僕が響になったから 作:灯火011
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昨日はゲームセンターや神社などがある商店街周りを進んでいたけれど、今日は少し趣向を変えて、住宅街近辺を散策しようと思う。住宅街といっても、昔ながらの衣料品店や雑貨屋、カフェにレストランと結構充実したラインナップのお店が存在している下町の住宅街だ。
実はアルバイトを行う予定の喫茶店もこの住宅街のほうにあったりする。面接の後に調べたら、50年ほど続いている有名店だそうで、常連さんも多いそうだ。
僕は住宅街の目抜き通りをゆっくりと、観察しながら歩く。町並みはちょっと古臭いけれど、僕はこういう雰囲気が大好きだ。少しお店の窓を覗き込んでみれば、趣を凝らした内装が見え隠れする。
ここは楽器屋だろうか、所狭しと置かれた楽器のところどころに猫の置物が見える。
こっちはスポーツ用品店だろうか、サイン入りの色紙や応援グッズが綺麗にディスプレイされている。
ここは…飲食店だろうか?テーブルと椅子が置いてあるけれど、所狭しとグッズが置いてあって何の店かわからない。うん、これはこれで楽しい街だ。
どこか入ってみようかなーと思うけれど、まだ時間が早いようでどこも準備中の看板が出ている。ちょっと残念だなぁと思いながらも歩みを進めると、何か人々の気配がした。ま、やることもないしと気配のする場所にいってみると、そこには開けた公園に所狭しとシートが並べられていた。
どうやら、ここの地区の公園で蚤の市が行われているようだ。ちょうどいいので、覗いてみるとする。
公園はそこそこの大きさで、かなりの古物屋が出ている。古着に始まり家具、ちょっとした文献や絵画といった芸術品や、地図や古い何かの道具などのマニアックなものも多い。
ぶらぶらとその中を歩いていると、昔ののこぎりや釘などの大工道具を売っている人の前に出た。前の体で大工もやったことがあるので、ちょっと懐かしい。足を止めて少し店を覗いてみる。
なるほど、これはかなり物がいいと思う。ノミなんかも研げば現役で使えそうだし、のこぎりも歯立てを行えば十分に使い物になりそうだ。それにひときわ目を引く、見事な大工道具がある。墨壺だ。
墨壺というものは、現代はプラスチックの製品が多いが、昔は木で作られていた。そして職人一人一人、その形が違ったのだ。好きな彫り物をしたり、色を変えたりして楽しんでいたらしい。
お、ちょっとあの墨壺は気になる。でも、お値段が5万を超えている。うーん、どうしようか。手に取ってみてみたいのだけれど。
「可愛いお嬢さん、どうしました?」
そんな感じで何種類かある墨壺を覗き込んでいたら、お兄さんに声を掛けられていた。
「あ、すいません。何でもないんですが…ちょと墨壺が気になりまして」
「おお、お目が高い。もしかしたらと思いまして声をかけたんですが、こちらの品が気になってます?」
お兄さんが僕に差し出したのは鳥の姿を形どった珍しい墨壺だ。こんな形見たことが無い。
「ちょっと気になってます。墨壺で鳥の形なんて珍しいですから」
「あはは、そうでしょうね。普通は亀や蛇などですから。どうぞ、触ってもらっても構いませんよ」
「本当ですか?では少し失礼します」
お兄さんから墨壺を受け取る。なるほど、触って改めてわかるけど間違いなく木製であるし、触り心地が良い。
「これって材料は何かわかります?」
「けやきですね。それに柿渋が塗られている形です。更に丁寧に使い込まれていますのでこのいい光沢が出てるんですよ」
なるほどと納得する。彫り物が複雑な割に割れや欠けはほとんどない。すごいなと感心する。
「そういえば、この墨壺は何の鳥をモチーフに作られてるんでしょう?」
あとはこれが気になっていた。烏のようにも見えるし、ハトのようにも見えるし、もしかして鳳凰とかであろうか?
「聞き伝えるところによると、不死鳥らしいですよ」
ほう、と感心する。確かに、言われてから見れば細やかな装飾は不死鳥の火を思い起こさせるものだ。そして、僕が思わずこの墨壺に目を止めてしまったあたり、この体は本当に響なのかもしれない。ほら、響が言っていたじゃないか。不死鳥の名は伊達じゃないよ、と。
◆
大工道具のお兄さんに別れを告げて更に歩いていると、今度は古いコーヒーカップが目に入った。金で縁取りはされているものの、他は真っ白な陶器だ。お店のおばちゃんに話を聞くと、これは祖父が海軍の将校だったころに記念品としてもらってきたカップらしい。しばらく使っていないので放出しようと思ったとのことだ。
こんなところで海軍ゆかりのものと出会えるとは、ちょっと嬉しい。僕も艦隊これくしょんをやっているからか、こういうものは好きなんだ。断りをいれてカップを手に取って観察をしてみると、カップの後ろに桜と錨のマークが描かれ、そして収まっている箱を見てみれば、同じようなマークが描かれていた。なるほど、海軍のものだなと納得する。お値段は驚きの5セットで2千円だ。
「これで2千円は安くないですか?」
「いーのよ。結局使わないから。それに捨てるよりも使ってもらったほうがいいでしょ!」
とはおばちゃんの言葉だ。うん、確かに記念品とはいえ使ったほうがいいとは思う。飾っておくだけじゃせっかくのものがもったいないと思う。
「それじゃあ、このコーヒーカップのセット、もらおうかな」
「あら、お嬢さん貰ってくれるの!ありがとう!」
僕はおばちゃんに2千円を手渡し、おばちゃんからはカップを頂いていた。
「あとこれ!運ぶの大変でしょうから、もっていきなさい!」
「ありがとうございます」
と、おばちゃんからおまけで手提げ袋を頂いたので、それにカップを入れる。うん、ぴったりだ。さて、と、あらかたのお店を見たし、時間的に他のお店も空いてくるだろうし、蚤の市をそろそろ後にしようと思う。
そういえば今朝は人の目が特に気にならない。慣れたのかな?
