アインズ&アルベド「「入れ替わってる!?」」 作:紅羽都
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「まさか……」
「私とアインズ様が……」
「「入れ替わってる!?」」
その日、ナザリック地下大墳墓に響いたのはどっかで聞き覚えのあるフレーズだった。
さて、その言葉の内容が聞き取れたのならば2人の身に何が起こったか、大凡の人は言う迄もなく理解が出来るだろう。なので説明は省略する。
では何故この様な事態が発生したのかというと、とあるマジックアイテムが原因だ。そのマジックアイテムの名は『強欲と無欲』。ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの所有する11のワールドアイテムの内の一つだ。
ワールドアイテムに対抗できるのはワールドアイテムのみ。シャルティアが精神支配を受け、転移先の世界にもワールドアイテムが存在すると発覚した以上対策は必須。つまり、ナザリックを離れて任務を行うことの多い7人の階層守護者に、それぞれワールドアイテムを持たせる必要がある。
だが、言うは易く行うは難し。物事はそう単純な話ではない。何が問題なのかというと、ワールドアイテムの希少性とその強力すぎる効果だ。ざっくり説明すると、敵の手に渡ったら目も当てられないということである。
そもそもワールドアイテムは、蘇生可能な守護者の命とは本来比較にならない程希少なものなのだ。現在は金貨を安定して得る術が無い為、いくらでも蘇生が出来るという訳ではないがまだ貯蓄はある。守護者を守る為ワールドアイテムを失っては本末転倒、そう易々と宝物庫から引っ張り出す訳にもいかないのだ。
そこでアインズの頭を過ぎったのが『強欲と無欲』という名のワールドアイテムの存在だった。かのアイテムはその名の通り、強欲を意味する黒の籠手と無欲を意味する白の籠手の2組1セットのガントレットである。ユグドラシルの頃であれば、この様なセットの装備は確実に一式揃った状態で装備されるシステムになっているのだが、今は少々勝手が異なる。既存のゲーム要素を残しつつも幾分かリアリティが増している現状、ガントレットを片方だけ装備することが可能となっていたのだ。
もしこの状態でも従来通りの権能を残しているのであれば、1つのアイテムで守護者2人をワールドアイテムの魔の手から守ることができる。最悪盗まれたとしても、片方だけであれば脅威にはなり得ない。
(これは画期的なアイデアなんじゃないか!?)
伽藍堂な彼の頭が余計な働きをした瞬間であった。アインズは意気揚々とアルベドを呼び出しワールドアイテムの実験を始める。そしてアインズが黒い方を、アルベドが白い方を装備した途端に、ご覧の有様である。
その後、アインズは暫くの間難しい顔でガントレットを睨みいじくり回したのだが、何の成果も得られず徒労に終わったのであった。
「これはバグなのか?だが、ワールドアイテムには運営もかなり気を使っていて不具合もほぼ無かった筈だ。というか、この世界がユグドラシルのプログラムの不具合まで再現することなんてことは無いんじゃないか?いや、だとしても知っているバグ技は全て修正されてしまっているし、検証のしようがないな……もしも、これが正常な動作なのだとしたら、運営は何を考えてこんなギミックを仕込んだんだ?何かと何かを入れ替える効果だとして、『強欲と無欲』の吸収、貯蓄の効果とは微妙に噛み合わないし関連性が見出せない。それに、アバター同士を入れ替えて一体何の意味があるんだ?もしや、これは本来の効果ではなく何かもっと別の……」
アインズは、ブツブツと呟きながら憎っくき運営の陰謀に思いを馳せる。毎度毎度とんでもないことを仕出かす悪名高き運営の思考を読み切るのは、熟練の廃プレイヤーである彼にとっても中々に至難の技であった。
ところで、現在アインズはアルベドの姿をしているのだが、その佇まいは普段のアルベドのそれとは似ても似つかないものとなっている。
白魚のような指を顎に当てて思い悩む姿からは、いつもの色情を唆る艶めかしさはさっぱり鳴りを潜めていた。そう、それはまるであのエンディングにしか出てこない例の美女のような、純真無垢な雰囲気を纏った深窓の令嬢を錯覚させた。
一方で、アインズの姿をしたアルベドはというと。
「ああ、アインズ様!私は、私は一体どうしたら良いのでしょう!」
