sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2018年11月10日   2018年 作成 佐藤敏宏
 02
小野原: はいどうぞ
男1:ヤノベさんの場合パブリックアート作品、ということでよく取り上げられるんですが。要するにパブリックアート、パブリックスペースに展示する事によって何かを訴えたいという気持ちがもちろんあると、現実との関わり合いを持ちたい、社会に応えたい、ということですから。で、パブリックスペースに何か、芸術作品、なんでもいいんですが、展示するということは、その物がメッセージを抱えるわけですよね。ですから、そういう時には当然に、パブリックスペースですから、色んな人が見るわけで、そのメッセージに賛成する奴もいれば、反対する奴もいる。当然分かれるわけですね。その辺についてヤノベさんは予め何かお考えを持って作品制づくりといいのをやっておられるんですか。

ヤノベ:今、お話さしていただいた時に、「アートの中でやっていても実際に世の中を変えたりすることが出来るのか」っていう、あるしゅ自分の力の無さみたいなものを感じて、そういう訳でチェルノブイリに行たこともありますし。常に格闘しながら自分の表現みたいなものを、考えていて。
 例えば、チェルノブイリに行った後も、そういう問題(放射能とか核兵器)に対してずっと訴えていたにも関わらず、やっぱり自分とては「何の影響力も及ぼせなかったなー」という無力感みたいなものが当然あって。やはり「美術作館の中だけで閉じてしまっては、美術というもものは機能しないんじゃないか」という気持ちもあって、2010代以降は積極的にそういう芸術祭とかも参加しながら、どう状況が変えられていくのかという事は、少なからずやていたという処もありますね。

 今まで、パブリックな場所に。期間限定で展示するっていう事は当然ある、芸術祭との場合はそうなんですけど。恒久設置という場合なんですけど。今までの場合はやはり行政とやる場合にも、きちんとプロせずを踏んで、地元の人たちと合意形成。意見を聞きながら、場所を選びながら、作品内容を吟味しながら、進めていくということを、割と丁寧にはやっては居てた方なですけど。

 今回に限っては、それが自分がちゃんとコントロール出来なかったという、そのプロセスをやはり。当然、市長が「良かれ」と思ってやっておられるという事も分かってはいたんだけど。やっぱり表現者の自分としては、そこもきちっと責任持って「、そういうプロセスもきちんと踏むことも、行政に提言して行うべきだったかなー」というのが正直感じます。それは作品に対する製造者である自分自身の責任でもあると思って、それは思い切り受け止めてますし。
 だから、事前の話し合いがきちっと理解していただける、場を自分自身も作れなかった、というのがあるので。今回の様に、事後でも丁寧に話をうかがって、次の何か、それは僕の作品を新しく作るとかいうものではなく。今回やはり「福島から芸術って何が出来るか」という事を挑戦しようとされていた市長も、基金の方々も、多くの方々も、そういう構想を、ある意味、ブレーキを掛けてしまう事になってしまったのは「僕の責任も大きかったのかなー」と思っているので。そこを「僕自身が作品では無くっても、そういう動きを止めることがないような、形になればいい」という思いはあります。

男2:いまやヤノベさんがおっしゃった事は、今の時代の芸術家というのは、つまり周辺住民の意見を聞いたうえで話し合う、パブリックアートやリレーショナルアートという話でしたけれど。少し前の芸術家で言えば丹下健三、磯崎新のような上に立ったうえで、デカイ態度で、デカイ作品を生み出す。周辺住民が居て自分の作品を曲げたりしないという人が多数派だったと思われます。これはつまり今のネット社会の影響で、上から物を語る事は止めて、同じ目線に立ってコミュニケーションをとろうという話になったと思うのですが、それで美術家が本来表現したいものを 捨て去ってしまっているのではないかという危険がありますよね。だからと言って新潮45のような、商売の自由と表現の自由を履き違えたような表現ばかりになるもの、それはそれで駄目ですね。はい。

