sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2018年11月10日   2018年 作成 佐藤敏宏
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 男:表現の委縮が生まれる背景ですね。前回原発を廃止をしろという話よりも先にサンチャイルドを先に廃止しろという、何かとばっちりのような状況が生まれてしまったという話ば出ましたけれども。現在でも人々は叩き易い、本当の重要なものを叩かないで、叩きやすい相手に群がる傾向がある。例えば、例えば政府の役人が不正をしたたことよりも、ボクシング協会の会長が不正ほうを叩いたり。あと、自然災害なのに叩く相手が明確にないときは不謹慎なCMを自粛しろとか、そういう間違った方向を叩いたり。となるとやはり、叩き易い相手がいるから、叩いているのであって、明確に何が一番叩かなければのかというのを、人々はちゃんと考えていないじゃないかなー。だからヤノベさんがとばっちりを受けてしまうんじゃないかなーと思いますね。
女1:政治の話とかは全然おさらいしていなくって、あんまりそういう細かい話は出来ないんですけど。
 私はあのそこのこむこむの前の道は通勤路なんで。出来たときに、私はあまりニュース見ないから、何事かなーと思っていたんですけど。私はあそこの場所に置くのは適切だなーと思っていて。というのは、これが置かれて、否定されちゃった後で、県立美術館の常設展に行った時に、そこにヤノベさんのお船の模型とミニチュア模型とちゃんと飾ってあって。これがどうしてここに有るのかとか、この作品の文脈はいったいどういうもので、絵本がちゃんとあるので。その絵本の見るようになっていたし、キャラクターの・・かかれていて。県立美術館がこれを・・として使っているし、決して震災の気持ちとかをいたずらに揺さぶろうとしたわけではないという事を、そういう載っいる作品をきちんと表現している感じましたし。
 そこで、この作品が、福島の未来の子供たちとか、未来を担っていく人々のためにっていう文脈の中で、達成されたものであるということは分ったので。
 こむこむは子供達は、さっき本人が市長とかおっしゃってというふうな・・ おっしゃっていたのもをありましたけど。こむこむに置くっていうおがそんなに間違った話ではない、というのは私は考えてました。
 ぜんぜ話の流れの中で、・・・私アートが好きなんですけど。その中でしか話せないんで、ごめんなさい別の話が出来ません。
 ヤノベさんの作品に関して福島に来てくれるっと分かった時に凄く嬉しくって。というのは、ヤノベさんの作品、ちょっと見たの前なんで、場所を間違ったら済みません。大阪の現代美術館とか、あとは、金沢の21(世紀)美術館とかい確か置かれていたと思います。現代アートの中で凄く・・・・作品んが、福島の混乱・・・・・ 前に置いてもらったら、これを観に来る人はきっと居るし、これで町おこし的なのをするっていうのは凄いと思うし。こんなすごい人が作品寄贈しくれたんで、凄いと思うんですね。
 これをここに置いたことによって、アートがアートであるということ意外に色んな事を引き起こして来てしまい。幸せな別な流れを生きていて、事故から7年経ってですね、 私は震災当時はここにいなくって、あとから引っ越してきて、仕事とかなんですけど。戻って来ました。なので、(3・11)最初の事がよく分らない状況で、ただ皆の記憶の中では私が思っているよりはずーっと、そういう強い思いがあったんだっていう事を7年目にして・・・気もしましたし。あるいは、作品なんだから、敬意をもつべきだと思っています。なので、合わないんだからすぐ撤去するとかしないで、・置くときも先ほど行政の話しとか、合いすり合わせが足りなかったんじゃないかいう話ですが、私はそれを初耳というか、ああそんな事があったんだと思った。
・・ アートの事とか・・・知らぬ間に単に置いちゃった。福島の人々はヤノベさんという作家がどういうものなのかよく分からないかもしれないし。町中にアートがあるということが、どういう事なのかということを考える切っ掛けを与えられていない、福島では。そんなふうにここ一連の言葉を観ていて、福島ではちょっと、こう言っては乱暴なんですけど、成熟度が足りていない。乱暴なんですけど、そんなふうに思いました。もっと敬意をもって接するべきなんだと。

