寺嫁主婦のよもやまブログ

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反出生主義と仏教

最近になって、反出生主義という考え方があるのを知りました。

反出生主義とは子供を産むことに否定的な考え方のことで、提唱している代表的な方で有名なのがデイヴィッド・ベネター氏です。

 

反出生主義についてあれこれ知っていくうちに、「仏教は反出生主義の体現だ」とする意見を拝見するに至りました。エッソウナノ…?

一応、仏教関係者の1人でありかつ2児の母でもある身として、この意見について少し独自に考察してみたいと思いました。

 

 

反出生主義とは

知っている方にとっては不要かとは思いますが、まず反出生主義について概説すると『人は生まれてくるべきではない』とか『新たに命を産み出してはならない』という考え方のことをいいます。

微妙に難しいのは、この主義は自殺を推奨するものではない、というところ。

この世に存在することは害悪なのであり、そしてその離脱である死も害悪である以上、死という害悪に向かって進んでいく生の誕生は避けるべきである、というのが彼らの主張のようです。

「存在することが害悪」という表現は少々わかりにくい感じがしますが、まぁ要はこの世に生きていると苦しいことばかりじゃないか、という様なことです。

この世は苦しいから生まれてくるべきじゃない、といった感じでしょうかね(雑

 

仏教との共通点

さて、この反出生主義のどこが仏教に通じているのでしょうか。

まずはやはり、「この世の苦しみ」でしょう。

反出生主義ではこの世は生まれるに値しない、苦痛に満ちた世界だと認識しています。

一方の仏教も、この世は苦しみに満ちた世界だと考えています。そもそも仏教が生まれたのは、王族であるシャカ(ゴーダマ・シッダールタ)が人々の苦しみをなくす方法を探す旅で生み出したものなのです。

つまり、「この世は苦しみで満ちあふれている」という前提において、この2つは共通しているといえます。

 

また、仏教では五戒において不邪婬戒(ふじゃいんかい、不道徳な性行為を行ってはならない)という戒律があります。これに従い、日本を除くほぼ全ての仏教の国において僧侶は結婚せず性行為も行わないそうです。

このことが、仏教では性交渉の一切を禁止しているという誤解を生み、反出生主義と親和的とされている様です。現実には「不道徳な性行為」のみが禁止されていると思うのですが、それでも他国の僧侶が事に至らないのは、やはり一度でも性交渉すれば悟りへの道は遠退くという考えなのでしょう。

 

仏教との相違点

では仏教は反出生主義の体現なのかといえば、私はそうは思いません。確かにどちらもこの世の苦しみから逃れる為に考え出されたものではありますが、この2つは決定的に違うところが2点あります。

 

①世界観が違う

反出生主義が考えているのは、おそらく、生まれている世界と生まれていない世界の2つです。そしてどちらの世界にいるほうがより良いか、という価値判断をしているのだと思われます。

これに対して仏教では、輪廻転生という考え方がベースにあります。人間のみならず、ありとあらゆる命は死んだら再びこの世に戻ってきます。転生するのです。この輪廻の輪の中から解脱する為には、悟りを得て仏陀(ブッダ)になる必要があるのです。

なので、仮に人間が子供を産まない選択をして、その結果生物としての絶滅に成功したとしても、仏教の考え方によれば、その命たちはまた別の形(動物なり、植物なり)になってこの世に生まれ出で、また再びこの世の苦しみを味わうのです。

ちなみに六道の考え方によれば、全部で6種類ある転生先のうち、人間界にいる者のみが仏教の考え方に触れることができ、悟りを得て解脱することが可能になるのだそう。ならばまずはなるべく命を人間界へ送り出す=人として生まれる必要がある様にも思えます。

 

②この世の苦しみの回避方法

反出生主義では、最早生まれてきた者には絶望しかありません。反出生主義によれば、死ぬことも大きな害悪の1つなので、生まれてきてしまった者はただひたすら生き続けるしかないのです。ゆえにこの世の害悪から逃れるためには、生まれる命を増やさないことが大事なのです。

一方の仏教は、煩悩こそが苦しみの根元だとします。従って煩悩を断ち切る為の修行を行って悟りを得れば、苦しみから解放されます。ちなみに仏教は本来、生きている人の苦しみをどう解消するかということに焦点を当てていますが、悟りを得れば死後においても輪廻転生から解脱できると言われています。

つまり仏教においては、生きていてもなお苦しみから解き放たれる道があると考えられているのです。この点において、生まれたら最早救いはないと考える反出生主義とは本質的な違いがあると思われます。

 

終わりに

いかがだったでしょうか?

