2019.2.15(金)
「スターピープルWEB」(ナチュラルスピリット)にコラムとして掲載されている拙文
「0点牧場」vol.3の記事に4箇所誤りがあり、
また修正の可否を訊ねられたさいに「元原稿のままにしてください」とお伝えした部分が
修正されていて、
その状態でアップロードされていました。
読まれた方がおかしいと気づかれることを考慮し、元の原稿をここに全文掲載いたします。
なお私は元の原稿には見出しをつけたり文字色を変えたりといった修飾はしていないので、
下記の記事にも見出し等はありません。
後日、この記事は削除いたします。
0点牧場(3) 人間は<人類>ではなく宇宙存在である
ゼロポイントフィールドを原点とする宇宙の構造を、私は次のようにとらえています。
①ゼロポイントフィールド(すべてがあり、かつ、何もない。全波動の媒質的な何か)
↓
②0/1(すべてがある、もしくは、何もない。認識即創造の主体視点である「私」ができる)
↓
③人間型宇宙/動植物型宇宙/物質波(「私」を軸とする個々の宇宙)
↓
①ゼロポイントフィールド(③で認識/創造された周波数が①に還る)
これらは、①>②>③と、上位のレイヤー(層)が下位のレイヤーを含み、
下に下りるほど具体的になっていって、
③で具体的なものごととして実現するポテンシャルを使い切ると①に還る、
というトーラス(円環)構造をしています。
①も②も③も全部ゼロポで、具体化するとは、ゼロポに形ができていくということです。
その具体化した形を「丸だ」「四角だ」と感じて(認識して)、丸や四角として出現させているのが、
こうした認識かつ創造の主体視点である「私」です。
さらに③の個々の宇宙は、
(1)高次帯域=微妙な感覚として感じられる
(2)マインド帯域=五感的な感覚はないが、思考や感情や気分といった中程度の感覚として感じられる
一部の波動には(3)の音や形に対応する象徴記号(言葉や絵図など)が当てられる
(3)物理像帯域=五感や痛みなど、感覚のコントラストや質感がはっきりした濃い感覚として感じられる
というレイヤーからなっています。
「=」の左側の何々帯域というのは、ゼロポがどういう形で現れるかという、西洋哲学でいうところの
存在論的な言い表しかた、
「=」の右側の微妙な感覚、中程度の感覚、濃い感覚というのは、
認識と創造の主体視点である「私」の感じかたで表した認識論的な表現です。
③には人間型、動植物型、物質波という3つのタイプがあります。
物質波というのは、視点が分かれていないワンネスの帯域である①②からズドーン、と収束して、
スッ、とゼロポに撤収していく、
宇宙にはいろんな見かた、感じかたがあるというヴァリエーションを持たない波です。
物質になる波はこれだけなので、物質というのは1種類だけです。
人間型、動植物型の宇宙は、直に物質を体験することはできません。
氷の世界みたいに凝結してしまうからです。
なので、マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない、
喩えると水とかジェルのようなエーテル帯域に物質波を写し、
エーテル帯域まで下りて具体化した像にナマナマしい質感を与えて、
「もし、この像が物質だったら」という仮想物質世界として体験しています。これが物理像です。
つまり人間や動植物では、(3)は、
物理像=エーテル像
↑(変換係数を使って物質波の強烈さを希薄化してコピーする)
物質波
という構造をとります。
変換係数とは、エーテル帯域にある物理像の設計要素のひとつで、物質波のコピー濃度を決めます。
物理像で感じられ、マインドで「地球」と名づけている惑星像は、特定の変換係数で特定の濃度に
弱められた物質波のことで、私はこれを地球物理場と呼んでいます。
人間や動植物が体験している3次元は、仮想3次元というギリ4次元で、
人間や動植物は、具体化の最終形態でも4次元存在、エーテル存在です。
元素や鉱物がそれぞれ異なる性質を持つのは、
人間や動植物がエーテル像に変えてとらえているからです。
物質波の側から見ると、人間型や動植物型の宇宙に活用してもらうことで個性化を体験している
といえます。
では人間型と動植物型のちがいは何かというと、
人間型宇宙では、「私」という認識/創造の主体視点がギリ4次元の物理像帯域まで通っていて、
個々の「私」がそれぞれ別の物理像を体験している、
つまり(1)高次帯域から(3)物理像帯域まで個々の「私」により(個々人により)異なるのですが、
動植物型宇宙では、「私」がマインド帯域までしか下りておらず、
物理像帯域の周波数をマインド帯域の「私」でまとめて体験している、という点です。
人間の物理像では分かれているように見え、分かれていると感じられる動植物の個体は、
それぞれがセル(細胞)であって、
