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紀元節という用語の復活を望む声もありますが、そもそも論として宮中祭祀の日である「祭日」という用語を含めて復活すべきと思います。
日本は、天皇あっての日本だからです。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)2月11日は紀元節です。
日本の初代天皇である神武天皇が即位された日であり、ご皇室の祭祀の日でもあります。
ですから紀元節は、昔は「祭日」とされていました。
ちなみに「祭日」とは宮中祭祀の日のことをいい、「祝日」とは政府の行う祝いの日を言います。
従って紀元節は祭日です。
なぜ2月11日が紀元節かというと、この日が神武天皇が即位された旧暦の皇紀元年元旦だからです。
いまから2679年前のことです。
紀元節は、明治5(1873)年の太政官布告によって祭日と定められました。
この日には宮中皇霊殿で、天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われました。
そして明治22(1889)年には、大日本帝国憲法が、この日を期して発布されています。
さらに明治24(1891)年になると、小学校祝日大祭儀式規程が定められ、天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などが、この日に行われるようになりました。
ですから2月11日は祭日で学校がお休みの日だけれど、全校登校日で、雪の降るグランドに全校生徒が整列し、「きをつけ」の姿勢で、校長先生の教育勅語奉読が行われました。
そして、生徒たちには紅白まんじゅうなどが配られました。
大正3(1914)年になると、全国の神社で紀元節祭が行われるようになり、大正15(1926)年以降は、村の青年団や在郷軍人会などによる建国祭の式典が全国各地で催されるようになりました。
そして紀元節は、日本の建国を祝う日であると同時に、私達国民が、日本の建国の理想を再確認する日でもありました。
そこで、神武天皇の建国の詔を、みなさまとご一緒に読んでみたいと思います。
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https://www.mag2.com/m/0001335031.html最新動画《大人のための修身入門 第十八回「行儀とは?」》 その前に、神武天皇というお名前について、ひとこと申し上げたいと思います。
神武天皇というお名前は、奈良時代にあとから付けられた漢風諡号(かんぷうしごう)です。
もともとは「かむやまといはれひこ」と言いました。
日本書紀では「神日本磐余彦尊」、
古事記では「神倭伊波礼毘古命」と書きます。
日本書紀のお名前は、「巨岩を取り除いて日本の神となった高貴なみこと」という意味、
古事記のお名前は「倭国の神といわれた男」という意味のお名前です。
そしてその名の通り、日本国内にあった収奪を文化とする一族を滅ぼし、我が国に平和と安定と繁栄をもたらしました。
その建国の詔です。
***
われひむかしを うちてより
自我東征
ここにむとせに なりにたり
於茲六年矣
すめらきの あめのいを もちたのみ
頼以皇天之威
あたうつために おもむかむ
凶徒就戮
ほとりのくには まだきよまらず
雖辺土未清
のこるわざわひ なほふさげども
余妖尚梗
うちつくにには またさわぎなし
而中洲之地無復風塵
まごころこめて おほいなる
誠宜恢廓皇都
ひらきひろめる みやこをつくる
規摹大壮
いまはこぶ わかきもくらも
而今運屬屯蒙
おほみたからの こころはすなほ
民心朴素
あなをすとして すむあるといへ
巣棲穴住習俗惟常
ひじりののりを そこにたて
夫大人立制
ことわりに したがふときに
義必隨時
いみじくも たみにりの
苟有利民
ひじりのわざに なんのさまたげ あろうとや
何妨聖造
やまやはやしを はらひてひらき
且當披拂山林
みややむろやを をさめいとなみ
経営宮室
たからのくらひ つつしみのぼり
而恭臨宝位
おほきもとひを もってしずまん
以鎭元元
かみはすなはち そらのかみより
上則答乾霊
さずけたまひし とくのくに
授国之徳
しもにはみまの ただしきこころ やしなひて
下則弘皇孫養正之心
しかるのちには
然後
むつをあはせて みやこをひらき
兼六合以開都
