元寇長門襲来説

いつのことか(2010/05/12)

■ 他地域の伝説 ■

□ 立石

地域:福井県敦賀市立石

出典: 原子炉廃止措置研究開発センター公式サイトの 周辺お薦めスポット立石」より。


◆内容

立石
敦賀半島の先端に位置する漁村で,定置網・刺し網漁が盛んです。立石の名は昔蒙古軍が海上から攻め入った時,現在の立石近くの海中に大きな石が現れ,蒙古軍が射る矢の「楯(たて)」になったと伝えられていることが由来となっています。ここから約30分歩くと, 敦賀半島のシンボルと言われる立石灯台があります。
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◆コメント

「たていし」の地名起源説話。

なお、現在は「昔蒙古軍が海上から攻め入った」となっているが、ちょっと待ってNetふるさとアルバム 「80年間、灯台守が守った立石岬灯台」に引用されている文章では「奈良時代に蒙古軍が海上から攻め入ったとき」(※1)となっている。

「蒙古が攻めてきた」と聞くと、現代ではすぐ鎌倉時代のことと考えてしまうが、近代以前においては単に「外国が攻めてきた」というだけの意味で別の時代の話と考えられていることがあり、注意が必要である。この伝説も、本来「奈良時代」「蒙古軍」であったものを、サイト作成にあたり「蒙古襲来は鎌倉時代」という現代の常識にてらして、「蒙古軍」の語を生かすため「奈良時代」の語を削除したものかもしれない。

※1:
核燃料サイクル機構「ふげん発電所」サイト<ふげんあれこれ/お薦めスポット>(http://www.jnc.go.jp/zfugen/)に拠るらしい。

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