小野原:敬意がなかったかなとカメラNGでしたね。
女:そうです

女2:先ほどの方と意見とすこすか被るんでうすけど、私も設置されたのは確か8月3日。それでこの裏に書いてありますけど、9月17日までに撤去するということで、1ヶ月ぐらいしか置いてないわけでですけど。置いてすぐにやめるだ何だ、撤去しろという声が上がっている事に対して、私もちょっと、まだ震災が起きてから、7年経っても、市民というか、福島市の心の中ではそういう、原子力災害に対する、過敏反応というか、そういう事、気持ちがまだ薄れてなかったんだなーという事に一感心というか、驚きを持っていて。
 同時に一か月で撤去、スピード感がちょっと驚いていて、撤去するにしても早すぎるなーと思っています。もうちょっとしばらく置いててもよかったんじゃないかなと私は思っていて。しばらく置いておけば風景になじんで来たんじゃないかなー。慣れるじゃないけど、災害から見た作品というか、そういうのに関連する作品なのに、そう簡単にいくことではないと思うですけど。もうちょっとちゃんと、しばらく置いて、皆の意見をちゃんと聞いた方がよかったのではないかなーと。それに私はこの作品が好きというか、希望にあふれるような作品、印象としてはありました。以上です。

女1:ごめんなさいちょっと訂正です。市民の成熟度が足らないじゃないかという事ですが暴論化と。もうちょっと正確に気持ちを言うと、ただ置くんじゃなくって、あの作品がどういう来歴なのかとかどういう文脈の中にあるか。あとヤノベさんという人はどういう事で・・・・みんなにあの作品の良さとか、中には確か、掲示されていた気はしたんですけど。もっと見える所にちゃんと置いて。皆に分かるように、してやならければ。私が見たときはヤノベさんと分りましたけど。他の人はたぶん興味が無いって、いうか、知らない人だったのかなー・

小野原:今日みなさんにお配りした裏表の、柱があって、柱のこのあたりにちっちゃく貼ってあった。それはしばらくしてからこっちになったと。今日の説明としては。

小林:そちらの佐藤さんも、これからどういうふうに今後、蒔いた種を、継続的に福島市ならその中で、設置するするのか。設置するにしてもどう議論を巻き起こしていくか、市民感情を表明する前に、というようなことだろうと思うんです。
 で今、内の家内などと話してみると、、いつの間にかサンチャイルド像が出現して、いつの間にか消えていく。思いがもしかすると、市民の大半の印象でないかなーと。私らは関心持っていたから、鵜の目鷹の目で観ていましたけれども。あれあれあれという間に無くなってしまって。それが果たして福島市にとっていい事なのか、と思うんですね。
 行ったり来たりしますけれども、県立美術館の学芸員の方にもその問題では、どう思いますかと。つまりヤノベさんの前のベンシャーンの企画展等を仕掛けて、で全国巡回展をやった時にあれはどういう評をもっていたのかも、色々そこで教えていただいたり、その流れの中でヤノベさんが福島のあそこの常設展の中でベンシャーンの作品があって、で、ラッキードラゴンがある。そういう文脈。
 でもその事ってほとんどの市民は、分かんないと思う。分かんない事はけっして悪い事じゃないんです。むすろそういう処から焚き起こして何で福島を、もう一回やっていかないと、いけないんじゃないかと思うんですね。
 で、この話を取材した時に、美術館の学芸員の方が、美術館で観るサンチャイルドと外でパブリックアートとして見る場合とサンチャイルドはおのずと受け止められ方が違って当たり前。だからその事も踏まえて、きちんと庁内回し、一番最初に伝えましたけれども。そういう処でイマジネーションが膨らまして、もしかしてはそういう意味ではハレーションが起きるかも知れないという事を、事前に。6か月間あるんだから、そこで、市役所人たちは、やはり熟議をする。それが無いまま来ちゃった事もあるんだというふうに、私は印象をもっています

