193.商会長と金の酒
「失礼します」
三人のいる部屋をノックしたのはマルチェラとメーナだった。
二人とも上下色を揃えた、少しだけあらたまった装いだ。マルチェラは鳶色、メーナは薄青で、それぞれ目の色に近いスーツを選んだらしい。
マルチェラの袖先には、金に柘榴石の入った婚約腕輪が光っていた。
「マルチェラさん、イルマは元気?」
「すっごく元気だ。毎食、きっちり三人前食ってる。あと、毎日砂を作ってる」
「土魔法の砂?」
「きれいな紅茶色なんですよ、僕も見せてもらいました」
「せっかくだから、俺が土魔法で固められるようになったら、レンガにしちまおうと思ってる。なんなら、ダリヤちゃん、花壇とか、塀の補修材にいるか? 俺のレンガ作りがもうちょっとうまくなってからになるが」
「お願いしてもいい? いい記念になりそう」
「生まれる前から、目に見える記念品があるっていいかもしれませんね」
笑いながら話していると、ノックの音が再び響いた。
「お招きありがとうございます」
店員のエスコートで、ルチアが部屋に入ってくる。
その姿に、部屋にぱっと花が咲いた気がした。
白からアクアブルーに変わるグラデーションのワンピース。裾は膝下までふわりと広がり、繊細な白レースが胸元から二の腕までを飾っている。
緑の髪は結い上げられ、耳にはアクアマリンのイヤリングが揺れていた。
ルチアは普段からお洒落だが、今日はいつにも増してかわいく、美しい。
「ルチア、きれい、すごく似合ってる!」
「おお、どこのお嬢様かと思ったぜ」
「でしょでしょ! 前に書いてたデザイン画から、フォルト様と起こしたの!」
かわいく整えた見た目に反し、いつものルチアが口を開く。
作りたかったかわいい洋服を、また一枚、形にしたらしい。
「ダリヤもきれいよ! それにとっても似合ってるわよ、そのドレス!」
「ありがとう。デザイナーがいいもの」
「うふふ……うれしいわね、やっぱり」
ダリヤが着ているのは王城のプレゼンの日に着ていた、紺のドレスだ。
艶と深みのある生地は、角度によって青みを帯びる。こちらもルチアの作である。
「会長、ぜひご紹介を」
メーナが滑るように真横にやってきた。考えてみれば、他はすべて顔見知りである。
紹介しようとした時、ルチアが先に笑顔を向けた。
「服飾魔導工房の工房長を務めております、ルチア・ファーノと申します。どうぞよろしくお願いします」
「ロセッティ商会のメッツェナ・グリーヴと申します。今日という日に、ファーノ工房長にお目にかかれたことをうれしく思います」
すらすらとのべるメーナに感心した。
なんという対人スキルだろうか。
初対面の相手に緊張感のかけらもないのは、本気でうらやましい。
ルチアはメーナと挨拶を終えると、フェルモに向かった。
「ガンドルフィさん! あの鍋、スライム液入れにして、よかったので追加でほしいです。服飾ギルドでちゃんと買います!」
「ああ、あれな。もうちょっとしたら量産するから。ぜひ買ってくれ」
二人の会話に、イヴァーノが片手を少し持ち上げ、割って入る。
「フェルモ、ルチアさん、『スライム液入れ』って何です?」
「商業ギルドでファーノ工房長と会った時、グリーンスライムのつきづらい入れ物はないかって言うんで、浅鍋をひとつやったんだ」
「
「ルチア、今と同じ形で作ってもらったら?」
遠征用コンロの鍋から派生した滑りのいい鍋は、服飾の染料入れにも適していたらしい。
せっかくなら、今と同じ入れ物に整形してもらえば、違和感なく使えるはずだ。
ダリヤの提案に、ルチアは露草色の目を輝かせた。
「それだと一番いい! ガンドルフィさん、深型の円柱バケツで同じものってできます?」
「ああ、できるが、浅鍋より値は上がるぞ?」
「かなり高くなります?」
「大きさにもよるが、蓋なしなら三倍ってとこだろ。数がいるなら割り引くし」
「それなら、ぜひ! あれなら、染料の混色にも使えそう。今度使っているバケツを持っていきます。あ、フォルト様が一度、ガンドルフィさんにご挨拶したいって。他の入れ物の相談かも。混色用のパレットとかも、洗うのは大変だって言っていたし」