佐藤:今の考えには僕は反対なんですけども、グロバル社会が出来て磯崎さんや丹下健三のような人たちは、金融資本グローバルになってなかった時の大きな理想とか理性がつくれる時代にそういうことが出来た訳であって、今の時代は完全そうではないですよね。だから地域がなくなってしまって、直接なんていいんでしょうか世界みたいなの話になってしまうので、その話を二つを一緒に語ることはなかなか難しいと僕は考えます。以上です

小林
:今のお二方の話を受けて、ちょっと確認事項ですけども。確か7月の6日前後(注)に寄贈、そして記者会見があって。実はその場で既にこむこむに設置するよと同時発表があったんですね。そこではマスコミはそのまんま、それを書き流すだけで「どういう経緯でこむこう館にいったか」という、問ただしが無かった。
 ですから、例えば今年1月に木幡市長と、お話があって、そこで話がでて来たと。そこからおおよそ6ヶ月近く、ヤノベさん自身も、果たしてこの場所、この公共空間として相応しいのか、という事での当然のこと。今こちらの若いかたがおっしゃった事を、景観行政、都市景観行政はその他もろもと、あの場所が果たしてサンチャイルドを皆さんに見てもらう場所として相応しいのかという、出来れば庁舎なり、あるいは学識経験者という人たちで、当然言われるべき行為であると。それで7月6日の記者会見発表の時点で記者のみなさんから、それはなされたんですかという質問が出てない。(市長の)発表があった事をそのまま流せばいい(と考え)。
 で、そのまま来て8月3日に設置されて、それからややしばらく経って、反対の人たちの声がSNS空間を中心として出て。
 ヤノベさんは今ご反省のような事を話されましたけども、あの場所は果たしてサンチャイルドの設置して皆んさに見てもらう点で充分合理的な場所だという、ご判断なされたのかという点と。
それから、それに向けて、きちんと皆さんに合意を取り付けるような話をされたのかそれが一つ

 それから、もう一点は、今日初めてヤノベさんからお聞きますが。福島市は文化発信基地にしたいという、これは木幡市長の構想今お聞きしたんですけども。実はこれは昔話になりますけれども。昭和60年代(1985年代)に彫刻のまちづくり事業という、事業がございまして。これは昭和68年に、・・・昭和64年1987年に始まって7年間で22体が野外彫刻設置。これはちょうと野外彫刻を町中に設置するブームの時期。

 ところが、ヤノベさんのサンチャイルド問題が明るみになって、市役所の景観係に取材に行きまいした。まだこの事業は死んでない、生きているんです。(
話が)行ったり来たりして済みませんね。一番最初の年に4体は橋脚、自然空間の橋に設置したら「社会風俗によろしくないと」いう、私はこれは人かから聞きました。何人かから聞いたので、たぶんそうかもしれないです。それでもやるよということで、結果22体設置しましたが、その後どういう理由だかわからない、お金が無くなったのかどうか、事業そのものを名目はあるんですけども、まったくフォロー無で都市景観係に聞きまいたら、今みなさんで今まで設置したものを清掃を掛けている。もしこの事業がめんめんと続いていれば、サンチャイルドはもうちょっと市民の皆さんの受け止め方、野外彫刻のパブリックアートに対してね違ったんじゃないかという気がするんです。

 ですから木幡市長が文化発信基地にという自らの公約か何かは知りませんけども持ち出された時に、実はすでにその種は蒔かれていました。今ここで言っているまっさらな新たなものとしてね。私辺りはそうすること自体が私は違和感が、ヤノベさんも御存じなのご存知でないのか、知りませんでしたので、あえて昔話をさしていただきました。
 ですからヤノベさんがきちんと、あの場所がいいのか、どうなのかというのを、作者としてね。異論をさしはさむ余地があったのかどうか。、立場の そういうふうな過去の彫刻まちづくり事業がすでにあって、そして今も生きている。その理解はおありかと、この二点です。 

