自分の意思で門を叩いた…。三原じゅん子が女優から政治家を目指した転機
- ドラマの“不良”イメージが強すぎて…イジメに遭った中学時代
- 子宮頸がんでの闘病がきっかけ。飛び込みで政治家へと転身
- 国会議員はどんな仕事をしている? 24歳年下の夫との関係は?
伝説のドラマでインパクトを残すなど女優として活躍し、今では名だたる大物たちと渡り合い、政治の世界の第一線で頭角を現す参議院議員・三原じゅん子さん。
政治の世界へ足を踏み入れてから10年が経つ。
2月14日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)で、三原さんは今回、自身が経験した学生時代の“いじめ”や、子宮頸がんの大手術、そして政治家へと転身した理由を語った。
学校でのいじめ、パニック障害…壮絶な10代
1964年、東京・板橋区で2人兄弟の長女として生まれた三原さんは、8歳の時に社交性を養うため児童劇団に入団する。
「物心ついた時には家具とかに赤い紙が貼ってあったり、借金取りが家に来たり…」と明かす三原さんに、似たような幼少期を過ごした番組MCの坂上忍も共感していた。
そんな少女時代でも、母親の応援があって芸能界へと進出。
15歳の時にテレビドラマデビューを果たし、同じ年の1979年には、三原さんの人生を決定づけた、『3年B組金八先生』で不良生徒役を熱演した。
その裏で三原さんは計り知れない苦労をしていた。
金八先生の撮影中、三原さんの母親はがんを患い入院。父親と兄の食事を作り、母親の着替えの洗濯などの家事を行いながら、撮影もあったため、中学校にいる時間もわずかだった。
だが、学校ではドラマの不良少女のイメージが強く、撮影で休みがちだった三原さんを快く思わなかったクラスメートに階段から蹴り落されるなど、過酷なイジメに遭った。
さらに、撮影のために早退しようとすると、校舎の窓からクラスメートらによる「帰れコール」が浴びせられたという。
そこで三原さんは、衣装をすべてドラマのスタッフに借り、ロングスカートの制服と髪の毛を真っ赤に染めた“不良姿”で登校。これはイジメを行うクラスメートや見て見ぬふりをする教師を自分から拒絶するというメッセージだったという。この時からイジメはなくなった。
その後、アイドルとしてデビューを果たした三原さんだが、忙しい日々を送っていたある日、呼吸困難に陥る原因不明のパニック障害を発症し、毎晩救急車で搬送されたという。
当時のことを三原さんは「顔以外の全身にじんましんができて、パニックになって泣き出したり、食べてはもどす、食べてはもどす。『いつ買ったんだろう…』と思うくらい、袋がいっぱいあって、カップ麺とかお菓子が部屋中に散らばっているんです。食べているんですね、でもその記憶があんまりないんです」と明かした。
パニック障害と摂食障害を併発した三原さん。まだ10代だった三原さんは、一人で家にいることができなくなり、同世代のマネージャーのアパートの一室に居候することに。真冬に1枚の毛布を取り合うような生活だったが、初めてできた心を許せる友達の存在で、病状は次第に落ち着いていったという。
この時のマネージャーは、これ以降も40年近く、公私にわたり、三原さんを見守り続け、今も秘書兼マネージャーを務めている。
その後、21歳の時に突然、プロのカーレーサーとしてデビュー。
その理由を三原さんは「峠を走っていたんです、一人で。それだけじゃ満足いかず、サーキットへ行き、いろいろなレースを見て、あるチームの監督から『やってみる?』と声を掛けられたんです」と話した。
芸能活動と並行してレースへ出場していた三原さんだが、たびたび事故を起こしていた。三原さんは「運転するのが怖くなっちゃったんです。スタート前に、走るのが怖くて、ヘルメット被っているから泣いている姿なんて誰も見ていないし、逆にそういう精神状態でレースをしていると余計クラッシュしちゃう」と話した。
そして、1990年11月、三原さんは大きな事故を起こした。実はこの事故の約2週間前に先輩レーサーとの婚約を発表し、その席上で妊娠していることも明かしていた。
しかし、事故の後、病院前で会見した三原さんは、事故前に流産していたことを公にした。
8年余りの結婚生活を経て離婚し、レースも引退。同じ年の1999年に、タレントと再婚して妊娠したが、この時も流産をしてしまい、43歳で再び離婚した。
子宮頸がんでの闘病が人生を変えることに
そんなとき、子宮頸がんが見つかるというさらなる悲劇が三原さんを襲った。
医師からはできるだけ全摘出した方がいいと言われ、「広汎子宮全摘出術」という、子宮だけでなく卵巣やその周りのリンパ節まで切除するという手術を勧められる。これは、転移の可能性は低くなるが、妊娠ののぞみは絶たれ、重い後遺症が残る手術法だった。
出産の夢が絶たれる絶望感と、女優としての仕事ができなくなる不安が残る中、手術に臨んだ三原さん。7時間に及ぶ手術で子宮は全摘出したが、リンパ節と卵巣はそのまま残すことに。転移を覚悟しながら、早く仕事に復帰できるよう、最小限の手術を選択した。
