僕が響になったから 作:灯火011
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アルバイト初日。街中で見かけたような人もいたし、まったく見たことのない人もいた。ただ、そんな人たちに共通することがあった。全員が全員、僕をじいっと見つめてきていた。それはもう、僕がそれぞれの人に視線を向けるまで常に。そして、そういう視線というのは、見られている本人は誰からどこを見られているのがよく判る。
髪の毛を見てる人もいれば、僕の目を見る人もいる。首筋を見てる人もいれば胸元とか脚とかを見ている人もいる。
ただ、基本的に視線は顔と髪の毛あたりに集中していたから、やっぱり髪の色と目の色が珍しいのだと思う。僕も銀髪青眼の子がいたら確かにじっと見てしまうと思う。中には脚を見ていた人もいたけれど、まぁ、そういう人は男性であったし、僕が今女性なので仕方のない視線だと思う。
まぁ、その、僕はどこを見られても構わない。減るもんじゃないし。何より別に僕は中身が男なので見られても別に気にしない。僕が言えるのはただこれだけだ。
ただ、仕事自体はすごく充実していた。視線は別として、この喫茶店に来る人は皆礼儀正しいし、粗相もなかった。こちらがコーヒーを持っていくと、ありがとう、と返してくれたし、次回もまたくるよと気軽に声をかけていただいた印象が強かった。
「響さん、本日はお疲れさまでした」
馬鹿なことを考えながら店の片づけをしていたら、マスターからねぎらいの言葉をかけられていた。そして、マスター曰く、今日は久しぶりに客足が増えたとのことで、働いていた僕としても嬉しい。
「響さんが可愛らしいですからね。普段来られない方も顔を見せに来ていました。助かりましたよ」
そう言われると照れくさい。笑顔でありがとうございますとマスターにお礼を言うと、いえいえこちらこそと笑顔で言葉が返ってきた。そして、店の片づけがひと段落したところでお待ちかねの賄いが用意された。
「今日は店が盛況でしたから、残り物しかないのですが…」
申し訳なさそうなマスターが用意してくれた賄いメニュー。本日の残りのサンドイッチと、マスター自慢のコーヒーだ。うん、十分、十分。コーヒーは言わずもがな、苦みが少し強いけれど香りがよく、飲んでいて飽きない逸品だ。サンドイッチはツナ、タマゴ、トマトなどが挟み込まれていて飽きない。何よりタマゴサンドのタマゴがすごく分厚くて食べ応えがある。
「いかがですか?」
「とっても美味しいです」
マスターと軽く受け答えをしながらも、サンドイッチを頬張る。そして合間にコーヒーを含み、味を楽しむ。充実した仕事上がりのこのひとときは至福と言えると思う。
「それで響さん、ここは続けられそうですか?」
「はい。マスターもお客の皆さんも優しいですし、続けられると思います」
「そうですか、それはよかった。また明日もよろしく頼みます」
「はい!よろしくお願いいたします」
本当にそう思う。マスターも笑顔だし、お客さんも笑顔、それにコーヒーも軽食も賄いもおいしい。僕にとっては最高のアルバイトだと思う。…ただ、響ボディのせいかサンドイッチじゃ足りない。制服から着替えてここを出たら、何か軽食を考えようと思う。
◆
アルバイト先から帰宅しようと街を歩いていたところ、どこからかパン屋の良い香りが漂ってきていた。周りを確認してみれば、数日前に朝食を食べたパン屋の近くだ。ちょうど小腹が空いているし、これはあのパン屋に行くしかないだろうと、僕は脚を急がせる。
すると記憶の通りにパン屋が視界に現れた。しかもご丁寧に『ディナーサービス お好きなパン3個で100円引き』と書かれた看板も店の前に出されていた。買うしかない。そう思ってトングとお盆を手に取った時だった。