ヤノベ:その彫刻のまちづくり事業に関しては、そこまで深くは存じあげていませんでしたし。もしかして木幡さんも去年の暮れに就任されたばかりなので、そこまで把握しておられるのかどうかは僕も分かりません。それはご本人に聞いてもらいたいと思います。
 こむこむの場所というのは、実際は「福島市に置きたい」という市長のお呼びがあった後、幾つか場所を検討するという事で、僕自身も何か所か下見に伺いさしていただきました。で、市役所の中であるとか、三角公園であるとか、東口の方であるとか、信夫山の方であるとか、幾つかの場所で、こむこむもそうなんですけども。
西口の駅前すぐにという話もあったんですけど、幾つかの候補があって。それはそれぞれの場所を観ながら、市の方々と「ここはどれぐらいの人が見る事になるんだろうか」とか、そういう話もしてた中で。そのこむこむの、子供の未来を担う施設という所に。一つ引っ引っ掛ったのは、今回、市長も基金の方々も、今の子供達というのは震災事態のことを、もちろん生まれてなかった子から、知らない話を聞いて。市としては「(3・11大震災の事を)きちんと伝えていきたいと」という思いがあって「子供に見せたい」で、その、夏休み前に設置を急いだというのも「夏休みまでに立てて、子供に観てもらいたい」という、そういう市長の強い思いが、有ったというのもあったので。その中で、やはり「こむこむの前が最適なのではないか」と僕も思たですけど。「最終的には市長、市の判断にお任せします」と。というような形でお伝えしまし。というのは僕も(福島)市内に生活しているわけでなないので、その場所がどういう形で市民に親しまれるのか、市の意向にどうするかというのは最終的には決定できない。こむこむ館というのは可能性としては、意向としてはあると思いますが、最終的にはお任せしますという形です。


佐藤
:県美術館に行ってなぜ受け入れなかったのか聞いたんですけども。「あの彫刻は恒久設置として(素材の問題があって)外部に置けない」とおっしゃってました、それでデカイの置く所が無い。二つが主な理由でした。
 話かえますけれども、自然エネルギー基金にヤノベさんが寄贈されて、自然エネルギー基金の人方たちが「持て余したのではないか」と誤解かもしれませんけれども、今思っているです。持て余ししたところに赤坂さんとか、基金の方がヤノベさんから勢い受け取っちゃったんだけども、持て余して、誰か受け取る人を探していていたというふうに僕は勝手に解釈してるんですけども。それは誤解じゃないでしょうか、僕の誤解ですか。ヤノベんさんに聞いても分からないかな

ヤノベ:それは悲しい話なんですけどもね、それはご本人に聞いていただくしかない、
佐藤:だれも聞けばいいんですか
ヤノベ:分かりませんけれども、僕は・・
佐藤:流れを観ていると寄贈された方が持て余して福島市に投げたみたに見えてしまうのですけども。僕の根性が腐っているか、なんだかよく分からないので、それは誰に問うたらいいんですか、しぜんエネルギー基金のGOGの方に聞けばいいんですか。誰かいませんかそれを知っている人はここに、

ヤノベ:僕はでも、やはりきちっとね、アートで発信して行きたいという事をずーっと続けておられますし、市長もそういう気持ちで、何か変えて行きたい、新しく就任して、色んな物を変えて行きたいという気持ちが大きくあったという事を信じています。