白骨の指を忙しなく動かしつつ、必死な形相で右往左往していた。その様はまるで出来の悪い下級スケルトン。磨き抜かれた魔王RPによって培った威厳は、台風を前にした灯火のように掻き消されてしまっていた。
だが、慌てるのも仕方のないこと。本来であれば同席することすら烏滸がましい程確固たる身分の差があるというのに、彼女は今主人であるアインズを差し置いて玉座に座していた。出来ることなら即座にその場から身を引き主人の足元に五体投地をしたいのだが、この身体は自身のものではなく主人のもの。中身がどうあれ主人に無様な格好をさせる訳にはいかない。
居座るかひれ伏すかの板挟み、アルベドにとってはどっちをとっても究極の選択。やがて思考は混迷を極まり、
「あ、あら?何かしら、急に気分が……」
アインズの肉体に宿る種族特性により強制的に鎮められた。どうやら、入れ替わっても身体の機能には何ら変わりはないらしい。
見慣れたエフェクトが視界の端に映った気がして、思考の海から浮上したアインズ。
「……アルベドよ」
「いかがなさいましたか、アインズ様」
アルベドの声でアルベドに呼び掛けるアインズに、アインズの声でアインズに返答するアルベド。耳に入る声に著しく違和感を覚えた両者は、僅かばかり顔を顰める。
取り分け魔王RPが身に染み付いてしまっていたアインズは声の高さが気になったようで、威厳を出す為に一度咳払いをすると意識して少々低めの声で喋り出した。
「んんっ、アルベド、その場所は居心地が悪いか?」
「そんな、滅相もございません!あっ、いえ、そうではなく、その、何と申しあげましょうか……」
居心地悪いと言えば、それ即ちアインズの玉座にケチをつけたことになる。かといって居心地がいいと言ってしまうと、アインズを見下ろし愉悦に浸る不忠者、ともすれば反逆者であると取られかねない。
先程と同じく、あちらを立てればこちらが立たぬこの状況に言葉を失ったアルベドだったが、先程より幾分か落ち着いた思考に従いゆっくりと言葉を紡ぐ。
「御身に相応しい、至高の存在が座すべき無上の玉座で御座います。私のような愚婦が身を置き、汚してはならない聖域であると確信しています」
どうにか絞り出したのは居心地が良いか悪いかについては濁した回答だった。
質問に答えることすら満足に出来ず、あろうことか自ら語ったその聖域を今現在汚してしまっているという事実に、深い怒りと絶望を感じたアルベド。拳はきつく握りしめられ、自身の首を以っての贖罪を必死に堪えていた。実際、もし体が入れ替わっていなかったのならば即座に自害していただろう。
低く下げられた視線は主人への低頭を意味するものではなく、失意による脱力だった。鉄面皮ならぬ骨面皮の為分かりづらいが、相当参ってしまっているようだ。
その様子を見て自身の失言を悟ったアインズは、新たに獲得した表情筋を申し訳なさそうに歪める。
「いや、すまない。少々意地の悪い質問だったな。では、聞き方を変えよう。私が命令すればその場所に座り続けることがお前には可能か?」
この質問でアインズの考えを悟ったアルベドは、驚愕に体をビクリと揺らした。慌てて面を上げ、眼前にある自身の顔を見つめる。
「アインズ様、それはまさか……」
「ああ、そのまさかだ。お前には暫くの間、アインズ・ウール・ゴウンとして振舞ってもらう。これは決定事項だ」
そう、アインズがこの決定を下すのは必然のことであった。
今回の出来事は皆に事情を説明して丸く収まるような案件ではない。アインズとアルベドの立ち位置を決めかねるなんて生易しい問題ではない。
配下達の士気は下がるだろうし、今後の世界征服計画も見直しが必要になってくる。何よりナザリックの統治者として、このような無様な姿を配下に見せる訳にはいかないのだ。このことは絶対に誰にも知られてはならない。気づかれてはならないのだ。
そんなことをアルベドが考えている中、アインズの脳内はというと、
(これアルベドに俺の代わりをやって貰えば、24時間の監視体制から逃れられるんじゃないか?いやそれだけじゃない、守護者達から向けられる尊敬と忠誠心というプレッシャーからも解放される!アルベドなら俺みたいな行き当たりばったりの綱渡りみたいな行動はしないだろうし、安心してナザリックを任せられる。それにそれに!あの豪勢な食事にもありつけるぞ!食べたかったんだよなぁナザリックの料理!いやっほー!我が世の春が来たー!)
