Shall we rock you?
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成田発ニューヨーク行きボーイング737-400の機内に、赤ん坊の泣き声が響き渡った。その泣き声に、母親の額から滝のような汗が流れ落ちる。何とか慰めようと、必死であやす母親の頭を、銃弾が貫いた。ぐるりと母親は白目を剥くと、そのまま動かなくなった。

「Shut up!」と叫んでAK-47を向ける色白の男の勢いに怯んだのか、赤ん坊も温度を失った母親の腕の中で泣きやんで、そのまま茫然自失といった表情で空中を見つめた。その様子に満足したのか、男は銃を下げ、迷彩服の胸ポケットから葉巻を一本取りだして吸い始めた。

航空機はハイジャックされていた。犯行グループはロシアの反社会派組織と思われる武装集団3名であり、目的は祖国への自爆テロの成功に他ならない。操縦席に2人、この胴体部には先ほどの1人が常駐しており、機内は緊迫した状況に包まれていた。

美味そうに葉巻を吸い散らかしている男の放った煙が、先ほどの赤ん坊の鼻先に触れる。余程不快な匂いであったのか、数秒顔をしかめた後、再び赤ん坊は抗議するかのように泣き出した。

男は葉巻を不愉快そうに吐き捨てると、今度は警告もなしに幼き抵抗者の額へと銃口を押しあてた。抵抗者はそれでも泣き続ける。その態度に腹を立て、指の腹が引き金に触れようとしたその時だった。男は、赤ん坊の泣き声がどうにもおかしい事に気付いた。

最初は泣きすぎで呼吸がおかしくなっているのではないかと考えていたが、どうやらそういう様子でもない。赤ん坊は短いスパンで三回ほど、繰り返し繰り返し、泣き声を発しているのだ。音にすれば、「エン・エン・エーン」と言った拍子だ。男はそのリズムに、聞き覚えがあった。

男がそのリズムはなんだったかを思い出そうと発砲を逡巡した僅か数秒、赤ん坊の泣き声に合わせて、誰かが手を叩き始めた。

足を鳴らし始めた。

声を発し始めた。

窓を叩き始めた。

機内は一瞬で三拍子のリズムに包まれた、一体何が起きたのかと困惑する男をよそに、スピーカーからフレディ・マーキュリーの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」が流れ始める。男はそれを、仲間からの操縦席で何かが起こったの合図ではないかと思ったが、その思考は化粧室や空き座席の下から、そして操縦席のドアを開いて現れた、複数人のフレディ・マーキュリーその人によって遮られた。

彼らはそのまま、流れる音楽に合わせて「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を熱唱し始めた。機内は熱狂に包まれる。殺されたはずの母親も、赤ん坊を抱きかかえ、座席から立ち上がらんばかりの興奮を隠せないでいる。

パニックのまま「Freeze!」と叫び、銃口を向け続ける彼の声はもう聞こえない。「邪魔だ」と観客は男を押し倒すと、フレディらの下へと殺到した。空の上の輝くライブハウスで、誰一人、足元に注意を向ける者などいない。

「Help」と力なく声を上げ、背中を踏み砕かれ、顔中に靴先が突き刺さる迷彩服の事など、誰も、気づかない。

201█/██/██、成田発ニューヨーク行きボーイング737-400の機内において、SCP-905-JPの発生が確認されました。この事例において負傷者は女性一名であり、軽傷です。なお、当該負傷者は以下のようなメモを所持していましたが、いつ誰がそのメモを執筆したかは不明です。この事例以降、ロシア系の身体的特徴を持ったSCP-905-JP-1の出現を確認しています。

「死ぬまで僕らは一緒さ、絶対に。やめたいと思ってもそうさせてもらえないのさ!」

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