二大弟子サーリプッタ(舎利弗)と
モッガラーナ(目連)は初めはこの懐疑論者サンジャヤの弟子だったと伝えられていることも
あわせて注目すべき。

(サンジャヤの不可知論
http://user.numazu-ct.ac.jp/%7Enozawa/b/sanjaya.htm
”サンジャヤは、あらゆる問いに対して確答を避ける「不可知論」の立場をとった。
次のように答えることを習わしとしていたという。

 「もし、あなたがあの世はあるかとたずね、
  自分があの世は、あると考えたなら、あの世は、あると答えるであろう。
  しかし、私はそうしない。
  そうとは考えない。
  それとは異なるとも考えない。
  そうではないとも考えない。
  そうではないのではないとも考えない。」

 このような彼の論法は、「うなぎ論法」といわれ、仏教の「無記」の考え方に影響を及ぼしたと考えられる。
ブッダの二大弟子サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)は、はじめサンジャヤの弟子であったと伝えられている。

 また、この思想は、ジャイナ教のスヤード・ヴァーダと似ている。
不可知論的な傾向は、ブッダ時代に濃厚にみられるが、
このような思想風土が、自己と他者の思想の白黒をはっきりさせないで両立させる文化多元主義の基盤になっている。 ”)


6 ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラのジャイナ教、霊魂論と苦行主義)
釈迦の活躍したのとほぼ同じ頃、
同じ地方に興起した。
動物を犠牲にするバラモン教の供犠や祭祀に反対。
当時絶対的と思われていたヴェーダの権威を否定。

宇宙は限りがあるかないか、
あの世は存在するかという形而上学的問題に
沈黙を守り無記の態度をとったブッダや、
懐疑論、不可知論の立場を主張したサンジャヤなどと同様に、
マハーヴィーラは
真理は多様に言い表すことができるとし、
あらゆる事柄について、
一方的に判断することを避け、
物事を相対的に考察せよと説いた。
相対主義はアネーカーンタ・ヴァーダ(多面的見解)と呼ばれる。
断定を避け、
常に『ある点からすると』(スヤート)こういえると言い、
全てのものは多数の見方ができると主張。

(賢者の思考法=多様な視点自体を教義にしている)


六師外道のうち
アージーヴィカ教の当時の代表的人物であった、
運命決定論、無因無縁論のマッカリ・ゴーサーラは
ジャイナ教とも関係が深い。
マッカリ・ゴーサーラの生涯の詳細は不明だが
仏教、ジャイナ教、アージーヴィカ教の三つが有力な宗教として
互いに勢力を競っていた紀元前五世紀ころと考えられる。

牛小屋=ゴーサーラ。

ジャイナ教の聖典『バガヴァイー』によると
ゴーサーラははじめジャイナ教のマハーヴィーラの弟子となって
六年間修業を共にしたが、
ゴーサーラがその時々に行った種々のできごとが伝えられている。
そのまま事実とはいえないが、ある真実に基づいた伝承が含まれていることは確実であろう。

ゴーサーラの所説は詳しく仏教の『沙門果経』に伝えられている。
「生ける者たちには煩悩の汚れがあるが、
それらには因(原因)もなく、
縁(二次的原因)もない。
生ける者たちは、因も縁もなくして煩悩に汚されている。
また生ける者たちが清められるのには、
因もなく、縁もない。
生ける者たちは、因も縁もなくして清まるのである。
自分が作りだすということもなく、
他の者が作りだすということもなく、
人が作りだすということもない。
力は存在しないし、
意志的行動は存在しないし、
人間の勢力は存在しないし、
人間の努力は存在しない。
すべての生ける者たち、
すべての生気ある者たち、
すべての存在する者たち、
すべての生命ある者たちは、
みずから支配することもなく、
力もなく、
活力もなく、
宿命(ニヤティ)と出会い(サンガティ)と
生来の資質(バーヴァ)に影響支配されて
生存の六種類の生まれ(アビジャーティ)のうちのいずれかにおいて、
苦楽を感受するのである。
八百四十万の大劫があり、この期間には、
愚者も賢者も流転し輪廻して、
ついに苦しみを終滅するにいたるであろう。
この期間には、
『わたしはこの戒行によって、
また誓戒によって、
あるいは苦行によって、
あるいは清浄行によって、
いまだ果報の熟していない業を完全に熟させよう。
あるいは、すでに果報の熟した業をくり返しその報いに触れながら、
順次にその果報を消滅することにしよう』ということはおこることはない。
こういうわけで、輪廻は苦楽が、
いわば桝によって量り定められたものとして終滅に達することはないのである。
またそれの盛衰もなく、増減もない。
あたかも、糸毬が投げられると、糸の終わりまで、
ついには解け終わるように、愚者も賢者も、
流転し輪廻して、ついに未来に苦しみを終滅するのである。
(『沙門果経』20-21.vol.Ⅰ,pp.53-55)

修行で中途に解脱することは不可能で
定められた期間は流転し続けるという無因無縁論にして運命決定論。
煩悩に汚れるのも清浄になるのも
原因があるのではなく
自然の定め(ニヤティ)によってそうなる。
物事に原因を認めないから、無因論者と呼ばれる。
すべては自然的に定まっているから人間の努力的行為は意味が無い。
どのような悪い行為、善い行為をしようともそれで運命が変わることはない。
苦から逃れようと努力しても無駄。
苦は定まった輪廻が終わったときにおのずと滅する。
運命を変えようとする人間の行為が無駄であることを主張するから
無行為論者でもある。
(もしかしてこの行為ってカルマ?)
これは人類の思想の中で特異な
万人平等解脱を認めていることとなっている。
解脱は賢者も愚者もなくやってくる。
論理的に考えるとすべてが自然の定めであるから、
苦行によって輪廻から脱しようとする人間の努力も無意味となるはずであるが
文献の伝えるところによれば
ゴーサーラの一派、アージーヴィカの徒たちは苦行をしていたという。

仏教の『マハーサッチャカ・スッタ』は
ゴーサーラの先駆者であるナンダ・ヴァッチャと
キサ・サンキッチャと
ゴーサーラたちが行う「行」について次のように伝えている。
「かれらはじつに裸形であり、
〔座して食することなど〕世間の習慣を捨てていて、
〔立ったままで食し〕、
食後には指を食べて清め、
〔行乞の際に施食を受けるために〕近づくことと、
暫時待つことを乞われても、それに従わず、
〔行乞に出る前に庵室に〕持ってこられた施食を受けず、
とくにかれみずからのために料理された食物を受けず、
食事に招かれても応じない。
かれらは〔食物を料理した〕鍋釜などから直接に食物を受けず、
敷居よりも内部・杖の間・棒の間に置かれた食物を受けず、
二人を食事をしているときにそのうちの一人の提供する食物を受けず、
妊娠している女・
授乳している女・
男と交わっている女からは食物を受けず、
旱魃時には信徒が集めてくれた食物を受けず、
犬が近くにいるところでは食物を受けず。
ハエが群がっているところでは食物を受けず、
魚・肉・種々なる酒を受けず、
粥を飲まない。
かれは一見の家で食物を得て〔すぐに托鉢から帰ってしまう〕
『一口食う者』である。
あるいは二軒の家で食物を得て、二口食う者である。
あるいは七軒の家で食物を得て、七口食う者である。
一つの小椀の食物のみによって暮らし
あるいは二つの小椀の食物によって暮らし、
あるいは七つの小椀の食物のみによって暮らす。
このようにして半月にいたるあいだでも〔中止期間をおいて〕
順次の規定に従って食物を得ることに専念している。
またあるときにはきわめて美味なる食物を食し
きわめて壮麗な臥床に臥し、
きわめて美味なる飲料を飲む。
かれらはこのようにして身体を力づけ、
力を増させ、肥らせる」
(『中部経典』vol.Ⅰ,pp.237-238)

最後の一文は修行としては奇妙であるが
中村元博士は、恐らく苦行のみには耐えられず、
時々楽な生活をしてまた苦行に戻るのであろうと、推測している。
驚くべきことに
ここに描写される修行内容は現在のジャイナ教空衣(派は略す)の文献に相当する個所を見つけることができる。
アージーヴィカ教とジャイナ教の関係は相当近いものと考えられる。

(ジャイナ教の、特に裸形派への影響が強い。
立ったまま食べるとか、
布施は偶然余ったものを偶然通りがかることで得られるべきとかは本記事にある)

アージーヴィカ教では苦行は無意味なのになぜ苦行をなしていたのか。
この点は不明であるがバシャム博士は
おそらくアージーヴィカたちが苦行者であるのも
自然の定めがそうさせているからであると考えたのであろう、と推察している。

(カルマ論を否定しているのがすごい。でも輪廻は否定しない。
インド圏では輪廻は思想ではなく事実だという認識だからね。

無因無縁論と運命決定論は
悪行に歯止めをかけるどころか加速させるので広まるとまずいのでは?

苦行したくなって実践するのも運命だと言っていた?
苦行しても無意味だということを苦行をして示した?
でも苦行しても解脱できないことをどうやって第三者が確認できる?
仮に「ほらこんなに苦行しても解脱できないでしょ?」って言っても
「あなたが修行に失敗しただけでしょ」と言われそう。
苦行が無意味だから解脱できないと、
苦行という修行に失敗したから解脱できないを区別できるの?

