FC2ブログ

記事一覧

創価は詐欺、ではありませんけど?

ご無沙汰しております、鯛焼きです。
まもなく今年も終わります。早いなーと感じますが、個人的な今年のトピックスは何と言ってもこのブログを立ち上げたこと(笑)

そしてTSさんはじめ色んな方々と、ブログ上ではありますが交流できたことはとても有意義でした。

その意味ではシニフィエさん、彼がいなければこのブログも存在しなかった訳で、彼には感謝ですね。次元はまるで違いますが、大聖人が平左衛門頼綱を恩人とみなしたような感覚です(笑)


でも、シニフィエさんは「鯛焼きさんの話題には二度と触れない」とたびたび書いてたはずですが、今ブログを見てみると、ちゃっかりまたまた書いてますね。

よほど悔しいんでしょうか。
もしかして鯛焼きのことが好きなのかな?

私は「専守防衛」を公言してますので、書かれたら書き返しますが、読んでみて相変わらず可哀想な思考の持ち主です。

>アクセス数をあげるためだけなら、創価脳とバトルすれば撥ねあがるのはわかっているのですが、もうそんな不毛なことをやる気はありません(笑)。

なんて書いておられますが、結局不毛になった理由は、シニフィエさんの知識やレベルでは、到底私のようなバリ活には太刀打ちができなかったということ。

また、

>創価脳とのバトルでアクセス数が上がっても何の意味もないばかりか、ブログの信頼性を失うことになります。

は? 信頼性を失ったのは、シニフィエさんが私との対話で太刀打ちできずに「世界の山根」「サバンナ」と平気でなりすましをやったことが大原因ですし、ダイナムさんみたいなウソっぱちなおっさんのコメントを疑いもせず掲載したからで、つまりは自業自得。


笑ってしまったのが、このコメント。

>ただ、創価に疑問を持った学会員さんがこのブログにたどりつきやすくする必要はあると思います。なので、ブログのタイトルの先頭に「創価学会とは」とつけました。

とご自身のブログには、既に会員でもないのに「創価学会」という名前を勝手につけているのにもかかわらず、

>自分の名前がくだらんブログのタイトルになっているのは気持ちのいいものではありませんからね(笑)

と、私のブログに「シニフィエ」とついていることに難癖をつけている点。

こういうのをダブスタって言うんですよね。
私もアンチ創価の方が私のブログにたどりつきやすくするために、あえて「シニフィエ」とつけているんです。

もしシニフィエさんが「創価学会」ではなく「ある教団」とか「S教団」なんて風に変更すれば、私も考えましょう(笑)


それにしても、シニフィエさんは「事実と真実は違う」という点に相変わらず気付いてないようです。

自分で見たこと聞いたことがイコール真実では無いんですね。

御書に「餓鬼は恒河を火と見る 人は水と見 天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり」とありますが、自分の境涯やレベルによって物事の捉え方が大きく違ってきます。

シニフィエさんや彼の信者さんは「創価=詐欺」としか見れない低い境涯なだけで、実際には、創価学会の信仰で人生を満喫している会員がたくさんいます。

私自身も今年はキャリアハイの年収を稼げて、公私ともにたくさんの幸せを感じました。もちろん辛いこともありましたが、人間的に大きく成長できたかなって思います。これも創価学会の信仰のおかげだと感謝してます。


それはさておき、前にも書きましたが、例えば、お酒は楽しく飲めばとても素晴らしい飲み物です。ですが、その反面、酒で人生を狂わしてしまう人も大勢います。

シニフィエさんは、まるで正しい酒の飲み方も知らずに「酒は害だ!」「酒を飲む人は全員おかしい」なんて言っているようなもの。

酒で溺れた人にしてみれば「酒は悪だ!」と思う気持ちは分からないではないですが、でも現実には、酒を楽しく呑んでいる人も多数いる。この点を一切無視しているのが、彼の思考能力の限界ですし低い境涯の証左なのでしょうね。


「創価=詐欺」とシニフィエさんが、そう考えてしまう理由の一つに「自分の考えこそ正しい」という慢心があります。

シニフィエさんの主張をまとめれば「自分でよく考えれば、創価学会は詐欺集団となる」「創価=詐欺と思わないのはおかしい」という考えになりますが、実はその思考法こそ間違っているんです。