◆
鏡に映るのは、髪の毛を完璧にセットされた化粧もばっちりの美少女だ。なるほど、素でもこの響(仮称)ボディは可愛かったけれど、化粧を施されると文字通り化けるのだなと他人事のように思ってしまう。
というのも、蚤の市を後にしてしばらくたった後、女性の店員さんに強引に引っ張られ、美容室の鏡の前に座っていた。
「君可愛いから素じゃもったいないよ!」
「タダでいいからモデルお願い!」
と、なぜか美容室のモデルになってしまっていた。どうやらコンテストに応募するということで、可愛い人やかっこいい人を探していたらしい。うん、響(仮称)ボディがプロのお眼鏡に叶うのならば協力は惜しまない。それにモデルを受けると今後、お店を利用するときに割引が効くらしいので、今後この体で生活するわけだし、受けない理由はない。ただ、僕は床屋ぐらいしかいったことがないので、美容室という空間はすごい新鮮だ。
置いてあるものが床屋とは違うし、何より全体的に新しくオシャレで、髪を切りにくるというか、何か喫茶店のような雰囲気にも思える。
「ええと、響ちゃんはさ、どんな髪型が好きなの?」
僕を美容室に連れ込んだ女性の店員は満面の笑みで問いかけてきていた。僕としては今の姿が好きなのだけど、せっかくの機会だし、お任せしてみようと思う。ただ、髪の毛を切られることは避けたいので、明確にしておく。
「特に好みはないです。ただ、長さは今のものが好きなので、あまり切らないでください」
「ふふ、わかったわ。それじゃあ少しだけ整えて、少しだけパーマをかけるけど大丈夫?」
「そのくらいでしたら」
ということで、店員さんにお任せした結果、冒頭の美少女の出来上がりだ。モテロングとか言うらしい。そして化粧…メイクは眉毛がまず整えてあって、更に睫毛もなんだかすごいカールして上に上がっている。そして唇はリップでピンク色、さらにはプルプルだ。なんだろう、正直アイドルか何かみたいなメイクだ。
そして今日のコーデであるフリルシャツと合わせると、良いとこのお嬢様みたいな感じに仕上がっている。ええと、鏡に写るこの姿は本当に僕なのであろうか?
「もっとよく見てみる?全身見れる鏡はこっちだよ」
店員さんの勧めで姿見の前に立ち、一回転したりポーズを軽くとったりしてみるが、未だに現実感がない。でも、鏡の中の美少女は僕が笑うと魅力的な笑みを浮かべるし、僕が一回転すれば美少女も一回転する。プリクラの時にやったようなアヒル口をすれば美少女がアヒル口になっているし、やっぱり、多分、これは僕だと思う。
そして、その現実感のないままで写真を撮られたりしたので、正直何をどうやったのかは覚えていない。ただ、お店の人たちは皆満足そうな顔をしていたので、まぁ、問題はなかったと思う。そして、美容室を出るときに店員さんからメイクのセットを頂いてしまった。
「ふふ、響ちゃんは可愛いんだから、おしゃれしなきゃ駄目よ!今日使った化粧品をあげるから、家で少しずつ練習してみてね。判らないことがあったら連絡してくれても、またお店に来てくれてもいいから!」
「ありがとうございます。がんばります」
そう答えるのが精いっぱいだ。ただ、メイクをすれば響(仮称)がもっと可愛くなるということが判ったので、これから少しづつ練習していこうと思う。
◇
「今の子可愛かったなー」
「ええ、まさか墨壺に興味があるとは…」
「いっそのことその墨壺あげちゃえばよかったんじゃね?」
「正直そう思ってる」
◇
「可愛らしい女の子でしたね」
「えぇ!あんな子にカップを使ってもらえるならおじいちゃんも喜ぶわぁ!」
「あはは。それにしても近所にあんな子いましたっけ?」
「さぁー。最近引っ越してきたんじゃないかしら?」
◇
「…いやぁ、髪の毛といい肌といい、つやつやでびっくりしましたね」
「きめ細やかですし、それでいて化粧乗りも良かったですし、同じ女として嫉妬しちゃいますね」
「でも、可愛かったですねー。整ってるし、笑顔も可愛いし」
「ですねー。写真も、ほら、すごくかわいいですよ。また来てくれるかなぁ」
※墨壺とは直線を引く道具で、最近ではチョークやレーザーのものが主流。昔の物は職人が使いやすいように加工しているため、趣がある。