3月:大阪万博EXPO'70開催
3月:日本航空機よど号ハイジャック事件
犯人グループは「われわれはあしたのジョーである。」という声明文を残した。
5月:週刊少年キング 22号
(1970年5月:少年画報社:週刊少年キング22号:表紙)
(同誌:特集:一部)
「カバゴン」こと阿部進先生による「現代っ子性教育」の記事。
俗称を使うのを避けるためか「アポロの塔」、「アポロの玉」と言いかえられています。
しかしなんで「アポロ」なんだ?手塚治虫先生の「アポロの歌」に配慮したものなのか?
(同誌:特集:一部)
ふくろの長さが左右違っていても心配無いそうですよ。
でもやはり少年誌にここまで載せる必要があるのかと疑問ではありますが・・・。
(同誌:もくじ)
8月:週刊少年チャンピオン 19号
(1970年8月:秋田書店:週刊少年チャンピオン19号:表紙)
(同誌:特集:一部)
(同誌:広告:一部)
当時の少年達が憧れたハイテクツールといえばポケットラジオでしょうか。
(同誌:P238)
おとうさんはおかあさんのゆるしをうけて自分のセイシを・・・(ゴクリ)
手塚治虫先生が描いた性教育をテーマにしたマンガ「やけっぱちのマリア」です。
この頃の少年誌では、粗末なお色気シーンが登場するようになってきたため、
子供達に正しい性知識を身につけてもらおうという意図があったようです。
しかしPTAで問題になり、少年チャンピオンを有害図書に指定した県もありました。
(同誌:もくじ)
11月:週刊少年マガジン 47号
(1970年11月:講談社:週刊少年マガジン47号:表紙)
「アシュラ」を子供の頃に読んで、おもいっきりトラウマになりました (;´д⊂)
この号の表紙のデザインも、とても少年誌とは思えません。
この頃の少年誌は、変なデザインの表紙が多かったです。
(同誌:P167)
「アシュラ」は傑作だと思いますが、子供が読むには怖すぎた・・・。
(同誌:裏表紙:一部)
同年は大阪万博があった年なので、こんなプラモの広告もありました。
(同誌:もくじ)
「劇画」を売りにしていた少年マガジンは青年層を中心として支持を得ていましたが、
少年達は複雑なストーリーや残忍な描写について行けず、少年マガジンから離れていきます。
4月:週刊マーガレット 16号
(1971年4月:集英社:週刊マーガレット16号:表紙)
(同誌:裏表紙:一部)
うわっ!みんな必ず目の中に星がある!
しかも似たような顔ばかりで、見分けがつきません・・・orz
(同誌:もくじ)
4月:「仮面ライダー」放映開始
2月:連合赤軍による浅間山荘事件
5月:沖縄返還
・LET'S GO WITH HASTY
1972年から73年にかけて早稲田外語の英語教則本に、吾妻先生の描いた
カットや4コマ漫画が使われていました。
(1982年12月:サンリオ:吾妻ひでおマジカルランドの王女たち:P62:一部)
シンプルなキャラクターですが、なかなか洗練されたデザインだと思います。
(同誌:P64:一部)
12月:「マジンガーZ」放映開始
亜鉛合金製のマジンガーZの人形が「超合金」という名称で発売されて人気商品になります。
以降、亜鉛合金製のロボット玩具を「超合金」と呼ぶのが一般化します。
11月:虫プロ倒産
・第一次オイルショック
前年の第四次中東戦争により原油の価格が高騰し紙不足になります。
マンガ雑誌は紙以外にもインクや輸送など石油に依存していたため打撃を受けます。
そこで他社へ依頼して出版していた単行本を自社で出版するようになります。
週刊誌の赤字を単行本で回収するというビジネスモデルの登場です。
6月:週刊少年チャンピオン 24号
(1974年6月:秋田書店:週刊少年チャンピオン24号:表紙)
表紙は前年にデビューしたアイドル歌手のアグネス・チャンです。
(同誌:もくじ)
(同誌:背表紙:一部)
紙不足の影響によりページが減少しますが、背表紙のレイアウト変更が間に合わなかったのか
「1974」、「秋田書店」の表示が「197」、「秋田書」になっています。ページ数は252ページです。
6月:キャベツ畑でつまずいて
1974年に「別冊マーガレット6月号」に掲載された和田慎二先生の漫画です。
おそらく漫画の中で「ロリータ・コンプレックス」という表現が使われたのは、この作品が
初めてではないでしょうか?
