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【芸能・社会】

「極地監督」佐藤純彌さん死去 86歳…家族に見守られ自宅で9日

2019年2月18日 紙面から

「桜田門外ノ変」撮影中の佐藤純彌監督(2010年)

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 「人間の証明」「敦煌」「男たちの大和/YAMATO」など数々の大作のメガホンをとった佐藤純彌監督が9日午後11時、多臓器不全による衰弱のため東京都内の自宅で死去した。家族に見守られての旅立ちだった。86歳、東京都出身。通夜・告別式はすでに親族のみで執り行ったという。喪主は長男東弥(とうや)さん。17日、東映が発表した。

 3年前に消化器系の疾患が見つかり、医師から入院を勧められたが、本人が拒否したため自宅で療養中だった。今年1月19日には東映東京撮影所OBによる恒例のマージャン大会にも参加し、元気な姿を見せていたという。

 佐藤監督は東京大学文学部卒業後の1958年、東映東京撮影所に助監督として入社。63年に三國連太郎主演の「陸軍残虐物語」で監督デビューすると、いきなりブルーリボン賞を獲得。68年にフリーになると任侠映画などを手掛けた後、75年に高倉健主演でパニック映画「新幹線大爆破」を監督。日本よりも海外で評価が高まった。高倉さんとは続く76年「君よ憤怒の河を渉れ」、78年「野性の証明」と名コンビぶりを発揮。「君よ-」は中国で大ヒットし、戦後初の日中合作映画「未完の対局」(82年)を任されることになる。「未完-」はモントリオール世界映画祭でグランプリを獲得した。

 86年「植村直己物語」の北極や「おろしや国酔夢譚」のシベリアなど困難な海外ロケも敢行、“極地監督”と呼ばれた。2010年の「桜田門外ノ変」が遺作となった。

 テレビでは68年からTBS系で放送された「キイハンター」、82年から「Gメン,82」などで深作欣二監督らとメーン監督を務めた。

 2008年、旭日小綬章を受章。 

<西田敏行>「佐藤純彌監督が逝去されたと聞き、1985年に撮影した『植村直己物語』のことが思い出されました。ことに、北極での撮影ではスタッフ、キャストの命を守り、作品の成功に導かねばというプレッシャーと戦いながら、皆の前では穏やかな表情で監督指揮していた姿です。人望があり、学者肌の映画監督でした。ご冥福を祈ります」

<佐藤浩市> 「(出演した『敦煌』は)およそ30年前、今とは違う中国での半年間の撮影。楽しかった事ばかりではなかったけれど、監督にはいろいろと勉強させて頂きました」

<大沢たかお> 「突然の訃報を先ほど京都太秦の東映京都撮影所で聞きました。佐藤監督とは映画『桜田門外ノ変』でご一緒させて頂き、その時もここでの撮影でした。現場で、佐藤監督から仕事への姿勢、情熱そして優しさ、俳優として一生の指針となるようなたくさんの経験をさせて頂きました。その時の教えが、今でも自分の作品への姿勢となっています。これからもその教えに恥じないように精いっぱい頑張りますと、天国の佐藤監督に報告したいと思います」

<三田佳子> 「突然のご訃報に驚いています。廓育ち、王将、愛欲、未完の対局、敦煌など、長い間に多くの作品でご一緒してきました。監督の旭日小綬章の受章を、東映の仲間たちとともに時間が尽きるまで喜び、祝った日が昨日のことのようです。最近は折に触れての手紙の添え書きが心に残っていました。一つの時代が終わったような何とも言えない寂しさを感じます。ご冥福を心よりお祈り致します」

 

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