なぜならこの時、「1か月後に誰よりも尊敬する武田鉄矢さんの舞台が決まっていた」ため、手術当日から歩行訓練を始め、必死のリハビリを行った。その結果、術後1か月で舞台に出演、半年後には昼の連続ドラマに出演した。
この闘病経験が、三原さんが政治家を目指す転機になったのだ。
三原さんは「流産どころか宿すことすらできなくなったけれど、周りを見渡したら私より大変な方がたくさんいらっしゃったんです。がんで苦しんでいる方が。『これだけ苦しんでいる方たちのために国は何をしているんだろう?』って。何もしてくれないから、だったら私がやる」と決意したという。
坂上が「自民党からお願いされたり、“客寄せパンダ役”とかではなくて?」と問うと、三原さんは「全く正反対で、とにかく門を叩いて行ったんです。そうしたら『あなた女優さんでしょ、イメージも良くないしダメ』と全然相手にされなかった」と振り返った。
三原さんをよく知る野田聖子議員は当時の様子を「一言で言うと飛び込みです。それ以前にお付き合いもなかったし、三原さん自身が“がんサバイバー”で、さまざまな苦労を抱えている中で、そういう人たちの助けをしたい、政治に生かしたいと言っているので、会ってくださいという話でした。まず私が申し上げたのは、『選挙に出るならその茶髪を黒に』と言いました。別に見た目がどうのっていうことではなかったんですが、どうしても男性が多い中で、目立つだけでマイナスにされちゃう。わざわざ損をすることもないなと思い、そんなことを言いましたが、なかなか頑固で茶髪のままでした」と明かした。
野田議員らの後押しもあり、選挙2か月前に自民党から公認を受けた三原さんだったが、本人だけでなく、選挙スタッフもタレント時代のマネージャーやメイク、付き人など政治未経験の素人だらけだった。
自腹で選挙事務所を開設すると、自称「選挙のプロ」という怪しい人々が次々と訪れたという。“怪しい人”から金銭を要求されることもあったが、提示されるお金をひねり出す余裕もなく断った。事務所の家賃や人件費もすべて自腹で、徹底的に切り詰めるしかなかった。
出馬した当初は、「タレント候補だ」や「売名行為」などとバッシングを受けただけでなく、当時の自民党は野党だったため、地道な選挙活動を行うも、三原さんの訴えを立ち止まって聞く人は少なく、名刺すら受け取ってもらえず、厳しい声にさらされることもあった。
それでも奮闘した三原さんは、自民党の比例候補35人中5番目の得票数で当選。参議院議員として2期・10年目を迎え、今や党でも大きな存在感を示している。
どんな仕事をしている?三原じゅん子議員の1日に密着
今回、国会議員はどんな仕事をしているのか、特別に三原さんの1日にも密着した。
国会会期中のこの日、午前9時半に国会にある自民党の会議室に集合。続々と党の重鎮が集まり、党内の連絡事項が伝えられた。
午前10時、東京オリンピック関連の委員会に出席したあと、自民党本部へ移動。小泉進次郎厚生労働部会長のもと行われた会議に出席。この後、2つの会議に立て続けに出席するなど、国会会期中は国会議事堂と党本部、議員会館を分刻みで行ったり来たりする日々を送っている。
午後3時、議員会館の自分の部屋で取材を受け、午後3時半には自民党女性局の打ち合わせを行い、午後4時には医療関係者から陳情を受ける。こうやって、さまざまな団体の話を聞くことも議員の大事な仕事だという。
午後5時半には党本部で委員会に出席するため再び移動した。
この委員会は、児童虐待について取り上げ、特に三原さんが大事にしているものだという。「自分が作りたい法律を作るのが何よりも重要だと思います。私がやりたいことは、例えば被害者が出る問題など、そういうのが多いんです。一人でも被害者を出したくないから、早く法案を作りたいと思います」と話した。
午後7時には、同僚女性議員のパーティーに出席し、その後パーティーを抜け出して銀座へ。ここではいろいろな業種の人との会合を行っているという。
こうして夜は更けていき、帰宅は午前0時近くになることもあるようだ。
週末にも密着すると、新幹線で仙台へと向かった三原さんは、地方の女性党員たちの会議に出席。自民党の女性議員の代表として全国を回り、女性党員から意見を聞く役目があるという。
そんな三原さんを支えている夫は、24歳年下の30歳、中根雄也さん。
中根さんは夫としてだけでなく、秘書としても三原さんを支えている。
たまの休日には、三原さんが手料理をふるまっているというが、「うちの旦那さんがとにかく外食が嫌いなんです。家での食事が基本なので外食はしない。そして、私が作ったものしか食べたがらない。必ずご飯は家で一緒に食べる。食べる時間を大切にする」と話し、中根さんもうなずいていた。
「ケンカにはならない」という三原さん。坂上が二人の関係について聞くと、中根さんは「仕事ではやはり秘書なので、しっかり議員を支えていく立場ですけど、家だとどちらかというと逆ですね」と明かした。また、三原さんも「これだけ年が離れると、なんだろう…私はすごく母性が強いんです、きっと」と幸せそうな笑顔を見せた。
「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54