カーマインアームズ 作:放出系能力者
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薄暗い部屋の中、規則正しくカプセルが並ぶ。数十、数百の球体が、床と壁を埋め尽くす。
淡く光を放つカプセルたちの中に、一つだけ異質な不良品が混ざっていた。壊れている。ひび割れた球体の中を覗き込むと、そこには銀髪の少女がいた。
* * *
私は生まれた。蟻として、一つの巣の中枢となる女王アリとして生を受けた。これからたくさんの兵アリの卵を産み、新たな群れを作り上げていく。それが私に課せられた、種としての当然の在り方。疑う余地なく、本能のままに理由付け、行動付けられている。
だから、こうして自分が『蟻』であることを自覚している私は、とても蟻らしくない蟻なのだと思う。生まれた直後、私が最初に思ったことは、自分が何者なのかという問いだった。
自分の中に異質な記憶があった。生まれたばかりの自分が知りうるはずもない大量の知識があり、そして人格が形成されている。それは“人間”の記憶だった。
なぜ、私は人間の記憶を持っているのか。その疑問は一つの答えにたどり着く。
頭の中に残された情報の中でも、ひと際鮮明に焼きつく記憶があった。『HUNTER×HUNTER』という漫画だ。主人公である少年と、その仲間たちの冒険の物語。これはとても重要な記憶であるらしい。特に思い出そうとしているわけでもないのに、勝手に意識上に浮かび上がってくる。
その中に興味深い記述があった。キメラ=アントという蟻の話だ。その生態が自分たちと酷似している。偶然の一致とは思えなかった。現実にあった出来事を元に作られた物語なのかもしれない。
作中に登場したキメラアントは、私たちとは異なる発展を遂げていた。彼らは人間を食べ、人間に近い外見と能力を手に入れている。食べた人間の記憶すら受け継ぐ者も中にはいた。
私が持っている記憶も、これと同じ原理で受け継がれたものではないかと思った。私の父である王アリが、この記憶の持ち主であった人間と交配したのだろうか。摂食交配によらなくても記憶の継承はできるのだろうか。作中に登場した亜人型と呼ばれる女王アリも、どのようにして発生したかは明かされておらず、詳しいことはわからない。
ただ、私は完全な『亜人型』になったわけではないようだ。体の形と大きさは他のアリたちと大差ない。受け継がれたのは記憶だけであった。
他のアリたちは、私が人間の記憶を持っていることを知らない。いや、そういう認識すらできていない。私だけが異常なのだ。
生まれて間もない私の世話をしてくれるのは、王アリの直属護衛軍と呼ばれる兵アリの一部である。数は10匹くらい。王アリは普段、巣にはいない。巣に残した兵以外の直属護衛軍を引き連れて、次の交配相手を探すために巣の外に出て行く。たまに帰ってくるが、私のところには来ない。
兵アリは、私たちの主食である赤い石を食べやすいように細かく噛み砕いて持ってきてくれる。水も口うつしで与えてくれる。私は何もせず、座っているだけでいい。
キメラアントは電波によって意思疎通ができるという。試しにやってみたが、誰も反応してくれなかった。王アリと直属護衛軍は、電波交信ができないようだ。これもキメラアントの特徴として作中に記されており、記憶にあった通りである。
巣の外へ出て繁殖することが目的である王アリとその護衛軍は本来、巣に定住することを前提としていない。生後間もない私のために最低限の大きさの仮巣を作り、世話を焼いてくれているが、それも一時のこと。私が産卵を始めて造兵期に入れば、彼らは巣から離れていく。余計な意思疎通をする必要はないということだろう。
私は一日中、寝床の上から動かない。動物の体毛を集めて作られた柔らかいベッドだ。この銀糸を敷き詰めたような美しい寝床は私のお気に入りだ。この上にいると心が落ちつく。
『HUNTER×HUNTER』という物語の中で、登場する人間たちは“念能力”と呼ばれる特殊な力を使っていた。これは人間が持つ特有の能力らしいが、人間を食べてその特徴を受け継いだ亜人型キメラアントも念能力を使えるようになっている。
