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検 証 御 本 尊 模 刻 事 件 |
創価学会52年路線の象徴 |
―創価学会52年路線の象徴― 日達上人 「そんなものは人目にさらすな。金庫にでもしまっておけ」と 当紙『号外』並びに当号第一面にて既報のとおり、最近創価学会では、 恐れ多くも総本山第二十六世日寛上人の御本尊を、総本山の御許可なく 勝手にコピーしたうえ、無知な会員に販売をはじめた。 しかし、池田大作ら最高幹部たちは、この『ニセ本尊』販売という 不法行為の誤りを、十分自覚しているらしい。 その証拠に、何とか会員に疑問を抱かせないよう、離脱僧等を 聖教新聞・創価新報に登場させてこの『ニセ本尊』販売の理由を 無理やりこじつけ、必死になって正当化しようとしている。 ところが、ここへきて、この『ニセ本尊』に対する言い訳にかこつけて、 いわゆる創価学会の昭和五十二年路線の象徴である 『御本尊模刻事件』の経緯について、スリ替え・捏造をもって、 「すべては日達上人の責任であって、学会は悪くなかった」等と、 その謗法の歴史を改ざんしようとしているのである。 よって今回、『御本尊模刻事件』の経緯を、当時の資料や 日達上人のお側に仕えておられた方々からの証言をもとに、 再び検証・整理し、いかに学会の悪鬼共が、時の御法主日達上人猊下に 対し奉りひどい不法行為を行ったか、また今回、どのような策略をもって その歴史を改ざんし、御当代御法主日顕上人猊下への誹謗・中傷と しているかを、徹底的に糾弾することとする。 御本尊模刻事件の経緯 ― 2つの御本尊模刻事件 ― 日達上人を怒鳴りつけた 驕慢の池田大作 昭和四十七年十月の正本堂落慶後、創価学会では、 「池田会長は本仏」・「会長に直結」・「人間革命は現代の御書」・ 「会館は寺院と同等」等という、明らかに日蓮正宗の教義とは異なった、 数々の謗法が池田大作の指揮のもと横行していた。 時の御法主日達上人は、その不穏な動きをいち早く察知され、 何とか多くの会員を救済すべく、池田大作に対して、 大きく包容されながらも、何度も説得を試みられた。 しかし、魔に魅入られた池田は一向に反省・悔悟する気配すら見せなかった。 それどころか、そうした日達上人の御行動が気に入らなかったのか、 池田大作は、昭和四十八年十月十四日、総本山において、 公衆の面前で日達上人を怒鳴りつけるという、ついに御法主に対する 前代未聞の無礼行為を行ったのである。 (1)本部安置の板御本尊 そのような混沌とした中、池田大作は、昭和四十九年九月二日の、 宗門と学会の連絡会議の席上、「学会本部安置の『昭和二十六年五月十九日 大法弘通慈折広宣流布大願成就』の紙幅の御本尊の傷みがひどいので、 板御本尊にお願いしたい」旨願い出たのである。 その願いを受けられた日達上人は、その願い出を承諾された。 当然、学会から正式に板御本尊の下附申請、つまり、新たに日達上人に 本部安置の御本尊を御書写いただき、板御本尊として下附いただきたい との申請が、出されてくるものと思われたのは当然であり、 それを池田大作に対して許可されたのである。 ところが池田大作は、本部安置の『大法弘通慈折広宣流布大願成就』の 御本尊を、恐れ多くも手下の者に写真撮影させ、勝手に板御本尊へと なおしてしまったのである。 更に、昭和五十年一月一日には、池田板御本尊自ら本部安置の 板御本尊の入仏開眼式まで行ってしまった。 昭和四十九年当時、かの『北条報告書』等からも判るように、 既に宗門から独立する方針を検討していた池田大作にとって、 勝手に学会安置の本尊を板に刻むことなど、たいした問題ではなかったのであろう。 また最近、「やっぱり曼陀羅はいつなかくなっちゃう。物体だから」等と 発言し、本門戒壇の大御本尊を否定しているところをみると、 当時から、「御本尊は、会員から金をむしり取るための道具」としてしか 見ていなかったのかもしれない。 さて、池田自ら入仏開眼式を行った直後から、創価学会組織内で、 大きな動揺が広がりはじめた。「総本山の許可は受けているのか」 「板御本尊の入仏式をなぜ会長が行うのか」という、幹部や本部職員、 また一般会員達からの率直な疑問である。 また、この記事が聖教新聞に大々的に報道されたことから、 宗門においても、当然大問題になったことはいうまでもない。 