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ティモシー・D・バーンズ博士は███████で生まれ育ちました。生まれた当時から、彼は積み木に対し異常なまでの興味を示し、その頃から、造形、及び内部構造の理解において優れた能力を有していたと思われます。

 
サイト-19の廊下を歩きながら、これから自分の上司になる男性の経歴書を読み終えたアンジェリカは一つため息をついた。財団から有能の太鼓判を押されてはいるものの、過去に何度も死体安置場に忍び込み、幾多の死体を盗んでは、通っていた学校の教室や廊下に飾っていた、など、真偽の区別がつかない噂を数多く有する博士の下に就く事を考えると、自分の正気を保っていられなかったからだ。
今日はその博士と初の面会日。不快感を飲み下して、アンジェリカは大股でサイトの廊下を進んでいく。四番目の通路を右に曲がり、そこから三番目の通路を右へ。更にまっすぐ歩いた突き当りの部屋。そこがティモシー・D・バーンズ博士の研究室であり、その向かいには彼お気に入りの死体安置場が厳かに佇んでいる。
アンジェリカは研究室のドアをノックしようとした所で、中から二人分の話声が聞こえてくる事に気が付いた。一人はバーンズ博士で間違いないとして、もう一人は一体誰だろうか。彼女は癖っけのある赤毛を手ぐしで整え、居住まいを正してからドアを控えめに三回叩いた。
「お邪魔します」
アンジェリカがドアを開くと、目に入ってきたのは真っ白なオセロの盤面であった。それに気を取られていると、オセロ盤の右側から楽しげで、しかし癪に障る声がかかった。
「おいバーンズ。客のようだが?」
ハッとしてアンジェリカは声のした方を見やり、そして眉をひそめた。そこにいたのは可愛らしい黒いモルモットであったからだ。そのモルモットの声に呼応するように、静かで落ち着いた声が反対側から響く。
「待っておりました。アンジェリカ・F・エヴァさんですね。すいません、こんな所を見られてしまうとは」
彼女が体を震わせている黒いモルモットから目を離すと、独特の、存在感の薄い雰囲気を持った男性と目があった。彼はばつの悪そうな顔をして髪の毛を掻いている。
「ブライト、今日はこの辺で。仕事の時間のようです」
「ああわかっているさ。せいぜい大事にするんだな。せっかくの部下なんだから」
「貴方に言われなくてもわかってますよ」
ブライト、と呼ばれたモルモットは器用にオセロ盤の乗る机から飛び降りると、アンジェリカが開いた扉の隙間から出て行ってしまった。そこでようやく、彼女はモルモットがジャック・ブライト博士である事に気が付いた。そして、何故目の前の彼がオセロをやっていたのかという事にも合点がいった。
「ご休憩中でしたか。申し訳ありません」
「いえいえ、構いません。元々この時間は貴方にサイトを案内する予定でしたから。そこにブライトが突然やってきて、どうしてもというので」
相変わらずの苦笑いを浮かべてオセロ盤を片づけながら、バーンズ博士はアンジェリカにソファに座るように勧めた。「失礼します」と彼女が言いながら、動物の革製の黒い塊に座った事を確認すると、バーンズ博士もその対面にあるソファに座った。
「さて、まずはサイト-19の医療棟にようこそ。アンジェリカ・F・エヴァさん。私が今日から貴方の直属の上司にあたる、ティモシー・D・バーンズです。よろしく」
そう言ってにこやかに笑う顔を見て、アンジェリカは拍子抜けという感想を覚えた。あのような経歴が存在する以上、もっと破天荒で、それこそ先ほどのジャック・ブライト博士のように人格に問題のある人間だと思っていたからだ。
「よろしくお願いします。バーンズ博士。本日よりこちらに着任いたしました、アンジェリカ・F・エヴァです」
困惑しながらも定型文通りのアンジェリカの返答に、バーンズ博士は満足そうに頷き立ちあがった。
「はい。それで構いません。あまりお互いの事は知らない方がいいでしょう。その方がもし終了作業があった際は気が楽ですから」
そう言うと彼はアンジェリカにサイト-19の説明を行う事を告げ、研究室を後にした。


