堺屋太一さん、女子プロレスを愛し格闘技会場「新宿FACE」オープンも手掛ける
「団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日午後8時19分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。83歳だった。通商産業省(現経済産業省)では、1970年の大阪万博の企画などを担当。その一方で在職中に作家デビューし、数々のベストセラーを発表した。昨年11月に開催が決定した2025年の大阪万博も楽しみにしていたが、開催を見届けることはできなかった。
堺屋太一さんは、多くの博覧会のプロデュースに関わるほか、「団塊の世代」や「知価革命」といった流行語を次々と生み出す“時代の仕掛け人”だった。作家としても才能を発揮。数データに基づく社会や経済に関する大胆な予測を、近未来小説という分かりやすいスタイルで展開し、ちりばめられた独創的なキーワードと相まって大きな反響を呼んできた。
第1次ベビーブーム世代を指して命名した「団塊の世代」という言葉は、ベストセラーのタイトルの域を超え、高齢化社会や世代論を語る上で欠かせない単語の一つとなった。「団塊の世代」は講談社の月刊誌「現代」で連載。当時、副編集長だった豊田利男さんが「未来予測で一番確かなことは何ですか」と聞き、堺屋さんが「人口予測ですよ」と回答したことが誕生のきっかけだった。豊田さんが「じゃあ、僕らベビーブーム世代を題材に書いてくれませんか」と頼むと「分かった」と二つ返事で話が進んだという。
自身の著書によると、高校時代はボクシング部。浪人中にテレビで見た女子プロレスにハマり、以降はずっと見続けた。尾崎魔弓の大ファン。05年には自らの提案で、東京の格闘技会場「新宿FACE」をオープンさせた。
08年の大阪府知事選では、当時弁護士だった橋下徹氏の擁立に協力。自らの人脈から松井一郎現府知事、竹中平蔵氏らを引き合わせた。15年に大阪都構想が住民投票で否決。著書では「首都機能移転の中断、小渕恵三首相の急死とともに、私の3度目の政治的挫折」と無念をにじませていた。
訃報・おくやみ