苦行で尊敬を集めて生活のための布施を得ていたのかも。
なにやりたいと思ってもそれがあらかじめ決まっているなら何やってもいいじゃん
→やりたいことをやろう→苦行がやりたい
なのかも。

教義の中核が一部抜けていて意味不明になっているのかも)


アージーヴィカ教を率いるゴーサーラは
ヴェーダの権威を否定する当時のサマナ(自由思想家)のなかでも
最も有力な人物の一人であり
恐らくはマハーヴィーラやブッダと同等以上の扱いを受けていたであろう。
現在アージーヴィカ教の聖典は隠滅して直接検討できない。

マハーヴィーラとゴーサーラが六年ともに修行したことからもわかるように
両者は密接。
ブッダとデーヴァダッタの関係にも比べられよう。
仏教の中に釈迦牟尼仏を供養しないデーヴァダッタの徒がいたというように、
両者は正統と異端の関係にあったとも考えられる。

白衣の第五アンガ『ヴィヤーハパンナッティ』第十五章などによれば
ゴーサーラは絵解きの遊行者であった。
キャンバスに描かれた絵を見せながら
その絵に描かれた物語を歌にして
人々に聞かせながら、
村から村へ遊行しながら生活の糧を得ていた。
教義を聞かせるために違いないが
語りが娯楽であり
新しい知識や外の世界の情報の源泉でもあったであろう。
(インド版吟遊詩人だ)

絵解き遊行は現代インドでも存在していることが報告されている。

日本にも古くから仏教の絵解き説法師がいて
民衆教化に大きな役割を演じた。

平等解脱思想はブッダやマハーヴィーラから激しく攻撃されたが
日本の浄土系絵解き説法師の極楽往生まちがいなしとの救済を請け負うがごとき
断言の口調に似て
アージーヴィカ教の信者の多かったと目される民衆、
カースト下層の人々にとっては大変な福音となり
救済思想となって受け入れられたであろう。

(たしかに浄土教に似ている。
アージーヴィカ教
「輪廻の期間は決まっているから修行で期間短縮できないよ。
修行できなくても全員解脱する運命だからみんな救われるよ」
を釈迦は否定したのに
修行できなくても救われるのが浄土教(一応釈迦系思想)と共通で
真宗視点の悪人も救われるとしたのが面白い)

マンカリプッタの言葉として、
(この章の名前がマッカリ・ゴーサーラなので
ゴーサーラ・マンカリプッタはジャイナ教での呼び名だろう)
ジャイナ教の伝える『聖仙の語録』に
「じつにターティ(模範となる人、仏教の如来に相当)は
四方にわたる輪廻の荒野から、
自分も他人も救い出す、というので救済者(トラーイン)と呼ばれる。」
とある。



・紀元前444年ごろ
当時の商業活動の中心地であったヴァイシャーリー市の北部のクンダ村
(今日のバスクンド)でマハーヴィーラが誕生。
(生没年の仮説が多い。
紀元前540年生まれ説もある。
ジャイナ教団の伝統説では紀元前599年(または紀元前598年)生まれらしい。
漢訳仏典にもとづく北伝の仏滅年代を採用すると紀元前444年生まれらしい)

マハーヴィーラ(大雄)に父母が与えた名前は
ヴァッダマーナ(ヴァルダマーナ)=成長するもの、増大するもの。
マハーヴィーラ=大勇者。
ヴィーラ=勇者。
マハーヴィーラ(大雄)はヤソーヤーと結婚し
一女をもうけたとされるがこれは白衣の伝承で
空衣では結婚の事実を認めない。

マハーヴィーラ(大雄)は両親が死ぬまでは出家しないという約束を守る。
父母の死後に兄の許しを得て30歳のとき
まず財産を一年かけて分与してから故郷を去り出家しサマナとなった。
寒い冬の時期であった。
十三か月を経過し再び冬が来た時に
着用していた衣類すらも捨て去った。
これはパーサの教えから大きく離れる一歩であった。
『アーヤーラ』によれば
マハーヴィーラ(大雄)は人の背丈ほどの壁に囲まれて
これを凝視して
瞑想に専念していた様子が伝えられている。
女性を近づけず、人と交わらず、
問えども答えず、礼するも受けず、
打たれても動揺せず罵られてもひるまず、
ただ黙々と瞑想に専念し、人々を驚嘆させた。
歌舞音曲のようなものに心を奪われず
二か年以上、冷水を使ったり求めたりしなかった。

『バガヴァイー』十五章によると
マハーヴィーラ(大雄)は出家後二年目にゴーサーラに会い、
六年間修業を共にし、
後に別れて四年後に完全な智慧を得てジナ(勝者)になった。
十二年間の苦行を終わったマハーヴィーラ(大雄)は
第十三年目の夏の夜、ウッジュヴァーリヤ河の北岸で
ジャンビヤ村の農夫サーマーガ所有の野原にいた。
近くにサーラ樹のある場所で、
最高の完全智に達し、完全者(ケーヴァリン)となった。
一切智(サッヴァンニュ)に達し、
さとりを開いたときには世界、神々、人間、悪魔のありさま、
彼らがどこから来てどこへ行くのか、という詳しいすがたを見通したという。
(『カルパ・スートラ』)

マハーヴィーラ(大雄)は三十年教化を行って
七十二歳でビハールのパーヴァーの市中のハッティパーラ王の高官の公邸において亡くなり
ニルヴァーナに達したといわれる。出家から四十二年目であった。
マハーヴィーラの出家は30歳。
殺されたりせずに死んだようだ。
偉人が殺されると狂った神格化につながるのでよくない。
人は人として死なせ、死後もずっと人のままでないといけない。
神格化された死者は生者の思想兵器となる。
神格化された死者も凶悪だが
生者が創造した法人(法神)が人間を牛耳っているのが現状



峨骨
‏ @Chimaera925
2018年7月6日
豆腐の角で頭ぶつけたり、バナナの皮で滑って死んだりしたら、
死後に祀られて神格化する事も無いが、
あんな報道で象徴にしてしまうのはどうかなと。
テロを名目に監視やら強化したい側からすれば、活動の活発化は大歓迎だろうけどな。
どうせ支援者に傷は付けねぇだろうし。

神格化された英雄も悪党も象徴になってしまう。
人は人のまま死なせておかなければ、後々面倒臭い事になる。
大義や象徴は厄介な代物だからね。

峨骨
‏ @Chimaera925
2016年6月5日
法人を人として見るならば、その人格はサイコパスだ。
利益にならなければ切り捨てるし、欲望に限度はない。
規制されなければどこまででもカネの為ならやる。
グローバル企業や外国人投資家は進出先がどうなろうと、
リスクを現地の労働者に背負わせれば良い。
独占や寡占まではいい顔するかもしれないが。

峨骨
‏ @Chimaera925
2012年6月19日
もしも進化論が正しいのならば、自然は人間の為に創造されてもいなければ、
人間は神に選ばれ自然や生物に対する支配権を与えられた絶対の存在でもないと言う事になる。
他動物が人間に劣ると言うのも、
人間の持つ徳目を至上としただけのこと。
動物に神は居ない。人は人の似姿として神を創造した。



マハーヴィーラ(大勇者)の死、精神的にいえば入滅は
ジャイナ教暦の紀元である。

白衣はこれをヴィクラマ暦(A.D58/57)の前470年とし、
空衣はシャカ暦(B.C78)の前605年としている。
後者は誤ってヴィクラマ暦とされる。
これらの主張(いずれもB.C527/526となる)を批判的に吟味してヤコービ教授は
1879年にB.C467年と算定し
シャルパンティエ教授はこの数字を新たな証拠によって補強しようとした。
ヤコービ教授自身1891年に
477/76年と結論して、
以下の著書では477年説に基づいて記述されている。

(ジャイナ教も専用の暦があるのか)

聴聞完成者(シュルタ・ケーヴァリン)
=聖典の本文を誤りも遺漏もなしに完全に保持する人々。

白衣派(シュヴェーターンバラ派、白衣を着ることを許す)

空衣(ディガンバラ派、裸形派。
より厳格で不殺生と無所有を実践するために裸)

ジャイナ教の修道女は修道僧に従属している。
裸が解脱の条件である空衣では修道女が劣った地位にあるのは明らか。

両派は聖典を同じくすることを認めない。
白衣が解脱を前にしての両性の平等を認めるが、
空衣は否定。

教団の二派の分裂は西暦1世紀ごろ。

二大宗派の違い一覧

・空衣(ディガンバラ派、裸形派)
マハーヴィーラは結婚していないし、子供もいない。

白衣の着用によっては解脱は得られない。
女性の解脱(ストリー・ムクティ)は認めない。
完全者(ケーヴァリン)は食事をとる必要がない。

マハーヴィーラはバラモン女性の胎内から
クシャトリヤ女性の胎内に移っていない。

第十九番目の祖師マッリナータも男性。

祖師の尊像は座像と立像があり、伏せ目であり、
装飾品は一切つけていない。
座像はパドマ・アーサナ(蓮華座)、
立像はカーヤ・ウットサルガ(両足を少し開き、両腕を体側に沿って垂らす)の印契。

古聖典は散佚してしまい今に伝わっていない。
白衣の聖典の権威を認めない。
現存白衣の聖典の権威をみとめず、
代用聖典と呼ばれるべき副次聖典がある。



・白衣派(シュヴェーターンバラ派、白衣を着ることを許す)
マハーヴィーラは結婚し子供をもうけた

完全者(ケーヴァリン)の食事を認める。

マハーヴィーラはバラモン女性の胎内から
クシャトリヤ女性の胎内に移った。

第十九番目の祖師マッリナータは女性。

祖師の尊像は一般に座像で
目や胸に宝石をはめこみ、時に衣服着用。
目は全開で前を向いている。

古聖典は伝承されてアーガマにまとめられている。


白衣も空衣もバドラバーフが全聖典を完全に知っていた最後の師でであると教えている。
マハーヴィーラ(大雄)の没後683年ブータヴァリヤーチャーリヤの没した後
聖典の知識はまったく失われてしまったということである。
したがって空衣によれば現今聖典の伝わるものはなく
白衣の聖典は古来の純粋なる聖典とは一致していないといわれ、
対して空衣ではだいたい西暦900年ごろに従来行なわれていた
この派の教書を四部にまとめ四ヴェーダと称してこれに代用。

