歴史ミステリー散策(1)吉成思汗&(2)リチャード三世
歴史ミステリーというジャンルがあって、結構、はまってた時期がある。
歴史ミステリーと言っても、いわゆる通常のミステリーの舞台を過去(江戸時代以前)に設定したものもある。
登場人物の、ほぼ全員が幽霊や呪いにおびえるという設定が無理なくできるので、これはこれで作者にはメリットがあるみたいだ。法医学が発達してないのも素人探偵が活躍するミステリーとしては有利である。
しかし、ここで言いたい歴史ミステリーというのは、”歴史上の謎”に挑むという形式の歴史ミステリーだ。
例えば、この本である。この本を初めて読んだのは本当に子供の頃だ。この本が主張しているのは成吉思汗=源義経説である。奇抜だが、実は先行研究がある。
歴史ミステリーには学者やアマチュアの研究家による先行研究が存在していることが多い。たいていは珍説、奇説として葬り去られたものだ。歴史ミステリーも結論に意外性が求められるというミステリーに共通の宿命を背負っているので作家にとってこういう先行研究は貴重な存在みたいだ。
ただ、この成吉思汗=源義経説は戦前唱えられたもので、日本軍部の陰謀である満蒙独立運動とからんだ国策的な研究という性格を持っていた。当時、モンゴルの人から「あなた方は我々の国土を奪うだけでは足りず、我々の英雄まで奪うのか。」と非難された、奇説というより邪説である。
この本は、その先行研究の成果をうまく利用している。ただ子供の頃にも感じたのだが、改めて読み返してやはり無理があると感じた。高木彬光さんの作品のなかでは”天才神津恭介”ものである。神津恭介が入院生活の退屈を紛らわすため、成吉思汗=源義経説に挑むという設定である。しかし、率直に言って、あまり面白くない。歴史ミステリーの醍醐味である史料を提示して推理を繰り広げるという部分がひどく弱い。
義経と成吉思汗の体格差の問題を解決する信頼性に問題のある史料が出てくるところ以外はこれといった盛り上がりもない。平泉から北へ向かう義経の痕跡も、現在では、義経の家来が、落ち武者狩りを恐れて義経が生きているかのように振る舞ったためだと判明している。
特に、最後の唐突に発生した心中事件を取り上げ「輪廻だ!これで成吉思汗=源義経説は証明された」というくだりにはがっくりさせられた。
最後の最後、まるで付録のように実在する(この小説が発表された当時の)若手女流ミステリー作家が登場する。
彼女が解き明かす成吉思汗の名前の秘密の方がよほど面白い。ただこれは数ページで終わってしまう。
購入を考えている人はある程度覚悟してから購入された方がいい。歴史上の謎に伝奇的なロマンを求める人には面白いかもしれない。
リチャード三世と言っても、英国史に詳しい人以外は、ほとんど知らないだろう。知っていてもせいぜいシェークスピアの戯曲を通じてではないだろうか。
この作品のなかで、シェークスピアはリチャード三世を、せむしで、醜悪な容貌、委縮した片腕と、ほぼ完ペキな悪として描いている。
ちなみにリチャード三世を倒したヘンリー六世はエリザベス女王の祖父になるのだが、リチャード三世はヨーク朝最後の王で、これ以後はチューダ王朝ということになる。
このためリチャード三世悪人説は、チューダ王朝の陰謀だという説が根強く存在する。シェークスピアもチューダ朝の人だからリチャード三世が悪王として描かれているのは当然だというわけだ。
リチャード三世の在位期間は1483年~1485年と短いが、その治世は悪くない。わずか2年在位しただけの王としては驚くべきことに、2002年にBBCが発表した「100人の偉大な英国人」のなかに86位ながらちゃんとランクインしている。
では何故、リチャード三世は悪王とされるのか、それは、彼が正統な王ではなく王位簒奪者だということにある。
彼は、兄であるエドワード四世が死んだ後、王位継承権が自分より上になる王の息子(自分の甥ですね)である二人の王子を殺害して王位を継いだというのである。
これに対しリチャード三世の擁護者たちは、リチャード三世は正統な王位継承者であり二人の甥を殺してもいないと主張する。
これが「時の娘」という本のテーマである。
この本は、歴史ミステリーの世界では古典と位置付けられている。高木彬光さんの「成吉思汗の秘密」でもこの本はよく引用されている。
この本の推理は、イギリスに根強くいるリカルディアン(リチャード三世無罪説を唱える人たち)の研究の成果が支えていると言っていいだろう。
スコットランドヤードのグラント警部が、けがで入院中に、偶然リチャード三世の肖像を見たところから始まる。
グラント警部は、これは悪人の顔ではないと断言する。
調査はこうしてはじまるのだが、まずリチャード三世を悪王として描いている文献のほとんどが孫引きで調べていくとたった一人の男の文書に辿り着くこと、そしてその男はリチャード三世の政敵であることを突き止める。
つづいて、リチャード三世がでっち上げたとされている「二人の王子が庶子であり、王位継承権は実弟であるリチャード三世より下になる。」というのは事実だという結論に辿り着く。
二人の王子が庶子であると告発したのもリチャード三世ではなく別の人物であり、リチャード三世には二人の王子を殺害する動機が無い。
しかも、リチャード三世在位中二人の王子は生きていたという驚愕の事実に辿り着く。
では、二人の王子を殺害したのは、誰か・・・?ヨーク朝の血統が絶えてないと困るのは誰か?
推理はここまで発展する。
この本が発表されたのは、1951年だが、リチャード三世に関するその後の研究は必ずしもリチャード三世無罪論に有利な方向に向かってない。新しく発見された史料も、どちらかというとリチャード三世に不利なものが多い。ただリチャード三世が王位についた経緯はどうあれ彼が名君であったことだけは間違いない。
(2012年リチャード三世の遺骨が発掘された。脊柱に強い側弯症が見られたという。ただ片腕の委縮は見られなかったそうである。)
2014-07-17 13:05 nice!(0) コメント(0) トラックバック(0)
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