西ティモールのクパンから東ティモールのディリへは、毎日何便もバスが出ています。クパンのバスターミナルは空港よりも町外れの辺鄙な場所にありましたが、地方へ向かう人達で賑わっていました。
「ディリ、ディリ、ディリ!」と車掌が連呼しているバスを見つけて乗り込みましたが、なかなか発車しない。どうやら満席になるまで出発しないようです。ま、東南アジアや中国、香港のミニバスなんかでも当たり前のルールですが。
結局、クパンのバスターミナルを出たのは、乗り込んでから1時間以上経った10時ごろ。乗客はみんな大量の荷物を持ち込んでいて、屋根はもちろん通路にも山積みされています。丘の上の畑の道を通って、藁葺き屋根の家が集まった小さな村を通って、峠を越えて、また畑の道を通って…、の単調な景色の繰り返しです。ときどきバスターミナルのある町に止って、トイレ休憩となります。
夕方6時ごろ、アタンブラという東ティモールとの境界線に近いわりと大きな町に着きました。ところが運転手は「今日はここまで」といってロスメン(簡易旅館)の前でバスを停め、乗客に今晩はここで泊まれと命じるのです。
「ディリまで行くと言ったじゃないか!」と文句を言うと、「明日行く」。
「なんで今行かないのか?」と抗議すると、「日が暮れたら危ないから」。
そう言われたら仕方がないのですが、シャクにさわったので運転手お薦めの宿とは別の宿に泊まりました。
さて翌日、早朝6時にバスは出ます。バスは一路ディリに向かうのかと思いきや、昨日乗っていた乗客たちが泊まっている宿を点々とまわり、客を集めていきます。知人の家に泊まった人もいて、車掌が家まで「出発しますよ」と呼びにいきます。まさにドア・ツードアで親切なサービスなのですが、おかげでバスはアタンブラの町を1時間近くもブラブラするはめになりました。
ものすごい急斜面の峠を越えて、いよいよ東ティモール入りです。ここには検問所があって、車掌が乗客全員の身分証明書を集めて軍官に見せにいきます。問題なく通過したと思いきや、しばらく走るとまた検問所があり、車掌が再び身分証明書を集めに来ました。
ひょっとして、さっきの検問所は西ティモールからの「出境」で、今度の検問所は東ティモールへの「入境」手続き?インドネシアは東ティモールを「自国領土」として併合したはずなのに、検問所はポルトガル植民地時代のまま残されているのでしょうか?ま、中国に返還された香港だって、中国本土との行き来は相変らず「出境」「入境」手続きが必要だから、それと同じことか……などと考えていたら、車掌が検問所から私を呼びに来ました。どうやら私だけ別室に呼ばれて審査を受けるみたいです。
検問所の小屋には野戦服を着た男が座っていて、パスポートをめくりながら、ジャーナリストかと聞いてきます。この検問所はどうやらインドネシア軍ではなく、残留派の民兵が任されて担当しているようで、残留派は「ジャーナリストは独立派の味方だから殺す」などと言っています。ジャーナリストだと言ったらどんな目に遭うかわからないし、そもそも私は東ティモールに「女子高生」と「天ぷら」を確かめに来た、単なる野次馬です。
そこで「ノー。ツーリスト」と答えたのですが、こんな時期にヒガチモへ来るノーテンキな観光客なぞ疑わしいということか、「ノー・ジャーナリスト?」としぶとく聞いてきます。そこで一緒にヒガチモへ来るはずだった友人が「ジャーナリストかと疑われた時は、ティーチャーかエンジニアだと押し通せばいい。教師や技術者は印象がいいから」と言っていたのを思い出し、「ティーチャー」だと押し通しました。ま、香港の日本語学校で働いていたこともあるので、ウソじゃないですよね(笑)。エンジニアだなんて言ったら、「それはいい。無線機の調子が悪いから、ちょっと見てくれ」とか言われそうだし。
かくして検問所を切り抜け、バスに戻ることができました。再び峠を越えて、海岸沿いを走ります。道路は西ティモールより整備され快適そのもの。おそらくインドネシア政府も併合に対する「アメとムチ」というわけで、インフラ整備を重点的に進めたのでしょう。
沿道の村を見ていて、不思議なことに気がつきました。庭先にインドネシアの国旗を掲げている家が、やたらと多いのです。西ティモールではそんな家、ほとんどありませんでした。インドネシア政府が忠誠の証しとして強要しているのか、ひょっとして東ティモールの人たちは案外インドネシアが好きなのか?とも思いましたが、後で聞いた話によると、ディリから西ティモールとの境界線にかけての地域は、残留派民兵の拠点になっているそうです。ディリより東側の村では、そんな家はほとんどありませんでした。
東ティモールの主都・ディリに着いたのは午前10時すぎ。結局クパンを出てから24時間もかかってしまいました。