(cache)「福島の11歳少女、100ミリシーベルト被曝」報道は正しかったか(林 智裕) | 現代ビジネス | 講談社(4/4)


「福島の11歳少女、100ミリシーベルト被曝」報道は正しかったか

「がん発症」とも書かれて…
林 智裕 プロフィール

なぜ「悲惨な報道」ばかりなのか

東電原発事故による被害は確かに甚大なものでした。多数の死者も出しています。しかしそれは、被曝そのものが原因ではない「震災関連死」です。

多くの被災者の心身の健康や生活に直接の悪影響を与えてきたのは放射線そのものよりも、事故がもたらした生活環境の大きな変化や強いストレス、およびそれを助長したいわゆる「放射能デマ」と偏見・差別の問題でした。しかしこうした事実は、これまで大きく報じられてはきませんでした。

原発事故による強いストレスの影響は、チェルノブイリでも大きな問題となりました(https://www.env.go.jp/chemi/rhm/kisoshiryo/attach/201510mat1-01-124.pdf)。また原発事故直後に、かつて公害病に苦しめられた水俣市から寄せられた「水俣市からの緊急メッセージ」において、最も懸念されていたのも、風評被害や偏見・差別でした(https://www.youtube.com/watch?v=22x39oVJqd8&feature=youtu.be)。

しかし、こうした教訓やメッセージは大きく報道されることもなく、根拠に乏しい「被曝による悲惨な犠牲」ばかりがセンセーショナルに取り上げられる状況が続いてきたのです。

 

マスメディアの報道内容は大きな社会的影響力を持っています。たとえば、自殺報道がさらなる自殺を増やしてしまう「ウェルテル効果」などはよく知られています。

ところが、今回の件に限らず、原発事故に関する報道においてはなぜか、二次被害に対する配慮があまりにも軽んじられてきました。しかもそのことは、いまだにほとんど問題視すらされていません。

2011年6月に東京新聞が「子に体調異変じわり」として掲載した記事。「放射線と関係不明」としながらも、まるで被曝によって健康被害が出ているかのようなほのめかしがありました。

少子高齢化が進む地方の町村部において、子供の年齢といった個人情報を出して詳細に報じることは、個人の特定につながるリスクが大きい点も無視することは出来ません。繰り返しますが、報道の先には「生身の人間」がいるのです。

そのようなデリケートな問題であるにもかかわらず、センセーショナリズムばかりに走って「特ダネ」と喜んで拡散させているばかりでは、原発事故後に続いてきた二次被害は、いつまでも無くならないのではないでしょうか。

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