空衣は白衣の聖典(白衣はアーガマあるいはシッダーンタと呼ぶ)の権威を認めないが
現在では経典名など共通のものが両派に伝わっている。

ヤコービ教授は聖典の最も古い部分を紀元前四世紀から三世紀におくことができると考えた。


世界の形は
上下の両方が広がっていて、中央部において狭くなっている。
世界(ローカ)の外に非世界(アローカ)があるとする。

霊魂(ジーヴァ)と非霊魂(アジーヴァ)があり
アジーヴァは
運動の条件(ダンマ)
静止の条件(アダンマ)
虚空(アーカーサ)
物質(ポッガラ)の四つ。
霊魂と合わせて五つの実在体(アッティカーヤ)と称する。
時間(カーラ)を実体と考え合わせて六つとすることもある。
実在体と訳したのはアッティカーヤ(梵語ではアスティ・カーヤ)で直訳すれば
存在の集合。
なぜ実在体が存在の集合かといえばそれぞれ点(パエーサ)の集合であるから。
五つの実在体はみな実体であり
時間は時間点(サマヤ)よりなり
現在は一時間点に相当しているが
未来はこれに一時間点の増加
過去は一時間点の減少から成り立つとした。
時間全体は過去の二倍よりも一つ多く
未来の二倍よりも一つ少ない。
過去は時間全体の半分より一つ多く
未来は時間全体の半分より一つ少ない。
さらに最小の可算時間単位であるアーヴァリヤーはウッサピニーに至るまで
他のものと同様に無数の時間点をもつ。

(数直線的に考える。
現在をn
未来をf
過去をp
時間全体をtとする。
n=0(基準の時間点)

t=2p +1
t=2f -1
+
----------------
2t=2(p+f)
t=p+f+0
=p+f+n

p=t/2+1
f=t/2-1
+
----------------
p+f=t

確かに数式的に正しい。
以上の数式計算は完全に間違っているかもしれないのであしからず)


霊魂の本質は精神作用であり
認識能力に応じて働く。
物質は霊魂に身体と物理的な運動を可能にする。

宇宙は永遠の昔から実在体によって構成されていて
宇宙を創造し支配している主宰神のようなものは存在しないとする。
主宰神を否認した点では他の自由思想家たちと共通でありインドの無神論を代表しているともいえる。
(この無神論の神=ゴッド。
ジャイナ教は神々の実在は認める。
ん、それだと一神教以外は全部無神論だな。

ウィキが異様に詳しいので宇宙論などは簡略化して記す。
ジャイナ教は日本には政治的影響力はほぼないから大丈夫だと判断。


ジャイナ教
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99

業 (ジャイナ教)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9E

ジャイナ宇宙論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%AB%96
アーチャーリャのジナセナのマハープラーニャ(Mahāpurāṇa)は次の引用文で有名である:
「数人の愚かな男が創造主が世界を創ったと宣言した。
世界が想像されたものだという教義は無思慮なものであり、拒絶されるべきだ。
神が世界を創造したのなら、創造する前の神はどこにいたというのか?
神は超越的存在で何の助けも必要としないというのなら、神は今どこにいるのか?
どうして神が何の素材もなくこの世界が創造できるということがあろうか?
神が先に素材を作り、その後で世界を創ったというなら、無限後退に陥る。」

「この宇宙は創造されたのではないし
誰かによって維持されているわけでもない。
そうではなく、何の助けもなく自己持続している。」
”)


ジャイナ教は後世、
宇宙は両腕を弓なりに曲げた拳を腰にあてて起立する人間の姿であらわされる。
人間の姿をした宇宙像。
三界からなり
人間の下肢=下界、
帯の地域=中界、
上界。

地獄に堕ちた者の色調(レーシュヤー)は暗い色
すなわち灰色、青黒、黒色。


上界はメール山の上方にある。
上下に重なる五つの区域に分かれる。
下から第一の区域は十六カルパの区域(宇宙人間形の両脇に相当する相い重なる八対)であって、
天上の馬車に乗る神々のカルパヴァーシンの群の住む十二の天国である。

第二区域は宇宙の人間の頸の区域である。
九つのグライヴェーヤカ天国がこれを構成する。

第三区域は宇宙の人間の顎に相当する。
それは九つのアヌディシャ天国を含む。

第四は五つの無上の天国よりなる。
これは五つの顔面の開口。

これら三つの区域に住む神々はヴァイマーニカであり
アハンインドラの群れに属する。

第五区域は宇宙の頂上であり宇宙の人間の頂髻である。
解脱した霊魂は至福の中にその場に憩う。
そこはシッダ・クシェートラ。
(上界は首と頭だけでなく両脇の高さも含まれるのか

頂髻はちょうけいと読むらしい。

三十二相=仏の姿の32の特徴
の一つに
頂髻相(ちょうけいそう)
=頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している
(別名が肉髻(にくけい))
というのがある。)
宇宙の時間は劫(カルパ)という相等しいいくつかの時期に分かれ
それが無限に繰り返すと考えるインド共通の観念をジャイナ教もまた認める。
ジャイナ教では時期は車輪のある一定点がなす円運動に比較される。
下降相と上昇相という二つの変化相に分かれる。


始めは大きな幸福の時期であり非常に長い時期で
その間人々は考えられないような長寿と大きな身長の利益を得ていた。
十本の豊穣の樹が人々のすべての必要を充たし彼らは何ら骨を折る必要はなかった。
人々は自発的に有徳で死しては直接神々の世界に移った。
しかしその人々にはジャイナ教の教えは説かれなかった。

(ジャイナ教も人は最初は巨人だったという教えか)


現在は下降相である第五期で
徳と真理の支配が弱まり無秩序が増大する。
不幸以外はほとんどない。
これは紀元前523年からはじまる。
現在の劫の最後の救済者(ティールタンカラ)である
ジナ・マハーヴィーラが解脱に達したときから三年八か月半後のことである。

ジャイナ教徒は宇宙は合成されているが破壊されないものと考え
ヒンドゥー教の還滅(プララヤ)の観念を認めない。
その時に輪が再び昇るであろう。
それは劫の上昇相。



極度の幸福の時期と極度の不幸の時期は精神の解放には不都合で
むしろ中位の時期が好都合であることに注意。


・白衣派の聖典
(ごく一部だけ記す)

十二アンガ(肢) 古い伝承を保存している部分。
『アーヤーランガ・スッタ』の前編が
現在ジャイナ教聖典の最古層を代表。

『バガヴァティー・ヴィヤーハパンナッティ』あるいは
単に親しみを込めて『バガヴァイー』と呼ばれる。
ヴィヤーハパンナッティ
=説明を明らかにすること。


『チェーヤスッタ』はすべての僧の戒律に関するもので
仏教での律部に相当。
その一つが
『カッパ』
僧侶と尼僧の教団生活規則を中心に述べる。

(僧という言葉はよくないから男性修行者と女性修行者と呼ぶ方がいいのでは)

・ジーヴァは地水火風、動物植物の六種にあるから六種の霊魂がある。
元素にまで霊魂があることに注意。

(これ霊魂という言葉が持つイメージとかなり違うからこれよりジーヴァと記す。
訳すなら生命素とか生命源かな?)

物質内部に想定される生命力を実体的に考えたものであろう。
これはインド原住民に古来存するアニミズムにしたがっているとふつう学者は解しているが
反対説もある。
すなわち
最古の聖典『アーヤーランガ』によってみるに
簡単にアニミズムと言えない。
水を飲むなというのは水の中に生物が含まれているからである。
火を扱うな、というのは火が生物を傷つけるからである、と。
ジャイナ教は現実の自然界の観察から出発する。
ジーヴァの本質は精神作用(ウパヨーガ)だと想定されている。
具体的には
ジーヴァの本質は
認識(ジュニャーナ)、直観(ダルシャナ)、
快感(スカ)、苦(ドッカ)であるとする聖典もあれば

(正しい)認識、(正しい)直観、
(正しい)行(チャリタ)、
苦行(タパス)と努力(精進ヴィリーヤ)とする聖典もある。

一般的にいえばジーヴァの本質は意志を含めた知と生命性。
ここでいうジーヴァはインド哲学一般のアートマンと同じであり
個々の物質の内部に想定される生命力を実体的に考えたものである。
ジャイナ教は唯一の常住偏在なるアートマンを認めず
多数の実体的な個我のみを認める多我説だと解されている。
やや後世の霊魂観(ジーヴァ観)では
ジーヴァは宿る身体に応ずるたけの大きさを有し、また上昇性をもっているという。
前者は身体のうちのどの部分にも感覚があるから
身体のうちにジーヴァが満ちていると考えた結果導かれた想定。

後者は古い時代から霊魂が死後に太陽あるいは月の世界に行くなどと考えていた思想
が祖師パーサ(パールシヴァ)によって継承され、
ジーヴァは上昇するものだと考えられジャイナ教に取り入れられた。
宿る体にジーヴァが満ちていることと上昇することはジャイナ教の
霊魂観として後に有名になる。

霊魂は生命をもつものとしてジーヴァと呼ばれ
生きているものはジーヴァと呼ばれる。
ジーヴァの数は全体として一定で増減しない。
ある存在の段階や類では平衡も増加も減少もある。
一切智者は例外で数が減少しない。
聖典ではジーヴァとアートマン(アーヤー)の違いはあまり明確でない。

空衣はジーヴァをしばしばアーヤー(AMg.アーダー)と呼ぶ。

ジーヴァは世界の虚空と同数の空間点を有し
それにより業の結果として
いかなる容積の身体にジーヴァが侵入してもただちにそれを充実し得るのだと説く。
体積に大きな違いのある象のジーヴァも虱のジーヴァも
実質的には等量でなければならない。
様々の大きさの部屋を照らす一つの灯火のようなもの。

ジーヴァが無数の単子(モナド)として一切の空間に遍満し
居住する身体に応じてその量を変ずるように、
物質もまたこれを無数永遠にして性質上不変な物質的原子(アトム)の総和とみなされている。

業の材料のようなものは、
多数の原子が一個の原子の場所を占拠するという関係において超感覚的なものを構成する。
あたかも砂が袋に満ちるように、業はジーヴァに満ちている。

ジーヴァには以下のような区分がある。
意識をもつ
意識をもたない

解脱した
輪廻の中にある

不動(一根=身根つまり触覚のみ)
可動(二根以上をもつ)

