sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2018年11月10日  
 ヤノベケンジと福島市民の対話集 
2018年 作成 佐藤敏宏
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小野原:こんにちは。てつがくカフェ@ふくしまです。今日はこんなに大勢の人にお集りいただきまして、驚いておりますけども。9月にサンチャイルドでアートでてつがくカフェをやったんですが、本日ヤノベケンジさんがいらっしゃるということで、おもう一回同じテーマで語り合いたいとおもっています。
 本日NHKの方の取材が入っていて、テレビカメラも入りたいというふうに申し出がありました。毎回の事なんですが取材に関しては、その都度その都度お集りいただいた皆様にOKかどうか、撮影もOKかどうか、録音OKかどうか、確認しております。取材されたら困るな~とか、この場に私が居ることがばれたら不都合だとか、ありませんでしょうか。大丈夫でしょうか。よろしいですか。撮影に関してカメラに写りたくないという方がいらっしゃいましたら、予めお願いします。一人いますのでカメラの方、こちらにも居らっしゃいます。それ以外の方は大丈夫でしょうか。よろしいですか、ありがとうございます。

 (初めて参加の方のために対話のルール説明省略)

 先ほどもうしましたが9月に、てつがくカフェ@ふくしまをやりまして、その時の簡単な板書を、こちらに張り出しておきました。サンチャイルドという作品に関してどういうふうに感じたのか。設置から撤去にかけての、あっという間でしたけれども、そういった話とかでました。これを全部おらさいするつもりはありませんけれども、こんなふうな事があったということです



怖いとか、おっしゃっている方もけっこういらっしゃって、実は先ほども9月に来てくれた方も来てくださったんですけども、今日この(壁面にサンチャイルド写真)写真が怖いといって、「無理」と言って帰って行きました。そういう無理という感覚もあるんだなーと。僕はそれは意外に思っているんですけども。そういうふうに感じられる方もいらっしゃると。
佐藤:事実確認をしておきたいんですけども。ヤノベさんが2016年11月17日GOG(ギャラリーオフグリッド)に10分の一の模型を寄贈されましたね。その時の話の流れで、一分の一を寄贈すると。それでヤノベさんとしては県立美術館にまたは県立博物館という条件があったわけですが、それがいつの間にか無くなり、福島市に寄贈された。それから、寄贈する時にアート世界のクリエーターが集まって、アートとか文化とかそれを考える、基地を作るという事とセットで寄贈という話されている訳ですけれども。そのセットの寄贈されているということと、美術館・博物館が飛んでしまって、何か解らない間に福島市に1年半後には突然出現した訳ですけれども。その辺の経過をですね、色々調べても分からないので、分るように最初に説明して頂けると助かるんですが、よろしくお願いします。
ヤノベ:今の質問に入る前にまず、今回さしていただいて、僕としてはとても感謝しております。というのは、経緯をもちろん皆んさんご存知だと思うのですけども。主にネット上での意見は僕も関西に居てるので、それは分るですけども。やはり、福島市民の方の住民の方の意見を直接聞くことが出来なくって。やはり、それは直接対話することで、今回起った出来事を僕自身も把握させていただきたいという思いがあって。出来るだけ、市民県民の皆さんと対話したいということを、早くから言っては居てたんですが、なかなか僕自身がその機会をつくることが出来なかったんですけれど。今回のみんさんを始めこういう会を設定して頂いて、僕が、どうどうとここに来て話に応えるという機会を設定させてもらって、とても感謝していますし、これだけの多くの人が、集まって頂けたことも嬉しく思っております。
 なので、本当に今言われたように疑問とか、あるいは全て、僕がお答え出来る範囲でお答えしますので、忌憚なき意見もどんどん言っていたいて、僕自身もきちっと把握して、僕自身も出来る事あるいは、・・・・含めて、答えを見つける切っ掛けにさしていただければと思っております。

 今の質問で、まずGOGギャラリーで。僕自身は2010年に、(東日本大震災)震災前に県立美術館(注1)で展覧会をしてから、福島の人との関係がうまれて。震災後も何かお手伝いすることが出来ればという事で、ビエンナーレ(注)に関わりずっと長い間関わらせていただいて。で、GOGの活動も、非常に「福島から送り出しませんか」という事で、進めさせていただき、そのプロセスを、福島で2016年の展覧会ではさせていただいて。でその中で「何か作品を寄贈してもらいないか」ということで。模型、一番最初につくったサンチャイルドの模型を寄贈する話にもなり。
 でそもそも基金の理事長(以下基金)しぜんエネルギーの基金さんや赤坂(博物館長)や会津の博物館で働いている方々の福島から文化を発信するという、活動自体は非常にリスペクトしてて、何かお手伝い出来ないかという思いもあったので。で一分の一を寄贈します、もしよろしければ、模型は寄贈します、もしよろしければ、一分の一もお役に立てればという話はしてて、その時点で美術館博物館に必ずという約束は、それはしていないんですよね。それは