学会組織を守られた日達上人 その騒ぎに憂慮された日達上人は、当時の学会と宗門との不安定な 状況、特に学会の不穏な動きに鑑みられ、そのような最悪の状況から 一般会員を何とか守り貫かれようとされた。 つまり、本来ならば総本山に正式に願い出のうえ、新たに下附を受けて、 僧侶に御開眼を願うのが正式な手続きであるにもかかわらず、 池田から「板御本尊にしました」との事後報告を受けた後に、 「そのままでも構わない」旨追認された形をとられたのである。 それでも学会内部は納まらなかった。 困った池田は、同年十月二十三日、当時の総監・早瀬日慈御尊能化を 本部にお迎えし、体裁を繕うために入仏式をあらためて行っていただいた のである。 しかしながら、なおまだ学会内部は一向にまとまらず、その後も 再三にわたって、日達上人に開眼法要のため、学会本部へのおでましを 請い願った。 ところが、日達上人は、池田からの入仏開眼式大導師の願い出を、 絶対にお受けにはならなかったのである。このことからしても、 当時の日達上人の、学会、特に池田大作に対するお気持ちは、 察するに余りあるものといえよう。 その間、学会における教義逸脱問題が公然と表面化しはじめ、 組織内には、この本尊模刻問題も影響してかなりの激震が走り、 多くの会員が脱会するようになった。 一方その反面、学会においては、学会に批判的な僧侶を、 つるし上げたうえに詫び状を書かせるなど、宗門に対するこの上ない 横暴が目立ち始めた。 昭和五十二年一月十五日、創価学会第九回教学部大会において 池田大作は、有名な悪論「仏教史観を語る」を発表し、その大慢心による 教義逸脱・謗法は頂点に達した。 当時学会がめざしているものが、宗門サイドの指摘どおり「池田本仏論」 「宗門不要論」であることが明確となったのである。 宗門では、その直後から、日達上人が公の場所で、学会の邪義を 断固破折されるなど、大々的に創価学会の誤りを糾弾し、 教義逸脱是正のための善導が試みられるようになる。 池田大作、日達上人に救いを求める そのような、全国的な、大きな学会邪義破折の渦の中、追い詰められた 池田大作は、ついに宗門よりの独立を一旦断念し、自らの身を守ろうと 狂奔した。 何とか日達上人を本部にお迎えして、「板御本尊は猊下の御認可を いただいたもの」ということを、広くアピールし、自分への集中攻撃を かわそうとしたのである。 そこで、創価学会の創立記念法要に御臨席賜るという名目で、 日達上人の本部へのおでましを、しつこく懇願したのである。 特に学会を善導されようと尽くされた日達上人は、これまで断固として 開眼を断られてきたものの、やむなく御承諾あそばされ、 昭和五十二年十一月七日、創価学創立記念法要の大導師を 勤められるとともに、板御本尊の開眼を行われたのである。 これをもって、本部安置の板御本尊については、追認とはいうものの、 日達上人の正式な御認可を賜わった形となったため、 そのまま今日現在まで、本部に安置されている。 証拠なき学会の言い訳 以上のような経過から、現在では本部安置の板御本尊については、 日達上人の御認可を受けた形となったため、一応謗法ということではない。 しかしそれは、このような、学会による一連の不遜な行動の結果、 日達上人の御慈悲によって仕方なく追認されたというものである。 それを、日達上人の御遷化後、十数年を経過した今となって、 「学会はまったく悪くはなかった」「日達上人が許可したことを忘れたので、 それを学会がかばった」等と、日達上人に責任を押しつけるならば、 これは明らかに御法主上人に対する誹謗、すなわち大謗法である。 もし、日達上人が失念されたことだというならば、なぜ、池田自らが 開眼法要を行ったにもかかわらず、早瀬日慈御尊能化に開眼法要を 奉修していただき、更にその後も日達上人にまで、執拗なまでに おでましを願ったのか。その理由を明確に示してもらいたい。 すべては、日達上人が、既に霊山にましますことを利用して、 他人に責任をなすりつける、どす黒い池田のやり方以外の 何ものでもないことを断言するものである。 (2)本部安置の御本尊以外の 七体の模刻本尊について 十一月七日、日達上人の大導師を賜り、一応本部安置の板御本尊に ついては、御認可を頂戴し、一見落ち着いたかに見えた。 しかし、その後、再び学会より新たな大問題が起ったのである。 昭和五十三年正月、年始の挨拶のため御目通りをしていた 赤沢朝陽社長より日達上人に「多数の本尊を池田の依頼で模刻した」との 報告がなされたのである。 驚かれた日達上人は、直ちに、国分寺市の大宣寺住職・菅野慈雲師に、 「赤沢本社に行って、学会が、無断で何体御本尊を模刻したのか 調査するように」との指示を出された。 直ちに菅野師が調査したところ、宗門には無断で七体の御本尊を、 池田が勝手に模刻させていたことが、赤沢社長の証言により判明した。 その模刻御本尊とは、