私も、もしかしたら使えるのではないか。体は蟻だが明確な人格がある。可能性はゼロではない、と思いたい。念能力が使えれば様々なことができるようになる。どうせ暇な時間は山ほどあるので、念の修行をやってみることにした。
念とは、生命力の発露であるオーラを扱う技術である。誰しもこのオーラを体内に宿しているが、それを意図的に操ることができる者はごくわずかだ。このオーラを自覚するためには、まず精孔というオーラの通り道を開く必要がある。
最も簡単に早く精孔を開く方法として、念能力者からオーラによる攻撃を受けるやり方がある。他者のオーラがぶつかることで強引に自身の精孔も開き、念に目覚めるのだ。しかし、この方法はかなり危険であるらしい。
悪意ある念能力者から攻撃を受ければ、当然殺される可能性の方が高い。生き延びて精孔が開いたとしても、精孔を通して体外に溢れ出るオーラをとどめる技術を伴わなければ、すぐにオーラが枯渇して死んでしまう。
だが私の場合、この方法は実行できないので心配する必要はない。他の念能力者なんてこの場にはいないからだ。一人でもできて、安全に念能力を習得する方法が別にある。
それは瞑想だ。ゆっくりと精神を落ちつかせ、体内のオーラの感覚がつかめるまでひたすらに自己と向き合う。
ただし、この方法だと念に目覚めるまでにかなりの時間がかかる。才能ある者でも半年はかかるらしい。気の長い話だ。それ以前に根本的な問題として、蟻である私の体に精孔なんてものがあるのかどうかという問題もある。
しかし、最初から何もかも疑っていては始まらない。念は、それがあると一心に信じることが習得への第一歩である。予想が正しければ、私の体にも人間の血が多少なりとも流れているはずだ。絶対に覚えられないとは言い切れない。
私は目を閉じ(まぶたはないので閉じられないが、閉じた気分で)、自分の心の中を探るように意識を内面へと集中させる。そうして一日の大半を瞑想に費やした。
* * *
またこの場所だ。同じ夢を見る。薄暗い部屋、無数のカプセル。
一つだけ、壊れたカプセルの中に、人間の少女がいる。
『あなたは誰?』と、私は問いかけた。
彼女は私を見上げる。そこに表情はなかった。だが、その目は負の感情に染まっていた。この世の全てを否定しているかのような憎悪。
彼女は無表情ではなかった。激情が表情を塗りつぶし、全てはその上に成立した虚無であった。
吸い込まれるように深い色をした瞳。その視線が私を射抜く。
彼女は口を開いた。私の問いに対する答えの言葉が紡がれる。
しかし、私はそれを聞きとることができなかった。不自然に発生したラジオノイズが、彼女の声をかき消してしまう。
まるで、自分自身が彼女の言葉を拒絶しているかのように。
* * *
目が覚める。夢を見ていた。瞑想を続けていると、いつの間にか眠っていて、決まって同じ内容の夢を見るようになった。
夢の中で、私は銀髪の少女に会う。そして何かを話す。その内容については、すぐに忘れてしまうため思い出せない。
あまり気分のいい夢ではなかった。これも瞑想による影響なのだろうか。念能力についても進展はなく、いまだにオーラというものを感じ取ることはできない。
さらにここ最近、体の不調が続いている。産卵期が近づいているのだ。摂食交配によって卵を作るキメラアントの女王アリにとって、食事は生殖行為を兼ねている。食べれば食べるほど、体内で兵アリの卵が作られていく。
自らの種の繁栄のために子孫を残す。生物として当たり前の行動である。私に人格が備わっておらず、ただの蟻として生を受けていたのなら、おなかの中に宿る命に愛おしさを感じ、喜んで産卵の準備に入っていたのかもしれない。
だが、今の私にとって、産卵は受け入れられることではなかった。自分の腹の中に、得体のしれない数百の命がひしめきあっているのだと考えると怖気が走る。どうしても、それが自分の子だとは思えなかった。
こんなことになるなら人間に近い感覚なんていらなかった。いや、これは人格の問題ではない。私はこれまで蟻としての感覚と、人間としての感覚に折り合いをつけて生きてきた。キメラアントの生活に苦を感じたことはない。
“産卵”という一点だけが問題なのだ。これだけはどうしても許容できない。蟻の生態としての合理性よりも、感情的嫌悪感が優先されてしまう。なぜ自分がこんな感情に陥っているのか、自分でもわからない。
