貼り付け開始
1867年は、龍馬暗殺の年。
1867号記念ってことで、再度お送りします。
文末に追記も。
(^o^)b
-------- Forwarded Message --------
Subject:
龍馬の正体と暗殺現場 < newsNueq-1089 >【 歴史 】
Date: Sun, 15 Apr 2018 17:14:50 +0900
昨日歴史に詳しい方から頂いた電話で、以前セミナーでお話しした
龍馬暗殺現場のことをご存知なかったので、newsNueq の話題としました。
セミナーでは一度しか話したことがなかったはずなので、聞いてない方も多いかと。。。
龍馬暗殺現場は、京都寺町の近江屋(醤油屋)の二階。
ところが、1997~8年頃、ネットに当時の地図と解説を掲載した人がいた。
( 95~98年頃のインターネットは、情報の絶対量は歯がゆいくらいに少なかったものの、 ホントに素晴らしい情報に溢れていた。)
当時の地図で番地を調べるとそこにあったのは、
土佐藩の菩提寺。
どだい「 寺町 」に醤油屋などの商家があるはずもないのが当時のこと。
寺しかその界隈にはないのである。
そして、
その寺の真裏が、土佐藩邸。
HP主は、おそらく間違いなく土佐藩邸からすぐ裏の菩提寺に抜ける門があったはずで、
暗殺現場は、寺の土蔵の二階と推理。
大政奉還も無事終わり、土佐藩の防衛テリトリー内で、陸援隊の中岡慎太郎と完全に警戒解除でくつろいでたのだろう。
まさか、土佐藩邸内の隠し土蔵の中で襲われるなどと夢にも思わなかっただろう。
暗殺の直接指示は、土佐藩家老:後藤象二郎でおそらく間違いないだろう。
坂本龍馬について、
加治将一は2009年に「
龍馬の黒幕 ~ 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン ~ 」を出版し、当時まで人気絶頂だった龍馬人気はスパイの雑魚として地に落ちた。
当時より、そしてその後の出版物を見るにつけ、僕は加治将一のウラを怪しんでいた。
そして、その後に登場したのが
落合莞爾。
同じ匂いがするのだ。。。。。
そしてどちらも手口が同じ。鹿島昇~
松重楊江が暴いてきた歴史解明の成果をパクりながら、それを逆転させるためのありもしない証明不可能な超詳細な「 証拠 」をこれでもかというほど羅列して鹿島曻・松重楊江ラインの示唆する史観をうっちゃって、
ウラ天皇+唐(藤)原+紀州徳川の権威に読者を平伏させようとしてるのである。龍馬は、非常に優れた多重スパイ。優れたスパイとはそもそも多重契約してなければ成り立たないし、加えて自らの本願地を悟られてはならないもの。
しかるに龍馬は最後の最後になって尻尾を出してしまった。
大政奉還なった後に、乙女姉さんに出した最後の手紙。。。。
当時の手紙は、江戸や京都から土佐に出すには、現在価格で10万円ほどがかかった。
そんなに高価な「 手紙 」をほいほいと出せたのだから龍馬の懐にはよほど金が唸っていたのだろう。
そして、その手紙は飛脚など数多くの人の手を経て乙女姉さんに届く。
つまり今の郵便局同様、
本人たちに気がつかれないよう、中身を検閲することは簡単なこと。
クロネコヤマトでは、その手の検閲はかなり難しい。
飛脚など、簡単に金で転ぶ。
そこには
キリスト教は極めて危険なアヘン。 キリスト教を日本から駆逐しなければならない。
と、書かれていた。
東インド会社:グラバーの手先にはあるまじき言説だ。
大政奉還に業を煮やしていた、紀州徳川・東原・宮中・イエズス会・メーソンが完全にブチ切れた瞬間か?そして、
暗殺直前、最後に手紙のやり取りをした相手が亀山社中の副官:陸奥宗光。
陸奥の親父は、紀州徳川藩の不祥事で辞任した大蔵大臣。
いろは丸は、紀州徳川藩の船でこの事故で
亀山社中は紀州から大金をせしめている。
陸奥宗光は、佐賀の乱・西南の役の計画中に逮捕されて会津若松城の座敷牢に幽閉され、「 座敷牢 」の中で結婚・夫婦生活を営んでる。
出獄後、ヨーロッパに留学し、
日清戦争の馬関条約では
李鴻章から
賠償金として金塊2億テールをせしめ、上海港で船積みされた金塊はロンドンとスイスの山奥にそのまま運び込まれ、「 天皇の金塊 」の一部と化した。
李鴻章は、残虐な拷問に明け暮れてた
西太后から全権を委任され、
西太后には内緒で満州をロシアに売っぱらってリベートを懐に入れ、
馬関条約でもきっと1億テールくらいはネコババしてることだろう。 この末裔が香港の
李嘉誠財閥とも言われている。
未来地球デザイン塾に何度か参加の社会活動家女性( 左翼ジェンダー主義 )が僕の書いたことを処女作を出版したばかりの落合莞爾に送ったことから、この左翼ジェンダー女経由で落合と罵倒メールラリーをやったが、この中で
陸奥宗光の正体を知らんだろうがッ!