不動とは地水火風(鉱物的要素)、植物。
少なくとも生命と感覚を持つ。

ジャイナ教ではジーヴァをまったく持たない自然の合成物の存在を認めない。

霊魂の行く末は四つの道(ガティ)に分類されている。
人間、天人(神)、動物(畜生)、地獄の住人の四つの道。
霊魂の功徳と罪過は心的色彩(レーシュヤー)によって示される。
これは身体にしみこむ適応した色合いによって表される。
色には六つある。
三つは暗い色で下位。
下から、黒、青黒、灰色。

他の三つは明るい色で上位。
下から上に
黄、バラ、白色。
地獄の住人は黒い。
宇宙の頂上に向かって上昇するにつて黄、黄バラ、バラ白色、純白色がある。
純粋な精神の瞑想は白いといわれる。

(四道輪廻。

大雑把な説明
ジーヴァ(霊魂)=風船(勝手に上に行く)

ポッガラ(原子、物質)
=風船が上に行かないようにしている重り
(勝手に下に行く)

業(カルマ。微細な物質の一種)
=重りを風船にひっつけるノリみたいなもの。
元はただの物質だからジーヴァに浸透すると業と呼ばれる(業物質)。

(業は流入すると表現されるので
ジーヴァの表面にひっつく(内側に入らない)ノリという比喩は不正確だが
便宜上仕方ない)

風船に一切重りがついていない状態にして
風船が天上へ行けるようにする=解脱が最終目的。
殺生などをすると風船に重りがひっつきまくる。
物質は業の力で霊魂の周囲に付着。)


アジーヴァの一つの
虚空は世界と非世界を含む。
空間とも訳せる。
実体であり精神でもなく物質でもなく
形体をもたず、感知されない。
動かないし無力。
無限なただ一つの全体であり無数の空間単位を含む。
これらは数学的な点であるように見えないで
三次元をもつ最小限の広がり。
アーカーサの本質はある量の原子に場所を与えること。

一方、

時間(カーラ)
永遠にして単一で空間的広がりがない。
時間の特相は持続。
時間は実在体に含められたり、
省かれたりするが
虚空は決して省かれない。


物質(ポッガラ)
ポッガラは原始的構造をもち、原子とも呼ばれ
無数に存在し多数の物体を構成し
場所を占有し、
色・味・香・可触性を有し
その可触性は冷・暖と粗・密とか結びついたものである。
原子は無限に分かれた段階(グナ)がある。
原子はそれ自体でもしくは衝突によって、
分子の凝集(カンダ)となる。
分子の凝集は対応する色などを有しうる。
そのような分子の凝集は二、三の原子からなるが
分子の凝集との関連で原子は
最も微細な物質と呼ばれる。

物質は活動性と下降性とを有する。
物質は業の力によってジーヴァの周囲に付着し
その下降性のゆえにジーヴァを身体のうちにとどめ
上昇性を発揮することができないようにしているとされる。
霊魂は上昇性を有し
物質は下降性を有するのはすでにパーサの教説にある。

物質は原子から構成されていると考えた。
原子は一つの空間点(パデーサ)を占めているが部分を有せず分割もできず
破壊もできない。
物質の原語ポッガラは原子という意味を同時にもっている。
しかしシュブリング教授によれば原子そのものがポッガラと呼ばれている例は見当たらないという。

一つの原子は色・味・香の性質を持つが
二原子として結合すれば可触性を生ずる。
原子の結合はそれ自体の性質または他の刺激によって生ずるとされている。

原子論はインドにおいてはジャイナ教徒がはじめて明確にした。
最初期から原子の観念があったかどうかは疑問だが、
遅れて成立した啓典のうちにはすでに説かれている(『バガヴァイー』)。

(西洋科学の原子論へのインド系思想、特にジャイナ教の影響が気になる)


時間(カーラ)
時間は永遠にして単一で空間的な広がりを有しない。
時間の特相は持続(ヴァルタナ)。
機能は事物の存在継続、変化、運動、古いこと、新しいこと。
時間は無限に多くの瞬間よりなる。
時の無限の全体は持続の最小限である瞬間
または時の原子の途切れてはいないけれども
ほんとうは別々の単位よりなるとされている。
瞬間
=物質の原子が空間の一点から他の点に移るのに要する時間
と定義される。

(原子の移動時間は一定?)

それぞれの世界空間の微点のうちに存するそれぞれのものが
時間の極微であり
あたかも宝玉の堆積のごとく
無数の実体である。
時間は実在体に含まれたり省かれたりしている。


流入(アーサヴァ)
身体が活動(ヨーガ)して身口意の三業を現ずると
その業のために微細な物質(ポッガラ)がジーヴァを取り巻いて付着する。
これを流入(アーサヴァ)と称する。
漢訳仏典では漏。

ただ仏典では漏とは漏泄の義だと解するが
ジャイナ教徒はこの語(梵語アースラヴァ=アーサヴァ)を
流れ入るという意味に解した。漏入と訳すこともある。
この世の苦しみは行動(業)から生ずると考えていた。
苦行者たちが修行で排除していく輪廻の暴流のうち
外から押し寄せてくる流れをパリッサヴァと呼び、
内に漏れこんだ流れをアーサヴァと呼んだ。


防ぎまもること(制御 サンヴァラ)
ジャイナ教では苦しみに悩まされる根源は執着があるからと考える。
外界の対象に執着してはならぬと教える。

以下『アーヤーランガ』(最古層のジャイナ教聖典)
「感官の対象(外の事物)なるものは、
〔罪悪のおこる〕根の場所である。
〔罪悪のおこる〕根の場所なるものは、
感官の対象(外の事物)である。
それゆえに感官の対象(外の事物)を求める放逸なる人は、
大なる苦悩(パリターパ)をもって暮らすであろう」

「快・不快に悩まされてはならぬ。
不快とはなにであるか?
また歓喜とはなにであるか?
これにも執われることなく行ずべきである。
一切の戯笑を捨てて、
心を没せしめることなく、
守って遍歴せよ」

「感覚した事柄に関して無関心となれ」

『イシバーシヤーイム(聖仙の語録』
(近年出版されて注目される。古い聖者たちの教えとして
ジャイナ教の側が伝えたもので
ウパニシャッドの哲人や仏教のサーリプッタ(舎利弗)も登場)
(修行者は業の流れをせきとめなければならないので
マハーヴィーラの弟子が師にたずねた)
「あらゆるところから、業の流れ(ソータ)は侵入してくる。
業の流れをせき止めることはできないのか、と問われたならば
聖仙は答えるべきである。
いかなる方法をとれば、業の流れはせき止めることができるのか?」
 これに対して、尊敬さるべき・聖仙ヴァッダマーナは答えていった。
「目覚めた(気をつけた)人(聖者)にとっては、
五つの感覚器官が眠り、
眠っている人(聖者でない人)にとっては五〔つの感覚器官〕は目覚めて(活発化して)いる。
人は五〔つの器官〕を通じて汚れ(=業)を受け取る。
五〔つの器官〕のところで汚れ(業)は留まるであろう。
快い音あるいは悪しき音を耳から受け取っても、
快い音に愛着してはならない。
また悪しき音について怒るべきではない。
快い音において、愛着をおこさず、
また他の(悪い音)において怒らず、
業の流れをせき止めていない者たちのなかにあっても(アヴィローディン)、
眠らずに(気をつけて)いるならば、かくして業の流れはせき止められる。」
(次に色と眼、香と鼻、味と舌、触れられるものと皮膚との関係についても、
同様の説明をくり返している。
そっくりの対話が仏典にある)

『スッタニパータ』1034;1035
「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。
その流れをせきとめるものはなにですか?
その流れを防ぎまもるものはなにですか?
その流れはなにによって塞がれるのでしょうか?
それを語ってください。」
 これに対してブッダが答えた。
「世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせきとめるものは、
めざめて気をつけることである。
〔気をつけることが〕煩悩の流れを防ぎまもるものである。
その流れは知慧によって塞がれるであろう。」

仏教でも人間の生存は「煩悩の流れ」(ソータ)にあると考えていた。
そうしてそれをせきとめることが解脱だと考えていた。
比較すると問題提起の仕方も返答もほとんど同一。
ジャイナ教は感官制御を強調し
仏教では気をつけて、知慧を確立することを説く。
前述の二つの問答はいずれも祖師マハーヴィーラおよびブッダにもっとも近いと思われる最古のもの。
ゆえに類似は重要。
このような実践は
防ぎまもること(制御 サンヴァラ)と呼ばれていて
初期仏教もジャイナ教も共通。

当時の諸宗教が苦行などを中心としていたのに対して
仏教は当初は知慧を重んずる方向に出発したと考えられる。

ジャイナ教では業に束縛されたわれわれの悲惨な状態を脱し
永遠のやすらぎである至福の状態に達するためには、
一方では苦行によって過去の業を滅ぼすとともに
他方では新しい業の流入を防止して霊魂を浄化し霊魂の本性を発現させるようにしなければならない。
これを制御(サンヴァラ)と称する。
この語を漢訳仏典では律儀と訳している。
語源的に見てもおそらく、
業の流入をせきとめること、塞ぐこと、防止、遮というのが原義で
それはまた自分が悪をなさないよう制することであるから、
その転化した意義が仏教に取り入れられて
律儀となったのであろう。

(律儀(りつぎ と読むらしい)は仏教用語だったのか)


払い落とすこと(止滅 ニルジャラー)
新しく流入する業物質の防止がサンヴァラなのに対し、
既にジーヴァの中に蓄積された業物質(カルマ・プドガラ)を
苦行(タパス)などによってジーヴァから払い落とすことが止滅(ニルジャラー)。
汚れを物質化、実体化する考えがある。


輪廻(サンサーラ)
=迷いの生存。
植物にも生まれ変わる。


身口意が活動すると活動で物質が流入してジーヴァに付着。
ジーヴァに付着した物質はそのままでは業ではないが
さらにそれがジーヴァに浸透したときその物質が業と呼ばれる。
それで業物質と呼ばれることがある。
そして業の身体(カンマ・サリーラガ)と称する
特別の身体を形成しジーヴァの本性をくらまし束縛している。
行為そのものが結果として苦しみをもたらすので
人生は苦しみだという思想が誕生する。
ジャイナ教は業を物質的に考えていた。
仏教は業は精神的なものと考えていた。

当時業が未来に果報をもたらすことを否認する
無行為論者(アキリャー・ヴァーディン)がいたが
註釈家によると仏教徒(バウッダ)をたぶんに意味していたという。
無我説は異端とみられていたのだろう。
(異端?異教では?)