「フェルモさん、パレットなら、屋台の鉄板を加工してできませんか?」
「パレットを見たことがないんで確かなことは言えないが、平板ならサイズ指定があればそれで魔導具師と鍛冶屋に回すぞ。けど、服飾ギルド長との取引は、初回挨拶に行かないとダメなのか? ちょっと俺には敷居が高いんだが……」
言い淀んだフェルモが、額に皺をよせる。
ダリヤはフェルモの気持ちがよく理解できた。
子爵であるギルド長などと会議に同席した時は、自分も胃が痛かったものだ。
「フェルモ!」
不意に、イヴァーノががっしりと男の肩をつかんだ。
「服飾ギルドに行く前に、俺とよーく打ち合わせをしましょう。服飾ギルド長へ失礼があったらいけないです。いろいろと教えたいこともあります。今日は飲んじゃいますから明日、みっちりと」
「そうか……そうだよな。挨拶だけって言っても、服飾ギルド長は子爵だし、失礼があったらまずいよな」
「ええ! そうですとも!」
以前の自分を重ね、フェルモに同情した。
商会長で貴族付き合いとなると、覚えることは山である。
礼儀作法や貴族独特のルールはとにかくややこしい。
自分など、数ヶ月かかってもいまだ抜けだらけだ。
イヴァーノやガブリエラ、オズヴァルドがいなかったら、とうに大きな失敗をしでかしていただろう。
対応の早さは、流石、イヴァーノだ。
フェルモの今後を見越し、礼儀作法を教えるつもりなのだろう――そう納得した。
「ルチアさん、ちょっとお返事は待ってくださいね。フォルト様に聞かれたら、『イヴァーノが、ガンドルフィ会長を捕まえててダメだった』って言ってもらえればいいので」
「イヴァーノさん、かまわないけど、『ガンドルフィ会長』?」
「ええ、フェルモさん、商会を立てるので」
怪訝そうに尋ねるルチアに、イヴァーノがさらりと答えた。
商会の話は立てると決めたばかりだ。フェルモは何の準備もしていない。
それでもイヴァーノは先ほどの言葉通り、しっかりこの場で祝うつもりらしい。
「そうなんですか、おめでとうございます、ガンドルフィ会長!」
「おめでとうございます! じゃ、今度は商会取引ですね!」
「あ、ありがとう」
なし崩しの公表を周囲から祝われ、フェルモが硬い笑みを浮かべている。
けれど、工房長として経験は長く、弟子もいる彼だ。すぐ商会長にも慣れ、めざましく活躍するだろう。
むしろ自分の方が、商会長としても職人としてもがんばらなければ――そう思う。
決意を新たにするダリヤの向かい、イヴァーノはフェルモに向かってささやいていた。
「フェルモ、どのみち商会立てることになってましたよ。運命ってヤツです」
・・・・・・・
「遅れてすまない」
「大丈夫です、ヴォルフ。乾杯はまだしてませんから」
予定の時間から五分ほどすぎた時、上着を手にしたヴォルフが入って来た。
王城から急いで来てくれたのだろう、額と首筋には汗が浮いている。
シルクタフタの白いシャツと黒のトラウザースは、王都で再会した時と同じ服装だ。
何度か見ているはずなのに、どこかなつかしく感じた。
「ええと、この中でヴォルフが会ったことがないのは、メーナだけですね」
部屋の奥、窓際でルチアと話していたメーナを、イヴァーノが呼んでくれる。
こちらに来た彼は、水色の目を大きく見開いた。
「商会保証人の、ヴォルフレード・スカルファロットです」
「……スカルファロット、様?」
つぶやいたメーナが、刺すような視線を返す。
敵意があるともとれる目に、ヴォルフが軽く身構えた。
「……まったく、不条理だ……」
振り絞られた声は、まるで怨嗟だ。悲しみさえこもっている気がした。
ヴォルフは身構えつつも怪訝そうで、ダリヤは困惑する。
「ダリヤちゃん、ヴォルフ、どうかしたか?」
その背後から、マルチェラが歩みよってくる。
メーナの表情が見えないので、ダリヤ達が固まっているのが気になったのだろう。
他の者も不思議そうにこちらを見ている。
「あの、メーナ、どうしたんですか?」
ダリヤの問いかけに、メーナは一度深呼吸をした。