(1978年1月:集英社:マーガレットコミックス:明日香ふたたび:P107)
「岩田慎二」という登場人物が不思議の国に迷い込み、アリスを追いかけまわすという
ストーリーです。アリスがカワ(・∀・)イイ!!
(同誌:P121)
(同誌:P121:一部)
当時はまだこの言葉が一般化していなかったため、欄外に注釈があります。
・ユリゲラー来日で超能力ブームに
10月:「宇宙戦艦ヤマト」放映開始
勧善懲悪ではない複雑なストーリーは、アニメを卒業しない若者達を生み出します。
2月:週刊少年チャンピオン 8号
(1975年2月:秋田書店:週刊少年チャンピオン8号:表紙)
(同誌:P27)
1972年から1976年まで連載されていた吾妻先生の漫画「ふたりと5人」です。
(同誌:もくじ)
(同誌:裏表紙:一部)
「ウリクペン救助隊」や「小さなバイキングビッケ」もプラモになってました。
合体プラモの関節はポリキャップの無い時代なので、遊んでいるとユルユルになってしまう。
・ボクの初体験
1975年頃に「週刊マーガレット」に掲載されていた弓月光先生の漫画です。
(1995年7月:集英社:弓月光傑作選ボクの初体験1:P21:一部)
少女向け雑誌に掲載されていた作品ですが、すごく(・∀・)エロイです。
マッドサイエンティストの手術によって、女性のカラダに男性の脳が移植されるわけですが、
そのショッキングな設定をよそに、ドタバタラブコメディが繰り広げられます。
5月:週刊少年ジャンプ 19号
(1975年5月:集英社:週刊少年ジャンプ19号:表紙)
みごとなアホ毛ですな。
(同誌:P98:一部)
(同誌:広告)
この頃は海外の短波放送を受信するBCLがブームでした。
家電メーカーからカッコイイデザインの短波ラジオが発売されていました。
(同誌:もくじ)
8月:週刊少年ジャンプ 34号
(1975年8月:集英社:週刊少年ジャンプ34号:表紙)
(同誌:P6:一部)
工工エエエ(´Д`)エエエ工工
もしかしてと思ってググッてみたけど、やっぱりオッサンだった・・・orz
この娘はたぶん石野真子さんだと思います。
(同誌:広告)
モデルガンとミリタリーグッズの通販広告です。
モデルガンは真鍮製の薬莢に火薬を詰めて撃つと、撃発音がするだけで弾は出ません。
火薬のガス圧を利用して空薬莢が排出されるブローバックというモデルもありました。
また、テルテル坊主のような形の樹脂弾を発射するBS銃というのもありました。
BB弾を発射するエアーソフトガンはまだ登場していません。
(同誌:もくじ)
10月:ファントーシュ創刊
1975年10月に創刊された日本で最初のアニメーション専門誌です。
商業誌ではなく自費出版誌なので、どれだけ流通していたかは不明です。
内容はTVアニメの記事は少なく、アート系アニメや人形アニメの紹介がメインでした。
1977年の7号で休刊となりましたが、本誌と入れ替わるように商業誌のOUTが登場します。
(1975年10月:スタジオあかばんてん:ファントーシュ1号:表紙)
表紙の絵は古川タク氏の製作したフェナキストスコープです。
(1977年1月:スタジオあかばんてん:ファントーシュ5号:表紙:一部)
上図は5号の表紙に使われていた森康二先生のイラストです。
12月:第1回コミックマーケット開催
1970年代になるとサークル同士の交流を目的にした「漫画大会」や「マンガフェスティバル」が
開催されるようになり、そのイベントの中で同人誌の即売が行われていました。
当時のマンガファンが同人誌を入手する為には、サークルの会員になるか、
これらのイベントに参加するしか方法がありませんでした。
これをヒントにして、米沢嘉博氏が所属する漫画批評集団「迷宮」は、同人誌即売専用の
イベント「コミックマーケット」を開催するようになりました。
9月:週刊少年マガジン 38号
(1976年9月:講談社:週刊少年マガジン38号:表紙)
少年マガジンは日本一だとアピールする表紙ですが、その左下に・・・。
(表紙:一部)
マッスル関係者もさわやかにマガジンが一番だとアピールしております。
(同誌:P124・P125)
ド━━━(゚Д゚)━━━ ン !!!
見開きでマッスルのケツのアップ!スゴすぎる!
しかもページの繋ぎ目をケツの割れ目に利用するというアイデアもの!
