【政局】蓮舫代表代行が出馬表明 民進党代表選
●蓮舫代表代行が出馬表明 民進党代表選
2016年8月5日-JCastニュース
●清水信次(2016年3月25日 (金) 22:50 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
1950年(昭和25年)、朝鮮戦争が始まると、貿易の増加による物流需要の拡大を予測し単身上京。パイナップルやバナナの輸入業で利益を上げ、「パインちゃん」の異名をとる。又この仕事を通じて蓮舫の父で台湾人バナナ貿易商を営んでいた謝哲信と知り合い、家族ぐるみの交友を深めた。現在も台湾財界人に知己が多い。 |
●清水信次氏の講演内容・その一(七月四日の『一水会フォーラム』における清水信次国民生活産業・消費者団体連合会会長の講演内容。)
2013年7月25日-四宮政治文化研究所
戦後、昭和三十六年から、岸先生が亡くなるまで、日韓協力委員会、国策研究会でお手伝いした。日本石油本社ビルの三階にあった岸事務所よ く行った。岸氏の秘書で海軍兵学校出身の堀渉君とは郷里が一緒。御殿場の屋敷に呼ばれ天下国家を論じ合った。九十歳で亡くなる直前まで、ご指導を頂きお手 伝いもした。気宇壮大で立派な政治家だった。日韓協力委員会は佐藤総理の時代に出来て今年で四十四年続いている。私は筆頭副会長・理事長をしている。 |
| 「平成政治20年史」平野貞夫著 |
ところが暮れが押しせまった頃、問題が起きた。中曽根元首相と渡辺恒雄・読売新聞社社長が、小沢党首と会って、連立政権から離脱することをやめるよう説得したのである。小沢党首は返事をしない。その時期私は、中曽根元首相のブレーンと称する元東急エージェンシー会長の前野徹と、小沢党首と親しい清水信次・ライフ社長と、ある団体主催の忘年会で同席した。 |
1999年の自自連立(小渕第2次改造内閣)の頃の話です。
■十全ビル人脈図
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