マンデラの名もなき看守 | 美 人 薄 命
2009-06-18 15:58:56

マンデラの名もなき看守

テーマ:観た映画詰所

今夜は

『マンデラの名もなき看守』

を鑑賞しました。

原題は

『GOOD BYE BAFANA』



マンデラというのは人名で、

南アフリカ共和国の政治家。



1964年当時、反アパルトヘイト運動を展開していたため
反逆罪として逮捕され、ロベン島という島にある刑務所に収監されたわけだが、
そこでマンデラの看守を務めた男グレゴリーと、マンデラが釈放されるまでを描いたもの。


なぜグレゴリーがマンデラの看守を任されたかというと、
彼がマンデラ達民族がはなすコーサ語を話せるため。
マンデラの面会や送られてくる手紙でコーサ語が用いられた場合、
その内容を上に逐一報告するのが彼の任務。
白人なのになぜグレゴリーがコーサ語を話せるかというと、
幼少の頃にマンデラと同郷の少年と仲良く遊んでいて、
その時に習得したという


幼少期のその経験があるため、
世の中の風潮や世間の流れから
黒人を半侮蔑する体はとるものの、
心ではそれがいかに卑しいことか知っている


そしてマンデラが訴え、戦い、勝ち取ろうとしている
アパルトヘイトの廃止、
自由、平等の獲得が如何に正しいことであるか、
彼は知る。
看守という立場を超えて、
当時の白人からすれば『反逆』の正義を貫いたグレゴリー


マンデラはロベン島刑務所から二度の刑務所を移動するわけだが、
その全てにグレゴリーはついてまわり、
親密な関係になっていく


時代背景、政治的背景から、
犠牲になる人はあとをたたない。
作中でも事件なの?事故なの?というグレーゾーンがいくつもあった
なので、作中でもなかなか安心して観れず、
一定の緊張を保って観ている感じだった


100パーセントなくなったとは言えないが、
人種差別はいけない、ではなぜいけないのか、
簡単なこと、同じ人間ではないか、
という意識を多数の人間が持てるようになったのは
このマンデラさんの功績によるところが大きい


血で血を洗うことなんて出来やしないのに
争いを繰り返してきた人類にとって、一つの革命と言える


簡単なようで、実はできてないんじゃないか、
他人を蔑み、見下すような小さな芽が心根にあるんじゃないか、
その芽が大きくなってこういう理不尽な争いが起きるんじゃないか、
色々考えさせられる話だった

歴史を基にした実話映画なわけだが、
やはり歴史から学ぶことは多いなぁ

おれらは平和に生きてるわけだが、
いつだって無数の犠牲の上から成り立ってきた歴史を、
その命たちを忘れてはいけないと、
改めて気づかされる

にほんブログ村 その他趣味ブログ 女装(ノンアダルト)へ
ThanksForYourVisiting☆

kenty*@女装ヒャッホーイ\(^O^)/さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

最近の画像つき記事
 もっと見る >>