次第に、物を食べなくなっていった。食事をすれば、それだけ産卵の準備が進む。そう考えると食欲がわかない。しかし、兵アリはそんな私の不調を考慮することなどなく、これまでと同じように食事を運び続けた。
寝床が赤い石で埋まっていく。普段は神経質なくらい寝床の掃除を欠かさない兵アリたちだったが、その赤い石を片づけることはなかった。まるで食べろと言わんばかりに圧力をかけられているかのようだった。
体力が落ちていく。体に力が入らない。それでも食事を取ろうとは思わない。私は自分の使命から逃げるように寝床の上でうずくまり、瞑想を続けた。
* * *
夢の中で、私はまた、あの薄暗い部屋にいた。
いつもと同じように、一つだけ壊れたカプセルを覗き込む。しかし、そこに少女の姿はなかった。どこに行ったのか、急に不安に駆られた私は、部屋の中を探しまわる。しかし、どこにも彼女はいない。
『オカアサン』
誰かの声がした。頭の中に直接語りかけて来るような電波信号。体中に震えが走った。
『ココダヨ、オカアサン』
電波は、一つのカプセルから発せられていた。周囲にある他の球体と見た目は変わらない。だが、それは意思を持ち、私に語りかけてくる。
『ボクタチ、モウスグウマレルヨ』
気持ちが悪い。気が狂いそうだった。耳を塞ぐ。喉が潰れるほど叫ぶ。無駄だ。声は電波に乗って、頭の中に侵入してくる。
『モウスグアエルヨ、マッテテネ、オカアサン』
* * *
夢の中も、現実も、狂気に侵食されていく。食事を絶とうとも、私の体は産卵期へと向かって変化していった。
腹部が肥大化している。この中に私と異なる生命が詰め込まれている。自分の体の中にありながら、自分と異なる存在たち。母親として子を愛する気持ちは微塵も起きない。
腹を引きちぎりたいとさえ思った。でも、そんなことをすれば死んでしまう。そんなに嫌ならいっそ産んでしまえばいいのではないかとも考えた。だが、その先に待っているのは女王アリとしての一生だ。
一つの巣を形成するだけの、何百、何千という数の卵を産み続けなければならない。産む前の段階ですらこれだけ追い詰められているというのに、とてもではないが精神がもつとは思えなかった。
この苦しみから逃れるためには、もう死ぬほかに道はない。実際、自傷行為に走ったこともあったが、この体は存外に頑丈で、壁に叩きつけようが噛みつこうが傷つくことはなかった。
しかし、結局のところ私は本気で死のうとは思っていないのだろう。そう思ってすんなり命を絶てるのであれば、きっとこれほど苦悩していない。死のうと思えば思うほど、生への執着は強まった。逃げ場のない苦しさだけが蓄積していく。
さすがに私の異常行動は目に余ったのか、世話係の兵アリが私を監視するようになった。精神的に追い詰められた状況であったので、彼らの行動に対して不快感を抱いていたが、彼らは彼らなりに私のことを思いやっているのかもしれない。
山となるほど食料を運び続けてきたことだって、絶食する私を心配しての行動だろう。今もこうして私が自傷行為をしないよう見守ってくれている。そう思うと申し訳ない気持ちになった。
誰が一番悪いのかと言われれば、弁明の余地なく自分自身だ。生まれてくる子どもたちに罪はない。それはわかっている。だが、どうしてもそれを自分の中で冷静に処理しきれないのだ。
その日も私は何も食べなかった。もう何日も食事をしていない。一週間は経っただろうか。それでもまだ意識ははっきりしており、力は入らないが動くこともできる。キメラアントの生命力は強い。もうしばらくは絶食しても生きていられるだろう。
だが、いつまでもこのままでいるわけにもいかない。限界はやってくる。そうなる前に、自分の中で結論を出さなければならない。女王アリとして生きて行くのか、それとも……
キチッ、キチッ
不意に、物音がした。これは私たちの仲間が発する威嚇音だ。硬質な顎を噛みあわせて金属を擦り合わせたような音を出す。女王である私の部屋の近くで、ぶしつけにこんな音を発するアリはいない。何事かとそちらに目を向けた。
そこにいたのは王アリだった。私の父親である。これまでに、まともに顔を合わせたことはなかった。彼は私に対してまるで興味を抱かず、世話の全ては直属護衛軍である兵アリに任せていたからだ。