正直、付け焼き刃な部分もあるかとは思いますが、反出生主義と仏教との共通点・相違点がまとめられていれば幸いです。

 

反出生主義という考え方に触れ、それが今自分の属している仏教という世界と親和的なのだという話を聞いて、正直、私は焦りました。結婚して子供を授かった私たちは本当は何か間違ったことをしてしまったのではないかと思ってしまったからです。

私は反出生主義者ではないのですが、反出生主義という考え方についても、また逆に仏教の世界についてもほとんど何も知りませんでした。こうやってまとめることで、初めてきちんと整理できた様に思います。

いやぁ、いい勉強になりました(笑)

 

しかしこの反出生主義という考え方は、私に他にも様々なことを考えさせてくれました。

それについては、こちらで述べさせて頂きました。

人を産むことの意味~反出生主義に触れて - 寺嫁主婦のよもやまブログ

【追記】

反出生主義についてあれこれ議論していくうちに、自分なりの反論が出来上がりました。

お時間ある方はこちらもお読み頂けると幸いです(ただ、1万字近くある超長い記述となっております)


反出生主義への反論~存在しないことの優位性についての検討 - 寺嫁主婦のよもやまブログ

 


反出生主義への反論②~同意の有無について - 寺嫁主婦のよもやまブログ

 

ここまでお読み頂きありがとうございました。

Add Starkatorisenko
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  • ごま (id:goma1210)

    Early Buddism had an utter antinatalisさん
    いつもご来訪ありがとうございます。
    あきさんの仏教に対する造詣の深さは、私も素晴らしいと思います。
    私も知らないことを色々と教えていただきました。コメントいただけて本当に有り難かったです。

  • Early Buddism had an utter antinatalism

    追伸
    あきさんの仏教への造詣から来る発言は興味深いですね

    仏教は、形而上学と実存主義が混在していてきちんと使い分けられていない部分がありますね。
    形而上学からそのまま規範を導こうとすると人間の実存を無視した非人道的な態度が導かれます。(オウム真理教の例)、現在の倫理学では「自然主義的誤謬」として排除されます。ベネターは分析的実存主義としてこれを排除しています。要するに言い逃れできない係争レベルからの物言いです。だから重要なんです。

  • ごま (id:goma1210)

    あきさん
    ご無沙汰しております。またしてもお返事が遅くなって申し訳ありません。

    まずは、お礼を言わせてください。
    あきさんから「子供を作ったことを後悔したほうがよいという意味ではない」と仰って頂けて、とても心が救われました。
    反出生主義を知った時に、私が一番に思ったのが我が子の幸せについてです。
    目の前にいる我が子を、私は出産という方法で不幸の渦中に突き落としてしまったのか。その時の私はそんな不安にかられました。おそらく、反出生主義者の中には「まさにその通りだ」と述べる方もいるでしょう。
    しかし私はそうは考えたくありませんでした。今さら産まれてない状態には戻れない訳ですし、何より母親がそんな考えを持って子育てするなど、子供の立場でもして欲しくないだろうと思ったからです。
    あきさんに「そうではない」という意見を書いて頂き、とても気持ちが穏やかになれました。本当にありがとうございました。

    さて、次にあきさんに指摘して頂いた「一切皆苦」ですが、「苦」というのはまさに、あきさんがご指摘していました「不満」のことなのだと思っておりました。
    あれ?違うの?と思って、ネットでさくっと検索をかけてみましても、堂々と「苦というのは不満のことです」と書かれていたりしまして、なかなかあきさんの仰る見解にたどり着けないでいます。
    だからあきさんの言ってることは間違っている、などと述べるつもりは毛頭ございません。元々私は見聞が狭いのです。もっと仏教について知見を広げていかなければならないと思いました。
    それが、一応なりにも仏教関係者としての務めであり、またコメントを書いて頂いたあきさんのお気持ちにも応えるものだと思うからです。

    別の記事に頂いたコメントについては、またそちらのほうにお返事させて頂きます。
    こちらではこれで失礼します。

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