佐藤:僕もそれを信じたいですけどね

小林:小林と言います、先ほどの私の話に続きなんですけど。この問題が起きた時に「市長の独断で判断した訳じゃないよね」って言う事で、市役所、それから県立美術館等々に、関連部署に取材に周ったんです。当然の事で市役所も、教育委員会だけではなく他の部署等も「庁内回しをしていなきゃおかしいくない」ということで。優れてあそこに配置するということは都市景観行政に非常に関わってくるし、景観まちづくり行政という、当然の都市景観係に、そういう話が降りてくる、これをどうするか、係長さんと若い人にお話を聞いたところ「私たちは一切うかがっていません」と。
佐藤:独断ということですか
小林:非常にびっくりて。つまりあそこに、あれだけの6.2m高さの物を置いう事は都市景観の中でどういうふうな位置、ビジュアルで見せていくのか、という重要な観点が出て来るんですね。それを見せて行くために、あの場所でいいのかどうかという事は、庁内回しをしっかりしてなきゃいけない。これは教育委員会通さずにしていい、話ではありませんし。だから、関係部局を招集して少なくっても「どうなの」とそういう処で、色んな問題点を出して来れば、かなり都市景観係も出してくれば、彫刻町づくり事業が実は今塩漬けになっています。その中で実はこういうこういうかって裸婦像でこういう問題が起きたことがありますよと、絶対に市長にインプットされたはずなんですよ。
 そういう庁内回しがあって、みっちりと審議をしていれば、仮に、今回8月設置して色んな、異論が出てきた時に、きちんと庁内回し、それから、学識経験者、こういう意見を聞いた結果こういう判断をしたんですという、非常にクリアに説明が出来るはずなです。ところが、説明するための材料が何も無い。突っ込まれたらそれに対して「きちんとした手続きを踏んでます」と言えないじゃないですか。
 私はサンチャイルドを物議をかもすにしても、あの場所に撤去するべきではなかったと見ておりますので、そういう意味では厄介払いをしてしまったという、非常に俗な解決のしかたをした。それで今佐藤さんがおっしゃった、そういう経緯をうんぬん、いわゆる脂っこい部分は誰かというのか基金に聞くしかないじゃないでしょうかねー。

佐藤:では基金さんに聞きに行きます。
小林:その方がいいと思います
佐藤:分かりました


永幡:今、庁内回しをしたらという意見がありましたけれども、市の人の肩を持つ気はないですけれども、例えば、そこのこむこむの横のとかに垂れ幕とか立てていますよね。あれNHKが立てて、ああいうものをやる時に、おそらくわざわざ、庁内回しをしないですよね。
小林:公共施設じゃないから

永幡:で、おそらく、そこの施設の敷地の中でやっているから、きっとだから「自分たちの所でいいだろ。ぐらいのセンスしか無かったのではないか」と邪推しているです。それに関しては。
 だぶんパブリックアートであるという意識がそもそも無かったんではないか。だから、作者がパブリックアートであると思ったとしても、受け取った側が、そのような意識が無かったのではないか。そう考えると比較的何が起こったのか分かりますね。その後役所の中の動きというのは、きわめて自然な流れだったのではないかと思いますけどいかがですかね。

小林:確かにその通りだと思います。景観係の方に、貴方たちに、内返しは無かったのと聞いた、ら返ってきた答えは「景観行政という観点からはありません」あそこの、こむこむの、(閾)敷居がありますよね、あそこまでの高さとか、そういう処で建築基準法と問題点が無いかどうか、というふうな、当該部署からの問い正しのようなものは無かった。とうことです。
 それなので、それは貴方たち、技術論になるんですけども都市景観を仕切る場所としては景観行政の立場から、もの申すという在り方があっていいんじゃないかななと一つあります。
 で、NHKさんのあそこの垂れ幕も、本来は都市景観行政からすれば、あの色合いとか、そういうモノが相応しいのかどうか、同然議論があって、しかるべきですけれども。そういう議論を興すような福島市の状況に無いじゃないですか。ちっとも無いです。
 今日、サンチャイルドをの話をしなければいけないんだけども、私は話しちゃうとどんどんしますけれども。 つまり、サンチャイルドをも都市景観の、まちづくり構想としてとらえるべきだと私は思います。そういう意味ではまったく、市長は「私芸術の事はわかりませんから」と途中で逃げちゃいましたよね。あれもびっくりしたんです。芸術が分かんない人が、ヤノベさんの作品を万々歳で受け入れちゃうと。僕は非常にヤノベさんに対して無礼なこと言っていたと観ています。個人的な感想です