ジャイナ教は輪廻の主体としてジーヴァを想定。
ジャイナ教以前で
ウパニシャッドでは形而上学的な意味における輪廻の主体をつねに想定していた。
ヤージニヤヴァルキヤはブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドで
輪廻の主体を個我の中心としての霊魂、
すなわちアートマンは身体を去ってのち直ちに他の身体に入ると考えていたようである。

修行、とくに苦行で業の身体を滅ぼしつくしたまらば
ジーヴァの清浄な本性がおのずから現れ、
一切の苦しみから離脱することになり
それが解脱。
身体の壊滅すなわち死が解脱を完全なものにする。

業とのむすびつきがなければジーヴァはその時点で
宇宙の最上の場所へと自然に移行する。


修行をしている人は
「物質的な世界(ダッヴァ ローガ)にありながら、
世界・非世界の現象諸相から解脱する」(『アーヤーランガ』)という。

宇宙は永遠の昔から実在体によって構成されていて
大初に宇宙を創造しあるいは支配している主宰神のようなものは存在しない。

修行によって業の束縛が滅せられ
微細な物質がジーヴァから払い落とされることを
止滅(ニルジャラー)と称する。
ニルジャラーの結果、
罪悪や汚れを滅し去って完全な智慧を得た人は、
完全者(ケーヴァリン)となり
「生をも望まず、死をも欲せず」(『アーヤーランガ』)という境地に至り、
さらに
「現世をも来世をも願うことなし」(『アーヤーランガ』)という境地に到達する。
この境地に達すると生死を超越し、現世も来世も超越する。
死を願うのも執着だからだ。

解脱は生前において、この世において得られる(『アーヤーランガ』)。


理想の境地は彼岸(パーラ)とも呼ばれ、
仏教では彼岸といい、
ジャイナ教でも最初期から用いる。
解脱の境地をまた
最高の真理(ウッタマッタ)と呼んでいる。
この究極の境地はただ否定的にのみ表現され得る。
この否定的表現はウパニシャッドにおける
アートマンの説明が
「ネーティ ネーティ」(非ず非ず)のアートマンと表現されるのと同じ。
「〔解脱した人は〕長でなく、短でなく、
円でなく、三角形でなく、四角形でなく、球体でなく、

身体があるのでなく、
身体から脱したのでなく、
身体に留まっているのでなく、
女性でなく、男性でなく、中性でなく、
知慧(パリジュニャー)があり、
意識(サンジュニャー)があるが、
しかり、
〔解脱した霊魂の本性を知るべき〕譬喩(ひゆ)は存しない。
その本質は形を有せず、
句(パダ)のないものに句は存せず、
…」(『アーヤーランガ』)


遅れて成立した聖典には
修行者が解脱すると「業の身体」を捨てて
自身の固有の浮力によって、
一サマヤ(短い時間)の間に上昇し、
まっすぐにイーシーパッバーラーという天界の上に存する完成者(シッダ)たちの住処に達するという。
解脱したジーヴァは過去の完成者たちの仲間に入るのである。
これは後世まで継承されジャイナ教の特徴の一つとされている。

視点(ナヤ)
なんらかの手段で、ある対象を述べる視点がナヤによって与えられる。
ナヤ=ものを見る視点、ものの見方。

最古の聖典にはナヤの技法はないので後に教義が確定する過程で成立したものとみられる。

相対主義の立場。
視点(ナヤ)の技法のように完成した形は比較的後期の聖典『アヌオーガダーラーイム』の中にあり
ニッケーヴァという名前で後代にも頻繁に現れる。
対象の規定を四つの視点
名前
表象
実体
状態
から行なう。
必須(アーヴァッサヤはこう説明する。
名前から必須とは
必須とは必須と名前がつけられたものである。

表象から見た必須とは
何か必須のものを表わした絵や像。

実体から見た必須とは
必須と思われる事柄で
出家者視点では必須の(アーヴァッサの)文言であり
異教の者からすれば義務的な礼拝であり
日常的には朝の身だしなみである。
(要は具体例)

状態から見た必須は
必須な認識として感じられるもの。
ジャイナ教では必須(アーヴァッサ)の文言を誠実に実行することで
非ジャイナ教では『マハーバーラタ』などの叙事詩の吟誦であり
もしくは宗教的必要性に基づいて特定の時間に行われる儀礼。

対象は
「ティヴァッタッヴァム シヤー」(ある点からすれば……であるといえる)という
言葉を付して言い表せる。

原始聖典の中には七つの根本ナヤ(ムーラ・ナヤ)がある。

1 一般世人の見方
世の人たちが現在なしている行動の目的を表示

2 まとめる見方
類概念、つまり共通性に注目し
個々の特殊性を無視。

3 日常生活上の
全体を知ってからそれの著しい特殊性を強調。
経験的知識にもとづいた実際的理解となる

4 直線的な
過去現在未来、前後にわかることがらを越えて
現在に関するものだけを取る。

5 語に由来する
語を意味をもった語として理解し表現することをいうのであろう。
たとえば
スメール山があった、ある、あるであろうという場合に
スメール山が時間の相違を有すると考える見方。
この場合
そのたびごとにいつも異なったスメール山が存在するという語の誤りになる。

(???よくわからないぞ)

6 同義語に由来する区別的な見方
種々の意義を越えて、
一つの意義をめざして語源的に説明

7 はたらきに由来する
一つの事物を
それを意味する語の語源が暗示しているような活動を行うものとして把捉すること。

(6とかぶるのでは?)


ジャイナ教では
すべてのものは多数の性質からなるという存在論を主張。
これを多面的見解(アネーカーンタ・ヴァーダ)と称するが
これを言語的表現に反映させたものが有名なスヤード・ヴァーダと呼ばれる。
六師外道のサンジャヤの懐疑論や仏教の四句分別と深い関係がある。

(四句分別
①有り②無し③有りかつ無し④有るに非ず無しに非ずの四種類)

スヤード・ヴァーダの発見は初期に属するであろうし
マハーヴィーラ(大雄)自身かもしれないが、
いわゆる七句表示法(サプタ・バンギー・ナヤ)という名前で
明確に現われるのは後代の無名の作品においてである。
他の宗教思想、哲学学派との論争で成立したものではないかと推測されている。
一つの対象を言い表す場合
一面的な(エーカーンタ)主張は不可能であり
あえて表現しようとすれば
ある点から言えば(スヤート)という限定詞を付して言うしかないとする。

七つの言明の分枝という意味で
七句表示法(サプタ・バンギー・ナヤ)と呼ぶ。
例示すれば
瓶はある点からすれば、
1 存在する
2 存在しない
3 存在しかつ存在しない
4 表現できない
5 存在しかつ表現されない
6 存在せずかつ表現されない
7 存在し、存在せず、かつ表現されない

あらゆる可能態を述べたもので特色ある教説。


教団生活規則=カッパ。

僧侶が相互に話してもよいのは
道を尋ねる場合や道を教える場合
食物を交換する場合。

僧が尼僧に触れてよいのは危険から身を守るために救助するときだけ。

ジャイナ教が慈悲を説く宗教なのは少なくともインドでは一般に認められている。

普通一般には勇者(ヴィーラ)という者を
武勇に任せて人を殺傷する力の強い者のことだと考えている。
しかし、生きものを傷つけない人、
それが最上の勇者(ヴィーラ)である、とジャイナ教では主張する。

履物を履くと気づかぬうちに地上の虫を踏みつぶす可能性があるから裸足。
ジャイナ教の箒は触れるとやわらかいので掃いても小虫も殺さないようにできている。

水は濾過器でこして飲む。
林の中を歩かない。

出家修行者にはとくに厳重な戒律の実践が要求され、
食物を煮炊きしない。
人をして煮炊きさせてはならない。
大昔の修行者はなまものばかり食べていたらしいと推測。
今日では午前中なら煮炊きした食物を食している
(正午以後はなにものも口にしないのが普通)。

(なまものばかりだと食中毒が怖い)


肉や魚を食べることは最初期ではかならずしも禁止していなかったようだ。
骨の多い肉や魚を托鉢のときに受けてはならぬが
その一部分を受けて食べるのはさしつかえないとしている。

仏教では最初期には施しとして食物のなかに肉の入っているのを
かならずしも拒まなかったといわれる。

ガンジーは幼少のころの環境からジャイナ教の影響を受けて成長したといわれている。

ジャイナ教の不殺生の教えを最初に評価した日本人は南方熊楠。
(『南方熊楠――地球志向の比較学』)

マハーヴィーラ(大勇者)は裸形(アチェーラ)と伝えられ、
初期の修行者は服を着ず、
蚊やハエなどに身を曝していた。

なぜ裸形なのかと典籍いわく
肉体でさえ霊魂にまといつく覆い、束縛となっている。
まして衣服を身に着けるのは、
なおさら霊魂の清浄な本性をくらますことになる、と。
白衣では夫人が修行生活に入り解脱に到達し得ることを認めるが
空衣派では認めない。
だから尼僧は白衣派のみいる。
インドでは裸形の修行者は非常に古くから存在し
ギリシア人たちには
裸の哲人(ギムノソフィスタイ)という名で知られていた。
ジャイナ教徒の礼拝するジナ像は完全な裸体。