福島外から来た男:僕は今住んでいる場所は福島ではないくって。違う所から今日来たんですけども。復興という形を考えていて。原子力に関する、議論というのが、自由に出来るような、環境になるのが、復興の一つの形なんじゃないかなーというふうに考えていました。
 今回、ちょっとこむこむにこういったサンチャイルドの設置という情報が残念ながら僕の住んでいる所にはなかなか届くことが無くって。フェースブックでサンチャイルドが撤去されるという情報だけが、僕の所には入ってきて、どうして撤去されたという処がよく分からないまま、あれよあれよという間に撤去されてしまったんですね。
 僕も事情は詳しく全然知らなくって、ここにも書いてあるんですけど、設置をめぐって、賛否が分かれている事から、設置を続けることが困難。賛否を議論することも無く、議論するのか何だか嫌なんだから撤去してしまうというのは、なんだかその話をしちゃいけないのかというのが。そういう印象を受けてしまって。なかなか原子力災害すごく、人によって凄く差があるので、議論しにくい問題だとはあると思うのですが。こういった問題が、分け隔てなくみなさん平等に議論できるような、そういった形が出来ると、本当に復興に近づいてるんじゃないかなーと思って、直ぐに撤去されてしまった事が凄く僕は残念だなーと。撤去された設置した場所が、そういった問題だとか、色々あると思うんですけども。
 撤去されてしまったことが、なんだか福島にとっては、復興とは逆の、後ろ向きに後退してしまったじゃないのかなーというのを全国に示してしまったんじゃないかなーと。僕は遠く離れた場所から感じていまいました、感想でした


佐藤;渡辺晃一先生にお伺いしますけれども。アーティストというのは未来の子供、政治家も同じですけれども、未来の子供たちというマジックワードを使いますよね、僕は311が起きて原発事故が起きて、未来という言葉を死んだと思っているんですけども。いつも子供とか未来とかいうのは、アーティストにとって、凄く都合がいい言葉のように聞こえる(責任回避の言葉)んですけども、そういう議論はなされたことはあるんでしょうか。

渡辺:アーテストは基本的に、子供を使わないですよね。
佐藤:今回は特殊ですか
渡部:逆に、特殊だと思います。子供に向けて、アートを作っているのではない。圧倒的に多いだと思うですが、社会に問いかけたときに、その作品が子供に向けられることはあると思うんです。
 で今までの議論で僕は面白いなーと思ってずーっと今まで聞いてたのは、実は福島県の中学生のみんな使っている教科書にサンチャイルド出ているんですよ。

佐藤:あそうですか、知らなかったです

渡辺:それなに関わらず、子供たちの問題を広げないで。なぜ付属中学校のね使っているものとか、日本情況出版という会社が作っている教科書がほとんど支配しえいるですけども。ここで書かれているのは「東日本大震災後に希望のモニュメントとして、制作された」と書いています。
 でこれは、圧倒的多数の子供たちが見ている教科書ですよ。でもその子供たちに向けた教科書の問題をみんなスルーしてですね、これはいったい何のために、これは、凄い面白いことだなと思いますねー

 あともう一つ、子供に向けては分らない。私のもし自分が子供だったら、今あんまり駅に行きたいくないんですよね。というのはあの、ちっちゃい古関裕而恐いんですよ凄く。あの古関裕而に夜会うと思うと怖いのでなるべく見ないように通ります。だからその声をあげたら撤去するのかなと。僕は、ここはそこに何の意図があって、設置されたのか、といういう背景が分かるから。これは哲学の問題だと思うんですけども、好きとか嫌いとか、そういう感情的な問題だけではなくって、なぜそこに在るのかという価値も学ぶ事はとっても大事なことなんで。それがサンチャイルドは子供に向けて、語られるということを問題にしたい。(サンチャイルドが)でも子供に向けて作られたものだというふふうには思っていない。