の七体である。 さっそく、菅野師より日達上人にその旨報告されると、 日達上人は「とんでもないことだ。まことに無礼である」と、 その誤りを厳しく糾弾された。 特に、池田個人が頂戴していた御守御本尊を写真拡大コピーして模刻し、 自分の身代わりとして、会員に拝ませているという無礼な行動には、 殊の外御立腹されたのである。 その後、宗門に於いては、一連の学会による教義逸脱問題を含め、 二月九日、時事懇談会が開催され、学会との分離、もしくは協調について、 広く意見が聴取された。 そのような状況の中、自らの地位が危ないといち早く察知した池田大作は、 二月十二・十四日の両日、慌てて日達上人に御目通りし、 「手を切るのだけはやめてほしい」旨必死にお願いしたのである。 その場において、日達上人よりは、学会の邪義、池田の考えの誤りについて、 厳しい御指南を種々いただいている。 それを受けて、二月十六日、宗務院より全僧侶に対して、 「如何にすれば宗門古来の伝統を守りつつ、創価学会と協調して前進して いくことができるか、という問題について、宗内教師全員の御意見を承わ」 りたいとして、学会問題についての意見聴取がなされた。 そういった、一連の宗門による教義是正の指導を受けて、 同年六月三十日には、学会より「教学上の基本問題について」が発表された。 それによると学会は、「池田本仏論」「寺院・僧侶軽視」「在家主義」等の 様々な教義逸脱の誤りを全面的に認め、宗門に謝罪したうえで、 すべて宗門の指導通り是正する旨を、宗の内外に公表したのである。 しかしながら、学会は、既にそのような程度の是正では収拾のつかない 状態にまで大揺れに揺れていた。 脱会者の流れは一向に留まるところをしらない。そのような大混乱の中で、 学会員からの退転者も激増していった。 北条理事長(当時) 「置く場所がないのでどうしたらよいか」 崖っぷちに立たされた池田は、自らが攻撃していた宗門に救いを 求めるため、九月二日の連絡会議の折、七体の模刻御本尊について、 日達上人に、「どのように対処したらよいか」とのお伺いをした。 当然、総本山の許可もなく、学会が勝手に作ってしまったものであったために、 日達上人は、「そんなものは人目にさらすな。金庫の中にでもしまっておけ」と 強く叱責されたのである。 ところが、翌日の聖教新聞には、その日達上人の厳しいお言葉が、 「本部として謹刻させていただいた数体の御本尊について、 日達上人より『すべて学会本部の宝物としてお納め下されば結構です』との 御指南があった」(趣旨)と掲載されたのである。 まさに、学会の欺瞞に満ちた、会員を騙すためのスリ替え・捏造の手腕を、 思い知らされるものである。 「そんな(みっともない)ものは人目にさらすな」が、 「宝物としてしまっておいてください」とスリ替わってしまうのである。 まさに、開いた口が塞がらないというのは、こういうことを言うのであろう。 数日後、一連の問題の調整役をされていた、菅野師のところへ、 当時の創価学会北条理事長より、「『宝物としてしまっておくように』との 御指南があったが、学会としても置く場所がないのでどうしたら良いか」との 問い合わせが入った。 菅野師は、「それでは総本山に納めるのがよいのではないか」と提案されると、 すぐにそれに同意し、「自分(学会)たちで総本山にお運びすると、 事情が事情だけに、それはちょっとできかねるので、 大宣寺へお運びしますから、よろしく」と、自らの意思で、 総本山に納めたいと言ってきたのである。 しかも、「事情が事情だけに」と発言しているところから、 「第三者に見られるとまずい」という認識、つまり、当時の学会理事長が、 大変なことをしてしまったということを、十分認識していたということである。 