関係者に配布される練習メニューには書かれていない「早出特守」が行われた。ブルペンの隣、主に投手陣がバント練習に使う打撃ケージの中で、加藤がマシンの球を捕球していた。
「僕はこう捕ってしまうクセがあるので、優しく包むように捕るんだよと教わっていました」。加藤の身ぶりは、野球界では「虫捕り」などと呼ばれることもある。ほっておいても向かってくる投球を、つかまえにいってしまう。専門家の間では少し前から言われていた加藤の課題の一つだった。目を見張るバズーカは彼の魅力だが、それだけでいいのならとっくに正捕手の座はつかんでいる。捕球、配球、送球。三つがそろって初めて一人前だと認められる。
「何を置いても数を捕らないとね。そのためには何人も呼んでも仕方ない。1対1ですよ」。指導した中村バッテリーコーチの考えだ。しっかり捕らないと加藤の強肩も生かす場はなくなる。
捕球の道は一日にしてならず。この日、ブルペンで並んで見ていた岩瀬仁紀さんと中村コーチの姿に、20年前の「痩せ我慢事件」を思い出した。1999年の沖縄キャンプ。新人の岩瀬は、初めて受けてくれる正捕手の姿に緊張した。「スライダー投げてこい」。「は、はい!」。投げた。受けた。ところが中村は立ち上がり、ブルペンから出ていった。
「自分のスライダーが通用するかどうかすら、わかっていなかった」という岩瀬は「プロ野球の捕手は1球でわかるのかな。さすがだな」なんて考えていた。真相がわかったのは後日だった。
「いや、あのときのスライダーはえぐかった。3日間、バットも振れんかったんや」。あまりの変化の鋭さに捕り損ね、突き指したのだ。痛い。でも口が裂けても言えない。だから黙って去った。しかし、左手の痛みは新人左腕の活躍を確信させた。そう。捕手はつらい。ファウルチップが当たるわ、ワンバウンドに苦しむわ…。それでも捕ってなんぼ。日々、痩せ我慢で投手に尽くす。