それがなぜ今になって現れたのか。王アリは兵アリよりも一回り体格が大きい。人間の目から見れば数センチほどの体長の違いだろうが、私たち蟻の視点から見ればその差は歴然である。威圧感は兵アリの比ではない。
その父の姿を見た瞬間、壮絶な嫌悪感がこみあげてきた。目の前にいるアリを父と認めることにさえ抵抗を覚えるほどの不快感。もはや殺意に近い激情が、私の精神を支配していた。
その感情の変化に、私は大いに戸惑った。以前、王アリの姿を見たときはこんな思いを感じたことはない。確かに彼は自分の子である私をずっと放置していたわけだが、それはキメラアントの生態に基づく行動である。そこに善も悪もなく、私もそれに納得している。しかし、だとすれば今の私が抱いているこの感情は何だというのか。
キチッ……
ほぼ無自覚に、私は威嚇音を発していた。それに反応したのか、王アリが私の方へ近づいてくる。本能的な恐怖を感じた。私は寝床から立ち上がり、逃げるように後退する。
王アリは追いかけてきた。ここに至り、私の恐怖心は嫌悪感に勝る。ひたすらに怖い。何に対して恐怖しているのかもわからないまま逃げ惑う。
しかし、何も食べずに体力の落ちた私と、壮健な体格を持つ王アリの追いかけっこなど、勝負の結果は目に見えていた。そもそも狭い部屋の中に逃げ場など最初からなく、あっさりと後ろから追い付かれる。
王アリが私の背後からマウントを取るようにのしかかってきた。その瞬間、恐怖心に抑え込まれていた嫌悪感が再び浮上した。いや、そんな言葉では表せない。筆舌に尽くしがたい凄まじいおぞましさ。
『やめて! たすけて!』
通じないとわかっていても、電波交信で助けを求めずにはいられなかった。私を監視していた兵アリは、この状況を見ても微動だにしない。私は無我夢中で体をよじり、のしかかってくる王アリを振りほどこうとした。
自分でもどこにそんな体力が残されていたのかと驚くほどの力を発揮して王アリの拘束から逃れる。振りほどかれた王アリは、来たときと同じようにふらりとそのまま帰っていった。
何がしたかったのかわからない。とにかく心も体もぐちゃぐちゃに掻き回されたように動揺し、疲れ果てた。寝床の上に戻っても震えが止まらない。なぜ王アリがここに来たのかわからない今、またいつ彼がここにやって来ないとも限らない。そう思うと、ゆっくり休む気にはならず、まんじりともできずに部屋の入り口をいつまでも見つめ続けていた。
* * *
それから地獄のような日々が続いた。拒食による栄養失調、しかし体は順調に産卵の準備を整えつつあった。まるで自分が生きることよりも、卵を産みだすことを優先するように、栄養が腹部へと流れていく。
王アリは、あれから定期的に私の前に現れるようになった。身も心も疲れ果てた私の体に噛みつき、傷を負わせていく。意思疎通はできなくても、何となく言いたいことはわかった。早く産卵しろと言っているのだ。自分の役目を果たせと。その証拠に、まだ生かされている。
その暴力に抵抗する気力は残されていなかった。されるがままだ。鎧のような赤い外骨格は、王アリから幾度となく噛みつかれ、牙の跡とひび割れが残った。いかに硬い強度を誇るこの装甲も、その主原料となる赤い石を噛み砕いてきた牙を前に耐えられるはずもない。
瞑想は止めた。とてもではないが、心を落ちつけて精神を研ぎ澄ますことなんてできる状態ではない。にもかかわらず、あの夢を見るようになった。
あの空間は私の内面を表している。あのカプセルたちは私のおなかの卵を暗示しているのだろう。日に日に、話しかけてくるカプセルの数は多くなっていった。その声が、本当におなかの卵が発しているものなのかはわからない。卵を産みたくないという私の罪悪感が投影された、ただの妄想なのかもしれない。
だが、もはやその真偽などどうでもいい。ノイズが頭に響く。ここが夢なのか現実なのか、わからなくなりかけていた。ひっきりなしに『彼ら』の声が聞こえてくる。
おなかの中で風船が膨らんでいるかのような膨張感があった。もうとっくに産卵期に入っている。いつでも産める状態なのだ。その本能を封印し、意地だけで堪えている。
産みたくない。私にとってそれは最も忌むべきことだった。理由はわからないが、死に至るほどの苦痛を与えられているというのに、私は産卵できずにいる。私の中の記憶が、それを拒否している。
