2月8日、米ネット通販大手Amazon.com(アマゾン)の創業者であるジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)が、ブログサイト「Medium」に署名記事を掲載し、こんなふうに訴えた。
「昨日、私にただならぬことが起きた。いや、私にしてみれば、異常なことというよりは、初めてのことだった。拒否できない提案を受けたのである。というより、少なくとも(米タブロイド紙の)ナショナル・エンクワイアラー紙の幹部らはそう考えた。彼らがそう思ったおかげで、私は全てを書いておこうと思うことができた。恐喝や脅迫に屈するよりも、彼らが私に送ってきたものを掲載する決心をした」
「恐喝」「脅迫」など穏やかではない言葉が並ぶこの記事はメディアで大きく取り上げられ、米国をはじめとして大騒動に発展している。ただこの文章だけを見ると、ベゾスが何か「犯罪臭」のする提案をされた被害者になっているかのような書きっぷりだが、事はそう単純なものではない。
実は、この記事はベゾスの離婚騒動と、その背後にちらつく不倫問題に端を発する。資産総額1600億ドル(約18兆円)を誇る世界で最も裕福な人物に、いったい何が起きたのか。詳しく見ていくと、インターネットやデジタルデバイスの発展によって大金持ちに成り上がったベゾスが、そのデジタル社会に足をすくわれたという構図であることが分かる。また同時に、全てがデジタル化されてつながっていく時代に生きる危うさもあらわにしていると言える。
そしてこのケースは、億万長者ではなくとも、ビジネスパーソンには人ごととは言えないイシューでもある。
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「離婚」「不倫」「脅迫」騒動のいきさつ
ベゾスが離婚を公式に発表したのは1月9日のことだった。ベゾスと妻のマッケンジーが連名で、25年の結婚に終止符を打つとTwitterで発表した。
当初、メディアでは、離婚が成立することによって、アマゾン創業以来、夫のベゾスを支えてきたマッケンジーが、どれほど財産分与されるのかが大きな話題になっていた。夫婦が暮らしたワシントン州の法律にのっとり、ベゾスの資産の半分が彼女に渡るという報道もあった。そうなれば、800億ドルほどを受け取ることになるマッケンジーが一気に世界で最も裕福な女性になると騒がれていた。
だがその裏では、ある疑惑がうごめいていたのである。ベゾスの不倫疑惑だ。
離婚報道の後すぐに、米タブロイドのナショナル・エンクワイアラー紙が、ベゾスの不倫疑惑を報じた。
不倫相手は、『グッドデイLA』という番組の元司会者の1人であるローレン・サンチェスという女性。ベゾスとはダブル不倫だった。しかも、実は離婚発表をする2日前にベゾスは同紙からの取材によって不倫疑惑が掲載されることを知り、直ちに夫婦で離婚を発表した。そのタイミングからも、ベゾスは不倫の記事が出るより先に、自分から離婚を公表しようとしたことがうかがえる。要は、不倫がバレそうだから離婚を発表したということらしい。
不倫疑惑の記事には、ベゾスとサンチェスの密会写真が11ページにもわたり数多く掲載された。同紙は4カ月にわたって極秘取材を続けてきたと語っており、ベゾスが6500万ドルのプライベートジェットに不倫相手を乗せて米国各地を観光したり、ベゾスの個人所有の自宅などで密会したりしていた様子も捉えている。14日間で少なくとも6回もデートしていた。同紙は数々の密会現場の写真を押さえており、ネットでも次々と掲載した。
極め付きは、ベゾスがこの愛人に送ったとされるメールが流出したことだ。これまでスキャンダルのにおいすらなかった清廉潔白なベゾスが送った実物メールは、そのあまりの「甘いメッセージ」にこちらが恥ずかしくなるほどである。