シニフィエさんが創価学会の悪しき事実だけしか見ることができない低い境涯で、創価学会の真実を見ることができてないことが問題なんです。


昔、ある先輩が言ってました。
その方は創価一貫教育を受けて、傍から見れば創価エリートなんですが、でも一時期、反抗して「創価を辞める!」とまでなったそうで、その時に色々と思索したそうです。

その先輩が出した結論は「創価は正しい。正しい宗教は創価学会」

つまり、再度冷静になって感情に流されずに、ご自分で色々熟慮し「創価学会の教義が正しいのか否か」を突き詰めたそうですが、出した結果が「創価が正しい」との判断。

まさに、自分で考えて創価学会を選択される方がいるのも事実だということ。

私もそこまではいかないが、「なぜ、信仰しているのに?」と思うことはあります。でも、そこで判断基準にすべきは「自分の考え、感情」ではなく「正しい法、ルール」に基づいているかどうか?

ここが大事です。
己の感情だけで物事を判断することほど危険なものはありません。

「心の師となるとも心を師とせざれ」と仰せの通りで、自分がどう思うか?どう感じるか?ではなく、その考えや感情の前提となっている「法とかルール」で判断するのが大事なんです。

で、その法やルールが本当に正しいのかどうか(創価の教義についてとか)で正邪を問うのは大歓迎なんですが、彼はそこまでのレベルには達しておりません(笑)

創価=詐欺という邪義にのみ囚われている方なので、深い教義の話は分からないのです。

つまり「こういう根拠で、こういうルールに基づいて、創価学会は正しい正しくない」という判断基準がない、持てないことがシニフィエさんの欠点です。

ご自身の感情だけで「創価=詐欺」と言ってるだけですので、バリ活には何も響かないし、そんなシニフィエさんの悪しき思想に騙されて脱会する人や退転する人は、そもそも正邪の判断基準を失ってしまってるので、もう一度「なぜ創価=詐欺と言えるのか?」「本当にシニフィエさんやブログに書かれている内容だけで判断していいのか?」を冷静になって突き詰めて欲しいものです。


久々にブログを書くもので長くなってすみませんが最後に。

創価学会は、仮に池田先生亡き後も、また原田会長が退いても、ずーと続いていきます。

シニフィエさんは今60歳だとして、長くてあと30年でしょうか?

ですが、創価学会は30年経ったあとも必ず存続しています。確かに日本の会員数は減っても世界中にこれだけ広まってますので30年で崩壊することは絶対にありません。

シニフィエさんはご自分の死後すら、明確にどうなるとか分かってないようですが、正しい死生観を持たずに、このまま老いゆく人生を歩む。人生に悩む人を救うことすら出来ないのに、愚痴や文句ばかり言っている。実に虚しいし惨めな生き方です。

創価=詐欺と叫び続けても、創価は詐欺ではないし崩壊もしないし(笑)
結局何のために人生の尊い時間を費やしているのでしょうかね?

平気でなりすましをするような(笑)、ああいう人格、人生は絶対に歩んではいけませんね。絶対にあんな人間になってはいけない。深く自覚できます。

明年も何かと忙しくなりますが、ブログは不定期に書いていきます。
どうかよいお年をお迎えください!
関連記事
スポンサーサイト
★一度コレで痩せると、再び脂肪をつけるのが困難になります!?...
★頑張らないでも脂肪がドバッ!?〇〇を飲むだけで簡単減量がデ...
★実は「男性の脂肪」は簡単に落ちることが判明!?その方法とは...

コメント

こんばんは

シニフィエさんの話はやめたらいかがでしょうか?
シニフィエさんは退会者です。
退会するくらいだから組織に不満は持ってますよねと言えばすむ話です。
シニフィエさんのブログは大繁盛です。
創価学会に不信を持ってる人が多いことを認め、ブログ名も創価最高とか変更して、学会員になってよかった事を鯛焼きさんがお書きになる方がはるかに有意義だと思います。

Re: タイトルなし

とくのさん、ご無沙汰です。
ご意見ありがとうございます。

ですが、彼のブログが繁盛してようがいまいが関係なく、反論すべきは反論する必要があります。

彼は間違ったことを言っていますのでね。
不満を持ってますね、で済む話では到底ありません(笑)

