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「本尊模刻事件」とは一体どういうものですか?——私は創価学会員です。

mmm********さん

2009/8/1009:41:34

「本尊模刻事件」とは一体どういうものですか?——私は創価学会員です。

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okk********さん

2009/8/1010:12:45

>★昭和53年1月初め、日達上人よりお電話があり、
>「今、赤澤朝陽の社長が年始の挨拶にきて、学会からの依頼で多数の御本尊を板本尊に直したと聞いた。何体彫刻したのか、赤澤に行って調べて来るように」
>と言われまして、調査したのが初めであります。 浅草の赤澤佛具店本店に出向き、社長に面会して尋ねたところ、「全部で八体です」とのことでした。


これだけ読むと、まるで学会が勝手に御本尊を模刻したような印象を受けますが、事実は違います。

昭和五十年代の初め、池田会長が、学会本部常住の御本尊(和紙でできたもの)を、永久に留めようとのことで、正宗の寺にご安置されている御本尊と同じように、木の板に彫ったものにしたいと、時の法主・細井日達上人に願い出、許可を得た上で、板彫りの御本尊を作ったものの、山崎正友の宗門工作(学会と宗門の離反工作)にまんまと嵌ってしまった日達上人が、「御本尊の模刻はまかりならぬ」と翻意したため、学会側が板彫りの御本尊を宗門に御返ししたというのが、「本尊模刻事件」の顛末です。

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ich********さん

2009/8/1011:49:50

創価学会は第66世日達上人が許可されたのを失念されたとして、あたかも学会が日達上人をかばったかの様に吹聴していますが、とんでもありません。
その理由は学会が連絡会議に於いて紙幅の御本尊を板御本尊にしたいと願い出たのは昭和49年9月2日であります。
そして日達上人に伝達されたのが翌日の9月3日であり、日達上人は承諾され、正式な申請書を待っていたが結局は学会側から正式な申請書出なかった。
そしてこの問題が発覚し、学会側から本山に納めたい旨の申出でがあったのです。
しかし納められた模刻本尊のほぞと呼ばれる部分には昭和49年4月と申請する前から勝手に模刻していた事実が明らかとなったのであります。
さらに驚くべきことは池田個人に授与された第64世日昇上人の御守り御本尊を勝手に板御本尊としています。
そもそも個人に授与された御守り様を板御本尊にすることなどは絶対に有り得ないことなのです。
その正宗の化儀にも無いことが、猊下であられる日達上人様がお許しになられる筈がないのです。
学会の嘘は明白であります。

http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_3.html

sim********さん

編集あり2009/8/1010:27:03

morino_azamiさんを補足する形になりますが、
これは実際にあったことであろうと推測できます。両者のサイトでこの事実は記載されています。


09/28 学会より七体の板御本尊を大石寺に奉納→模刻本尊
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo1978.htm



経緯は、
1974年
池田氏は大石寺法主64世日昇氏より下付された本尊を聖教新聞社のカメラマンに写させ、八体の板曼荼羅形式の本尊を作りました。
それを東北総合研修所に安置し、会員に拝ませていました。

1977年1月15日
池田氏関西戸田講堂で、「仏教史観を語る」をスピーチ
日蓮正宗を批判し、供養を創価学会も受けられるとの内容です。

66世法主日達氏の日蓮正宗と創価学会が対立します。第一次宗創戦争と呼ぶ人もいます。

しかし、創価学会の分が悪く、

1977年11月14日
池田氏「僧俗一致の7箇条」を発表。
日蓮正宗の信徒団体の立場を明確にする。事実上の降伏です。

日達氏は受け入れましたが、若手僧侶(正信会、後に日顕氏により破門)が池田氏批判が収まらず。
その間は、あやふやな時代だったらしい。

その後、上記の
1978年に、池田氏の本尊模刻が問題化し、お詫び登山。

1979年会長職辞任になりました。

尚、この本尊模刻された時に、許可があったか否かなど争いがあります。
日蓮正宗系のサイトでは写真がありましたので、貼り付けておきます。

http://www.myokan-ko.net/menu/te/2.htm

この時期、池田本仏論が広まり、池田氏が「聖」の分野にも進出し、学会内の世論、日蓮正宗からの反発を受けての事件だろうと思います。

昭和42年の教学試験には、池田氏=日蓮、若しくは日蓮の跡を引きづく地位と見られても致し方ない記述がありました。
「池田本仏論」の実在は、下記のような資料で確認できます。現在の教学でも主・師・親は本仏の属性とされています。

(「講師筆記試験答案」、『大白蓮華』、昭和41年2月号)

主徳――眷属を守る力。(中略)全日本を、そして世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。

師徳――眷属を指導する力。(中略)私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。

親徳――眷属を慈愛する力。(中略)身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ親徳兼備でいらっしゃる。

創価学会・公明党 創価学会の宗教問題
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/ikeda_honhutsu.html

mor********さん

2009/8/1009:48:35

引用で失礼します。

★昭和53年1月初め、日達上人よりお電話があり、
「今、赤澤朝陽の社長が年始の挨拶にきて、学会からの依頼で多数の御本尊を板本尊に直したと聞いた。何体彫刻したのか、赤澤に行って調べて来るように」
と言われまして、調査したのが初めであります。 浅草の赤澤佛具店本店に出向き、社長に面会して尋ねたところ、「全部で八体です」とのことでした。
それは、
(1)学会本部安置昭和二十六年五月十九日大法弘通慈折広宣流布大願成就
(2)関西本部安置昭和三十年十二月十三日
(3)ヨーロッパ本部安置昭和三十九年十二月十三日
(4)創価学会文化会館安置昭和四十二年六月十五日
(5)学会本部会長室安置昭和四十二年五月一日
(6)アメリカ本部安置昭和四十三年六月二十九日
(7)賞本門事戒壇正本堂建立昭和四十九年一月二日
(8)池田大作授与の御守本尊昭和二十六年五月三日
以上八体の御本尊で、それらを板本尊に彫刻したことが判明しました。

http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_3.html

尚、赤澤朝陽とは仏壇屋です。
http://www.akazawachoyo.co.jp/
創価:公明党とも繋がりがあるようですね。

坂本貞子
■ 議員歴 市議会議員1期(現) 旧茎崎町議会議員1期(元)
■ 党役職 党つくば副支部長
■ 職歴 株式会社赤澤朝陽勤務後、平成11年4月に旧茎崎町議選初当選。

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