お花畑であった。
因みに、自身の肉体が女体化していたという一大事にも関わらずアインズが平然としている理由は、言うまでのないことだが只の慣れである。気が付いたら白骨死体になっていたなんてぶっ飛んだ珍事を一度でも経験したならば、人間、目が覚めた時体が縮んでいようが女体化していようが動揺なぞしなくなるものなのだ。
「御命令、確と承りました。矮小なる我が身に、偉大なる御身の威光を体現することが可能とは思えませんが、せめて、その光が僅かでも翳らぬよう尽力致します」
アインズの無茶振りに対し、控えめに了承の意を示すアルベド。
基本的に、ナザリックに尽くす配下達は、アインズの命令には難易度を問わず成功を確約するものだ。何故なら彼らは自身の全てが至高41人の為に存在していると考えており、命令を完遂出来ないような役立たずは廃棄処分されるのが正しい在り方だと認識しているからだ。その認識は、階層守護者という特別な立ち位置にいるアルベドであっても同様である。
だが、そのような偏執した思考を持つアルベドでも今回ばかりは二つ返事で引き受けるという訳にはいかなかった。
この時のアルベドの状況を、人間スケールのものに入れ替えるとするならばこのようになるだろう。
『あなたにはイエス・キリストの代役をやって貰う』
そんなことを自身の信ずる神官に告げられるのだ。
一体誰がこの無理難題を快諾できようか。熱心な信徒であればある程、神の名を騙るという大罪は自身の心を激しく蝕む。
だがしかし、いかんせんアインズは自己評価がとても低かった。自身の存在を絶対の神と捉えるシモベ達の思考は把握していたが、理解した訳ではない。その上、根っこの部分は小心な一般市民。細かな発言の1つ1つを僕がどのように捉えるかなど、彼の想像の範囲外のことであった。実際これまでその思考のズレから、良くも悪くも大変な目に遭ってきている。
「うむ、任せたぞアルベド。私の体の全てと権限を一時的にお前に預ける。呉々も勘付かれぬようにな」
だからこそこの言葉はアルベドなら自身の代わりなど軽く熟せるだろうという思考の元、深く考えずに口をついたものであった。そして、アルベドがその言葉を一体どう受け取るかなど考えもつかなかった。
「アインズ様の御身と権限……そのようなこと、本当によろしいのですか……?」
「ああ、そうしなければ私の代わりなど務まらんだろう。少しでも違和感があれば守護者達が勘付いてしまう」
「……承知致しました。アインズ様の御体、責任を持って預からさせて頂きます」
ギラリ、とアルベドの眼孔に鈍い色の火が灯った。それはアインズの肉体に備わっていた炎のエフェクトが無意識に噴出したのではなく、余りにも濃密な獣欲が影となって幻視されたのである。
一方アインズは、アルベドの異様など露知らず。感情抑制の枷が外れたのもあってか一層浮かれ放題でお花畑状態であった。
その場の流れと思いつきで、意気揚々とこんな提案を出す。
「では、少し練習しようじゃないか」
「練習、で御座いますか?」
唐突な発言に小首を傾げるアルベド。それを見たアインズは心底楽しそうに笑う。
「ふっふっふ、駄目じゃないアインズ様。私はアルベドに対してそんな話し方はしないぞ?」
「も、申し訳御座いません、アインズ様!あっ、もぅっ、す、すまなかったなアルベド……?」
「はっはっは、慌てるな慌てるな。今は私がアルベドでお前がアインズだ。お前は私に何を言ってもいい立場にあって、私はお前の命令に従う立場だ。それをよく意識しなさい」
練習とは、RPの練習のことだった。RP歴の長いアインズは、豊富な経験から様々なアドバイスをアルベドに送る。
知恵で自分の上を行くアルベドにものを教えることが出来るという状況に、彼は強い優越感を感じていた。
「はい、いや……うむ、これで良いか、アルベド?」
「ふふふ、その通りで御座いますアインズ様」
アインズはもうノリノリだった。RPが趣味であった彼には、僅かばかりだがネカマの経験もある。アルベドが感じている忌避感のようなものもなく、堂に入った演技で巧みにアルベドの真似をする。その演技はアルベドにしては毒気が無さすぎることを除けば、完璧と言って差し支えなかった。
そのままRPをしつつ今後の身の振り方について話し合う2人。數十分もした頃には、2人ともそれぞれの役に完全になり切っていた、
「では、私はこのまま定例報告会に臨むとしよう」