やひろをおほひ いへとなさむは
掩八紘而為宇
またよからずや
不亦可乎
それにみる うねひのやまの たつみのすみの
観夫畝傍山東南
かしはらのちで
橿原地者
くにをおほひて しらしむべし
蓋国之墺区乎可治之 ***
漢字を見ながら音読すると、だいたいの意味はつかめるかと思いますが、いくつか補足をしておきたいと思います。
▼以鎭元元 おほきもとひを もってしずまん
お伊勢様で、よく「元々本々(もともとをもともとす)」という言葉を聞くことがあります。
刑事さんの現場百回ではありませんが、常に原点に還れ、ということです。
混乱を鎮(しず)めるものは、ひとつには武の力です。
けれどその武とは、「たける力」のことをいいます。
ではどのように「たける」(竹のように真っ直ぐにする)のかといえば、元々に還るということです。
原点に還るのです。
欧米では、これをリボリューションと言います。
リボルブは、回転するという意味です。
そしてリボリューションの日本語訳が「革命」です。
ですから「革命」とは原点に還ることを言います。
▼上則答乾霊授国之徳
(かみはすなはち そらのかみより
さずけたまひし とくのくに)
その元々の我が国は、神々から授けられた国土国民であり、神々はこの世のすべてを胎内に大切に置いてくださっています。
我々は、神々の胎児の細胞のひとつひとつです。
細胞は、生々流転を繰り返しながら、互いに結ばれることで成長していきます。
ひとつの細胞だけが肥え太ったら、それは癌細胞です。
そして天皇は、天照大御神様からの直系のお血筋です。
その天照大御神様は、この世を「高天原と同じ統治にしなさい」と、孫の迩々芸命(ににぎのみこと)を地上に送りました。
高天原におわすのは、すべてが神々です。
これを八百万の神々といいます。
その神様と同じように、我々民衆を扱うようにと、これが我が国のはじめです。
そして神武天皇は、そのことを高貴な神々が授けてくださったこの国の美しき心であると述べられているのが、この言葉です。
▼掩八紘而為宇 やひろをおほひ いへとなす
「八紘(はっこう)」というのは、四方八方のことです。
「宇」は、屋根のことです。
すべての国民が、ひとつ屋根の下に暮らす家族のように暮らしていこう、ということを、神武天皇が国の始まりの建国宣言としてくださったのです。
▼可治 しらしむべし
古事記ではシラスを「知」と書きますが、日本書紀では「治」の文字を用います。
この字は、サンズイが水路、ムが農機具のスキやクワ、口が四角く囲った農地を意味します。
水路の脇で耕すのは稲作であり、お野菜等の食べ物です。
日本書紀は、「豈国(あにくに)」といって、「よろこびあふれる楽しい国を築くこと」を希求して全編が書かれています。
そしてそのためには、誰もが飢えることなく、豊かに安心して安全に暮らせることが国是の第一となります。
我が子を餓死させることほど、親として辛いことはありますまい。
そして農地で働くのは、民衆です。
その民衆こそ、国の「たから」であるということが、シラスという言葉の持つ意味です。
戦争が終わった昭和22年、社会党片山哲内閣のときに、GHQの圧力なのか社会党の策謀か、我が国の建国を記念する「紀元節」は、国民の祝日から削除されました。
昭和27年、サンフランシスコ平和条約の締結により、我が国が主権を回復したとき、国民の間から猛然と起こったのが、紀元節の復活運動です。
この運動は、当時のアンケートで、なんと国民の8割が賛成というものでした。
当然国会も動き、以後、合計9回も国会に紀元節の復活案が提出されました。
ところが全部、否決されてしまいます。
復活したのは、ようやく昭和41(1966)年です。
佐藤栄作内閣によって、
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、「紀元節」ではなく、「建国記念の日」という名称で復活しました。
ただし、戦後の祝日法は、GHQの影響によって「祭日」はありません。
すべて「祝日」です。
紀元節という用語の復活を望む声もありますが、そもそも論として宮中祭祀の日である「祭日」という用語を含めて復活すべきと思います。
日本は、天皇あっての日本だからです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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