佐藤:(博物館・美術館へ)それは約束していませんけれどもヤノベさんの希望としては博物館か美術館がいいなーといということで
ヤノベ:まあまあ、それも可能性の一つですけれど。別に他のケースというもの考えていたというのは、博物館・美術館じゃなくって。要するに、近年、地域アートプロジェクトというのは多く、福島でもそういう発信が、福島から出来る発信が出来きないかという活動は基金さんも赤坂さんも他の方もされていて。
 まあ、ひいては市長含めて、そういう僕の作品をただ見せるだけじゃなくって、広い意味でたくさんの人たちから、そういう人が集まって、発信できる場を創りたいという構想自体にも理解をして、お役に立てればという話はしたと。

佐藤:その時には福島市長は関わっていないと思うのですが

ヤノベ:ないです、(関わって)ないです。まったくないです。で、福島市長の件に関して言えば、今年の1月に基金さん、(しぜんエネルギー)基金の方が市長にお会いして(注)、こういう作品を2年前に寄贈を受けた。そして「何かお役に立つことはできないか」というお話をされたときに、市長が、木幡さんは以前、岡山県の副知事やっていた頃にも大原美術館でサンチャイルドを観られていたり。あるいは、香川県の小豆島のプロじェクト(注)の作品を観られていた事もあって。この作品を今回、何か福島でいい形で落とし込めればという思いがあって。その一つに「文化的な発信が出来る切っ掛けになればいいな」という思いもあったんで、。そこから8月3日。

佐藤:自然エネルギー基金に寄贈されたものがなぜ、福島市に移動しているのかというのが分からないんです。そこの処を説明していただけると、助かるんですけど、ヤノベさんも分からないですか。

ヤノベ:いえいえ市長が非常に乗り気で、市長はやっぱり(福島)市から作品を世界に伝えたという思いがあったというのが、基金さんが市長と話されてから、すぐに、連絡いただいて、「それならそのサンチャイルドという作品が大きく役に立ていただけるのかなー」っていう期待はもちろんありました

佐藤:福島市長の強いアプローチがあったので、そうなったということで解釈していいですか
ヤノベ:そうです
佐藤:それから文化発信基地とセットでという話がGOGではあったのですけど、それが無くなってしまった理由は

ヤノベ:文化発信基地という構想はそれまでもずーっと持たれていましたし、幾つかの案件があったのが、なかなか実現しなかったということもあって。まあそれは僕も見ていて、なかなか上手くいかない。

佐藤:たいへんだと
ヤノベ:あって、デー今回市長の話が出た時に、それならば、市も含めて、その(福島)市からそういう発信基地のような形も、プロジェクトに繋がればいいのではないかという構想もあって。そういう構想の中の切っ掛けとして役に立ててもらえる事が出来ればという思いがあって、動き出したということです

佐藤:ありがとうございました。時間がないということで自己紹介しませんでしたがよろしいでしょうか。ありがとうございました。

小野原:ヤノベさんがいらっしゃっているから、ご本人に聞きたいことがあるかと思いますけども、そういう会では無いんですけれども、

佐藤:事実確認だけでもしておきたかったので、ありがとうございました。
小野原:作品そのものについてもそうですし、それからやっぱりこの間の経緯とうか、美術品、作品が、ああいう形で設置されて、あっという間に撤去される、撤去という言葉も気に入らないんですけども。ああ、あの撤去されてしまったという事は非常に大きな問題だと思ってですね。どっちの問題に関しても、ご自由にご意見ございきましたら。ヤノベさんから何かお聞きになりたいことがあったら、どうでしょうか

佐藤
:まだ誰も無いようなのでまた聞いていいでしょうか
小野原:はいどいぞ

佐藤:みなさん喋らないから、僕がまた聞きますけども、ヤノベさんがアトムスーツを着る時に、自分が人間じゃなくって、違う世界から降りて来たというか、神様になったというか、そういう、エキスポタワーの前でそれを着ながら答えられているんですけども。あれはどういう意味ですか。妄想であるのか、それとも本当にそう思っているのか、そう思いたいのか。その辺りの、自分がアトムスーツを着るという事は、リアルな世界と、私たちの生きている世界とどういう関係にあるのか、もし教えていただければと思います。