アンジェリカ・F・エヴァにとってこの職場はあまり居心地のよいものではなかった。彼女は確かに、医療的知識も持ち合わせているが、本職は研究員であるからだ。
バーンズ博士に渡すように指示されたSCP-███の被験者に関するカルテを小脇に抱えながら、不満そうにアンジェリカは鼻の頭のそばかすを掻いた。サイト-19に着任してから、彼女がそれまで他サイトで行っていた研究について触れられた事は一切ない。毎日、オブジェクトに曝露した被験者への投薬実験や、場合によっては死亡した被験者の検死等を行ってばかりだ。尚且つ、その大半をバーンズ博士が一人で済ましてしまう事も多いため、彼女が行うことはと言えば、専らが書類整理か手術助手のような事ばかり。その合間を縫って時間を作り、独自に研究を行おうと財団に申請書を出すも、上はその申請書を受理しないため、彼女のフラストレーションは溜まっていくばかりだった。
「失礼します。バーンズ博士、SCP-███の被験者のカルテをお持ちしました」
大きい深呼吸で胸の不快感を押しつけ、ノックを三回してアンジェリカは研究室の扉を開いた。しかしそこにバーンズ博士の姿はなく、机の上に「死体安置場」とだけ書かれたメモが貼られていた。
死体安置場。バーンズ博士の研究室の対面にある、オブジェクトやそれに関連する実験に置いて死亡した人間を資料として永久的に保管する場所。通称、「リビングデッド」。アンジェリカ自身、このメモは過去に何度も目にした。休憩時間中、バーンズ博士にお茶を汲んできた際や、今回のように資料を渡して欲しいと指令が下った場合などだ。ただ、その際は緊急ではないため本人不在の際は研究室に置いておくだけで構わない、との事であったが、今回のカルテに関しては緊急性が高いために、直接本人に手渡してくれと念を押されていた。
アンジェリカは眉をひそめ、研究室のドアを閉めると真後ろに存在する重厚な扉に目をやった。彼女が実際に安置場の中に入るのは初めてである。目を瞑って気持ちを落ち着け、アンジェリカは三回ノックをしてから、リビングデッドの扉を押しあけた。
「っ」
安置場に立ち入った瞬間、彼女は反射的に両腕を抱いた。死体の保管を行うにあたり、冷凍保存の手法をとる事は彼女も知っていた。しかしそれを知って身構えていてもなお、アンジェリカは寒いという感想を抱かざるをえなかった。
加えて安置場の中は非常に暗い。黒という寒色の視覚的な効果や、死体に囲まれているという雰囲気も相まってか彼女は震えが止まらない。
しかしこの場所に立ち入る事も仕事と割り切るべきである。尚且つ今手に持っているカルテは緊急の案件だという事を何度も何度も頭の中で復唱し、アンジェリカは一歩、また一歩と安置場を進んでいった。
時間にして20秒ほどだろうか、アンジェリカが一本道をただ進んでいくと、それまでとは違う広い空間に出た。空間の真ん中、きらりと光るヘッドライトと白衣が見えると、彼女は急いでそれに駆け寄った。
「バーンズ博士!」
「……アンジェリカ君?どうしてここに?」
彼女の呼びかけにバーンズ博士は驚いたようにそちらを見た。ヘッドライトが彼女の髪に反射して、いっそう赤を輝かせた。
「これ、緊急の、カルテです」
息を切らして震える手でアンジェリカが差し出したカルテを受け取ると、バーンズ博士は急いで自らの白衣を脱いで彼女に掛けた。
「気休めにしかならないと思いますが……わざわざありがとうございます。慣れない方にはこの場所は非常に厳しいと思いますし、すぐに外に出ましょう。歩けますか?」
ヘッドライトを外し、バーンズ博士はアンジェリカを後ろから抱くようにして入口へと歩き出した。その時、彼女はその外されたヘッドライトの光の中に、継ぎ接ぎだらけのマネキンを見た。
「あの、バーンズ博士、一体何を……」
「出てから説明します。ここで立ち話というのはよくない」
力強く後ろから押され、アンジェリカは後ろ髪を引かれるような思いをしながらも、彼に従うしかなかった。


