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�A本尊模刻

←池田大作個人に与えられた本尊で、本来は身に所持すべき御守り御本尊を、板に模刻し、東北研修所に安置して、自分の身替わりと称して拝ませようとした。その他に七体の御本尊を模刻したが、その中には、日付を自分の誕生日に変えた変造模刻本尊もある。自分を本尊と同格にしようとしたことは明らか。

↑創価学会会長室安置本尊 ↑創価学会ヨーロッパ本部安置本尊

北條浩報告書
昭和49年5月10日

学会が生きぬいてゆく為には、相手(宗門)に信心がないのなら、うまく使ってゆくか、徽底的に闘って、学会の旗を守って死んでゆくか、いづれにせよ、先生の最大のご苦心にふれる思いで、決意をかためました。長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。本質は、カソリックとプロテスタントのような違いである。

創価学会による本尊模刻事件
 創価学会は、昭和五十二年の、いわゆる五十二年路線の折り、八体の御本尊を模刻(もこく)した。創価学会の本尊模刻は、紙幅の御本尊を写真に撮り、木に彫刻したものである。いわゆる本尊の複製である。
 創価学会はそれを「日達上人に許可を得てやった」として日達上人に罪をなすりつけている。
 しかし、本尊複製は、許可を得ればできるというものではないし、許可云々といった次元の事柄ではない。
 もし、複製が、法門の上から許可されてしかるべきことなら、学会員が勝手に複製してもよいことになる。しかし、学会が破門されて十年余になるが、一般の学会員が本尊を複製したという話は聞かない。本尊とは本来そういうものであって、現在、創価学会で宗門の役割も兼ねている学会首脳(要するに池田大作)が、創価学会だけに通用するニセ本尊を作っただけである。
 破門以前においても、模刻本尊の写真にあるように、池田大作は、中野教会所属の、一介の、信徒に過ぎなかった。(後に大願寺信徒)
 だから池田は、御本尊書写(板御本尊の製作も本質的には同じ)はもとより、御本尊の御開眼、塔婆、位牌の書写、葬儀の導師など、本来僧侶の職務であることは、何一つしてはいない。
 しかし、五十二年路線は、創価学会が、日蓮正宗を支配するか、でなければ分離独立をしようと画策した第一回目である。
 写真の「北條報告書」がその間の事情をよく表している。
 自ら、戒壇の大御本尊から離れようとしながら、「相手に信心がないのなら」と言ってはばからないところに、当時の学会首脳の狂信ぷりがよく表れている。
 当時の本部職員が「本尊問題さえクリアーできれば宗門から独立できる」と言っていたとの証言もあるし、今ではそれを裏付ける証拠にはことかかない。
 本尊模刻は、そういう状況のなかで、創価学会が既成事実を作って宗門を併呑しようとした大誇法なのである。
 五十二年路線を終息させようと腐心されていた日達上人は、本尊模刻について箱口令(かんこうれい)を敷いて、池田大作を救おうとなされた。しかし、増上慢の極みに達した池田は、日達上人の御慈悲を裏切って宗門から破門され、再びニセ本尊作製の大罪を犯すことになった。

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