ある日、王アリが来て私の脚を、一本もぎ取った。その次の日、さらに一本をもぎ取った。それが昨日のことである。今日も来るかもしれない。そしたら三本目の脚もなくなるだろう。明日は四本目か。全ての脚がなくなったとしても、彼は困らない。脚がなくても卵は産める。彼にとって、私はただ卵を産みだすためだけの存在なのだ。
案の定、王アリはやってきた。私の脚に噛みついて振りまわす。おもちゃのように引きずりまわされた私は、脚が千切れると同時に壁に叩きつけられた。そのまま意識が暗転していく。
* * *
『オカアサン、ドウシテウンデクレナイノ?』
『ハヤクアイタイヨ』
『ボクタチ、ナニモワルイコトシテナイノニ』
もう、無理だ。怒涛のように押し寄せてくる声に押しつぶされそうになる。耐えられない。自分が自分でなくなってしまいそうだった。私は頭を抱えてうずくまる。
誰かが、私の肩に手を触れた。振り返ると、そこには銀髪の少女がいた。あのとき見たままの表情で、私を見つめている。
疑問だった。彼女は何者なのか。ここは私の内面を表した世界ではないのか。カプセルは卵を表している。では、彼女は何だ。なぜ、どうしてここにいる。
『あなたは誰?』と、私は問いかけた。
彼女が口を開く。それを邪魔するように、一斉にカプセルたちが騒ぎ始める。聞こえない。何も聞こえない……
うちひしがれる私の首を、彼女は掴んだ。そのまま顔を寄せて来る。近く、近く、触れ合うほど近く。その声はようやく私に届いた。
『お前は俺だ』と、彼女は言った。
その瞬間、彼女の存在は最初からいなかったかのように消失した。そして、気づく。私の体は少女と同じ姿になっていた。
人間の手、人間の胸、人間の腹、人間の脚、そして人間の頭。そうだ、私は人間だった。気づいていないだけで、最初から人間だったのだ。
ノイズが消えていく。電波が正常にチューニングされる。
『あなたは誰?』と、私は問いかけた。
『あなたは私』と、カプセルたちは一斉に答えた。
だが、まだ完全ではない。わずかなノイズが残っている。
『ワタシハチガウ』
ひと際大きな輝きを放つカプセルが、いくらかある。それらはいまだにノイズを発していた。とても不快だ。私はカプセルを殴りつけた。
思ったよりも柔らかかった。ずぶりと膜の中へと拳が食い込む。弾力があり、なかなか突き破れない。殴る、蹴る。両手でつかみ、左右に引っ張る。歯で噛みつく。
『ワタシ、ハ、チガ、アア、ア……』
ようやく破れた。ドロドロとした光り輝く液体が中から漏れ出る。そしてノイズが一つ薄れた。まだ発生源は他にもある。全て壊さなければならない。
『ワタシハチガウ』
まだある。
『ワタシハチガウ』
うるさい。
『ワタシハチガウ』
だまれ。
『ワタシハチガウ』
わたしは。
『ワタシハチガウ』
おまえだ。
そして全てのノイズが消えた。
* * *
目が覚める。日の光が眩しい。ここは巣の外か。関節がぎしぎしと悲鳴を上げた。立ち上がろうにもうまくいかない。もう私の脚は三本しか残されていない。
外骨格はボロボロだった。傷だらけの穴だらけ。だが、まだ生きている。殺されずに済んだらしい。しかし、巣の外に放り出されたこの状況から見て、完全に見放されて追放されたものと思われる。
満身創痍で動けない。だが、私の心はこれまでにないほど晴れやかだった。
おなかの膨張感は消えている。産卵しなければならないという本能も感じない。私はしがらみから解放されていた。
私は“私”を手に入れた。
―――――
『精神同調(アナタハワタシ)』
操作系能力。キメラアントが持つ電波通信能力をもとに、その電波に念を込めて放つことができる。この念波に触れた者の体を操作し、意識を自分と全く同じ『精神共有体』に作り変える。女王アリが無意識に作り出した『発』。
本来なら念能力に目覚めていない女王アリがこの特殊能力を習得することはできないはずだが、彼女の母であり、特質系体質者であった少女の『死者の念』がこの能力の発現を助けた。
【制約】
・自我が未形成である相手にしか通用しない。
・使用者と完全に同質のオーラを持つ者にしか通用しない。
・使用者が「自分である」と認めた相手にしか通用しない。
【誓約】
・なし