白衣もはじめのうちはきちんと仕立てた衣ではなく、
ボロ切れを縫い合わせて衣とするのが部分的には行なわれていた。
最初期の仏教の糞掃衣に対応。
現在は清潔な感じのするきちんと仕立てられた白衣をまとう。

在俗信者は
(高僧に)
侍する人(ウヴァーサガ 優婆塞)。


屠殺・肉食の禁止。
木こり禁止。
沼地の干拓禁止。
車を曳くことの禁止。
大工禁止。
農業禁止。
(一応禁止と要約したが
完全禁止か部分的禁止かは不明。
しないのが望ましい程度なのかも不明)

商人はものを右から左へ移して利潤をあげる仕事なので商人がふさわしい。
金融業や小売業は動き回らずに商売ができる。
ジャイナ教徒に金貸しが多いのも必然。
金持ちが多いのも事実。
勤勉で嘘をつかないので商売がうまくいく。
肉食などの贅沢もしないし、
お酒も飲まないのでお金がますます蓄まっていく。
金融業に携わり、お金を貯めるので、
よくヨーロッパのユダヤ人に例えられることがある。


乗り物に制限ができる。
修行者は徒歩で移動。
修行者は海を渡ってはいけないので外国に布教もできない。
ジャイナ教の対象はインド人に限られてしまう。
暗くなってからの食事も禁止。

空衣と白衣のそれぞれの派が紹介されているが割愛。


仏教とジャイナ教の比較
(特に初期仏教)

パーリ『法句経』(『ダンマパダ』)183
「すべて悪しきことをなさず、
善いことを行ない、
自己の心を浄めること、
――これが諸の仏の教えである」
(中村元訳)
(参照:
『法句経』
「諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教」)


に代表される詩句は
大変重要で、
古来、七仏通戒偈(しちぶつ つうかいげ。七仏通誡偈)として親しまれてきたもので
この一句で仏教の教えのすべてを示すとされるほど。

ジャイナ教固有の伝承として
「『わたし(マハーヴィーラ)は、
すべての悪しきことをなさないようにしよう』と考えて、
サーマーイカ行(=平静の行)を受け入れる〔行う〕」

(『アーヤーランガ・スッタ』
『アーガモーダヤ』)
がある。
このくだりは、
ジャイナ教の第二十四祖師マハーヴィーラ(大雄)が
長兄に許しを得てから、
一切の所有物を捨て去って、
出家するさいの重要な伝承。
つまり出家直前のマハーヴィーラが
五掴みの髪を引き抜いて、
過去の完成者たちに敬意を払った後で立てた、
「誓いのことば」として伝えられるもので重要な伝承。

マハーヴィーラと
釈迦との比較表がある。
マハーヴィーラの出家の経緯で
両親の死後は空衣、
許可を得ては白衣。


上方世界
ジャイナは涅槃の地としてのシッダローカ
仏教は涅槃の後の場はない。


(”禅門で日常に読誦するお経の一つに「七仏通戒偈」と云う短いお経がある。

諸悪莫作(しょあくまくさ)・・・・諸々(もろもろ)の悪を作(な)すこと莫(なか)れ

衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)・・・衆(もろもろ)の善を奉行し

自浄其意(じじょうごい)・・・・・自ら其(そ)の意(こころ)を浄くせよ

是諸仏教(ぜしょぶっきょう)・・・是れ諸仏の教えなり”
http://www.jyofukuji.com/10zengo/2006/01.htm)

文献案内あり

あとがき
(中村元先生に恩があるとある)
今までに七仏通戒偈(しちぶつ つうかいげ。七仏通誡偈)として有名な
法句経の「諸悪莫作(しょあくまくさ)」(もろもろの悪をなすなかれ)が
マハーヴィーラの出家時の「誓の言葉」に一致する
ことを見つけ、
1993年にパリの印度研究誌に発表し
2005年には今まで学会未発表の
『法句経とジャイナ教古聖典の類似表現』を二十数例、
『印度学仏教学研究』に発表できたことは、
私にとって中村先生の学恩に報いるささやかな成果であるといえる。

以上

参考資料





”ジャイナ教は信者数が450万人とインドではかなりマイナーな部類に入る宗教なのだが、信者一人一人の信仰心はとても篤いのだ。

ジャイナ教徒は厳格な菜食主義者だし、人を殺す軍人や魚を殺す漁師になることもなく、
(土の中の微生物を殺す可能性のある)農業に従事することもなかった。
そのためジャイナ教徒は伝統的に金融業や宝石商や役人などの職に就く人が多く、結果的にインドでも比較的裕福なコミュニティーを形成するに至ったという。


 ジャイナ教の僧(聖者)は「不殺生(アヒンサー)」にもとづいた厳しい生活を送っている。徹底した菜食主義を貫くのはもちろんのこと、夜には絶対にものを食べないという。暗い中で食事をすると、食べ物の中に虫が入っていてもそれに気付かずに殺してしまう可能性があるからだ。

 また、僧は常に生き物を殺さないように細心の注意を払って暮らしている。彼らが手に持っているクジャクの羽も、座るときに小さな虫を踏みつぶさないように払うためのものだ。生きているだけでものすごく疲れるような生活だが、彼らはそれを自ら選び取っているのだ。

ジャイナ教の聖者が真っ裸なのは「無所有」という戒律によるものだ。服も下着も靴も何も所有しない。だから裸なのだ。寺院には開祖マハーヴィーラの像が置かれているのだが、その像もまた全裸だった。開祖も裸で生き、それ以降の僧も彼を真似て裸で生きてきたのだ。(ジャイナ教はいくつかの宗派に分かれていて、僧に白衣の着用を認めている派もある)

食事は11時に一度とるだけで、あとは一切何も食べず、水さえ飲まないという。夜は「沈黙の時間」とされているので、何も喋らない。寝るときも布団は使わずに、ワラの上に眠る。また、毛髪はハサミやカミソリは使わずにむしり取る(!)のだそうだ。

 どこかへ移動するときは必ず徒歩で行い、バスや電車に乗ることはない。説法をするために遠くの町に出かけるときにも、ただひたすら歩き続けるのだ。一日に70キロ以上歩いたこともあるという。そのあいだもやはり何も食べないし何も飲まないというのだから、実に驚嘆すべき体力と精神力の持ち主なのである。

 夏のインドは恐ろしく暑い。おそらくアスファルトの上は50度以上にもなるはずだ。そこを裸足で何十キロも歩き続けるというのだ。水も飲まないで。もちろん彼にとってはそれも修行の一貫なのだろうが、部外者の目にはほとんど常軌を逸した行為のようにも見える。

 いずれにしても、そのような厳しい修行に耐え、禁欲生活を徹底しているからこそ、聖者は多くの在家信者に尊敬されているのだろう。何も持たないし、何も身につけない。そういう極端な生活を実践していることが、彼の言葉に強い説得力を与えているのだ。

「私はいつも移動しています。川の流れのようにとどまることがない。開祖マハーヴィーラも流浪の人生を送りました。だから私もそうしているのです」 

ジャイナ教の思想の根底にあるのは「相対主義」だという。すべての事物には多くの属性があるのだから、何かを断定的に判断するべきではない。見る角度を少し変えただけで、ものごとの見え方はまったく違ってくるのだから、「○○は××である」という表現は避けるべきだ、というのである。僧の行動はずいぶん極端だが、その教えの根本にある思想は現代人にもすんなりと理解できるものなのだ。”

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2018年8月12日
ジャイナ教の考えでは,世界は恒常的で創造神も居ませんが,
代わりに文化英雄みたいな存在は居て,
それは例えばジナセーナ作『アーディプラーナ』だと
今の世界期における最初のティールタンカラとなるリシャバで,
出家前の彼が農業とか火の使い方とか,あと結婚という概念などを教えた事になっている.

でその一環で彼は文法学とか詩論とか実利論とかの各種論典も書いて
それら自分の子供らに伝授するのですが,
『アーディプラーナ』だと息子・娘によって授けられる論典が違っていて
(つまり一人が全てを授けられるわけではない),
どういう基準で伝授される文献が異なるのか良くわからない.

例えばリシャバの長男で後々転輪聖王になるバラタが実利論(アルタシャーストラ)を伝授されるのは
まあ理解できるのだけど,
バラタの弟のバーフバリ(あの突っ立ってる像で有名な)がどういう理由で
カーマスートラとか男女の身体相占いの秘儀を伝授されるのか,とか.

まあこれは別のことを調べていて気付いた話なので,
たぶん『アーディプラーナ』あるいは
その続編のグナバドラ作『ウッタラプラーナ』をなめるように読んでいけば解決するような気がする.

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2018年5月18日
時々,ジャイナ教のテキストで立派な人や英雄的存在が
「三十二相を具えている」と言われるんですけど,そういう時に何を32個数えているのかいまいちわからないんで困る.まあ仏典の三十二相も内実にはいろいろと揺れがありますけど,内実そのものが分からないジャイナのヴァージョンはもっと困る




結局,suicide/自殺をジャイナ教が術語としてどう定義づけてきたのかという問題にかかわるわけですが,彼らがこれを単純に「自ら命を絶つこと一般」とは考えてないところに問題が出てくるのでしょうか.

ものすごく簡単に(というか仏教風に)言えば,
「なんらかの煩悩に突き動かされて自ら命を絶つ」と「自殺」になり,
「煩悩なく断食して死ぬ」と「自殺」にはならない
,というのが基本線だと思います.
細かい議論のヴァリエーションは色々とあるでしょうが.



だからややこしい話ですが,ジャイナ教は「自殺」は認めないんですよ.煩悩の所産なので.

その一方で,例えば,憑き物にとりつかれてしまった出家前の女性が,これではジャイナ教の教えを損じてしまうというので,正気に戻っている間に断食死を決行し見事死んだ事例がありますが(現代の話です),これは「自殺」とは考えない.


યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2017年7月21日
なおジャイナ的には、自殺とは煩悩ゆえに文字通り自らを殺すこと、つまり殺生に他ならないが故にアウトです。いや君ら断食死するやんというツッコミは今も昔もありますが断食死は自殺に非ずのロジック(の変遷)はそれだけで研究の対象でしょう。

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2010年6月2日
もう少しマシなものを。「剃髪し、裸形で(*無執着の象徴)、体が汚れていても(*体を洗わない=水を傷つけない=不殺生)、感官や煩悩に支配されてりゃ、『絵の中の修行者』みたいなもの。修行者のなりをした、ただのニセ修行者。」(『バガヴァティー・アーラーダナー』1330詩節)

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2010年12月15日
返信先: @naagitaさん
@naagita まず裸形派については勉強不足で、そのような議論があるかどうか知りません。申し訳ないです。ただ、確か裸形派では(少なくともある時代から)出家即裸形、ではなく、裸形は煩悩を克服した末の一種のシンボルになった(つまり裸形であれば必然的に恥など持たない)と(続)
次に、白衣派では裸形はオプション修行なので、衣を得られなければ裸形でもいいのですが、「裸形が恥ずかしくて修行にならんのなら、褌はしなさい」という規定があります。
(続)

あっ、そんなやり取りがあるのですか。>衣ケン度 それは知りませんでした。確かに、釈尊からdisられてもおかしくはないですねー。裸形派でも、非信者の市民と交流する場合はそれ専門のバッターラカという僧侶がいて、そいつらは着衣ですからね。

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2011年1月7日
裸形派の坊さんの写真は今まで色々と見てきたが、いつも疑問に思うのは結構キビしい修行をしている(はず)なのに、だいたいみんな中肉中背か、下手するとビール腹の坊さんがいることである。

KumarinX
‏ @KumarinX
2011年1月7日
返信先: @suhammaさん
栄養失調で腹回りの筋力がなくて布袋さんのような腹になっている訳じゃないのですか? RT @suhamma 裸形派の坊さん~いつも疑問に思うのは結構キビしい修行をしている(はず)なのに、だいたいみんな中肉中背か、下手するとビール腹の坊さんがいることである。


યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2011年1月7日
返信先: @KumarinXさん
@kuma_rin あー、そういうのではないですね。見る限り、普通に、日本の風呂屋にいるような(笑)おっちゃんが裸形してるように見えます。肌の色が褐色なので余計日本人には健康そう?に見えるのかも知れませんが・・・


યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2018年9月18日
裸形派にも女性の出家行者は居るんですけど,
ただ女性は男性とは違って女性のままでは裸形にはなれないとされるので,
裸形の男性の修行者よりも,出家者としての霊的ランクが低いんですね.
この辺言い方が難しいんですが「裸形派に女性の出家者は居ない」というのは正答とも誤答ともいえるというか



યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2015年5月6日
ジャイナ教のコスモロジーとかコスモグラフィーで90分×1の授業、って難しいですな…。細かい話は幾らでもできるけど、それで時間を潰すのは避けるべきですしな。細かい数字は(白衣派限定ですが)定方晟先生の『インド宇宙論大全』を見てください、という話で。

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2015年6月2日
そういえば今日はジャイナ教の宇宙論と現代科学とのすり合わせ、みたいな話から梵暦の話に及び、岡田正彦先生の『忘れられた仏教天文学』http://www.amazon.co.jp/dp/4902218119/ref=cm_sw_r_tw_dp_.BBBvb19FZ9AR … を紹介したんだけど、今の仏教者の方々って須弥山的世界観はどう思ってらっしゃるんでしょう。

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2018年11月11日
クリシュナが,自分の馬を奪った神と決闘するに際して闘いの方法を神に問うたところ「お尻を使って闘おう」と言われてクリシュナが「そんな闘いかたしたことない.私の負けだ.馬を持っていけ」と降参するというよくわからない神話を読んでいる…(ジャイナ教の資料です)

@suhamma
2013年1月28日
「織田(得能)先生の佛教大辞典ていうのは…全部、自分で、しかも、大蔵経を全部読んでやったんです。それ考えると、『華厳経』六十巻くらい読む方が、簡単ですね。でも、その簡単なことをちゃんとやっちゃいないというのが、私達なんです。」(鎌田茂雄先生の「東アジアの仏教儀礼」p.10)


2014-06-09 今を生きる古代宗教ジャイナ教
http://d.hatena.ne.jp/Hyperion64+universe/20140609
”現代のインドではヒンズー教が圧倒的であるが、それでも500万人の信者が残る古代宗教である。「古代」というのもブッダと同じ時代のジナ(マハーヴィーラ)により創唱されたからだ。ついでに言えば南方熊楠翁は至極まともな宗教であると高評価している。

 その教えの五戒は高潔で簡潔であり、ガンジーにも影響を与えている。

不殺生(アヒンサー)

真実語(不妄語、サティヤ)

不盗(不与得、アスティーヤ)

不淫(ブラフマチャリヤ)

無所有(不所得、アパリグラハ)

 面白いのが渡辺研二氏による仏教との対比である。

 ブッダとジナの生年。紀元前444年と紀元前463年。
出身地はビハール州で階級はクシャトリア。
生まれるときに母親は受胎告知の夢をみる。妻の名前はヤショーダーとヤショーダラー。
出家時の年齢は30歳と29歳。悟りの年齢は42歳と35歳。
死去した場所はビハール州。寂滅の時は紀元前372年と紀元前383年である。

 ほぼ同時代人。仏教はその後興隆して思想的内容がどんどん新規なものが追加になる(富永仲基の加上である)が、ジャイナ教はほとんど思想的内容は変化しなかった。その替り、インド亜大陸で残存勢力として継続している。

そのシンボルを示す。

f:id:Hyperion64:20140610035943j:image

この欄で取り上げるのにはひとつ理由がある。教義の本質部分に「数学」がハマっていることだ。

 ゴンタによれば、

数を甚だ愛好し、計算は幾何学的図形を用いて論証した点を特徴としている。自らを思惟できる七線分の説の創始者と呼んでいる。ある数の空間に一定数の原理を配分して、その最大数と最小数を求めたりしている

 七線分の説とは七つの真実(タットヴァ)のことであろう。

 しかも、その世界観に「原子説」が含まれる。霊魂と物質による二元論。その物質とは原子からなるとしている。つまり、原子説は宗教と相容れないわけじゃないということだ。

 こんな宗教家は少ない。ほとんど皆無であろうから、もう少し注目されてもいいのだ。少なくとも現代の数学者の宗教選択として、ジャイナ教は候補にしてもいいんじゃないだろうか?

 後世に同名の数学者マハーヴィーラを輩出しているのも頷ける。彼は専門の数学者(おそらく史上初)であった。『ガニタ・サーラ・サングラハ』(Ganita Sara Sangraha)はジャイナ数学の最高峰とされる。その宗教数学はピュタゴラス学派と対照されてもよいだろう。



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世界史マイナー人物bot(古代史編)
‏ @whoswhobot2
2018年7月15日
【ビンドゥサーラ】
前3C前、マウリヤ朝の王(位:前293-68)。頻頭娑羅。父は建国者チャンドラグプタ、子はアショーカ王。カウティリヤの補佐を受け父王の死後発生した反乱を鎮圧し領土を拡大した。ディアドゴイとも交流があり、アミトロカテス王として知られた。
アージーヴィカ教を保護。

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2017年5月21日
原典入力という日課終了.
あんまりこればかりやっていても仕方ないので一日三十分とか短い時間しかやらないけど,それだとそこまでたくさんは入力できないし悩ましい.

インド古典文献にしてもパーリ仏典にしても漢訳仏典にしても,
今は検索可能な電子データがたくさん提供され,検索一発で用例(だけ)はすぐに見つけれるようになり,
ああ本当に羨ましいのうと思います.ジャイナ教資料て本当に電子データ化されてないんですよ.

先日も某授業で某先生が「一次資料は検索でばっと出てきますけど」などと仰っておられて,いやうちらはまだそんなんちゃいますからなどと思ったりもした.
そんなわけで院生時代から数えてかれこれウン年,独り静かにこの日課を続けているわけです.

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
2017年5月23日
インドのハンセン病、偏見と貧困との闘い  :日本経済新聞

私が面白いなあと思うのは,そこで業を否定する方向に行かなかったことなんですよね.
宿業なんて考え方を棄てれば解決する問題のようにも思うんですよ.アージーヴィカ教がやったように.

યુતકકવસકિ
‏ @suhamma
というかそもそも,ジャイナ教の断食死に具体的に言及し,かつそれを批判する仏典てあるんでしょうか…倶舎論の業品で世親がジャイナ教の殺生の定義を批判する(そして,それに対し白衣派のシッダセーナが『タットヴァールタスートラ』注で世親を名指しで再批判する)のはよく知られておりますが
9:41 - 2019年1月19日

あと,仏教が想定するらしい「殺生の成立条件」(4つの条件が必要らしい)をアカランカは言っているのだけど,
仏典のどこでこんなことを言っているのか…

白衣派系注釈では仏教側からの批判には答えていないし,
アカランカがベースにしたプージュヤパーダ注(『サルヴァールタシッディ』)でも仏教のことは何一つ言っていないから,アカランカが独自に足してきた要素だと思うけど,何でわざわざ仏教を仮想敵にして議論しているのかよくわからん

必要上,ウマースヴァーティの『タットヴァールタスートラ』諸注釈のサッレーカナー(←「断食死」の事)の解釈を確認していますが,空衣派のアカランカが想定問答(?)として仏教が投げかける「断食死=自殺」批判に答えていて色々と興味深い.

