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【羽ばたけ中部勢】

豊田出身の若ノ藤が幕下復帰 中学で100キロ超、けが乗り越え

2019年2月13日 紙面から

度重なるけがを乗り越え、初場所で幕下復帰を確実にした若ノ藤。目指すは関取昇進!!

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 三段目卒業へ、会心の攻めで初場所を締めくくった。13日目の7番相撲、若ノ藤が立ち合いでもろ差しになり、一気に舞蹴(まいける)を寄り切って5勝目。勢い余って土俵下に突っ込んだが「迷いがなかった。今場所一番の相撲でした」。昨年夏場所以来の幕下復帰を確実にし、笑顔で胸を張った。

 中学で100キロ超えだったが、相撲経験は皆無。地元の名古屋場所はおろか、テレビで相撲を見たこともなかった。そんな少年時代、故郷の愛知県豊田市出身で2006年に引退した元幕内春ノ山の存在で、角界に導かれた。

 後援会関係者が恵まれた体格に目を付け、春ノ山の師匠だった元大関若嶋津の二所ノ関親方(当時は松ケ根親方)に紹介。「大変だけど、強くなったら幸せになれるぞ」。力強い言葉に背を押され、中卒での入門を決めた。しこ名の若は若嶋津から、ノは春ノ山、藤は自身の名字の藤村から。縁への感謝を込め、自分で考えた。

 「甘い世界じゃないというのは、分かっていたけど…」。体の柔らかさを強みに地力を蓄えたが、左目の網膜剥離や右足の亀裂骨折など、度重なるけがで出世は一進一退だった。三段目で長く過ごすうち、部屋の最古参になっていた。

 そんな停滞を打破するきっかけは、17年10月、二所ノ関親方が倒れて一時意識不明となったことだった。

 「相撲の痛みなんて一瞬。闘っている師匠のためにも、番付を上げるしかない」。昨年夏場所、初土俵から14年目で念願の幕下昇進を果たした。1場所ではね返されたが、復帰した師匠からの「自分の形なら強いんだ。焦らずにな」という激励が何よりうれしかった。

 もう幕下で満足するつもりはない。ご当所の名古屋場所後には30歳になる。誕生日の7月24日は偶然、新十両発表日と重なっている。「元気なうちにお相撲さんなら、目指さないといけない」。関取の座だけを見据え、勝ち続ける。 (志村拓)

 大相撲の東三段目22枚目の若ノ藤(29)=愛知県豊田市出身、二所ノ関=が、初場所で5勝2敗と勝ち越して幕下復帰を確実にした。相撲未経験で角界に飛び込み、多くのけがを乗り越えて「体の動くうちに、悔いなくやるだけ」と関取昇進を目指し、粘り強く番付を上げていく。

 ▼若ノ藤崇司(わかのふじ・たかし) 本名・藤村崇司。1989(平成元)年7月24日生まれ、愛知県豊田市出身の29歳。178センチ、148キロ。松ケ根部屋(現二所ノ関部屋)に入門し、本名の藤村をしこ名に2005年春場所で初土俵。07年春場所から現在のしこ名。最高位は東幕下49枚目。得意は右四つ、もろ差し。

 

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