これからも「専守防衛」に徹してこちらからはとやかく言いませんが、反論や批判は行って参ります。

支部長とは真逆な輩ですが、

今年は大変お世話になりました。
創価アンチの輩ですが、
貴兄ブログは楽しみでした。

支部長の
お考えや価値観には
真逆な思想の輩では、
御座いますが、

こと、
死に増え教祖さまのブログに
対する支部長のスタンスには
共感いたします。

ダブハンや、
成りすましの死に増えブログに
共感する馬◯に、、、。

いやはや、失礼しました。
良いお年をお迎えください♪

Re: 支部長とは真逆な輩ですが、

今年一年、面白い誤字ギャグで楽しませてもらいました!(笑)
ありがとうございます。

また明年も気が向いたらお越しください。
良いお年を!

何度もしつこくすみません
シニフィエさんの話はやめてほしいと強く願いますが鯛焼きさんの考えも変わらないようです。

それでしたら鯛焼きさんに質問します
シニフィエさんは創価学会に絶望して死に場所を求めたと書いてます。
デリケートな触れてほしくない事を確認できませんので細かい事柄は異なるもの一番大きな原因は私と同じかなと思います。
学会活動最優先の生活を45年ほどおくってきた親から子供の自分の顔を認知症で忘れられても鯛焼きさんは退会しないのですか?
答えは
①お前の親は、45年も創価の役職、新聞配達、車を運転して会館まで送迎したり、一日中運転して選挙支援した結果が認知症で自分の名前も家も子供の顔を忘れた親、親から顔を忘れられた子供、お前のようになりたくないと言われるのが嫌だから、入会する人がいなくなるから退会する
②さんざん学会活動した親から顔を忘れられた惨めな人間と言われても一生学会員でいる
鯛焼きさんはどちらでしょうか?
私はまだ学会員ですけど、来年の元旦親に会いますが、会いたくないので泣きながら題目あげてます
鯛焼きさんに人として誠意があるなら今年中に私の質問に答えて下さい

Re: タイトルなし

たびたびのコメントありがとうございます。
本題に入る前に言わせてくださいね。

「創価=詐欺である。そんな創価から抜けて欲しい」との思いでシニフィエさんはブログを書かれてますが、これが許されるのに
なぜ「いえいえ創価=詐欺ではありませんよ」と私が書いたら、とくのさんは「もう、やめてください」と主張されるのでしょうか?

おかしくありませんか?
もう一度、よく考えてくださいね。

それは置きましょう。

とくのさんの親御さんの件、詳しい事情は知るよしもありませんが、文面だけで判断させていただくと、大変なご苦労であり心より同情いたします。

そのうえで、2択を迫られるのであれば、やはり私なら ②一生学会員でいる を選びます。ただし「惨めな人間」だとは思いませんが。


もし、創価学会を辞めて、それで「ご自身の宿命」が変わるのであれば、辞めてもいいのではないでしょうか?

ですが、現実問題、そのような方法などあるのでしょうか? 私は知りません。辞めてどうされるのか?までしっかり考えてますか?


私から言えるのは、今のとくのさんには「信」の一字がないように思われます。

信心と言うように「信」があくまでも大事なのであって「どうして学会に入って題目もあげてるのに、願いが叶わないのか?」「なぜ親がこういう目にあっているのか?」などなど、そのような疑いの心で題目をあげても所詮「信」がなければ、願いは成就しないでしょう。

また周りの眼を気にしすぎなのかと思います。
別に痴呆症になられている親御さんをお持ちの方は内外問わずたくさんおります。私の組織内にもおります。

でも、親御さんが現在そのような状況にあられるのも必ず意味があるはずです。その意味を見つけられるか否かです。

本当に心の底から「信」じれば、必ずどんな問題も解決できます。


いつまでも、筋骨隆々で姿形が若々しいのが「健康」「お元気」なのではありません。痴呆症になられても、それが不幸なことではまったくありません。それによって右往左往して振り回されてしまうことが不幸なんだと思います。確固たる自分を築けば環境には負けないはずです。


私自身が同じ立場にはないので「何言ってんだ!こっちの苦労も知らないで!」とお怒りかもしれませんが、とくのさんが二者択一で答えよ、と問われましたのでお答えしました。