佐藤
:経緯が分かったところで、今回の原子力災害をどういうふうに記憶を風化させないかという事で、たぶんヤノベんさはそれを置くことによて、忘れさせないという機能を果たしたので、僕は凄くいいことだったなーと思っています。
 市長が勝手に片づけてしまったので、あらもう(サンチャイルドと原子力災害についても)話す機会も無くなってしまったので、残念だなーと思っているですけど。僕としては再設置を目指す運動なり、そういうヤノベケンジ入門なりを開いてですね、研究会などを開いて、自然災害もあり、そうですけれども,原子力災害って特殊なので、そういう記憶を継承させるために、僕たちは今何をやらなきゃいけないのかということを、サンチャイルドをは教えてくれると思っているんです。
 ヤノベんさんは太陽を持っているとか希望がどうのこうのという話は今回の災害の記憶とあまり関係が無いとは思うんですけども、アート作品が私たち、一号機、三号機、2号機が壊れ4号機が爆発して、あの恐怖感は忘れてはいけないし、なぜそこに至ったかという、福島県が県民総意で原発を誘致したわけでして、誘致した事によって色んな施設を造っているわけですねからね。そういことをひっくりめて、事故だけで話すのではなくって、私たちはあれは必要で作ってしまった。僕のおじいちゃんあたりが造っているんですけども、そういう事実をぶっ飛ばしてしまって、サンチャイルドを片付けたからもう分かった気に、分からせないというか、それが一番問題だと思います。その辺の話に移っていきませんか。

 そういう話じゃないとせっかくヤノベさんがいる、被災者が表現者の表現行為を委縮させるといいうのは最悪だと思うので言っているですけども。ヤノベさんにはもっとのびのびとですね、気持ち悪い馬鹿野郎片付けろと言われても、どんどん持って来てもらってですよ、やり続けてもらいたいわけですよ。

 ここに来るにもね僕たちは吊るし上げるために来てるわけじゃないくって、分断と対立が起きている処をどうやって、この対立を無くして、対立を興したのは市長ですからね、勝手に対立していると言って、アンケートを僕は観ていないので、分からないけども、今請求しているので、アンケートを届きまいたらネットに全部打ち子で公開しますけども。対立しているというけれども、本当に何対立しているのだ、何に反対しているのか分からないとこどで言っていてもしょうがない

 だから作家の人たちは僕たちに見たくもないものを、でも見せてもらって、忘れさせないという事を、被災者である僕たちは応援したいと僕は思うのですがいかがでしょうか。思い出したくおないですか。

永幡:僕は割と撤去してよかったと思う。僕はこの場所に置くべきではないというのが、ずーっと思っていたことなんだけど。どういう事かというと、そこの場所って、駅に行く時に、通らなければいけない場所ですよね。
 観たい人、見たくない人必ず出て来ると思うんです。で、見たくない人たちが、でも強制的に見せられるっていうのは、それはその人たちの人権侵害だと思うんですね。同じことを例えばね、ひと昔前にそれは話題になっていた、モスキートトーン、若い人は聞こえるけども、年をとると聞こえない、高い音でね。若者が夜集まって困る所で、ピーピー鳴らして、それで、そういう人たちが来ないようにするっていう対策を立てた時に、人権侵害だという話になったと思うでが。
 それを同じで、聞きたくない人たちに強制的にそのようなものを聞かせることで、人を排除する事が許されるのか。そのように考えた時に、何て言うかな、それはたぶん程度の問題があると思うんですけれども。このような、人がとにかく駅に行こうと思った時に、通らないという選択肢が非常に難しい。特にバスなんかに乗ってしまったら見えてしまう。そのような場所にそれを置くっていうことはかなり慎重じゃなければならないと思うし。これがもっと小さな大きさでバスから乗ったら見えないという事だったらたいぶ話は違っただと思いますから。
 このような大きさで、見ないで済ませるっていうことが出来ない物を、こむこむ置くっていうことは、少なくっても拙いんではないかなと。
 なので違った場所でもっと見たい人が、わざわざアクセスしないと見えないような所に置いた方がというのと、議論が全然違うのではないかと思います。

  その03へ