「まずはカルテをありがとうございます。そして緊急の用件にも関わらず、研究室にいなくて申し訳ありません」
最初にアンジェリカと出会った時のようなばつの悪そうな顔を浮かべ、バーンズ博士は彼女の目の前に湯気の踊るコーヒーを差し出した。アンジェリカは黙ってそれを受け取り、口を付けた。喉を下って暖かさが体中に染みわたる。
「さて、私が死体安置場で行っている事について、でしたね」
いつの間に用意したのか、もう一つコーヒーの入ったマグカップを手に、バーンズ博士はアンジェリカの対面に座った。
「……まず質問なのですが、あの空間の中で貴方は何を見ましたか?それを聞いてから、貴方が見たものに対応して説明をしたいと思いますので」
バーンズ博士からの質問に、アンジェリカはそれまで噤んでいた口を開いた。
「……マネキン、でしょうか。継ぎ接ぎだらけのマネキンを見ました。それ以外は……」
「なるほど」
彼女の言葉に頷いたバーンズ博士は、思い悩むように、湯気を生み出し続けるマグカップの中身を見つめ、そして語り出した。
「……貴方はオブジェクトによって死亡した被験者の姿を直接目にした事はありますか?」
「ええ、何度か……」
彼女は自身の研究に関連するオブジェクトの実験を観察した経験があった。その様子たるや、まさに悲惨であり、実際に、直前に食べていた物を戻してしまった事も一度や二度ではない。
「私は、死体を愛しているんです。変な意味ではなく、純粋に。死に際、もしくは死んだ後は、美しくあるべきだと考えています」
バーンズ博士の言葉に、アンジェリカは何の反応を返す事もできなかった。価値観の相違、とはよく聞く言葉であるが、彼女はそれを感じていた。
「貴方も知っての通り、この財団で亡くなった人の死体は……美しくない。見るも無残な姿である事が多い。ですので、私は……それを、直している、と言えばよいでしょうか」
「直す、ですか」
「はい。先ほどの……貴方がマネキンとおっしゃっていた彼女。彼女はとあるオブジェクトによってバラバラにされ、尚且つ皮膚が燃やされてしまいました。そのような状態でも、彼女は実験資料として扱われました。……女性として、いえ、人間として、それはおかしいと思いませんか?」
バーンズ博士の言葉の意味を、アンジェリカは理解するのに数秒かかった。つまり彼は、死して醜い姿を晒してもなお、非人道的な扱いをされる亡骸を憐れんでいるのだ。
「しかし彼女はそのオブジェクトの研究に対して、非常に……言い方は悪いですが、役に立ってくれました。であるなら、役目を果たした彼女には何らかの、報償がなくてはいけません。しかし、死んだ人間に対し、この組織が与えられる物といえば、せいぜい殉職による特進か、彼女の親族に対しての金銭的な賠償のみ。Dクラスであった彼女にとって、何一つ役に立つものは与えられないのです」
熱弁をふるうバーンズ博士の姿に、アンジェリカは自分はこの人に対して勘違いをしていたと思い返した。この人は死体を愛しているのではなく、「死んだ人間」という概念を愛しているのだ。
「エンバーミング、ですか」
「エンバーミング……そうですね。そのようなものです。彼女はこれからも、この組織で保管され続けるでしょう。ならば、せめて、その間は美しくあって欲しい、それが彼女に対する報償になって欲しいと、私は思うのです」
一つ大きく息を吐きだして、バーンズ博士はコーヒーを啜った。湯気の出る事のなくなったコーヒーは生ぬるくなってしまっているはずだが、彼は満足げであった。
「……理解できました。バーンズ博士があの場所で、時間が空くたびに何かをしていた事も」
「ありがとうございます。……さて、仕事の話に戻りますが、構いませんか?」
そう言ってバーンズ博士は先ほどアンジェリカが手渡したカルテを彼女の目の前に置き、とある個所を指差した。その箇所を覗き込むようにしてアンジェリカは身を乗り出した。
「SCP-███-1の回収任務……?」
「はい。このカルテにおいて記述されているオブジェクトの亜種ですね。こちらの回収に、私の知識が必要との事なのですが……生憎、この日は別の回収任務が先に入ってしまっています」
アンジェリカが顔を上げると、そこには彼女の顔をじっと見つめるバーンズ博士の姿があった。それだけで、彼が次に何を言うのかをアンジェリカは理解した。
「貴方はこのサイト-19において私の部下として働いていました。ですので、知識に関しては十分なほどに取得していると私は思っています。……危険が伴う任務となりますが、私の代わりに回収任務に向かってはいただけないでしょうか。上には私の方から話を通しておきますので」
これはアンジェリカにとって、願ってもない好機であった。このようなフィールドワークにて結果を残す事ができれば、次第に彼女の評価も上がり、実験に対する申請許可が下りる可能性が高まるからだ。
「……実を言いますと、貴方が自分の空き時間に、何度も上にかつて行っていた実験に関する申請を行っていた事も知っています。それで、どうでしょうか」
バーンズ博士もそれを見越した上での提案のようだ。アンジェリカはその提案に二つ返事で頷いて、冷めきったコーヒーを啜った。不味いと感じたが、それでも彼女の心は躍っていた。
 