どうか現在の環境に負けないでください。
とくのさんの心の充実が大事であり、一念が変わればすべて変革できます。

本気で「信」を持ってみてください。
本気で一念を変えて題目をあげてみてください。

ネット上ではありますが、応援させていただきます。

鯛焼きさんお久しぶりです。
今年はブログのコメント欄を使わせていただき、自分にとっての創価学会について改めて考える機会とする事ができました。ありがとうございました。
一点だけ、上の鯛焼きさんのコメントに痴呆症とありましたが、今は認知症が正しい名称です。鯛焼きさんの言われている通り、認知症は決して不幸な病気でも罰でもありません。歳を重ねれば多くの人が体験する、ごく身近な病です。
認知症患者になる事が不幸なのではなく、社会を含めた周りの環境が認知症に対して無理解である事が様々な不幸を生み出しているのだと考えられています。
そのような考えから以前は使われていた「痴呆」「呆け」という表現も改められたという経緯があることをご理解ください。

横から失礼いたしました。

No title

アンチでも退会して、関わらなければ創価にしろ学会員さんにしろ、こういう言い方は何ですが「痛くも痒くもありません」
例え過去に何があってもそれは終わったことで、二度と体験せずに済むこと。

例え身近にバリ活がいたとしても、自分に何も強要してこなければ、迷惑行為ではない。
言ってみればその人は、自分にはとても好きにはなれない趣味の髪型や洋服は着ているけれど、それはその人の自由というか。

自分だってその人から見たら、迷惑行為はしてないかもしれないけど、癇に障るファッションや趣味をしているかもしれない。
でもそれを尊重してもらっている。

例えが変かもしれませんが、私は創価問題はそんなふうに折り合いをつけました。

今現在迷惑行為などされてないし、できない頼まれ事なら断れば済むことだし、それなら撲滅させようなんて傲慢なことを言わず、やりたい人は尊重すればいいこと。
人それぞれ価値観はちがうのだから。
そう考えました。

自分はもう何ら関わってもいないし、創価から嫌がらせもされていない。
ああ辞めたんだなあくらいで済んでいる。
それなのにそんな自分が
「あなた達頭おかしいよ。何?詐欺集団に騙されてるだけのくせに」
なんて「嫌がらせ」を言ったら、それは学会員さんからしたら不愉快でしょう。
「嫌がらせじゃない、悪口じゃない、事実を言ってるまでだ。気づいてほしいだけだ」
なんて言ったところで、言われた方は、充分ワルグチですよね。

「私が何しました?あなたにイジワルしましたか?辞めたことを尊重しましたよね?ならば私の大切なものを酷くいうのはやめてください。放といてくれませんか」
と思うでしょうね。

アンチでも、少なからずすっぱり辞めることができて、しつこくもされず、じゃあお元気でとなった人は、もう学会員さんや創価を攻撃する必要はないんじゃないんでしょうか?
関わらなければ済むことを「撲滅」させなきゃいけないのかな?と思います。

学会員さんだって宗門が嫌なら、別に撲滅させなくても関わらなければいいだけでしょう?

「詐欺」とか「撲滅」って穏やかな言葉じゃないですよね。
確かに言われて当然のことをしたとか言い分はあるでしょうが、創価は草創期から比べたら、嘘みたいに排他性はなくなりました。
ズルイとかコロコロ変わったといっても、とにかく変わったのだから努力はした。
私もイジワルをやめてそんなふうに今は見ています。

かつて極アンチブログを書いていた海がですよ(笑)
ご参考までにと思います。

Re: タイトルなし

久々のコメント、大変に嬉しく思います。
どうもありがとうございます!

ご指摘の件、誠に申し訳ございません。
書き間違えてしまったようです。決して他意はございません。

認知症に訂正させていただきます。
よろしくお願いします。

Re: No title

アイスティーさん、今年一年(半年も経ってませんが)色々と的確なコメントを頂戴しましてありがとうございます。

>「嫌がらせじゃない、悪口じゃない、事実を言ってるまでだ。気づいてほしいだけだ」
>なんて言ったところで、言われた方は、充分ワルグチですよね。

まさに、このご指摘に尽きると思います。
ぜひ、かつてのお仲間であるシニフィエさんにも言ってあげてください(笑)


言われた方は、充分ワルグチなんです。

多様性が認められている世の中なのにもかかわらず「創価は詐欺」と一方的に決めつけている時点で、シニフィエさん達の心の中には「創価に対する差別感」がアリアリだと感じます。

言いたくはないですが、まるで韓国や中国を無条件に嫌う人々のような感覚です。


彼のブログの中で、よく学会や会員を揶揄するような替え歌を掲載しておられますが、もし逆の立場ならどう思うのでしょうか?