それについて、菅野師より、ただちに日達上人に御報告申し上げると、 「学会でそうしたいと言うなら、そのようにしなさい」との御許可がおりた。 そしていよいよ、九月二十七日深夜から二十八日の早朝にかけて、 創価学会の中西総務(後に一億七千万円入り金庫を破棄したことで 有名な大幹部)と、創価学会顧問弁護士・山崎正友氏(中西氏とともに、 当時の池田の側近中の側近。中西氏は池田の金銭係、山崎氏は 池田の法律係を担当していたといわれる。 現在二人ともその行方や所属は不明)の二名が、大宣寺へ、 七体の模刻本尊を運び入れたのである。 菅野師は、早速、模刻本尊を総本山へ届け、当時の大石寺主任理事 (現東京妙縁寺住職)・光久締顯師立ち会いのもと、内事部にて 日達上人にご覧いただいた。 そして、翌日には、奉安殿の奥深くに収納されたのである。 この模刻本尊は現在でも奉安殿に納められている。 これによって、池田の反省等もあり、一応御本尊模刻事件は決着したこととなった。 混乱を避けるため宗務院より院達 池田による前代未聞の模刻事件の煽りを受けて、宗門をも巻き込んで 学会が大混乱したことはさきほど述べたが、そのパニック状態を静めるために、 十月三日、宗務院より院達が発信された。 「このたび、創価学会に於いては、これまでに彫刻申し上げた板御本尊に ついては、すべて総本山に納め奉ることとなり、 去る九月二十八日、七体の板御本尊が、総本山へ奉納せられ総本山に 於いては二十九日奉安殿へお納めいたしました。 但し、学会本部安置の日昇上人板御本尊については、御法主上人猊下 御承認のもとにそのまま本部に安置せられることになりました。 依って、今後は創価学会の板御本尊のことに関しては、 一切論議を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、 充分御承知下さるよう願います。我が宗は、日蓮大聖人の正義を 広宣流布するものであることは、既に御承知の通りでありますので、 これの妨げとなるような僧侶間の摩擦を排し、僧俗一致して御奉公の 誠を尽くされるようお願い致します。 というものである。 ところが最近、学会はこの院達をたてに取って、「日達上人の責任で 問題になったのだから、それを隠すために、このような院達が出されたのだ」と いうようなことを言っているらしい。 しかしこれはとんでもない言い掛かりである。 宗門としては、まず第一に、宗教者の大前提として、衆生を導くための 慈悲の立場を貫かなければならないのは当然のことである。 一切衆生救済を旨とされる宗祖日蓮大聖人よりの唯授一人の血脈を 御継承される御法主上人のお立場として、たとえ公衆の面前で、 御自分を怒鳴りつけるような輩であったとしても、一度は反省し、 「手を切ることは勘弁してもらいたい」と懇願している者に対して、 なお徹底的に破滅に追いこむまで、その非を攻め続ける道理が、 一体どこにあろう。 しかも、池田一人の問題ならいざ知らず、その背後には、 純粋な会員たちが数十万人ひかえているのである。 また、いつまでも、いざこざを抱えていればいるほど、世間から嘲られ、 広宣流布が遅延することは、誰が考えてみたとしても明らかである。 よって、池田を擁護するというよりも、むしろ一般会員の成仏への道を 守るため、そして何よりも、日蓮正宗を守られるために、このような 院達が出されたものと推察することは容易であろう。 その、広大無辺な大慈大悲によるところのお心を踏みにじり、 日達上人に全責任を転嫁する創価学会の薄汚いやり方を見る時、 そこには憤りを通りこして、常に六道輪廻を繰り返す哀れな衆生の悲しさを 強く感じさせられるものである。 公式謝罪した池田大作 しかしながら、これまで述べてきた池田創価学会の反省には、 何かしっくりしないものを感じ取ることができる。 それは、常に宗門の衣の袖に隠れて、一般会員には気付かれないように 路線の修正を行おうとしてきたということである。 模刻御本尊の奉納にしても、会員や世間の目を盗んで真夜中に こそこそと運び入れたり、本部安置の御本尊にしても、会員にはそのまま 拝ませておいて、裏では、必死に日達上人の御開眼を懇願していることなどである。 案の定、これら学会のはっきりしない方針に対して、全国各地で、 再び不満が爆発した。 