SCP-███-1の回収任務に関するレポート
SCP-███-1はアメリカ███州にて回収されました。その際、新たな異常性の発現から、フィールドエージェント二名とCクラス職員一名が亡くなりました。
以下は被害者のリストです
A. █████
A. █████████
██████・F・███

 
「ううっ、寒い……バーンズ博士、一体どこにいるんだ……」
体を震わせながら、リビングデッドを一人の男性職員が進んでいく。その手にはいつかの日と同じように、カルテがしっかりと握られていた。
暫く進んで、彼は広い空間に出た事に気が付いた。そして夜目が聞くせいか、その空間の中心にベッドがあり、上に何かが乗せられている事もわかってしまった。
「そういえばバーンズ博士はこの死体安置場でいつも何をしているのだろう」そんな疑問が彼の胸の中を渦巻いた時には既に、ベッドの傍に置いてあったヘッドライトに手を伸ばしていた。。
そこに寝かされていたのは、胸の付近にD-4598の番号が刻まれている美しい女性の死体であった。継ぎ接ぎだらけではあるが、均整の取れたボディは非常に彼の目を引いた。ただそれよりも目立っていたのは、この暗闇の中でも輝くような赤毛であった。
「……ん?」
しかしそこで彼は少々の違和感に気が付いた。確かに均整のとれたボディではあるのだが、縫って繋げたと思われる個所が、まるで削ったかのように不自然に抉れ、全体のラインを保っている。そこで彼は急に気味が悪くなって、そっとヘッドライトを元あった位置に置くと、再び安置所を後にするようにしてバーンズ博士を探し始めた。

ティモシー・D・バーンズ博士は███████で生まれ育ちました。生まれた当時から、彼は積み木に対し異常なまでの興味を示し、その頃から、造形、及び内部構造の理解において優れた能力を有していたと思われます。

追記: 彼の死体に対する異常なまでの執着は、それらが変化したものであるとカウンセラーとの会話によって推測されています。

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