もし創価学会員が「アンチ創価やシニフィエさんを馬鹿にするような替え歌」を掲載したらどのように反応されるのでしょう?

相手(創価学会員)がどう感じるのか?を思う感覚や感性が欠けていると言わざるを得ません。


また、こんなコメントもありました。

>鯛焼きさんは何か質問してもウナギのように「ヌルッ!」「ツルッ!」とのたくって核心をかわし続けます。
>鯛焼きさんは「タイ」というより「ウナギ」ですね(爆笑)


この投稿者の方ならではのジョークでしょうが、言われた方としてみれば決して良い気分はしません。もちろんスルーしますけど(笑)


私は決して頂いた質問にスルーしているつもりはないのですが、もしもそうだとすれば、相手(私=鯛焼き)がその質問に気が付くまで、とか、その質問に回答させるように誘導すればいいだけなのに、それが出来ない=対話能力が不足している、ということに他なりません。

つまりは、質問したほうの問題になると思いますが、決して「私は間違ってなく、質問者が悪い!」と言っているのではありません。

あまりにも「やっぱ、鯛焼きは「創価バリ活」だから、質問をかわすのがうまいな」なんて差別感が十二分に透けて見えるのです。

彼らの根底には「創価=嫌い、憎い、詐欺」という心情があります。だからこそ、いつまでもブログでうだうだコメントされるのでしょうが、それってどうなんですかね?

彼らの中にこそ「排他性」があるわけで、よくこの点は考えて欲しいなって思いますね。


私もアンチ創価をひとくくりにしてしまうことがあって反省することもありますが、アイスティーさんの考え方を聞かせてもらって、個人個人で対応することを学びました。その意味では感謝申し上げます。

日付が変わって大晦日ですので、もうやめましょう。
でも事実でないことを書かれたら反論する。これは当然の権利であり、当然の行為だと思ってます。

アイスティーさん、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ!
ありがとうございます。

まゆゆ

鯛焼きさんへ
婦人部のまゆゆと申します。
ブログを運営されるのは大変でしょうけど、学会を悪く言う人にはこれからも鋭い言論戦をお願いします。

シニフィエさんは創価学会をよく分かってません。まったく気にすることはありません。

佐藤優さんや田原総一郎さん、世界の識者が創価学会をいかに評価されているか。世間の賢い方々は必ず学会を正しく評価しております。

学会を正しい眼で見れないほうがおかしいのです。そのようにしか思えない醜い境涯なのです。気にすることはありません。

来年益々のご発展をお祈り申し上げます。頑張ってくださいね。

私からのコメントはおそらく歓迎していないと思います。
鯛焼きさんのコメントを読んでから、元旦勤行会を未入会の娘に車の運転をしてもらって、子供、私、母の三人で参加することにいたしました。
娘は車の中で待ってると言いましたが、参加してもらう事にしました。
母が認知症になってすぐに地区に退会届は預かってもらってますが、娘に学会員になって私の母を一緒に守ってあげよと話しました。
私の話を真剣にしっかりうなずいて聞いてくれました。
入会するとは言ってくれませんでした。
娘が学会員になった場合は私が書いた退会届は破棄します。
鯛焼きさんの場合、退会者のブログを読んで反論の文章を書くと言うのはとても残念に思いましたので一言御報告申し上げます。

Re: タイトルなし

明けましておめでとうございます。
返信遅くなり申し訳ありません。

>退会者のブログを読んで反論の文章を書くと言うのはとても残念に思いましたので

色んなご意見がありますので、参考にさせていただきますが、基本どなたのブログ等であっても「間違ったこと」については反論する権利がありますことご理解いただければと思います。

新年勤行会の件ですが、とくのさんご一家に取って素晴らしいものになりますよう御祈念いたします。

どうか清々しく出発されんことを!