そこで池田は仕方なく、十一月七日に、代表幹部二千名とともに登山し、 創価学会創立四十八周年記念幹部会を、総本山に於いて開催した。 いわゆる「お詫び登山」である。 この席上、日達上人は、 「たしかに、この数年、宗門と学会との間に種々な不協和の点が ありまして、さわぎにもなりましたが、こういう状態が続くことは 宗開両祖の御精神に照らして憂慮すべきであることはいうまでもありません。 こうした状態をいつまでも続けていることは、世間の物笑いになり、 我が宗団を破壊することにもなり兼ねないといつも心配しておりました。 幸い、学会においてその点に気付かれて今後の改善のために、 反省すべき点は率直に反省し、改めるべき点を明確に改める決意をされた ことは、まことに喜ばしいことであります。(中略) 人々の無理解のため、或いは悪意の中傷に紛動されて、 もっともたよるべき信徒が寺院を非難中傷し、圧迫するようなことがあれば、 僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応なく反論しなくてはならない のであります。(中略) とにかく大聖人以来、七百年間守りつづけてきた伝統と教義の根本は あくまで守り伝えなくてはならないのであります。 これを踏まえなかったならば仮にこれからいくら勢力が増しても、 広宣流布は見せかけのものであったとか、との後世の批判を 免れることはできないのではないかと心配いたします。(中略) 今日私が申し上げたことを、ここに確認された学会の路線が正しく 実現されるということの上で、これまでのさわぎについてはすべて 此処に終止符をつけて、相手の悪口、中傷を云い合うことなく、理想的な 僧俗一致の実現をめざしてがんばっていただきたいのであります」 と、 学会が二度と過ちを繰り返さないことを大前提として、 これまでの一切の過ちを水に流し、僧俗一致して、 広宣流布に向かっていくことを確認された。 一方池田大作は、 「これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗内をお騒がせし、 また、その収拾にあたっても、不本意ながら充分な手を尽くせなかったは、 総講頭の立場にある身として、この席で、深くおわびいたします」 と、一切の責任を認めたうえで全面的に謝罪し、また、北条理事長は、 「問題を起こした背景に、宗門の伝統、法義解釈、化儀等に対する 配慮の欠場があったことを率直に認めなければなりません。(中略) その結果、私ども創価学会といたしまして、以下の二点を率直に 認めるものであります。 すなわち、第一に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開のなかに、 正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、 第二に、昨年のような学会の行き方は行き過ぎがあったこと、 以上の二点を私ども学会は、とくにわれわれ執行部は、 深く反省するものであります」 とし、宗門を巻き込む大混乱は、 まさに学会の責任であり、執行部として反省・懺悔する旨表明したのである。 また、辻副会長は、 「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南を うけ、奉安殿にご奉納申し上げました。今後、御本尊に関しては、 こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、 一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。」 と発言し、御本尊模刻事件を本部として正式に認めたうえで、 日達上人に対し奉り、学会より御指南を求めたうえで、 総本山に納めたということを発表したのである。 この「お詫び登山」におけるこれら大幹部の発言の中で、 もっとも注目すべきは、やはり辻副会長の発言である。 「御本尊模刻は誤り(謗法)であった。 よって猊下の御指南を賜り、総本山に納めた」と認めているのである。 ところが最近、辻氏は、聖教新聞紙上で、「この発言は、 日達上人を守るために宗門が作成した文書を読んだだけ」(趣旨)として、 自らの過去の発言を否定しているらしい。 