首にスカーフを巻くオシャレ心があるのなら、腰にも何か巻けと・・・。
(同誌:もくじ)
10月:冒険王 10月号
(1976年10月:秋田書店:冒険王10月号:表紙)
(同誌:P057)
当時TV放映されていた特撮番組「ぐるぐるメダマン」のキャラクターデザイン、コミカライズを
吾妻先生が担当していました。
(同誌:もくじ)
(同誌:裏表紙)
アオシマの改造車のプラモです。今、ヤングに大モテの車はこれだ!!
12月:別冊少女フレンド 12月号
(1976年12月:講談社:別冊少女フレンド12月号:表紙)
この時期は表紙のイラストを水森亜土先生が担当していました。
この本には「アシュラ」、「聖マッスル」に次いでトラウマになったマンガが載っています。
(同誌:P299:一部)
それは山本マサオ先生のギャグマンガで「ベビー台風」という作品です。
すずめちゃんという赤ん坊が、兄の力丸君を困らせるというパターンのギャグマンガです。
(同誌:P304:一部)
バス旅行の途中で力丸君はオシッコをしたくなりますが、みんなの前で言うのが恥かしくて、
すずめちゃんに相談します。
そこですずめちゃんは清涼飲料水の空き缶にするようにアドバイスします。
しかし、力丸君のチ○コが缶から抜けなくなってしまいます。
その姿を見て、清涼飲料水を隠し持っていると勘違いしたガールフレンドは缶を引っ張ります。
(同誌:P304:一部)
「チ○コがちぎれる=面白いエピソード」としているのがすごくいやでした ><。
・スーパーカーブーム
3月:SFファンタジア
福島正実氏の企画した本で表紙のイラストは空山基氏です。
(1977年3月:学習研究社:SFファンタジア1地上編:表紙)
この本には竹宮恵子先生の「夢見るマーズポート」という漫画が掲載されています。
後に「私を月まで連れてって」というタイトルでシリーズ化されます。
主役の「ニーナ」は10歳のエスパー少女で、26歳の宇宙パイロット「ダン」に恋をするという
設定でした。ジャンルもSFなので、男性読者も多かったそうです。
(1982年1月:小学館:FLビッグコミックス第1巻:P009:一部)
(同誌:P009:一部)
5月:月刊OUT 創刊号
(1977年5月:みのり書房:OUT5月号:表紙)
創刊号は文章が中心のサブカル誌で、あまり売れなかったそうです。
通称「目からビーム」と呼ばれる表紙です。B5の変形判で本棚やカバンに入れると取りづらい・・・。
6月:月刊OUT 6月号
(1977年6月:みのり書房:OUT6月号:表紙)
通称「水玉ヤマト」と呼ばれる表紙です。
この2号から加わった編集者Kさんの企画「宇宙戦艦ヤマト特集」がヒットして売り上げが伸び、
アニメ誌路線に変更されたそうです。
(同誌:P43:一部)
8月:虫プロダクション資料集
(1977年8月:虫プロダクション:表紙)
旧虫プロ時代のアニメ作品の資料集です。
各話のサブタイトルやキャラクター設定などが載っています。
また、巻頭部分に手塚治虫先生による解説があります。
(同誌:P6:一部)
これが前例となりTVアニメの制作費は安く抑えられるようになりました。
(同誌:P8:一部)
アニメ作品の意図を批判せず、キャラに萌えるファンに苦言を呈しています。
・インベーダーゲームブーム
・少年チャンピオンがマンガ雑誌初の200万部突破
「ドカベン」(水島新司)、「がきデカ」(山上たつひこ)、「ブラックジャック」(手塚治虫)などの
ヒットにより第一期チャンピオン黄金時代になります。
・少年ジャンプが200万部突破
「サーキットの狼」(池沢さとし)、「包丁人味平」(牛次郎/ビッグ錠)、
「アストロ球団」(遠崎史朗/中島徳博)などの破天荒な勝負物がウケて、
少年チャンピオンに引き続き200万部を突破します。
少年チャンピオンと共に第一期ジャンプ黄金時代をむかえます。
2月:吾妻ひでおファンクラブ結成
主要メンバーに女子高生が多く在席し、「不条理日記」の「永遠編」にも登場して
「ファンクラブの会長他女子高生が四人もくる」と紹介されています。
(1978年?月:吾妻ひでおFC:POCO創刊号:表紙)
(情報提供:愛蔵版名無しさん)
会誌は「ポコ」という名前で、吾妻先生が表紙のイラストを描いています。
5月:竹宮恵子の世界
(1978年5月:徳間書店:竹宮恵子の世界:表紙)
テレビランドの別冊として竹宮恵子先生のイラスト集が出版されました。
巻末部分に大泉サロンの仲間達との座談会が収録されています。
参加者は竹宮恵子、増山法恵、伊東愛子、たらさわみち、ささやななえ(敬称略)です。
(同誌:P75:一部)
(同誌:P75:一部)
なにやら正太郎君の事が話題に上っています。
この頃はまだ少年好きの女性を表す言葉は無かったようです。
6月:週刊少年サンデー 25号
早坂さんが村上もとか先生のアシスタントをしていた頃は、「週刊少年サンデー」に