Re: まゆゆ

嬉しいコメントありがとうございます。
今年も正しい眼で学会を見れる方を増やしていくべく頑張って参ります。

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

Re: No title

ハンドルネーム=創価は嘘さん

新年早々に大量のコピペ投稿をしてくださり大変に御苦労様です。ですが、以前別な方にも申し上げましたが、ここは掲示板ではありません。そのような内容は掲載いたしません。

もし対話をご希望なのであれば、再度ご自身の立場などを明かして頂き、まずは一つのテーマに沿ってやりましょう。

よろしくお願いします。

創価は詐欺

日蓮正宗との未蜜月時代とは言え、その贋作板曼荼羅の安置の為の正本堂建立に信徒から多額の布施を募った訳ですから
定義上、明白に詐欺を行ったと言えると思いますね

しかも現在は信仰の対象にしていませんね

日本の司法は信仰、宗教に関する真贋判断を放棄してますから詐欺罪には問えませんが(板曼荼羅事件)

当然詐欺に該当すると云って間違い無いと思いますが

因みに学術的に偽書と明らかな物が重要教義の根幹である点(日蓮本仏論)も詐欺に該当すると思いますね

創価学会は日蓮遺文の真偽問題を信徒に教育してますか?

デジタル大辞泉の解説
さ‐ぎ【詐欺】

1 他人をだまして、金品を奪ったり損害を与えたりすること。

No title

板本尊も大聖人の出世の本懐の一つとしての「観心の本尊」になるのです。
しかも、日蓮正宗の教義体系を構築された日寛上人が、錯誤かと推測されますが、大聖人在世に建立された本尊として、混乱を極めた大石寺の再建のために、教義体系の根本に据えたのです。
板本尊の事実と真実は、日有師の時代に摸刻された観心の本尊だったのですが、日寛上人が大石寺として正式に教義の中心に据えたのですから、日蓮正宗の教義を根本にしていた時代の学会には少なくとも責任はない、と言えるのではないでしょうか。

たった数mgの板本尊の欠片があれば、加速器質量分析法で科学的な分析をして、わずかな誤差で成立年代を特定できます。しかし、大石寺はサンプルを絶対に出しっこない現状では、証拠として確定できない以上、やはり会員に対する責任ということからも、傍証だけで過去の主張を全否定は出来ないでしょう。

堀上人は「富士日興上人詳伝」の中で、日興上人が身延から富士に移る際の荷物の中に板本尊は存在していなかったことを把握され、「お荷物の中に『生御影』『御骨』は必ず御奉持であるべきであるが、板本尊に至っては研究の余地が存する」と、各種の証拠に基づいて、教義体系に疑義は持っていたものの、日蓮正宗の宗旨の根本を覆すことはせず、未来に託されています。知って何も言わないのは罪ですが、把握できた範囲で指摘はされているので免責とされるのではないでしょうか。
https://open.mixi.jp/user/54955889/diary/1968478805

【日寛の登場】
https://plaza.rakuten.co.jp/sokakyougaku/diary/201602230000/


繰り返します、本尊自体は偽物ではありませんよ。(略)日蓮正宗と創価学会が共に有った当時は、「日蓮正宗の正体」が明かされる以前のことです。公式には「日蓮正宗の教義」に依拠しながらも、実質的には「三代の会長指導」を根本に「大聖人直結・御書根本の信仰実践」に励んできました。
故に「日蓮正宗の教義」という宗派教学、更に宗派の本尊というものを突き抜け、日蓮大聖人を直接拝する信仰であったが故に、多大な功徳を享受しえたのです。創価学会を大石寺教学のフィルターで覆うことは、できませんでしたね。

「騙して」「その罪は計り知れない」のは坊主の側です。もっとも、邪義・己義を成した中世の坊さん達こそが根本原因なのですね。それを継承した大石寺貫主や僧達も「前代からの教えを素直に信じ、次の世代に伝えた」だけともいえます。昔は「何がどうして」など、知りようがなかったでしょうからね。
時の経過と共に邪義・己義・創作が加えられ、更に時が経ちそれらの誤りが正され、本義に立ち還る、今はその道中なのです。その作業を、お宅等にとっては破門して、決別した邪教と見下す創価学会が行っているので、むかつくでしょうけど、えてして、歴史というのはそういうものです。離れてこそ見えてくる「真実」といものもあるのです。
当事者でいる限りは「守り抜かねば・・・」となってしまうのでしょうけど、「やみくもに守り抜いて」も、端から見れば「言い訳がましいな、無理をしているな」ということになります。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/4943/1195253947/39-66