ヤノベ:ちょっと補足すれば、アトムスーツというのは1997年に僕が自分で作った放射線を感知する服を着て、チェルノブイリの立ち入り禁止区域に行くプロジェクトがあったんですね。
 で、ちょっと話が長くなってしまうんですけど。その時に着ていたのがアトムスーツというものなんですけど。なぜそのプロジェクトに至ったかという、事を含めて言うとまた話が長くなるんですけど。僕はその作品を作り初めて、デビューしたのは1990年で。91年に起こった美浜原発の小さな事故を切っ掛けに、体を防護する、鉛に覆われた鎧みたいなものを作り始めて。そういう社会的なテーマを扱うようになって。で、その社会的なテーマを扱う中で美術作品として、美術館に提示していた、経緯があったです。
 1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こって、これ現実に起こってる事に対して「何も美術の中では応えられえないなー」という思いがあって、そこから現実に踏み出すような、こういうものを自分の作品の中で絡み出して。実際その「チェルノブイリという場所に行くことで何か見つけることが出来るんじゃないか」と。それはちょっと、大阪万博の話とも繋がるんですけど。そこで、実際に内部被曝しないために、体をシールドされた、潜水服のような服装と、体中にガイガーミラーカンを装置した服装を作って。許可を取って、立ち入り禁止区域内に入って、その誰も住まなくなった廃墟ですね、それを「未来の廃墟」という意味をもって、立ち入ったというのが1997年に行ったアトムスーツプロジェクト。佐藤さんはその話をされていて。

 で、やっぱりその、アーテストが表現する時に、そういう日本というのはやっぱり核爆弾を落とされたいうことも含めた、「自分のアイデンティティと世界の歴史の中で、もっと俯瞰した眼差しで表現をしないといけない」という意味で。個人的な事もあるんだけど、やっぱりその多くの人が、その作品を追体験できるように俯瞰した視点を持ってもらうために、神なっていう言葉はたぶん使ってないと思うんですけど。

佐藤:使っていませんね

ヤノベ:時間旅行をしたり、あるいは宇宙から地球を観る眼差しで、その出来事を観たり体験したりするという事を感じて欲しい、という思いで作って行ったのがこのスーツプロジェクトというものです。はい

佐藤:ありがとうございました
ヤノベ:かなりマニアックな話
佐藤:アトムスーツの事が分からないと黄色いサンチャイルドの防護服が嫌だという事に答えれないので確認しておきました

ヤノベ:まあそうですね。その時に着ていた服が黄色い色をした、アトムのような、鉄腕アトムのような角を付けていて。体中に、胸とかよく言われるんですけど股間の部分とか、目玉とか、ある種、放射線が通過する事を、感知することがすぐ分る、脆弱な機関の上にガイガミラーカンを設置して、その通過した回数が胸のカウンターがカウントをしていく、というね、非常にアナログな構造をもった、放射線感知服という、要するに目に見えない、痛くも感じないものを感知させる、新しい皮膚のような作品のイメージで。1997年に制作して、実際それを事故11年後のチェルノブイリに着て行った(注)ということです。

 その立ち入り禁止区域内に自主帰還していた人々に出会ってしまったというのも、そのプロジェクトで体験した事で。そこに自分自身はやっぱり衝撃を受けて、自分の表現行為が人を傷つけたり、それを利用するような形になってしまったんじゃないかという事を、そのプロジェクト中にもショックを受けて。その記憶を廃棄しないといけないんじゃないか、というのが、その責任をずーっと背負い込まないといけないじゃないかと思い続けて、1997年以降は作品を作っていて。

 やっぱり当然、そういう状況ってなかなか、日本では分ってもらえなかっただけど、それでもやっていって。今回、震災と原発事故が日本で起こってしまった事にもやはり衝撃を受けて。
 多くの人は「じゃーアトムスーツ着て行かないんですか」と言われたときに僕は「それは行く事はできない」という葛藤もありながら。それでも、今起きている問題というのは、もちろん、ここ福島の事だけとか、日本の事だけとかじゃなく、チェルノブイリの時に感じた、これは地球全体が責任を背負い込まないといけない出来事が起きているという事に向き合い、希望を持てるような、ものを何か今表現しないといけないじゃないかーという、まあ搾り出すような気持ちで作ったのがサンチャイルドで。この作品は2011年に、そういう思いで制作をした作品なんですね。

 本当に、日本の全ての人の心が折れそうで、僕自身も当初は何つくっていいのか分からないという時に。その時に福島にでも来させていただいてワークショップの手伝いとか、大学の方とか、美術館の方々が(参加され)、2010年にたまたま展覧会をやっていたから、何とかつなぐことが出来て。そういう活動をしながら、2011年に起こった出来事を前向きに転化できる作品を何と作りたいという思いもあって。別に誰に頼まれたわけでもなく、作品を京都の学生たちと一緒に話し合いながら造った、というのがこの作品です。

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