 ただヤノベさんにもう一つ、お聞きしたいなーと思っていたのは、チェルノブイリに以降のね、ヤノベさんの作品から想像するのに、ヤノベさんお子さんができて、いますよね。ご自身の子供に向けて、つくられたアトムスーツというのがもう一つあるんじゃないかなと思うんですかど。その辺の前後関係ってどうなんですか。アトムスーツが出来た時期とか子供さんがヤノベさんにいらっしゃってけども。それとの兼ね合いってあったんじゃないか、と思うんですけど、も、放射線問題に関し。ごめんなさい私いただいた質問に関してじゃなくって、ごめんなさい。

佐藤:ああいいです、いいです

渡辺:ご自身の子供に向けてね、語るというテーマがあったんじゃなかなーと 


ヤノベ:もちろん原子力災害、配偶者の問題だと思うので自分の世代では処理できない事は当然だれても分かっている事だと思いますし。僕は一時だから、自分の作品をサバイバルと言うてるときに、自分が生き残るためにという前提で作っていた時期があっただけど。
 2000年に子供が生まれて、それを観た時に、新しい世紀が始まろうという時に、やはり世紀末思想の中で世界の終わりを行って、ずーっと生き続けて行く子供たちに向けて作品を、進歩しなければいけないという。そういう思いがあって、そこで、立ち上がる子供とか、それもチェルノブイに行った時の体験を元になって作っているんですけども。そういうシリーズが始まったというのは事実で。
 2004年に防護服を着たトらやんという作品を完了するんですけど。その時も自分の子供に、祖父が語り掛けるという、そういう作品を作っていたりとか。実際プライベート事が 何かに繋がるっていう、形の作品に進歩していったというのがあって。
 で、今回その 2011年に作ったサンチャイルドも、その前に作った小さな子供に語り掛ける物語も。子供に伝えたいという事もあるんですけども、やはり、それを大人が観る事によって、世の中が変わっていけばいいなーと、そういう願いかも知れない。子供のため、未来のためというのは当然なんだけど、やはりそれを変えていくのは、今の大人たちだというスタンスで作ろうということはあります。


大学生男01:福島の大学生、今年から大学に来たんですけど。今回学校の掲示板で観て、ここで話聞いてて、設置に関して悪い面もあるのだなーと作品に関して。思って。だから、意見は多様だと思うので、結果としては撤去じゃなくって今後、どういうふうにしていくべきなのか。設置の段階で返上するということが、どうして見えなかったのかなーと。、そういう事を明確かしていく事が大事なのかなーと。何が問題だったんだろう。もうちょっとはっきりさせた方がいいのかなーと思うんですけど。そういう意見ももうちょっと聞きたいなーと。

