みれいさん 疑問符さん とても有意義な内容のコメントありがとうございます。 みれいさんは、日蓮系から脱会をされたとのこと。 以前、私も触れましたが、マインドコントロールをかける為の必要要素である二つ、 1、「神秘体験の誇張」 2、「恐怖心の植え付け」 1は、日蓮系で言えば「功徳」「成仏できる」「幸せになった」「今までよりも元気になれた」など。 2は、同じく日蓮系で言えば、「罰」「地獄」「魔」に対する恐怖。 みれいさんも、脱会をされた今、入信当時こうした二つの要素が教団から植え付けられたという思いはおありでしょうか? また、もしもこの二つの要素を植え付けられていたとすると、脱会されるというのはとてつもない勇気、決心、恐怖との戦いなどなどがあったと思うのです。 辞める決心をされるきっかけ、そしてそこからの心理的状況など、少しお聞かせ頂ければ幸いです。 私の友人も含め、恐怖心や信じていたものを捨てることの出来ない心境から、脱会に踏み切れない多くの人々が存在しているといいます。 そうした方々への何か大きな勇気になるような気がするのです。 ■「書写」のこと。 これはまず触れておきたいのは、そもそも日蓮さんが「自身の本尊を書写させる」という考えが あったのかということです。 私のこれまでの勉学の範疇では、日蓮さんの書物からはそのような記述を発見できません。 もっと言えば、日蓮さんの「書写」は、「五種法師」つまり「法華経書写」に限定されています。 真筆として間違いのない書物で挙げれば、 守護国家論 『法華経第七に法華経を行ずる者の住処を説いて云く、「如来の滅後において、まさに一心に受持し読誦し解説し書写して、説の如(ごと)く修行すべし。』 観心本尊抄 『世尊、もし我等に、仏の滅後においてこの裟婆世界に在つて、勤加(ごんか)精進してこの経典を護持し、読誦し、書写し、供養せんことを聴(ゆる)したまわば、まさにこの土において広くこれを説きたてまつるべし。』 その他の書物でも、「本尊書写」に関する記述は見当たりません。 つまり、「本尊書写」という考えは、富士圏が戒壇本尊と時の法主の威厳を神格化するために、後世にとってつけた捏造教義なのではないでしょうか? それを捏造する為の最たる書物が、「御本尊七箇相承」なのではないでしょうか? その「本尊書写」という日蓮さんの考えに無かった教えを捏造することで、 「大石寺歴代が書写した本尊」=戒壇本尊というプレミアにすることで、大石寺の繁栄を謀ったのではないだろうかと思うわけですが、いかがでしょうか。 まあ、戒壇本尊に書かれる内容と、七箇相承の内容が「相違」しているのですから、もう少しまともな捏造をすればよかったのにと思うのは、以前の記事で記してきた通りです。 七箇相承は、もちろん「偽書」であることは、すでに歴史上の研究結果で明らかにされてきたことですが、捏造に捏造を繰り返してくれば、やはりそれは何時の日か「露見」し、ボロが出るということです。 ■「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」 この二つの文をもって、みれいさんの言われるように「功徳と罰の恐怖による煽りの強化」を目的に、 七箇相承に記載したかは分かりませんが、それらしい経文をとってつけた程度なのではないでしょうか? 「本尊七箇相承」を捏造した人物が、この二文を使って「功徳と罰の恐怖による煽りの強化」を企てていたとすれば、その時代にすでに、今で言うところの「マインドコントロール」を熟知していた人だということでしょうね。 もちろん、その当時は「マインドコントロール」などという言葉はありませんから、 「こう言えば人々の心を誘導できる」と考えていたのかもしれません。 さて、この二文について本題に入りますが、この文が記載されている日蓮本尊として桑名の本尊をご紹介してくださいましたが、これもまた、富士系の矛盾を露呈することになります。 ご存知の通り、富士系でいうところの本尊書写は「七箇相承」が元となっていますが、 その書には、この二文の「書く位置」まで明白に書かれています。 もうご存知ですよね。 『上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか。』 桑名の本尊は、全く位置が違います。 上記の写真は、「26世 日寛」の本尊のコピーの写真です。 日寛は七箇相承の通りの位置に、この二文を記しています。 つまり、七箇相承が日蓮→日興という「本物」であるならば、日蓮さんも日興さんも、日目さんも日道さんも、書写をする時は、上記写真の日寛と同じ場所に「若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号」と共通して書いていなければなりません。しかし、書かれている本尊は存在しいますが、共通していません。 つまり、違う書き方をしている本尊が存在しています。 そしてもちろん、大石寺の板のマンダラも該当しません。 つまり、結論で言えば、 「本尊書写」も「七箇相承」も、「大石寺歴代の本尊=戒壇本尊」などといいうことも、後世の捏造であると言えると思います。 |
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ちなみに、
以下の本尊にも二文があります。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/061.html
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/059.html
しかしながら、「七箇相承」で記される所の位置とは明らかに違いますね。
日寛さんは七箇相承に忠実に書いたのでしょうから、少なくとも日寛さんの時代には七箇相承は捏造されていたことにはなります。
さて、日蓮正宗の皆さんに是非聞いてみたいのですが、写真と同じように日寛と同じ位置に二文を最初に書かれたのは、第何世でしょうか?是非ともご教示頂きたいと存じます。
2009/11/24(火) 午後 6:54 [ 湘南坊遺 ] 返信する
湘南坊遺さん
>脱会をされた今、入信当時こうした二つの要素が教団から植え付けられたという思いはおありでしょうか?