錯誤は明白

【日蓮正宗の宗旨の根本を覆すことはせず、未来に託されています。知って何も言わないのは罪ですが、把握できた範囲で指摘はされているので免責とされるのではないでしょうか。】


創価学会が日蓮正宗から破門されたのは平成3年、1991年で、現在は2019年です
正本堂建立時に関しては詐欺とは言え、その当時を鑑みれば確かに情状酌量の余地があるかもしれませんが

破門後、これだけの長期間に、その堀日停が後世に託したと云う、研究、検証の実態を見れば
免責等と言うのは言語道断かと思いますね

しかも、創価学会が公式として戒壇本尊の偽作論や偽書に言及、また認めている訳でも無く
一会員個人の偽作論も、創価や正宗が邪宗と罵る日蓮宗信徒である独歩氏が先行、場合によっては金原明彦には盗用疑惑まであり得る訳ですから

さらに、偽書に関して先日のコメントでも言及した様に、創価学会はその学術的な研究問題に関して(遺文の真偽)信徒に教育をしてない事は明白です
創価大の宮田幸一がその論文で嘆いている様に、その教義は統一教会の様なカルト宗教と同等の異端教義と看做されているのが現実です
その宮田幸一の論文に関しても、従来の学説を略追認しているに過ぎず、外部から指摘、批判はそれ以前からずっと提起されていた事です

しかし、多くの会員はその事実を知りませんし、その事実を知っている会員も創価学会から与えられた知識ではなく
インターネットや書籍等で、能動的に自ら手に入れた物が大半でしょう(場合によっては遺文の真偽問題自体を否定する信徒もいます)

堀日停の文献解釈に関しても同様の事が言えると思います
疑惑の遺文、文献に後加の二線を堀日停自体が多量に引いてる事実を知っている創価信徒はどれ程いるのでしょうか?

また、2014年の会則変更等は聖教新聞を用いて信徒に周知徹底していると思いますが
同様に、重要な教義に関する、重要な問題を信徒に教育、公正な情報提示してない点を見れば、明白にその教義に関して錯誤せしめてると言えます

創価の教学部任用試験も同様の指摘が当て嵌まるでしょう

仮に、これら遺文の真偽問題や板曼荼羅偽作論を、聖教等の機関紙で信徒に対して、公平公正に取り上げ周知徹底していると言う事実があるなら
御提示願います

仮にその様な事実があるならば、自分個人の認識だけでなく、定義上も詐欺とは言えませんので


次に【「騙して」「その罪は計り知れない」のは坊主】
までは同意ですが、その側には創価も当然含まれるでしょう

正宗と創価の同族嫌悪の骨肉の争い自体は結構な事ですが、所詮創価側も正宗批判や自宗に都合の良い教義解釈と遺文の引用が見て取れます
また小樽問答や折伏大行進等、その正宗由来の教義を用いて組織的に行った過去の所業を総括等していない事も明白です

自らの過去を省みる事が出来ないのは、創価も正宗もなんら変わりが無いと言えるでしょう

公益性を理由に税制が優遇されている宗教法人として、その倫理、同義的に如何なものかと思いますね
また客観的事実(学術研究の成果)と主観的認識との不一致は創価や正宗の用いる日寛教学は明白で
繰り返しになりますが、その教学に於いて明らかに錯誤せしめてると言えます


次に、偽作論に言及(記事引用)しながら
【繰り返します、本尊自体は偽物ではありませんよ。】との別記事からの引用意図が良く解りませんが

その引用先の主が所謂戒壇本尊が偽物では無いと言うのは信仰者としての立場、教義的な側面からの見解でしょう

正宗系カルトや日蓮の信仰等全く信じていない人間からすれば、単なる装飾過度(漆に金粉)な文字彫刻の真贋判断の問題ですから、教義解釈等がその真贋判断に入り込む余地等微塵もありません

単に過度な装飾がある文字彫刻と見れば、日蓮筆と他筆を切り張り創作、転写し、年代と作者、またその由来を偽った贋作と見るのが至極当然と言えるでしょう(日法が彫ったと云う文献的な裏付けもありません)