小林:8月3日に設置されて、それから1週間ぐらいは割と、穏やかな、というか、あまり異論反論というのも少なくって。沸騰して来たのは6日もうちょって経ってからかなー。・・出て来て、最初にそれを新聞で取り上げたのは河北新報です。
 で、どちらかと言うと、これは私の印象の域をでないですけども。地元の人というよりは、地元の人は「昔を思い出して嫌だ」というふうなツイッターや書き込みぽこっと出た。それを恐る恐る書いていた。でそれに対して、そこに居る・・の人たち。大阪大学の先生とか、そういう人たちがまたポロポロポロと出て来たんです。でそれに勢いがついて、相乗効果でもって非常に拡大再生産がされていったような印象。そこい郡山市に住んでいる、フリーライターの方が書いて。あとは浜通りで創作活動をしている漫画家の方もちょろちょろと入って来て。で、不思議に開沼さんあたりは今回まったくそれには参加せず。一方でご常連が出来て来ない。
 でなおかつ、地元メディアを観ると、福島を貶めるなという論調ですね、抱えがちだった地元紙は・・・でどちらかと言うと、私は本当に印象のレベルなんですけど、ソーシャル・ネットワークサービズの内でこのサンチャイルド騒動というのが非常に増幅して来た。
 で、地元市民はどうなのかなーもちろん嫌と言う人はたくさん居ましたし。で私なんかもあそこの前で居ると、例えば、私のよく知っているお婆ちゃんが来て、「最初は嫌だったんだけど、子供が足下で戯れているのと見ると、これもあってもいいのかもねー」という声もあったんです。
 美術館の学芸員の方がおっしゃられるように、野外モニュメントとは好きも嫌いも、あって当たり前なんで。そんなかにあって公共アートなのよって、その通りだと思うんです。不快感をもよおす人が居るから、じゃーなくそうかという話は非常に暴論だと思うので。じゃ~何でそれが不快なんですかっと聞くと無視しされちゃう。みんなで議論をするような、本当はあれを置いたところで議論があると、もっともっともっとよかった。

佐藤:小林んさの話に補足していいでしょうか、僕だけしゃべっていてもなんですけども。
小林:どうぞ。
学生男4:子供たちの教育じゃないんですけど、記憶に残すみたいな意見が多かったと思うんですけど。僕が聞いた意見は。、あれを見て、放射線だとかを、県外の人たちがイメージしちゃう。例えば、せっかくお米だとかも、安全ですよということを伝えているのに、そこで、もう一回イメージしちゃうという事が問題なのかなーというふうには思ったんですけど。そこらへんちょっと。

学生男5:僕もそんなふうに思っていて。何か、これの問題があったとする問題は、営利的な目的で設置されたのではないかと、凄い思っていて。設置した人が誰かと分らないですけれども。直ぐに撤去されたことなんかも。やはり、マイナスのイメージが付く事を恐れて、撤去してしまたかのようにしか。僕もそうなんです、そのようにしか思えないので。それに問題が営利的なことを関考えて設置した人は考えたのではなかなーと。なんなく思いました。

学生男6:僕は中の話はあんまり聞こえなかったので。もしかしたらズレているかも知れません。大熊町から来た者で会津若松で暮らしています。ヤノベさんとは・・・何か今後の、どうして行くかというのは・・・・放射線がイメージしてしまう。いう、それはじゃーモニタリングポストはそうなんか、ここに放射線が有るのはどうなんだ。たぶんその話って永久に終わらないとは思うんですけど。でも考えなきゃいけない。そうなった時に僕は昨日ここに来るまで考えていたのは、ヤノベさんって、1965年生まれなんですね。
 丁度お生まれになった時に万博のテーマが進歩と調和といふうい決まった年でした。で岡本太郎さん・・・あれだよとうことで、僕がサンチャイルドを観た時に、サイトいうか福島はこうだったという、的確に表現しちゃたからそれを見た人たちの一部が、拒否反応を起こしちゃったというのは、あり得るかなーとちょっと思った。のはあった。僕は大賛成なんですけども。サンチャイルド。
 だからどうするかと言うと、じゃー岡本太郎さんやらなかった、進歩と調和の方にヤノベさんが挑戦してみるのはどうなんだろう。それ何か面白いんじゃないか。
 つまり、批判をしっかり聞いて、福島市にもう一回どうですかと。聞いたものをもう一回作るわけですね。新しいサンチャイルドを作って、それをどうですかと言って全然、 黄色いけなじゃー緑にしよう、とにかく次々次々にぜんぶ言うことを進歩と調和を完全に目指してみる。これは面白いかなーと思うんですけど。みんな次々と変わっていく
佐藤:さすがAI世代、
男6:来た時に制作に掛かる、ごめんねということで、1年間とか2年間にわたって。もう一方ではサンチャイルド仕舞ってある、あれはあれで募集を掛けて、どこか県外でもらってくれる人が居れば、よろしくねーっという事で。そっちはそっちで、オリジナルサンチャイルドそっちはそっちでやります。だた押し付けたではあれだから、県外の山々自然をいかした、例えば飯館村に行くんであれば、マウンテンルーフみたいな新しく作っちゃう。・・・ スキャットと言えば近代とのぶつかり合いだけど。自然の あってもいいのかなーと特撮って近代現代の感じがするけど。もっと古いのも感じられたら、いいのか、スピリチアー 思いました。よろしくお願いします
佐藤:小林んさの補足ですけれども僕は解体している時3日間あそこで観てて、通る人の意見を聞いてました。音録もしましたけども反対する人はほどんどいませんでした。それをお伝えします。以上です