バ~~~~カめッ!
と、やったところ、躍起になって調べたのだろう。
最近陸奥宗光のことをあれこれ書いてるようだ。
ど~~せまた、あることないことアホみたいなことばっか書いてるんだろうが。。。。
と、いうことで
龍馬の本願地は、水戸:一橋慶喜にあったのです。
加治・落合のタワゴトに惑わされないよう、気をつけましょう!
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龍馬は、素晴らしい多重スパイだった。
土佐藩・グラバー( ジャーディーンマセソン商会=東インド会社 )・ 長州藩・薩摩藩・大洲藩・幕府、、、
徳川水戸家は、
家康から徳川幕府に万一のことがあった場合には、将軍家を差し置いて差配するよう万年副将軍して光圀以降、その任に当たってきた。
尾張家を乗っ取った紀州家と水戸家の日本の行く末を決めた熾烈な諜報・謀略戦が展開され、龍馬はその間にあって二重スパイ・多重スパイをやり遂げつつあった。。。
龍馬暗殺の350年前、本能寺で
織田信長( 来年のNHK大河ドラマは
「 明智光秀 」だが、ど~~~せ、嘘八百の内容だろう )の爆殺司令を
出したのは、現ローマ法王フランシスコ1世が属する
イエズス会の
東アフリカ~アジア全域( 東インド )を支配する巡察師:
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ。
あれだけの爆薬を調達できるのはイエズス会を於いて他にない。
フランシスコ・ザビエルは、ザビエルをインド・ゴアから日本に招いた弥二郎( 大隅半島や静岡県では弥五郎どん祭りが今も行われている )との宗教論争に負けて、失意でマカオに到着してそこで死亡。
以来、
イエズス会は清・日本を蹂躙するために虎視眈々と350年の時間をかけて周到に準備してきたのである。
東インド会社は解散の後、その事業は
ジャーディーン・マセソン商会と
サッスーン財閥( ペルシャ系ユダヤ人のアサッシン=暗殺者 集団 )に引き継がれ、イランのアヘンで中国を蹂躙する。
香上(ほんしゃん)銀行(香港上海銀行)は、ジャーディーン・マセソンのアヘン収益をエゲレス本国に送金するために設立されたもの。
日本に対しては、強大化し南下してきた
ロシア帝国に対峙させるために、日中堂々と刃渡り1m以上の刀をぶら下げてうろつきまわっている野蛮人を当て馬にするため、別の方策を講じる。
そのミッションを遂行スべく送り込まれてきたのが、
グラバーと
フルベッキ( 明治学院大学創設者 )である。
ジャーディーン・マセソン商会を引き継いだ、ジャーディンの婿養子:
ウィリアム・ケズアックは、神戸で女学校に通う日本人女性との間に子どもをもうける。
そのガキの名を
白洲次郎と云う。
なので、白洲次郎は日本語をなんとか読むことは出来ても書くことが出来ない。
白洲次郎は、日本中枢に送り込まれた東インド会社( = ユダヤ国際金融資本 )の利益代表であり、その相棒:
吉田茂は、ジャーディーン・マセソン商会横浜営業所長の息子である。
会長の息子と、営業所長の息子。
その立場は明らか。
紀州徳川&伏見宮系統( 特に閑院宮 )、大久保利通、井上馨、松方正義、白洲次郎、瀬島龍三、一萬田尚登、中曽根康弘、小泉純一郎らは、日本をユダ公に売り渡した大功労者である。 nueq
貼り付け終わり、太字、下線、マーカーは勝手に付けました。
*以上、ニュークさんの解説でした (^^♪
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