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例えば、「愛してるよ、元気な君。私の体と唇、目で、いかに君を愛しているか、もうすぐ見せてあげるよ」「君の匂いを嗅ぎたい。君を吸い込みたい。きつく抱きしめたい……唇にキスをしたい。愛している。恋に落ちたんだよ」というメッセージ。さらに2018年6月1日には、自分のセルフィーとともに、こんなメッセージを送っている。「私が何を欲しているか分かるかい? 今夜は君とちょっと酒を飲みたい。酔っぱらうほどじゃなく、少しね。一緒に話をして計画を立てたい。話を聞いて、笑って……ただ一緒にいたい!!! それで一緒に寝て、明日起きて、一緒に新聞を読んで、コーヒーを飲みたいんだ」
まさに、とろけるようなメッセージ……というより、恋に落ちて周りが何も見えなくなった生真面目な少年のようだが、世界的企業を一代でつくり上げた経営者の、無防備で人間らしい素顔を見たようでほほえましくもある。とはいえ、一応確認しておくが、ベゾスは1月12日に55歳になった、世界経済にも多大なる影響を及ぼすほどの億万長者である。
これらの報道を受け、ベゾスは個人的に調査チームを組み、どうしてこれらのプライベートなメッセージが流出したのか調査を開始すると発表。すると、その報道に不快感を持ったナショナル・エンクワイアラー紙側は、ベゾスにアプローチし、実はベゾスが自分の「股間」をセルフィーして不倫相手に送った写真も持っていると伝えてきたという。しかも、その写真などを報じられたくなければ、調査をやめろと脅してきたのだ、と。
その要求を知ったベゾスは、同紙から脅迫されたと主張。大々的に冒頭で紹介した記事を掲載したのだった。これが事の顛末(てんまつ)である。
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「チーム・トランプ」の一員だったタブロイド紙
さらにこの問題を複雑化させているのが、ドナルド・トランプ大統領の存在だ。というのも、トランプは、ナショナル・エンクワイアラー紙を発行する出版社のアメリカン・メディア・インク(AMI)のトップと長くじっこんの仲であり、事実、同紙は16年の大統領選のときから、トランプに有利になるような礼賛記事を繰り返し掲載してきた。その反面、対抗馬だったヒラリー・クリントン候補についてはしつこくネガティブな情報を報じていた。
そんなことから、ナショナル・エンクワイアラー紙はトランプを応援する「チーム・トランプ」の一員だと見られてきた経緯がある。また専門家らは、同紙は「トランプの兵器」であるとも皮肉っている。その偏向ぶりに議論の余地はない。
一方、トランプが毛嫌いしているベゾスは、米ワシントンポスト紙を13年に買収し、現在もオーナーを務める。数少ない米国の全国紙の一つであるワシントンポスト紙は、トランプにいわせれば米CNNなどと同様に「フェイクニュース」であり、トランプは同紙について、「ベゾスのためのロビー活動をする新聞のアマゾン・ワシントンポスト紙」と皮肉たっぷりにTwitterに書いている。
こうした見方から、ベゾス側は今回の不倫スキャンダルが、トランプの存在がちらつく政治的な「策略」ではないかと指摘している。もともとベゾスをおとしめるために始まった取材なのではないか、と言うのだ。さらにワシントンポスト紙といえば、最近、同紙のジャマル・カショギ記者がトルコのサウジアラビア総領事館で殺されたことを受けて、サウジアラビアやトランプを批判するような記事を掲載していた。トランプがそれを不快に思っていたことが、ベゾスの不倫取材と報道の背景にあるのではないかとの話も出ている。
逆に、ナショナル・エンクワイアラー紙側は、単純にベゾスが世界で最も裕福な男性であり、ニュース価値のある人物だから彼の取材を実施したと主張。完全な平行線になっているだけでなく、トランプ支持者VS.富裕層の構図にもなっており、問題はますます大きくなっているのだ。
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たくさんの“敵”をつくってきた報道
ただ忘れてはいけないことは、ベゾスが不倫をしていた事実だ。ベゾスは写真やメッセージについてその真偽を争っていないし、不倫を否定していない(ベゾスがサンチェスと不倫関係になる前から夫婦は別居していたとの話もあるが)。ナショナル・エンクワイアラー紙が主張するように、日本でも、ベゾスほどの大物でなかったとしても、影響力のある要人なら週刊誌やワイドショーなどで間違いなく記事になっているだろう。