「こんばんは」
と、横から声を掛けられた。誰だろうと顔を向けてみると、数日前に食べたクレープ屋さんが笑顔を浮かべていた。どうやら向こうも仕事終わりで、夕飯にとこのパン屋を選んだらしい。
「そうですか、あの喫茶店でアルバイトを」
「はい。良い店ですよ。コーヒーはおいしいですし」
「へー、行ってみようかな」
「ぜひぜひ」
僕は世間話をしながらも、喫茶店の宣伝も忘れない。そして2人で会計を済ますと、少しだけ世間話を続けていた。
「そういえばクレープ屋さんもこの街に住んでるんですか?」
「ええ。あなたも?」
「はい。最近越してきたんですが、良い街だと思います」
「あはは、私もそう思うよ。それじゃあまたね。またクレープ食べに来てねー」
「はい!美味しかったので絶対いきます!」
笑顔でクレープ屋さんと別れる。そっか。同じ街に住んでいるなら会うよなーと納得する。それにしても、僕は男の時、この街をそんなに見ていなかったようだ。喫茶店も知らなかったし、そもそも街を出歩くことが無かった。女になって視野が広がると感じるけど、本当、外に目を向けていると予想外の出会いがあるなと思う。
◆
パンを片手に自宅へ帰り、鏡の前に立つ。今日の私服はジーパンに紺色のシャツ、それにチェックのTシャツという出で立ちだ。髪型はポニーテールで、見た目はボーイッシュ風味だ。ちなみにだけれど、今日は帰り際に3人から声を掛けられていた。
写真をというのが1人、このあと食事をというのが2人だ。正直、食事は何をされるかわからないので断っておいたけれど、いずれは一度、お誘いにはのってみたいと思う。だって、どういう風になるのかものすごく気になるからだ。
土方の僕ではまずありえないシチュエーションであるし、本当にご飯だけならちょっと食べてみたい気もするし、それに加えてもしかしたら交友関係広げられるかもしれないしと色々考えてみていたりする。
もちろん危ないということは重々承知だけれど、前にナンパしてきた男の腕を軽く締め上げたり、重かったおばあちゃんの荷物をひょいと簡単に持てたりした響ボディがついているので、危なかったら全力で逃げるか力づくで解決すればいいなーと思っていたりする。
まぁ、それはさておいて、さっそく夜食の準備だ。マスターから少し挽いた豆をいただいたので、マスターの真似事をしてみるとする。お湯を沸かして、紙フィルターをカップにセット。そして、お湯を回しいれる様にゆっくりと注ぐ。そして、カップにたまったコーヒーに口をつけてみると、苦い。そして、不味い。…マスターのようにはなかなかいかないもんだ。そして手元に、買ってきたパン3種類を取り出す。一つ目はBLTサンド、二つ目はあげぱん、三つ目はメロンパンだ。
BLTは野菜と肉の組み合わせで一目ぼれ。口に入れた瞬間に新鮮なトマトがはじけておいしい。あげぱんはまぶしてある黒糖がまた美味、メロンパンは外カリカリの中ふわふわでこれまたおいしい。ま、こういう甘いパンに組み合わせるのは、僕の苦いコーヒーで問題ないと思う。
さて、なんだかんだで今日も夜が更けてきたので寝ようと思う。明日もまたバイトだ。明日はもう少しお客様と話せればいいかなと目標を立ててみよう。
◇
『今日はありがとうございました。また明日よろしくお願いします』
「はい。また明日、10時からよろしくお願いしますね、響さん」
彼女をそうやって送り出した後、ふっと溜息を吐いた。彼女の能力は既に熟練の店員であるし、声の調子や気配りも素晴らしい。
なにより、笑顔が素敵だ。今日来ていた常連も完全に彼女の笑みにやられていつもは頼まないサンドイッチを頼んでいた。そしてなにより、彼女を見ていると、私も自然と笑みが浮かぶ。年甲斐もなく、私も彼女にやられてしまっているようだ。