「はい、では私は暫くはアインズ様の勅命を理由に現在の職務は全て他の者に引き継ぎ、その間にワールドアイテム『強欲と無欲』の研究に注力致します」
「うむ、ではまた10日後の同じ時刻に2人で話し合おう」
「畏まりました、アインズ様」
一見なんの変哲も無いこの会話を見て、中身が入れ替わっていると気がつく者は1人もいないだろう。常日頃からアルベドがアインズに伴って行動しており、お互いの行動を熟知しているからこそ為せる業だ。
「では解散だな。なかなか様になっていたぞ、アルベド」
「はっ、勿体無きお言葉に御座います」
最後に一言、元の主従の関係に戻った会話を残して、アルベドの姿をしたアインズは扉から出て行くのであった。
「フーンフフーンフフーン」
今にもスキップを始めそうな調子で、鼻歌を口ずさみつつ広い廊下を歩くアインズ。その姿は、宛らピクニックに出かけた童女のようであった。
「なーにしよっかなー!」
降って湧いた突然の休暇に心を弾ませるアインズ。いや、心に留まらず体も若干弾み気味になっているようで、今にもスキップを始めそうな勢いだ。因みに、豊満な胸部は実際にユッサユッサと弾んでいる。
一応、表向きは勅命によりナザリックを出ているという設定になっているので、あまり堂々と遊び惚けることはできないが、同格の存在である階層守護者と遭遇しない限りは適当に言い包められるだろう。それにもしサボりを密告されても、アルベドには話を通してあるので問題には上がらない。
彼を捉えて離さないこの身に宿った強い食欲が、自然と体を動かしていく。そして向かったのは第九階層ロイヤルスイートのショットバー。副料理長のマイコニドが管理する店だった。
「いらっしゃいませ」
出迎えたのはキノコに似たモンスター。頭部と思しき傘の部分に、弾力のある赤紫色の大きな水滴が付着したようなものがある。
彼こそがこのバーのマスター、ナザリックの副料理長だ。
「こんにちは、今いいかしら?」
「おや、これは珍しいお客様ですね。どうかなさいましたか、アルベド様」
「バーに来たのですもの、することは1つでしょう?マスターのオススメを1つ、見繕ってくださるかしら?」
「畏まりました」
カクテルの用意を始める副料理長を恋する少女のようなキラキラとした目で見つめるアインズ。これまで散々飲みたいと思ったのを我慢してきたので、期待も一入である。
ナザリックが転移する前、彼のいた時代の日本ではショットバーなどというものはブルジョワ階級の贅を凝らした遊び場であり、到底庶民が訪れられるような場所ではなかった。当然、実物を目にしたこともなく、バーについての知識は創作物から得たものだ。そんな夢の施設に憧れを抱くこともしばしばあり、ギルドメンバーの大多数の同意の下このショットバーは生み出された。
そして、雰囲気作りの為だけに用意された施設の数々が転移により実態化したのは、娯楽施設の存在を忘れかけていたアインズにとって、まさに青天の霹靂だった。骨の身であることも忘れ酒を呑む気満々でショットバーを訪れ、舌も喉も喪失していることをカウンター席に着いてから思い出したのは苦い思い出だ。
「お待たせいたしました」
暫くして、回転寿司に初めて来た少年のようにキラキラした目で完成を待っていたアインズの前に、1つのグラスが置かれた。中を満たすのは完全なる無色の液体で、縁にはカットレモンが添えられている。
「これは何という名前なのかしら?」
「アルベド様の為に考案させて頂いたオリジナルカクテルで御座います故、まだ名前はありません。どうぞ、お好きな名前をお付けください」
「ふーん、名前ねぇ……」
思案顔でグラスを傾けるアルベド。ゆっくりと慎重に唇の先を濡らした。
冷たい感触が口腔を満たしていく。味覚に沁み渡るのはほんのりと甘く、柔らかい舌触り。ゆったりとした味わいがアインズの全身の緊張を解し、リラックスした状態に変えていく。
副料理長の慧眼によって誂えられたカクテルは、当時劣悪な食生活を送っていたアインズの味覚を必要以上に刺激しない絶妙なブレンドとなっていた。もし、ナザリックの生み出す極限の美味をそのまま味わってしまったら、肉の体を得たばかりのアインズは随喜の涙を浮かべて咽び泣いてしまっていただろう。
味の質を落とすことなく、心を落ち着かせるカクテルを生み出すその手腕。入れ替わりの事実を知らずとも、正鵠を射た味を提供するその目利き。まさにナザリック副料理長に相応しい腕前だ。