しかし、創価学会の代表幹部会という公式行事において、 数千名の幹部や僧侶を前に、学会を代表し自ら述べた発言を、 十数年たった今になって、「読めと言われたから読んだだけ」との言い逃れは 今更通用するはずはなく、誰も信用することができないのは当然である。 それでも「宗門が手直しした原稿」であると主張するのであれば、 宗門の誰から、いつ頼まれたのか。 また、渡された原稿、あるいは宗門の誰かが手を加えたという原稿は 一体どこにあるのか。堂々と発表してほしいものである。 すべての責任を取って池田会長辞職 以上のように、創価学会の謗法問題は、その反省と 「二度と繰り返さない」ことを前提として決着を見たが、 学会内部は納まり切れず、翌年四月二日、池田大作は、 一連の創価学会謗法問題の責任を取り、創価学会会長を辞職した。 更に、二日後の二十六日には、法華講からの強い反発をかい、 法華講総講頭をも辞任したのである。 これまで、すべての問題の張本人であるにもかかわらず、常に逃げ回り、 何とか自らの保身の道だけは確保しようと必死になっていた池田大作も、 とうとう自らの意思で、会長職と総講頭職を辞任せざるを得なくなった。 そして、「今後は院政のようなものは絶対に敷かない」と表明したのである。 正宗信徒としての学会を守られた 日達上人・日顕上人 以上見てきたように、 1 本部安置の御本尊模刻事件とは、日達上人に正式に願い出ないまま、 池田大作が勝手に模刻させ、更に池田自ら開眼法要を行ったというもの 2 それ以外の七体の御本尊の模刻については、宗門に無断で勝手に作ったもの 3 その誤りを認めたうえで、宗門に正式に謝罪してきたので、 日達上人は、二度と過ちは繰り返さないことを条件に、 池田をはじめ全学会員を守られるために、 「御本尊模刻事件については、一切の論議を禁ずる」旨通達せられて、 一連の問題に決着をつけられた。 というのが、創価学会の御本尊模刻事件の全容である。 昭和五十四年七月、創価学会問題の決着をつけられた日達上人は、 安祥として御遷化せられた。その後ただちに、金口嫡々の血脈相承を 継承せられた御当代日顕上人が御登座され、日達上人の敷かれた 創価学会との協調路線を、そのまま引き継がれたのである。 ところが、御法主上人猊下の、一切衆生救済のための大慈大悲を ないがしろにし、「池田を徹底的に攻撃しろ」と主張して、一向に宗門の 方針に従わず、いつまでも学会を薄汚く罵って、攻撃し続ける輩がいた。 いわゆる自称・正信会という僧侶グループである。 この者共は、言わば土下座して謝罪している哀れな信者に対し、 「首をはねろ」という、冷酷な宗教者の風上にも置けない者共であって、 日達上人が御自身の命を削られながらも、何とか協調路線を 導き出されたそのご苦労を、一挙に破壊しようとしたのである。 常に日達上人の御心を拝され、法華講員、創価学会員のわけ隔てなく、 一切衆生を導かれ給う日顕上人におかれては、これらの僧侶に対して 再三再四にわたって、とくとくと説得に当たられた。 しかし、彼らは、一向に翻意せず、逆に御法主上人に 反逆するというこの上ない態度に出た。 そしてついには、今の学会の悪鬼共と同様、 「自分たちの意見を聞き入れない者は法主として認めるわけにはいかない」 として、日顕上人の血脈まで否定してしまったのである。 これらの悪逆非道な僧侶たちが、後に宗門より追放されたことはいうまでもない。 しかしながら、これら一連の日顕上人のお振る舞いは、邪な正信会や 顕正会の者共が「学会べったり」等と口汚く罵っているような、 単純な考えからではないことは、昭和五十六年十一月二十六日の、 日顕上人猊下の御指南を拝すれば、一目瞭然である。 「私は、創価学会の方々に対し、このうえども信心強盛に、正法への 外護と御奉公に励まれるとともに、ふたたび同じことを繰り返さないよう、 十分に心していただきたいと念ずるものであります。 なお、今回の僧侶の処分に関連して、“創価学会を攻撃、誹謗する 僧侶たちが処分されたのは、創価学会に誤りがなかった証拠であり、 指導者にも誤りなどはなかったのである”などといってはなりません。 それは、いわゆる昭和五十三年六月三十日、同年十一月七日などの 一連の発表にあらわれているように、過去において逸脱があって、 これを反省し、訂正したことは事実なのでありますから、たとえ学会に 批判的な人たちとの対話等の場で、多分に感情的な意味からであるとしても、 そのような発言があってはならないのであります」 これは、創価学会創立五十周年記念幹部登山会の砌に、 学会大幹部を前に御指南あそばされたものである。 