同紙は過去にも、ニュース価値のある人々について次々とスクープを飛ばしている。これまでもゴルファーのタイガー・ウッズの不倫や、俳優のメル・ギブソンなど数多くのセレブの離婚をスクープしたり、歌手のホイットニー・ヒューストンやジョージ・マイケルなどの遺体写真を掲載したりしたこともある。歴代大統領をはじめ数々の政治家のスキャンダルも報じている。ニュース価値があれば徹底的にスキャンダラスな記事や写真を掲載する、歴史あるメディアだ。
ちなみに同紙はトランプ支持であることを隠してはいない。というのも、同紙の主要購買層が「中年で中産階級、高卒の白人女性」と言われていることからも、きちんとターゲット層に向けた記事を作っているだけという言い方もできる。
そのような過激なスタイルだけに、以前から敵も少なくなかった。セレブなどからは目の敵にされ、さらに01年の9.11同時多発テロの際には、炭疽(たんそ)菌入りの封筒が編集部に送り付けられて、編集者1人が死亡するという事件も起きている。
筆者は、その頃に米フロリダ州にあった編集部に取材で訪れたことがある(現在はニューヨークに移動)。大手メディアのように大きな看板が上がっているわけでもなく、大きなビルに入って、セキュリティで守られているという感じもなかった。入り口が狭い真っ白な壁の地味な建物に編集部があったのを覚えている。誰も、まさかあんなところで超有名タブロイド紙が作られているとは思いもよらないだろう。
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プライベートな情報がどんどん抜かれる時代
ベゾスの不倫問題に話を戻すと、今回の騒動は私たちにも決して対岸の火事では済まされない。まず、個人のプライベートな情報がスマホなどから抜かれるような事態が誰にでも起きかねないということを示唆しているからだ。
もちろん、人間なら誰しも隠し事の一つや二つあるかもしれないが、そういう情報が漏れたら、間違いなく大変な事態を引き起こしてしまうという人もいるだろう。会社にいられなくなるという人もいるかもしれない。ただ、どんな形でそうした情報(しかも文字や写真に残されている場合が多く、言い逃れはできない)が外に漏れるかは分からない。今回のようなケースなら、株価にだって影響を及ぼす可能性がある。
今回のベゾスのケースのように、個人的なやりとりが漏れる危険性は、彼が言うようにきちんと調査する必要がある。そんなことがまかり通っていいはずがないからだ。
もっと恐ろしいシナリオも考えられなくはない。もしかしたら米国企業の台頭を快く思っていない相手がサイバー攻撃でスマホなどから情報を盗み出して、タブロイド紙に流した可能性も否定できない。
また、ナショナル・エンクワイアラー紙が4カ月にわたりベゾスのプライベートな移動を把握して写真に収めていたことも、かなり気になるところだ。いかにしてそんな情報を得ていたのか。プライベートジェットで移動するベゾスを追いかけまわして、各地でツーショットの写真を撮っているのも離れ業だと言わざるを得ない。何か大きな勢力が動いているとベゾスが指摘したくなるのも理解できる。
しかも、股間のセルフィー写真を公開しないことを条件に、個人的な調査をやめるようタブロイド側が求めたと言うのが事実なら、さらに気味が悪い。そして、決して許されることではない。AMIにどんな後ろめたいことがあるのかは分からないが、そんな要求をするのは、脅迫以外の何物でもない。
ベゾスは冒頭で紹介したブログ記事でこう訴えかけている。「この類の脅迫に対して、私のような人間こそ立ち上がらなければならない」
これを受け、ナショナル・エンクワイアラー紙は「違法なことはしていない」との声明を発表。また米司法当局が事件について調査を始めたとも報じられている。ベゾスの不倫問題は、政治問題にすら発展する可能性が出てきている。しばらくこの騒動から目が離せない。