「美味しいわねぇ、これ。素晴らしい仕事だわ、副料理長」
アルカイックスマイルを浮かべながら、副料理長を賞賛するアインズ。NPC達を我が子のように可愛がる性質と、美の女神と見紛う絶世の容貌の相乗効果により、浮かべられる微笑はまさしく慈悲深き純白の聖母。向けられる眼差しは愛し子を抱く慈母の如し。
それはまさしく、誰もが望んだエンディングのあの謎の美女の姿だった。
「恐れ入ります。アルベド様、次は是非レモンを入れてからお飲みください」
なにやら、勿体をつけた言い種の副料理長。
恐らく、レモンを入れると味の変化以外にも何かが起こるのだろう。そう当たりをつけながら、片肘を突いてアインズは副料理長に問いかける。
「入れると、どうなるのかしら?」
「入れてからのお楽しみ、で御座います」
在り来たりかつお約束の返しである。どうやら、かなりの自信作らしい。
「あらそう、それは楽しみね」
言われた通りにグラスにレモンを沈めるアインズ。すると、カクテルの色がみるみると変わっていった。
後ろの景色がはっきりと見えていたグラスにだんだんと黒い幕が降りていき、軈て全体が透き通るような漆黒へと色を変えた。それは只の黒ではなく構造色のような不思議な色合いで、見る角度によって淡く七色に輝いている。その光景は、ある日の夜空の星々のようにアインズを魅了した。
「……綺麗だ」
つい素の口調で呟いてしまうアインズ。しかし、囁くような声であった為副料理長の耳にはギリギリ届かない。
「どうぞ、お召し上がりください」
「……」
副料理長に促され、無言でグラスを口元へと運ぶアインズ。そっと冷たい感触が唇に伝わる。
そして——
「——アルベド様、目をお覚ましください」
薄氷を撫でるかのように、そっと優しく体を揺すられる。
「アルベド様」
微睡んでいた意識がじんわりと覚醒する。
「んぅ、うぅ……ん?」
重く垂れ下がる瞼を持ち上げ、周囲を見回す。
「お加減はいかがですか、アルベド様」
横を見ると、巨大なキノコが此方の顔を覗き込んでいた。
「……もしかして私、寝てしまっていたの?」
まだ薄っすらと靄がかかったような思考で前後の記憶を探るも、カクテルの色が変わった辺りからプッツリと途絶えてしまっている。嘗て人間だった頃、酒を飲んで二日酔いをした時と全く同じ感覚だ。
(アルコールは毒扱いで、毒耐性があるアルベドは酔わないんじゃなかったっけ……?)
以前、酒を飲んだ守護者から報告されて得た知識がボンヤリと浮かぶ。だが、そこから先の思考がない。グラグラとして頭が働かず、何故酔わない筈のアルベドの体が酩酊状態になっているのか、その原因を探ることが出来ない。
もっとも、意識が覚醒している状態であったとしても、どのみちアインズはこの謎の酩酊の真相には辿り着けなかっただろうが。
「物の数分ですが。どうやらお疲れのご様子ですし、今日はもうお休みなられてはいかがでしょうか?」
当然、副料理長もアルベド(アインズ)が酔っ払うなどとはカケラも考えていない。アルベドはシャルティアと違って雰囲気で酔ったフリをしたりはしないし、況してや居眠りをするなんて厳格な彼女に限って有り得ない。
今も、アルベドが何かしらの理由で体調不良なのでは?と疑っている。キノコ顔からは表情が読み取りづらいが、アルベドのことを心底心配しているようだ。
「ふわぁ……そうね、そうするわ」
顔にかかった髪の毛を整えると、上気し朱に染まった顔が露わになった。怠く重い体をゆっくりと立ち上がらせ、全身が熱に浮かされたような状態のまま、自室へと向かって歩き出すアインズ。
その足取りは千鳥足とまではいかないが、バランスの悪い船に乗っているような不安感を抱かせるものだった。見ていられなくなった副料理長は、おずおずと提案を出す。
「宜しければ、お部屋までエスコート致しますが」
「お気遣いありがとう。でも、それには及ばないわ」
これ以上アルベドに恥をかかせる訳にはいかないと思ったアインズは、副料理長の申し出を断ると無理に笑顔を浮かべた。
ふらつく体を支えるようにドアノブに手をかける。店を出る直前、副料理長に向かって手を振ると、
「今日はありがとう、また来るわ」
そう言葉を残してアインズは店を後にした。
パタリと閉まるドア、静まり返る店内。
「またのお越しをお待ちしております」
静寂の中で、副料理長はポツリと呟き、頭を下げた。