「……大変失礼しました。実物のスカルファロット様を見たらちょっと取り乱しました。商会員になったメッツェナ・グリーヴです。メーナとお呼びください」
「こちらもヴォルフでかまわない。君と会うのは初めてだと思うのだけれど?」
ヴォルフが尋ねると、メーナは素直にうなずいた。
「ええ、初めてです。今まであちこちの女性に、スカルファロット様は王都一の美青年とか、男でもふり返る美しさとか聞かされてたんで、どれだけ美形なのかと思ってたら、本当に美形でした。お会いできて光栄です」
「……あまりうれしくない話をありがとう」
ヴォルフは表情筋を笑みにしただけで、珍しく棘を入れた返事をする。
それでも、先ほどの構えた感じは消えた。
「悪い、ヴォルフ。メーナ、あんまり冗談飛ばすな。大体、お前だって顔はいい部類だろうが」
「マルチェラさん、ちびっといいぐらいと、極上の美形を一緒にしないでください。僕は街を歩いてもたまに声かけられるぐらいですけど、スカルファロット様なら、逆ナンパで歩くのに困るぐらいでしょう?」
無言のヴォルフだが、気配が少しばかり冷えた。
メーナは褒めているつもりなのかもしれない。
だが、ようやく平和に王都の一人歩きをし、食堂に行けた、屋台に行けたと喜ぶ彼に、なんということを言うのか。
「メーナ、そういう話はやめてください。ヴォルフに失礼です」
「……申し訳ありませんでした。以後、気を付けます」
思わぬほど厳しい声が出てしまった。
メーナの謝罪に静まりかえった中、すかさず声を上げたのは、イヴァーノだった。
「では、揃いましたので、乾杯の為に席についてくださーい!」
部屋にいるのは全員大人だ。むし返すようなことはない。
それでも気がかりで、テーブルに移動してから、ヴォルフに声をかけた。
「すみません、ヴォルフ。うちの商会員が」
「ダリヤのせいじゃないし、気にしてないよ。ドリノと会ったばかりの頃を思い出したな」
「ドリノさんも、あんな感じだったんですか?」
「ちょっと違うけど、あのノリは似てる。最初の酒の席とか、ナンパの餌にされた時とか、あんな勢いだった」
苦笑するヴォルフだが、怒ってはいないようだ。
こちらを見る黄金の目が細くなり、楽しげな笑みに切り変わっていく。
「俺はもう、平気なんだ。君にこれを作ってもらったから」
胸ポケットに伸ばした手、革ケースの中にある妖精結晶の眼鏡。
それを身につければ、彼は緑の目の持ち主として、自由に王都を歩ける。
作った自分が誇りに思える笑顔を向けられ、ダリヤも笑み返した。
「じゃ、ロセッティ商会の新しいスタートと、フェルモがガンドルフィ商会を立てるので、共にお祝いしたいと思います!」
「フェルモ、商会を立てるんだ。おめでとう」
「ありがとう、ヴォルフ様。まだ決めて間もないんだがな」
フェルモがふっきれた顔で返している。
決めて三十分後に祝われている商会開設である。幸先がいいと言うべきかもしれない。
話している間にグラスに注がれたのは、金の輝きを散らすスパークリングワインだ。
お祝いに似合いの華やかな色から、甘い香りが立ち上る。
全員がグラスを持って立ち上がった。
「ヴォルフ様、乾杯の言葉をお願いできますか?」
「え、俺?」
「ええ。こういう時、乾杯は前からいた商会員ですが、俺は進行役なので。ヴォルフ様は開始時点から一緒ですし。失礼ですが、俺としてはもう保証人というより、敏腕営業で会長の隣にいる人という認識なんで、お願いできません?」
言い得て妙なたとえだが、ひどく納得した。
ヴォルフはイヴァーノの表現がおかしかったのだろう。大きく笑いながらうなずいた。
「では――新ロセッティ商会の始まりの日、ガンドルフィ商会の間もなくの誕生を祝うと共に、これからの全員の繁栄を願って、乾杯!」
「繁栄に乾杯」
「始まりに乾杯!」
「乾杯!」
静かな声、にぎやかな声が混じり合い、グラスが繰り返しぶつけられる。
全員の笑顔を見ながら飲む金の酒は、とてもおいしかった。
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