ありますあります。脱会すると気が狂う、というような植え付け、団体側からの扱いにも恐怖感がありました。退転者という名の差別が正宗系は根強いですね。そして最後までつらかったのはやはり地獄の恐怖でした。
しかし、教団内では知らされなかった事実として、脱会者は実はとても多い、死に方も日本全体の統計からみれば、特定団体の御遺体だけが特別な状態というわけではない(つまりさまざまな面で団体内で教わる話とは全然ちがう)、ということ。続く
2009/11/28(土) 午前 8:16 [ みれい ] 返信する
続き 功徳という言葉自体、正宗系ではどちらかというと「運がよくなる」とか「いいことが起こる」等の意味合いが強いように思います。確かに法華経の喩え話から考えてもそれらもありとは思いますが、実際のところの「徳を積む」というのは、人徳としての意味合いであろうと思います。
法華経を通して日々の修業・生活・人との関わり合いのなかで学び実践し徳を積んでゆくことによって自他ともに得るものは大きいと。
功徳と罰の二元的な思考自体がそもそも視野を狭くさせていた原因だと思います。
2009/11/28(土) 午前 8:29 [ みれい ] 返信する
おまけ
南無妙法蓮華経ということで、すべての曼荼羅には中心に「法華経に帰依せよ」と書かれているけれども、私が法華経28品すべてを知ったのは、脱会後です。
正宗系団体にいた頃は、法華経の教えよりも日蓮の教えに帰依するという、日蓮聖人に対していわば神がかり的な考え方があるように思います。これでは法華経信者ではなく、日蓮教信者ですね。その「教え」自体が「唯一正しい」と言ってる正宗系各団体によってそれぞれに違う。そのわりに精査されていない。実にトリッキーで感覚的な「正しさ」なのだなぁと思います。
2009/11/28(土) 午前 8:49 [ みれい ] 返信する
あら、懐かしい姿のご本尊様
爺ちゃんの家のご本尊様はこのお姿でした
ただし煤で真っ黒でしたが
2010/5/25(火) 午後 4:57 [ ななし ] 返信する
ここの内容と全然関係ないことなんですが
この日寛上人の御本尊はどこから手に入れた写真ですか?教えて頂けたら幸いです。m(__)m
2012/9/22(土) 午前 1:45 [ サノ ] 返信する
サノさんへ
すいません。全然見落としてしまっておりました。
この日寛マンダラは、私と話をされて脱会された学会員の方がくれました。
あきらかな安物コピーですね。
こんなものにお金を払わされた人々は本当に不幸だと思いました。
2013/3/31(日) 午後 0:36 [ 湘南坊遺 ] 返信する
写真自体が捏造だろうよ。
【本尊書写も七箇相承も捏造】
そもそも研究というよりも、揚げ足を取るためだろうな(大爆笑)
だいたい一部分だけを引用して研究したって始まらんよ。
日興上人の時代の教範は時代と共に廃れため日寛上人が新たに新編したんだろう。それぐらい知っとけよ。
2014/3/22(土) 午後 3:40 [ お前はアホか? ] 返信する
写真の本尊は誰かの手書きだろ
「南無妙法蓮華経」が歪んでいるし日顕よりも汚いぜ。
2014/3/22(土) 午後 3:43 [ お前はアホか? ] 返信する
あげあし取りが「あげあし取り」ってあげあし取ってる(*^^*)(*^^*)
日顕と呼び捨てしてるってことは、ケンショウカイ?
出てくるの珍しいね(^_^;)
信心があるなら継続して出てきてね。
すぐ逃げちゃうのはみっともないよ~~
2014/3/29(土) 午後 1:53 [ ななし ] 返信する
何故わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html
教範が廃れた?日寛が新編?
出典お願いします。
2014/5/13(火) 午後 7:08 [ sou*a*akaru*onj* ] 返信する