年賀状の歴史(略史)
1.明治以前の年始状
年賀状とは、年頭に当たり長寿を寿ぐ祝儀状であった。現在の年賀状は、年始状・年頭に遣わす状などと呼ばれるもので、既に平安時代の往来物に文例がある。江戸時代以前には貴族や大名の間では年中行事化していたが、江戸時代後期になり、飛脚便制度が整備されるに従い、この習慣は武家や豪農、商人の間に普及した。また、この頃から正月用の引き札(広告チラシ)の配布も盛んになった。
2.明治時代
旧暦明治4年3月1日東京・京都間に近代郵便が始まり、明治6年12月1日に郵便はがきが発行されると、正月行事としての年賀回礼には赴かずに、賀詞を書いたはがきを発送するようになった。また正月用の引き札をはがき等に印刷した広告の年始郵便も加わり、これらを年賀状と称するようになった。
年賀状は明治10年代になると年を追って盛んになり、印刷した年賀状や名刺入り年賀状が利用され始めた。
当時は、年明けに年賀状を送っていたので、年初に集中する年賀状の処理に苦慮した逓信省は、年賀状に対するサービスを理由に、明治32年12月16日の公達で年賀郵便特別取扱を指定局において試行した。翌年には全国的に実施し、それらの成果を踏まえ明治39年度からは全国の郵便局で実施した。
明治33年10月1日から私製はがきが認可され、逓信省の日露戦役絵葉書発行により、明治30年代末から40年代にかけて絵葉書の大ブームが起きた。絵葉書の年賀状も私製はがきが中心となり、特にこの時期は豪華で秀逸なものが多く見られる。
3.大正時代
大正2年の元旦は明治天皇の大喪中で、国民全てが喪に服したが、逓信省は、年始郵便として、年賀欠礼を含めた年始の挨拶状を含めて、実質的な年賀郵便特別取扱を実施した。
また、明治末から開発を進めていた自動押印機の実用化実験が始まり、大正3年から林式が、4年と5年には小代式が、7年からは平川式押印機が試用された。さらに8年末にはアメリカのユニバーサル社からD型押印機を輸入して機械化を進めた。
大正12年9月1日に関東大震災が発生したため、大正13年の年賀郵便特別取扱を停止した。従って、大正13年の被災地からの年賀状は少ない。
大正15年末は天皇御不例であったが、逓信省は12月15日から年賀郵便特別取扱を実施した。従って、12月25日に天皇が薨去され、年賀特別取扱が停止されるまでの間に引き受けられた年賀状には、大正16年1月1日付けの日付印が押された。
4.昭和時代
昭和になり押印機の機械化も一層進展し、昭和3年には大賀式が、昭和7年からは森幸製作所製の国産D型機も実用化して、昭和10年を最後に林式と平川式の押印機は姿を消した。
昭和11年から13年まで年賀切手と年賀特別取扱期間に引受けた年賀状には手押しと機械印ともに専用の年賀印が用いられた。
しかし、戦争が拡大するにつれ、自粛運動が起き、昭和15年末には年賀特別取扱は中止となった。
まだ戦後の混乱が残る昭和23年末であったが、年賀特別取扱が再開されて、羽つき図案の年賀切手も発売された。
昭和25年度用に郵政省はお年玉つき年賀はがきを発売したところ、大好評を得て、今日まで継続している。また、この年から年賀印も再開した。
経済発展と共に、年賀状の差出数も大幅に増加したが、昭和63年末は天皇御不例のための自粛ムードの中、年賀状もその例外ではなかった。その動きに対応すべく郵政省は年始はがきの発行を決定した。
5.平成時代
昭和64年1月7日昭和天皇崩御により、翌8日から平成が幕を開けた。
パソコン時代の到来に対応して、平成11年用からはインクジェットプリンタ用の年賀はがきを発行したり、2000年及び2001年には、早期差出を促進するために特製の年賀印を使用するなど、年賀郵便の利便性を高めるべく、今日も郵政公社の努力は続いている。
参考文献
1)大島正昭 年賀郵便史 郵趣研究 1995年春号(第4巻第1号)
2)<JAPEX'85>記念出版 年賀