親も、僕に何かを話せばそれが記事になることがわかっているから、とにかく言葉を濁すばかりでした。家の中でカメラのシャッターを押すたびに、心臓を抉られるような気持ちがしました。
「あぁ……こんな写真が載っだらば、母さんはまんだ具合を悪ぐしてまうんだべな……」
父親は誰ともなしに呟いていました。僕は返す言葉もありませんでした。
また手記の後半で、優次はこうも書いている。
僕は親を助けるどころか逆に追い込んだ。少なくとも結果的にはそうなった。母親も、長男だけでなく次男からも攻撃されていると思い込み、錯乱してぐちぐちと文句を言ったらしい。
僕は、親「に」どう思われるか、なんてまったく考えていない。気にするのは親「が」どう思われるか、という点だけだ。両親を擁護するために、僕は取材に協力したつもりだった。
一番記憶に残っているのが、あの(両親の)記者会見の直前にした父親との電話だ。
「おまえはなんも心配しなくてもいいがら」
と息子を落ち着かせようとする父に対し、僕は、
「心配しないわけねーべや!」
と叫んでわけもなく泣きわめいたのを覚えている。
事件を起こした長男は、拘置所で死刑を望み、自分の犯罪を冷静に分析する著書を執筆する。一方、互いに思う気持ちがありながらも、すれ違い続けた次男は、兄より先にみずから命を絶った。私はこれ以上、父親から言葉を引き出そうとは思えなかった。
「またマスコミが来てしまうのか……」
父親は非難めいた口調ではなく、そう呟くと玄関の向こうの暗闇に消えた。この日もやはり、電気が灯ることはなかった。
優次は、「加害者家族として生きること」について、こう書いている。
被害者家族は言うまでもないが、加害者家族もまた苦しんでいます。でも、被害者家族の味わう苦しみに比べれば、加害者家族のそれは、遥かに軽く、取るに足りないものでしょう。