世間一般ではその様な代物を贋作、偽物と言います



最後にmixiの記事で気になった点
日蓮出世の本懐の論拠として御義口伝がありますが、日蓮在世時に存在しない儒教文献の引用が認められる明白な偽書です
学術的にも日蓮、日興の教学思想に用いられるものとはされませんので、御義口伝からの引用は不適切でしょう

また、阿仏房御書も真蹟は現存せず、偽書論があるものですから、真偽未決を論拠として使うならそれ相応の理由や見解、注釈が先にあるべきでしょうね
また、創価が詐欺で無いと主張したいのならば、基本的には真蹟現存や曽存を論拠にする事を心掛けるべきだと自分は思いますけどね(引用記事に関しても)


日蓮の真蹟について。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/12/22/000000

さ‐ぎ【詐欺】
https://kotobank.jp/word/%E8%A9%90%E6%AC%BA-68611
精選版 日本国語大辞典の解説
① 故意にうそを言って他人をだまし損をさせること。また、その人。
法律では、人をだまして錯誤におとしいれる行為をいい、民法上では、これによってした意思表示を取り消すことができる。

錯誤(読み)さくご
https://kotobank.jp/word/%E9%8C%AF%E8%AA%A4-68690
世界大百科事典 第2版の解説
客観的事実と主観的認識との不一致。不知と誤解の双方を含む。

ふ‐ち【不知】の意味- goo国語辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/193249/meaning/m0u/
1 知らないこと。
2 知恵がないこと。愚かであること。

贋作
https://kotobank.jp/word/%E8%B4%8B%E4%BD%9C-48778
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
贋作の圧倒的に多くは技術的に幼稚であり、それを表面的な華麗さで補っているにすぎない。
~中略~
同じ事態は、中国や日本でも古くから顕著である。
東洋画は、基本的に模写によって作画することを習慣としているところから、無数の類同物が存在しており、古い時代の作品になればなるほど、現存するものがはたして原作品であるかどうかが疑われる。
室町時代の日本に大量にもたらされた馬遠(ばえん)や牧谿(もっけい)の作品の多くが「伝」とされているのは、そのためである。


図書館情報学用語辞典の解説
人を欺く意図をもって,年代や制作者を偽った図書,文書,絵画,工芸品などを作ること,またはその作品.
技法や作風などを真似て過去に存在しないものを新しく作った贋作と,存在するものを精巧に模倣・複製して作った贋作とがある.
この用語は美術品に対して用いられることが多く,図書や文書に対しては「偽書」「偽作」も用いられる.

写しと贋作とレプリカの差 2.贋作
https://katana-log.com/2016/03/30/153/
タイプ別贋作
分かりやすくするために「虎徹」を例にしますが、贋作にも何種類か作り方にタイプがあってなかなか面白い世界です。
~中略~
折れた本物の茎部分を調達して別の刀工の刀身に溶接する。
1.は茎部分をまるごと繋いだり、銘の部分だけ切り取ってつないだりするそうです。
でも、つなぎ目がバレバレだったり錆び方に差があったり、雑な仕事だとすぐにバレちゃいますね。

本文URL数に制限がある様ですね

弘安2年の戒壇本尊は日蓮の造立ではない。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/01/31/000248
すでに犀角独歩氏の研究でよく知られていますが、コンピュータ・マッチングという手法による解析で、
弘安2年10月12日戒壇本尊は弘安3年5月9日の日禅授与本尊より主題の七字を模写したパッチワーク模造であることが明らかになっています。

何故わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html
所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
あきれ果てた言いがかり、わたしが盗用?
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51593434.html

日有の教学思想の諸問題(5)
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper4-5.html
日蓮本仏論が文献学的には(=学者の間では)支持者がいない、日蓮本仏論は仏教の歴史の中では異端と判断される(文鮮明を第二のイエスとする統一神霊協会がキリスト教とはみなされないように)

錯誤は明白にて、誤字、誤記訂正

×堀日停
〇堀日亨
×後加の二線を堀日停自体が
〇後加の二線を堀日停自身が

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

創価鯛焼き君

Author:創価鯛焼き君
バリ活の学会員で支部長やってます


にほんブログ村