( યુતકકવસકિ
@suhamma
philologist (Jainism) / vratas in Jainism / Hanshin Tigers / India / Osaka /
It's better to burn out than to fade away / 何以解憂 唯有杜康
कर्मभूमि
2010年1月に登録

短歌行 曹操 漢詩の朗読
https://kanshi.roudokus.com/tankakou.html

對酒當歌
人生幾何
譬如朝露
去日苦多
慨當以慷
幽思難忘
何以解憂
唯有杜康

酒に対して当(まさ)に歌うべし
人生幾何(いくばく)ぞ
譬(たと)えば朝露の如(ごと)し
去る日は苦(はなは)だ多し
慨(がい)して当に以(もっ)て慷(こう)すべし
幽思(ゆうし)忘れ難(がた)し
何を以てか憂いを解かん
唯(ただ)杜康(とこう)有るのみ

現代語訳
酒を前にしたらとことん歌うべきだ。
人生がどれほどのものだというのか。

まるで朝露のように儚いものだ。
毎日はどんどん過ぎ去っていく。

思いが高ぶり、
いやが上にも憤り嘆く声は大きくなっていく。

だが沈んだ思いは忘れることができない。
どうやって憂いを消そうか。

ただ酒を呑むしかないではないか。

解説
曹操孟徳(155-220)、いわずと知れた『三国志』の魏の英雄ですね。
息子の曹丕、曹植とともに「三曹」といわれ、詩作にも長けていました。

人物鑑定家の許子將に「あんたは治世なら能臣、乱世なら奸雄になる」といわれ、「ふ…乱世の奸雄か…それもよい」とニヤリとするとことか、カッコよすぎです。

最近は『レッドクリフ』という映画がありました。まさに曹操が劇中でこの「短歌行」を歌っていました。
なんか河南省で墓も見つかったらしいです。

【慨して当に以て慷すべし】
思いが高ぶり、いやが上にも憤りの声は大きくなっていく。
【慨す】は思いが高ぶる。 【慷す】は憤り嘆く。
【憂思】 憂い。
【杜康】初めて酒を作ったとされる、酒の神。
「杜氏」の語源という説も。ここでは酒のこと。
麦焼酎「杜康」というのがあります。”)

Jainism and Science
https://www.youtube.com/watch?v=00UluXB_UNw

Life of Jain Monks (Glimpses)
https://www.youtube.com/watch?v=jqExyhLTFaA

James Powell: an Overview of Jainism
https://www.youtube.com/watch?v=3uKyxkgbna4

INDIAN HISTORY - Great Religions of the World - Jainism I
https://www.youtube.com/watch?v=HRRuaQ2emkU

Introduction to Jainism | Belief | Oprah Winfrey Network
https://www.youtube.com/watch?v=h_VA7mWWn58

ジャイナ教   (文中 Sk は Sanskrit (梵語)の略)
http://user.numazu-ct.ac.jp/%7Enozawa/b/jaina.htm
” 1)ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)のジャイナ教 

 ジャイナ教は、ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)によるニガンタ(Sk ニルグランタ)派の改革から生まれた教団である。ニガンタ派は、伝説によればマハーヴィーラの200年から250年前の人とされるパーサ(Sk パールシュヴァ)が開いた宗教である。

 ジャイナ教の伝説は、マハーヴィーラ以前に23人のティッタンカラ(“[輪廻の激流を渡り彼岸に到達するための] 渡し場を作った人”、Sk ティールタンカラ)がいたとする。パーサはその23代目、マハーヴィーラは24代目とされる。
これがジャイナ教といわれるのは、マハーヴィーラをジナ(勝利者)と呼ぶことにもとづく。
マハーヴィーラの改革後も“ニガンタ派”の名は使われ、
漢訳仏典においてジャイナ教徒は「尼乾子」(にげんし)として現われる。


2)マハーヴィーラの生涯

 マハーヴィーラは、ジャイナ教団の伝統説によれば、
前599年チャイトラ白月13日、ヴァイシャーリー近郊のクンダプラで、父シッダールタと母トゥリシャラーの間に生まれた。ナータ(Sk ジュニャートリ)族出身であることからナータプッタ(“ナータ族の子”)と呼ばれる。

 研究者は、マハーヴィーラがブッダと同時代とされることから年代を推定する。このため仏滅年代をいつとするかに対応して、ほぼ二種の説が立てられている。
パーリ語の資料に基づく、「南伝」の仏滅年代によるJacobi説では、マハーヴィーラは549-477BC、
漢訳仏典に基づく「北伝」の仏滅年代をとる中村元説によれば、444-372BCである。1)

 伝説によれば、マハーヴィーラの元の名はヴァッダマーナ(Sk ヴァルダマーナ)で、結婚して娘一人をもうけ、両親との死別の後、30歳の時、一切を捨てて修行生活に入った。13ヶ月で衣服を捨てて裸形となり、12年間の苦行の後、42歳の時にリジュクラ河畔ジャブラカ村で修行を完成し悟りを得て、
<ジナ(勝者)>
<マハーヴィーラ(偉大な勇者)>
<アリハンタ(“敵を滅ぼした人”、あるいはアルハット、“修行完成にふさわしい人”)>などと呼ばれるようになる。
 その後30年間、ガンジス河中流地域で布教活動をし、72歳のときマガダ国のラージャガハ(Sk ラージャグリハ)近郊パーヴァーにおいて入滅した。白衣派はこれをヴィクラマ暦(起点57or56年BC)の470年前とし、
空衣派はシャカ暦(起点AD78年)の605年前とする。(先の年代論の伝統説はこれらの記事によっている)

3)マハーヴィーラの思想

 マハーヴィーラは、パーサの「4戒」を2)、
不殺生・真実語・不盗・不淫・無所有の五つの制戒に改め、
これに懺悔を伴わせてニガンタ派の教義を改革した。

 倫理的な生活をおくることによって心を汚れから守ることを説く点は仏教と同じ傾向を示しているが、
より禁欲的で厳格な実践が求められる。とりわけ不殺生と無所有の実行が重視される。

 「不殺生」を説くのは、
すべて生きものは苦を憎むので、
殺せば必ずその憎しみが殺害者にふりかかり束縛の原因となるからである。

ジャイナ教において<生き物>は6種(六生類)とされる。
地(土)・水・火・風(空気)・植物・動物の6種である。通常に生き物とされるものよりはるかに範囲が広い。
器いっぱいの水は、器いっぱいの蟻に等しい。ともに生命あるものとされる。

 そのためジャイナ教の不殺生戒は、仏教よりも徹底している。ジャイナ修行僧にとって、
(水中の微生物を除くための)水こし袋・
(空気中の微生物を誤って吸い込まないための)口を覆う布・
(道行く時に踏んで殺さないよう虫たちを追い払うための)鈴のついた杖
などは、生活の必需品である。

 「無所有」を説くのは、次の理由による。
所有は欲求であり、欲求は行為を導く。行為すれば必ず殺生することになり、
殺生は最大の罪で、束縛の原因である。
そのため「すべて」を捨てることが求められる。「すべて」に含まれるのは、ものだけではなく、
家族・親類などの人間関係、欲求などの精神的なもの、さらには修行に不必要なもの「すべて」である。
それ故、衣服を用いない裸形がジャイナの修行の理想とされる。


 また修行者の修行も、中道をとる仏教より厳格で、マハーヴィーラが一貫して苦行を続けたことにならって、ひたすら試練に耐えることが重んじられる。苦行は超自然的な験力を生み、霊魂に汚れとしてついた業を払い落とす効果があるとみなされる。
特に断食が重視され、最終解脱には断食により身体を放棄することが必要とされた。

4)教団

 マハーヴィーラの教団は、出身地のヴェーサーリー(Sk ヴァイシャーリー)に多くの信者を得た。マハーヴィーラの入滅後、ジャイナ教団はそれほど大きくは成長しなかったようであるが、マウリア朝の宗教保護政策により勢力を伸ばした。アショーカ王の碑文(第7 Delhi-Topra碑文)には仏教(サンガ)、アージーヴィカ派と並んで<ニガンタ派>の名が出る。

  その後、飢饉の時、一部が南インドに移住した。そして南北の教団で衣の着用をめぐって解釈が分かれ、
白衣の着用を認めた北インドの教団は「白衣派」、保守的な立場を取った南インドの教団は「空衣派」と呼ばれるに至った。この分裂は、紀元後1世紀頃には完全なものとなったと推定されている。

5)ジャイナ教の聖典

 聖典の結集は、マハーヴィーラ入滅後170年、長老バドラバーフ亡き後、マガダ国のパータリプッタ(Sk パータリプトラ)において、ストゥフーラバドラが指導者となって行われた。この時、12の<アンガ>を作成したという。この結集を南インド移住派は正統と認めず、以後白衣派のみが聖典を伝えることとなった。

 5世紀、あるいは6世紀には、グジャラートのヴァラビーにおいて経典の再編が行われた。この時までに第12アンガが散逸しており3)、11アンガの再確認と12ウパーンガの付加が行われた。

6)現代のジャイナ教

 今日でも、インドの人口の 0.48 % がジャイナ教徒であるが4)、その多くは商業に従事する。
商業以外の職業では、不殺生の制戒を保つことが困難であるからとされる。



1)Schubring, Die Lehre der Jainas, Berlin & Leipzig 1935, p.30 (The Doctrine of the Jainas, Delhi 1962, p.38)
  Basham, The Wonder That Was India,1954, p.290, Basham説によれば、540-468BCの人。
 中村元『インド古代史』下、春秋社、1966年、p.432.

2) パーサの四戒は、次の4つである。
  1.生きものを殺傷しない
  2.嘘をつかない
  3.与えられないものをとらない
  4.規則外のものを受けない(あるいは、「外部にあたえない」)
    第四の戒については、解釈が分かれている。
 

3) 第12アンガは、プッヴァ(puvva, Sk pūrva)と呼ばれる14の聖典群を含んでいたが、これらは異教徒との論争の記録で、とりわけ反対論者の説を載せていたのではないかとされる。これら反対論者の教説から異端説が生まれることを恐れて、伝えられなくなったのではないかという説がある。金倉円照『印度古代精神史』岩波書店、1939年、p.233参照。

4) Britannica World Data 1990, p.635.”

インド思想史略説
http://user.numazu-ct.ac.jp/%7Enozawa/b/bukkyou1.htm

ヴァイシェーシカ学派の自然観
http://user.numazu-ct.ac.jp/%7Enozawa/c/contents.htm

お読みくださり感謝!
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