老人男性:さっき大熊の方のお話、面白かったですけど。サンチャイルド僕は他に渡したくないです。僕はサンチャイルド来た時に歓迎した方です。で、まあなったばっかりの市長だけど、よくぞ決断したなというふうにして、喜んだですが。あれよあれよという間に、え、えと言う間に無くなってしまった。でも今日話を、色々みなさん取材もされた話した話を聞いていると、ああー欠けている処というか拙速な処というか手続き上、お粗末だったなーと思わざるを得ないところがあったんで。そうそうに引っ込めてしまったんだなというふうに思って納得はしたんです。
 でもやりこれは福島の中で、どっかにもう一度蘇らせたいという思いがあります。ヤノベさんの話を聞いてね、ヤノベさんの思いって、チェルノブイから続いていて、ずーっと考えてきている、その思いっていうのが、これに籠っているということは分りまいたから。だた、チェルノブイリで体験された、あ傷つけたかもしれないんだなというような事は反省された事をちょっとおっしゃってましたけども。そういった思いもあって、あ、まだここでも駄目だったのかっていう事もあって、ごめんなさいみたいな事を早々にコメントを出されたのかなーと。その辺りのことも今日分かりました。経緯としては。
 でも僕はこれ好きなんで、ふふふ、好きというよりも情報発信っていう、意図それは、その通りだと思うし、僕はね市長の思いも、純粋に単純にだったかもしんないけども、信じているんです。聞いたわけじゃないですけども。やっぱ福島から発信しないと、いけないと思うんです。福島・フクシマ・ふくしまと言われている訳で、これが富岡にあったり飯館にあったりしてもいいですよ。サンチャイルドの行き場があるんだとすれば。でもやっぱり、福島からであってこそだなーというふうに感じるんですよね。
男:いつ言おうか迷っていたんです。今のお話聞いて今がチャンスかなと思って。佐藤さんは取材されて、今サンチャイルドのは何処にあるかといいのはクエスチョンなんです、だったんですね。
佐藤:(解体の日は一人で追跡だきなかったのです)後日色々観にいきましたけど、見つけられませんでした。
男:じゃサンチャイルドのどうするのかという話をちょっと実はしたかったです。じゃ一層の事、福島市立現代美術館。ヤノベコレクションでいいですよ、それを作ちゃった方がいいんじゃなか。そう思います。勝手なことですが
佐藤:それでいいと思います
学生男:僕が気になっているのは、今後どういうふうな、手続きでどういうふうなアピールで、誰が受け入れてどういうふうにやっていくんだろなーと。具体的な事なんです。福島市から発信されるのは僕もそれを希望してますんで。じゃどうしたらいいかと言うと、前回は福島市だけを言っていたんですね・・ 僕サンチャイルドの来た経緯を思い返すと。サンチャイルドを誰か受け入れてくれませんかと、福島市が内の市でうけいれたいです。
 やっぱりやめておきますと。でももう一度サンチャイルドを受け入れてくれませんかと、その後は福島市はたぶん手を挙げないと思います。どうしますかと、たぶん、その案がたぶん必要なんだと思います


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