鍵となるのはやはり「差別をなくす基本的なルール」と、「対話が広がること」だと考える。
いまだ、職場でゲイであることを打ち明けた際、それだけで部署を変えられたり、解雇に追い込まれたりする事例もある。
アウティングという本人のセクシュアリティを同意なく職場中にバラし、にもかかわらず飲み会で「彼女いないの?童貞なの?」と聞くなどハラスメントを繰り返す職場もある。
トランスジェンダーであることが理由で面接を打ち切られるといった事例や、レズビアンであることを伝えても「男を知らないからだよ」と上司に言われ恐怖に晒される当事者の声をいくつも耳にしてきた。
大阪では、40年以上連れ添った同性パートナーの死後、パートナーの親族から火葬の立会いを拒否され、財産も奪われてしまったことに対する裁判が起きている。法的な関係にないことで不当な差別を受けているのである。
こうした、自分の力ではどうにもならない状況に置かれている当事者が平等に扱われるために、まずは差別をなくすための法律が一刻も早く整備されてほしい。
それに加えて、対話の広がりを期待したい。基本的な部分に立ち返るが、杉田氏を発端とする「新潮45」の一連の騒動は「架空のLGBTという人」の話をしているのではなく、あなたの隣にもいる大切な友達や、家族や、同僚や、仲間の話をしているのだ。
ひとりひとりの顔を思い起こさずに、「LGBTは生産性がない」「人間ならパンツを穿いておけ」と言い切れるのは、やはりひどく暴力的だとしか言いようがない。
今回の騒動は、日本で根強く差別的な考えがあることの証左となった。一方で、以前はこうした差別的な考えが明るみになっても特に話題になることすらなかった中、怒りや批判の声をあげる人たちの多さに、LGBTに関する世の中の変化も感じた。
残念ながら、「新潮45」は、今回の問題について検証せず、蓋をするように休刊という判断が下った。
部数低迷、固定された客層、編集体制の不整備など、さまざまな要因はあってのことだと思うが、対話を閉ざすこととなってしまった。
さまざまなスタンスの違いはあれど、相手を不当に傷つけるような差別的な言葉ではなく、建設的な議論を重ねる機会は持たれるのだろうか。
そして、ことの発端となった杉田氏本人からの応答はいまだに何もない。一連の騒動を本人はどう見ていたのだろうか。世の中は少しずつ変わっているねと終わらせるつもりはない、引き続き批判的に見ていく必要がある。
それと同時に、今回の騒動を傍観する市井の人々が、LGBTや性の多様性を身近に感じ、できれば自分ごととして考えることができるよう、また、「生産性」で誰かを選別するようなことのないよう、今後も生身の人間による対面での対話を広げていきたい。
今回の騒動が分断ではなく、世の中の議論を加速させ、対話が広がる方向へとつながってほしいと切に願う。