「赤いペガサス」が連載されていました。
(1978年6月:小学館:週刊少年サンデー25号:表紙)
(同誌:もくじ)
未確認情報ですが、早坂さんは主に車の絵を担当していたそうです。
7月:アニメージュ創刊
(1978年07月:徳間書店:アニメージュ創刊号:表紙)
OUTの成功を横目に、徳間書店もテレビランド別冊という形でアニメ雑誌を創刊しました。
時期的には「さらば宇宙戦艦ヤマト」が公開直前の頃です。
(同誌:P114:一部)
家庭用VTRは登場していましたが、まだまだ普及していなかったので、この頃のアニメは
8mmフィルムで供給されていました。
8月:OUT 8月号
(1978年08月:みのり書房:OUT8月号:表紙)
吾妻先生の本格的な特集をしたのは、このOUTが初めてでした。
美少女コミックブームでブレイクする少し前に特集を組んでいるので、
OUT編集者の先見性がうかがえます。
また、この特集では「吾妻ひでおのみたされた生活」という漫画も
掲載されていています。
(同誌:P53:一部)
9月:月刊ペケ 創刊号
OUTの兄弟誌として出版されたマンガ雑誌です。
当時は「ペケ」、「マンガ少年」、「SF競作大全集」など少年マンガと少女マンガが融合したような
ニューウェーブ誌が流行しました。
(1978年09月:みのり書房:月刊ペケ創刊号:表紙)
編集者の中に川本耕次氏がいて、彼のゴシップ記事は各方面から抗議を受けます。
(同誌:P217:一部)
(同誌:もくじ)
10月:Jun創刊
少年愛をテーマにした雑誌が創刊されました。第3号から「June」に改題します。
こんにちのボーイズラブコミックのご先祖様にあたる本です。
(1978年10月:サン出版:Jun創刊号:表紙)
読者のイラスト投稿コーナーは、女子高生の投稿者がメインでした。
(同誌:P151)
ロリコンブームの数年前に少年愛ブームが始まっているので、
やはり、女性の方が男性よりませているのでしょうか?(;´Д`)?
11月:週刊少年ジャンプ 46号
(1978年11月:集英社:週刊少年ジャンプ46号:表紙)
それまでも、少年マンガの中にパンチラシーンはありましたが、この金井たつお先生の
「ホールインワン」というマンガでは、その描写レベルが一段上がったと思います。
マンガのパンチラシーンの変遷を研究している方がおられましたら情報求ム(いません)
(同誌:P92:一部)
(同誌:もくじ)
「こち亀」の秋本治さんは、この頃に山止たつひこから改名したようです。
・女子高生SF作家登場
日本初の女子高生SF作家として新井素子さんがデビューしました。
下図は1983年に出版された特集誌です。表紙を吾妻先生が描いています。
(1983年5月:シャピオ:別冊SFイズム1:表紙)
12月:マニフィック創刊
OUTの編集者の一部が、ラポートに移って立ち上げたアニメ情報誌です。
1号、2号、3・4合併号の3冊を出した後、「アニメック」に改名します。
よってアニメックは5号からスタートしています。
この本は単にアニメの紹介をするのではなく、評論に重点をおいた硬派な雑誌でした。
(1978年12月:ラポート:マニフィック創刊号:表紙)
(同誌:P7:一部)
同誌に掲載されていた喫茶店の広告です。
(同誌:P2:一部)
同誌に掲載されていたコミックマーケット9の様子です。
参加サークル数は約200です。背後に「海のトリトン」の看板らしき物が写っています。
蛭児神建氏の日本最初のロリコン同人誌「愛栗鼠」は次のコミックマーケット10で登場します。
・テクノブーム
YMOの曲がヒットし、シンセサイザーを使ったテクノポップというジャンルが登場します。
(1981年5月:CQ出版:トランジスタ技術5月号:広告)
1970年代後半から「秋葉原エレクトリックパーツ」で販売されていた「ウェーブキット」という
アナログシンセサイザーキットの広告。
基板とフロントパネルのみのキットなので、ケース、キーボードは自作しないといけません。
・自販機本
1970年代後半に大手取次ぎを通さないエロ本が自動販売機で販売されるようになりました。
しかし未成年者が安易に買えるという理由でPTAなどから圧力を受け、80年代には撤去されてしまいます。
下の画像は1979年~80年頃に出版されていた自販機本「少女アリス」です。
(1981年8月?:群雄社:少女アリスVol.14:表紙)
編集長は川本耕次氏です。モデルは成人女性のみですが、少女っぽく見えるように演出されています。
内容はヌードグラビアと小説がメインで、吾妻先生のマンガも掲載されていました。(上製本「陽射し」に再録)
1月:マニフィック 2号
(1979年1月:ラポート:マニフィック2号:表紙)
(同誌:P48:一部)
ロリコンブーム直前という事で、ボーイズラブに熱中していた女性陣が勢力を握っていました。
もしかして現在の「腐女子」のご先祖様にあたるのだろうか・・・?