セルからフィードバックされる周波数を、マインドの「私」が総合して認識/創造しています。
これは脳(動植物の「私」)と器官(動植物の個体)のような関係に喩えられます。
たとえば猫なら猫の「私」という中枢がマインド帯域にあって、
個々のセルから得られる情報を中枢でまとめている、
そういうグループ意識的な存在とみていいかと思います。
ただ、そのグループが人間の区別している種と合致するかどうかはわかりません。
サイキッカーのなかには、動植物の考えや感情がわかるという方がいらっしゃいますが、
たとえば、ある猫の気持ちをリーディングして、
「何々ちゃんは、飼い主さんと離れていて、とても心細かったと言っています」
というようなことがわかった場合、
それは何々ちゃんを通した猫神様(中枢)の声を多少人間寄りに翻訳したものです。
猫神様は、個々のセルがセルの範囲で体験していることを、まるっとお見通しです。
動植物は、たとえ飲食に供する野菜等であっても、リスペクトしましょう。
レタスもニンジンも、個々のセルの体験をまるっとお見通しです・・・。
猫神様は、猫グループのハイヤーセルフです。
ハイヤーセルフは、高次帯域とワンネス帯域の②(0/1帯域)との接点です。
厳密には、この接点はハイエストセルフとかモナドと呼ばれ、
高次帯域から高次帯域とマインド帯域との接点までの「私」軸をハイヤーセルフというのですが、
めんどくさいから全部ハイヤーセルフでいいでしょう。
というか、物理像だろうとマインドだろうと、「私」はその帯域を感じて出現させる軸なわけで、
ほんとはハイヤーもロウアーもなく単にセルフなんですけどね。
人間の場合、人間グループすなわち人類のハイヤーセルフというのはありません。
民族とかの文化集団のハイヤーセルフもありません。
個々の人間にそれぞれに軸となるハイヤーセルフがある。
これは、②のワンネスのセルフが数多の角度になり、
そのうちの特定の角度から認識/創造する主体視点であるハイヤーセルフが物理像帯域まで下りていて、
濃い五感的感覚を感じている、
そのなかで「内部」という概念を設定できる感覚(味覚、嚥下感、痛みなど)や、
「内部」と内部でない側(外部)の境界線という概念を設定できる感覚(皮膚にかかわる感覚など)を、
マインドで「自分の身体」というフォルダに入れてまとめている、
そういうタイプの個体宇宙であり、
そういうタイプの個体宇宙が何十億も地球物理場と接続している、ということです。
ざっくり平たく言うと、身体の数だけハイヤーセルフがいて、宇宙があるということ。
なので、人間は動植物型宇宙存在ではない、つまり<人類>じゃないんです。
個々の人間は<人類>のセルではなく、コスモスです。
人間が類的存在ではなく、それぞれ異なる「私」を軸とする、それぞれ異なる宇宙だとすると、
③内の(1)~(3)の様相もそれぞれ異なっているわけで、
人によって言ってることがちがったり、ヒーリングなどの技法がちがったり、
ある人には効果のあったメソッドがほかの人には効果がなかったりしても、
べつにおかしくありません。
それは人によって個々の宇宙によって、感じていることがちがうからであり、
感じていることがちがえば、出現することもちがってきます。
そもそもこの記事自体、筆者バージョンのメタフィジクスですし。
誰かの話、たとえば私の記事が役に立つことがあるとしても、
それは読み手の宇宙で、読み手の「私」が認識/創造して起きたことで、
私が起こしたことではありません。
人からどんなに大きな助けを得たとしても、それも自力です。
②の0/1帯域は主体視点「私」の始原ですが、具体性や個別性はなくて、
ただ「ある/ない」を区別しているだけです。
具体性や個別性が出てくるのは③からで、ここは具体性、個別性の体験ワールドといっていいです。
体験することはまちまちでも、「私」という認識の形式はひとつしかありません。
これが②の0/1から受け継がれている視点です。
大勢の人が「私は~」「私が~」と言ったり思ったりしていて、一見、大勢の「私」がいるようですが、
「私」という認識形式はひとつだけです。
私は、人は誰しも高次帯域ごとまるごとちがうんだよーん、ということをペロンと書いてますが、
これはできれば震撼(笑)していただきたいところです。
もっとも筆者の高次サイドentitiesからすると、
テラン(地球物理場に接続している人間型宇宙存在)の「真実はひとつ」的な設定のほうが稀有なんで、
むしろそっちに震撼してるみたいです。
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- 2019/02/15(金) 22:32:07|
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