「あら、嫌だわ。私ったら……」
そう言って貴婦人は縦長の机の上に並べられた、複数のウェッジウッド1を一瞥して呟いた。
数年前に家政婦の仕事を辞め、一人でこの屋敷に住むようになってからも未だに職業病が抜けていないらしい。彼女はその悪癖に苦笑を浮かべながら、屋敷の前の主人が置いていったアンティークの食器棚に、それらを片づけた。
189█年██月█日 医療部門アシスタントE█████ █████は複数のSCiPの不正使用を理由に解雇されました。記憶処理を施した後、現在彼女は財団の監視の下、アメリカ█████州に居住しています。
それから長い廊下を抜けて、キッチンへと歩いて戻る。この廊下も、独り身の今では手入れが行き届いておらず、ところどころ薄汚れてしまっている。一度、業者を呼んで一通りの掃除をしようかしらと思いながら、婦人は靴音を鳴らした。
シーザーサラダの入ったボウルに、取り分け用のトング、そして焼きたてのトースターとベーコンエッグをフライパンごと、濡れた布の敷かれたワゴンの上に載せてリビングへと運ぶ。そうして、彼女の朝食はもう昼食と呼んでも差し支えのない時間に始まった。
19██年█月█日 11:02:33
サイト-██において重大な収容違反が発生しました。結果としてセクター7において生活を行っていた人型オブジェクト1体の無断使用に伴う破壊、及び収容違反したSCiPの鎮圧に携わった機動部隊 6 5名が死亡しました。
朝食を食べ終えると、その後は趣味の時間に当てられる。中庭に出た彼女は、鮮やかに咲き誇るマリーゴールドにホースで水を撒いた。この花壇も、屋敷の主人や子ども達が存命であった頃は、その子ども達に悪戯をされていたものだ。新しい花を植えた傍から土を踏み荒らされたり、せっかく咲いた花を全て切り取ってしまったり。後者については後から聞いてみれば、長男と二男が、長女に花飾りをプレゼントするためであった、という何とも微笑ましい理由があった。それでも、彼らにはとても悩まされたものだ、と懐かしむ婦人の頬は、少しだけ緩んでいた。
19██年█月█日 14:02:33
サイト-██においてSCP-███の無力化が確認されました。SCP-███に装着されていた人工心臓の停止に伴う、脳機能の停止が原因であると見られています。
それから、彼女は編み物に勤しむ。既に部屋には、自らが作ったチンパンジーやモルモットのぬいぐるみ、そしてセーター等が飾られている。それを誰かに渡すわけでもなく、ただ単に彼女は趣味で作り続けている。もちろん、先ほど思い返したように、屋敷に人がいた時は、それらの作品を彼らにプレゼントしたりもしていた。長男はあまり興味を示していないようだったが、とりわけ二男と長女は非常に喜んでいた。
19██年█月█日 18:45:39
同日に発生したインシデントに関する失言、及び物理的な物品の破壊行為に伴い、緊急で理事会が招集されました。その結果、O5-█の正式な解任が決定し、O5-█は記憶処理の後に、財団の監視の下、通常の研究員として再雇用されます。
黙々と作業を続けていれば、いつの間にか窓の外は朱色に染まっていた。一段落ついたら、明るいうちに買い物に出かけようと思っていた婦人は急いでクローゼットからコートを引っ張り出すと、足早に屋敷の入り口へと駆けていった。そういえばこういう時はいつも、男手が必要でしょ、と二男が着いてきてくれていた。ごく稀に、息抜きにと主人様が重い足を引き摺ってくる事もあった。そうすると、置いていかないでと長女が、そして屋敷に一人で留守番をするのが嫌なのか、長男もまた。
靴箱の前で追想をしていた彼女は、我に返ると再び頬を緩めた。今日の夕食は、彼らの好物だったシチューにしようと、そう決めて夕染めの街へと繰り出した。
19██年█月█日 21:55:42
同日に発生したインシデントを扇動したとして、████ ██████博士を拘束しました。扇動理由に関しては現在も黙秘を続けており、インシデントの処分による自己終了を望んでいます。しかし、その要請は却下されました。今後、本件に際して████ ██████博士の所持する異常物品を重視し、SCPオブジェクトとしての収容が正式に行われます。
空になった皿を洗いながら、彼女はラジオに耳を傾けていた。夜はこうして、何かにつけてラジオを聞いて過ごす事が多くなった。四角い箱の中で、ノンストップでDJは陽気なナンバーを刻んでいる。そういえば、主人様は「Adam and the Ants」というイギリスのパンクバンドが好きだと話していた。理由を聞いてみれば、バンド名が気にいったのだと。音楽ではなく、まずはそう言った所から気にいる所は少し変わっていると言わざるを得ない。その時ちょうど、ラジオから聞こえてきたのは誰がリクエストしたのか、「Goody Two Shoes」のイントロダクション。洒落た演出だと、婦人はまた笑った。
彼女は終わりのない寝物語のように、人々を語り続けるラジオの電源を切った。途端に静まり返った自室で、布団に潜りこむ。眼を閉じても考えてしまうのは明日の事。朝食はどうしようか、そうだ、業者に電話をかけて掃除を頼まないといけないと、浮かんでは消えていく数々の思想を断ち切って。
Evelyn Bright婦人は眠りに就いた。
明日もきっと彼女は、机の上に並べてしまった5人分のブランド皿を見て、困ったように笑うのだろう。
悪戯好きな長男も、
誰にでも優しかった二男も、
怖がりで大人しい長女も、
そして、子ども想いの素敵な屋敷の主人も、
もう、どこにもいないとわかっているから。