3月:マニフィック 3・4合併号
(1979年3月:ラポート:マニフィック3・4合併号:表紙)
(同誌:P18:一部)
日本で初めてのアニメショップ「アニメック」が新宿御苑の前にありました。
3月:ポプラ社シンデレラ
このま和歩氏が幼児向け絵本の絵を担当しています。
(1979年3月:ポプラ社:アニメ・ファンタジー13シンデレラ:表紙)
(同誌:P5)
4月:「機動戦士ガンダム」放映開始
4月:三流劇画の世界
(1979年4月:新評社:別冊新評三流劇画の世界:表紙)
当時の三流エロ劇画ムーブメントについて、詳しく解説した本です。
日販や東販などの大手取次ぎを通さない自販機本もあり、毎月100誌ぐらい出版されていたそうです。
掲載されている評論文は米澤嘉博氏や川本耕次氏が書いています。
(同誌:P10)
(同誌:P11)
(同誌:P12)
しかし、アニメ世代にはエロ劇画はキツイものがあり、後に出版される「コミック・レモンピープル」や
「漫画ブリッコ」などアニメ調の絵をベースにしたエロ雑誌に人気が集まる事になります。
4月:プリンセス 4月号
(1979年4月:秋田書店:プリンセス4月号:表紙)
秋田書店から出版されていた少女マンガ誌です。
(同誌:P351)
吾妻先生がドジな女子中学生が主人公のギャグマンガを連載していました。
(同誌:もくじ)
4月:同人誌「シベール」創刊
コミックマーケット11で、吾妻先生を中心として沖由佳雄氏、森野うさぎ氏、このま和歩氏、
豊島U作(I.N.U.)氏、計奈恵(和猫)氏らが同人誌「シベール」を出版しました。
かわいい子が載っているという理由で少女マンガを読んでいた男性陣は、少女マンガにおける
プラトニックラブにもの足りなさを感じていました。かといってエロ本はリアルな劇画ばかりでした。
そんな中「シベール」は少女マンガの絵柄でエロという、読者のニーズにマッチした内容で人気を集めます。
これ以降、「美少女コミック」という新ジャンルが登場する事にまります。
12月:「ルパン3世カリオストロの城」劇場公開
当時のアニメはヤマトを始めとして999、ガンダムなどSFモノが主流だったので、公開当初の興行成績は
よくなかったそうです。
(「Mr.BOO!ギャンブル大将」と併映だった館もあったので正確なデータが把握できないという説もあります。)
しかし、80年12月にTV放映されたことで人気が出ました。(当時の視聴率21.1%)
この映画のルパンの台詞「妬かない、妬かない、ロリコン伯爵!」によって、
クラリスを好きな伯爵=ロリコンならば、
クラリスを好きなアニメファン=ロリコンという定義が成立してしまいました。
以降、アニメに登場する女の子が好きな人をロリコンと称するのが一般化します。(正確には2次元コンプレックス)
・グループSHADO
庵野秀明氏が芸大に入る前に地元の山口県で主催していた自主制作アニメのサークルです。
下図は81年に「アニドウ」主催で行われた「第7回プライベート・アニメーション・フェスティバル」の
パンフレットの一部です。
(情報提供:名無しか・・・何もかも皆懐かしい様)
ちなみに「SHADO」とは「撮影・8ミリ・アニメ・動画・オーガニゼーション」の頭文字だそうです。
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