(cache)「福島の11歳少女、100ミリシーベルト被曝」報道は正しかったか(林 智裕) | 現代ビジネス | 講談社(3/4)


「福島の11歳少女、100ミリシーベルト被曝」報道は正しかったか

「がん発症」とも書かれて…
林 智裕 プロフィール

過度に恐れるのではなく…

それらを踏まえた上での結論は、「仮に100mSv程度の甲状腺への被曝があったとしても、そのリスクを過度に恐れる必要はない」ということです。理由は後述しますが、その事実を、不安を抱いている当事者と周囲に強く明確に伝えていく必要があります。

もっとも、実際の健康への想定リスクが低いからといって、甲状腺への「等価被曝100mSv」という数値が全く無意味なものかというと、必ずしもそうではないことも事実です。

原発事故に伴う甲状腺被曝を防止するために、安定ヨウ素剤の服用が勧められるケースがあります。これを勧める基準が、日本では「甲状腺への等価線量で100mSv以上」が予想されるケースとされています。

もちろん、その基準値は「健康へのリスクが顕著になる数値」よりもずっと低く、余裕を持たせて設定されてはいるものの、これまで「安定ヨウ素剤の服用が勧められるレベルの被曝はゼロであった」とされる東電原発事故において、それが勧められるレベルであった「かもしれない」ケースが存在した、とは言えるでしょう。

しかし、それは当然「100mSv以上でがん発症」と言い切る根拠にはなりませんし、繰り返しになりますが、今回報じられた「100ミリシーベルトの被曝」は「精査したものではない最悪を見こんだ数値で、健康への影響は極めて少ないと判断した」「確からしさも乏しく、公表するような数値ではない」(朝日新聞記事の放医研のコメントより)とされているものです。

原発事故後の福島の住民への健康影響については、UNSCEAR(国連科学委員会)報告などをはじめ、さまざまな科学的検証において「東電福島第一原発事故由来でのガンの増加は考えられない」とされています。そうした科学的な意味での「安全」は確保されていますが、さらに住民の「安心」にも寄り添える形に、原発事故との因果関係にかかわらず、福島県では18歳未満の子供の医療費が無料になっています(https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/21035a/kodomoiryouhi.html)。

そのような状況で、東京新聞が、「国はこれまで『一〇〇ミリシーベルトの子どもは確認していない』と発表し、この報告は伏せられていた」「一〇〇ミリシーベルト以上でがん発症」と、あたかも「がん発症に直結する重大な被曝が隠蔽されていた」かのように報じることは、適切であったとは言い難いのではないでしょうか。

 

報道の向こうには、人間がいる

ここで絶対に忘れてはならない前提があります。それは、「数字の先には生身の人間がいる」ということです。今回のような議論では特に、被害当事者を護ることも第一に考えなればなりません。東京新聞による報道は、そうした点への配慮にも大きな問題があったのではないかと考えられます。

たとえば、こうした扇情的な報道の結果、不特定多数から「がん発症」と指差される当事者が、自分自身や、大切な家族であった場合を少し想像してみていただきたいのです。それは、福島県民の身に現実に起こってきたことです。

事実、原発事故後には被災者に対する差別やいじめが横行しました。これを受けて最近、復興庁からは「福島の風評の払拭に向けて『誰かを傷つけないために』」とのタイトルの動画も公開されました(https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg18429.html)。

もちろん、震災後の福島には、温かい善意や支援が多数寄せられたことは言うまでもありません。しかし同時に、一部の心無い人たちからは非科学的な風説や、明らかに一線を超えた誹謗も大量に流布されたこともまた、残念ながら事実です。

本来「弱者の味方」を標ぼうしていたはずの社会運動家や政治家、マスメディアが、それらをむしろ煽ったケースも数え切れません。原発事故という一次的な被害に加えて、二次被害とも言うべき心無い偏見が被災者に追い打ちをかけてきたのです。

一例を挙げると、大阪では2011年に「被災地の子供の葬列デモ」というものが行われました。これは、福島の子供たちを勝手に「死んだことにして」、葬列を模しながら練り歩いたデモです(http://fukushima.factcheck.site/life/1317 。その他、震災後に「奇形」「遺伝」など、差別に直結しやすい誤解が拡散された実例を筆者がまとめた記事。これらもほんの氷山の一角にすぎません:https://synodos.jp/fukkou/17814)。

このような行為は、仮に「善意」「正義感」からの行動であったとしても、「警鐘」すら通り越した「呪い」にほかなりません。それは当然、「被害当事者を護ること」からはかけ離れたものです。

福島の子供たちの中には、実際は心配する必要がないにもかかわらず「福島に生まれた自分は、ガンで早死にしてしまうかもしれない」「子供を産めないかもしれない」といったコンプレックスを背負ってしまうケースも少なくありませんでした。今回の東京新聞の報道は、まさにこれを促す性質を持っていたといえるでしょう。

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