つまり、日顕上人は、学会員に対しては、過去の誤りを認め 反省したうえで、それを乗り越えるための活発な信仰活動を奨励される一方、 学会に批判的な僧侶に対しては、僧侶として、学会員を守ることこそが、 その本分である旨常に御指南され、未来永劫にわたる僧俗一致を 計っておられたことは明白であり、その対告の異なりによる御指南の 御苦労は、計り知れないものであったことは、想像に難くない。 そこまでして御守りいただいた日顕上人に対し奉り、いかに分離・ 独立作戦を敢行するためとはいえ、最近の言動のごとく、 目を覆うばかりの誹謗・中傷を加えるとは、まさに悪鬼入其身、 頭破七分の姿そのものであり、彼らが、しまいには大聖人にさえも 弓引く者として、無間大城に転がり墜ちてゆくことは、火を見るより明らかである。 とにかく、今回の学会問題における池田をはじめ幹部による 一連の言動を見るにつけ、彼ら学会大幹部等は、これら日達上人・ 日顕上人の大慈大悲を真っ向から裏切り、これまでの十数年間、 表面上では僧俗一致を装いながらも、水面下では、着実に日蓮正宗からの 独立を企てていたことは明白となった。 今回の宗門による学会に対する一切の処置については、 昭和五十二年路線より今日に至るまでの一連の流れを通して見てはじめて、 そこには、常に一貫した御本仏宗祖日蓮大聖人の御仏智と、 本門戒壇の大御本尊の冥の照覧がましましたことを、強く感ずることができるのである。 と同時に、これまで学会を信じて疑わなかった宗門を、自らの野望を 達成させるために、いとも簡単に裏切り、多くの純粋な日蓮正宗の 信徒を地獄へ道連れにする池田大作等の定業を思う時、彼らの後生を、 心から心配するものである。 最 後 に 『ニセ本尊』言い逃れとの矛盾 以上のとおり、創価学会における御本尊模刻事件は、大増上慢 池田大作によって行われた血脈否定・仏法破壊行為の一環である。 我々法華講員一同は、ひとたび反省懺悔したその非法行為について、 自らの責任を、平然と日達上人になすりつけ、更に日顕上人への 攻撃の手段とするこれら天魔の所為を決して許してはならない。 特に、模刻よりも更にたちの悪い『ニセ本尊』製作事件については、 断固として、その大謗法行為を追求し、徹底的にその悪意を根絶させるべく、 生死をなげうって、折伏に励まなければならないと痛感するものである。 最後に、今回の『ニセ本尊』作成にあたっての学会の言い訳について、 この御本尊模刻に対する言い訳との大きな矛盾を一つ指摘しておきたい。 学会では、『ニセ本尊』下附に当たって、「御本尊の写しを作製し、 下附することに関しては、法主の許可は一切必要ない」と開き直った 態度で理由を述べている。 しかし、そうであるならば、十数年前の御本尊模刻について、 なぜ今頃になって、「日達上人の許可はもともとあった。よって学会は わるくはなかった」、あるいは「日達上人が許可したことを忘れたから、 学会がそれをかばった」等ということを言い出すのか。 もし、御本尊の写しを作製するに当たって、もともと御法主上人の 許可がなくてもいいものならば、何も御本尊模刻事件について、 謝罪した上、わざわざ総本山に納める必要もなかったのである。 一方、もし、「御法主上人の許可があったから合法だった」というのであれば、 今回の無許可の『ニセ本尊』はどうなるのか。 このように、学会の主義・主張が一貫しない理由は、ひとえに、 未来永遠に常住まします宗祖大聖人の御仏智を信ずることができずに、 唯一絶対である唯授一人の血脈を否定しようという無理な謗法行為を 企てるためにほかならない。 まさに、天をも恐れぬ不届き者とは池田大作のことを指すのでは ないだろうか。 昭和五十四年五月三日、創価学会第四十回本部幹部会が、 創価大学にて開催された。五十二年路線の最終決着の場となった この幹部会で、日達上人は、創価学会と宗門との協調路線を 強く内外に訴えられたのである。 その帰り、大宣寺にお立ち寄りになられた日達上人は、菅野慈雲師に対して、 「池田さんはプライドが高いからなあ。これからの宗門は大変だぞ」と語られた。 あたかも、今日の創価学会の狂った醜態を予知されていたかのように。 |